F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

タグ:アクティブサスペンション

1992年のメキシコGPは先日のアメリカGPと同様に今のようなシーズン終盤でなく、春先の第2戦に行われていました。この年はご存知の通りマンセルが8月の第11戦ハンガリーGPで早々にチャンピオンを決めてしまう「ウィリアムズ無双」状態。この第2戦の時点でライバルチームはウィリアムズの予定より早めに投入してきた「最強デバイス」に手を焼くことになります。
FW14Bに搭載されたアクティブサスペンションです。以前にロータス92が1982年に導入した際、登録商標を取得していたため、このマシンに搭載されたものは厳密には「リアクティブサスペンション」と呼ばれています。ちなみに1982年のロータス92でアクティブサスペンションをいち早く経験した人、それがマンセルです。10年の時を経てチームをまたぎ、研究と改良を重ねて最強デバイスを再び手に入れたわけです。画像では見辛いですが、カーナンバーの欠け方やアッパーアームの角度を見てみてください。こちらが車高が高い時。
車高が下がると、こう。
これが路面の凹凸に到達すると同時に作動し、理想的なポジションとグリップを得ることに貢献します。オンボードカメラからみてもブレがあまりないように見えます(元画像がVHSで汚いためよくわかりません)
1991年はマンセルの追い上げを感じながらチャンピオンを獲得したセナは、ウィリアムズの技術的進化を開幕戦から見せつけられて心中穏やかではありません。
スピンして、お手上げ。予選は6番手。
クラッシュ時に足を負傷し、マシンの改善を身をもって示します。また相方ベルガーもコースオフして腐り気味。予選はセナの一つ前、5番手と完全にウィリアムズ、そしてベネトンにまでもっていかれてしまいます。
《予選結果》
   1 N・マンセル(ウィリアムズ・R)
   2 R・パトレーゼ(ウィリアムズ・R)
   3 M・シューマッハ(ベネトン・Fo)
     ※タイヤはグッドイヤーのワンメイク

スタートも危なげなくこなすフロントロウのウィリアムズは早い段階から3位に上昇したセナ以下を突き放していきます。メインストレートの長いこのメキシコでは遠くかすむくらいのギャップで現実を突きつけられています。
3番手スタートのシューマッハをスタート早々にさばいたセナは12周目にトランスミッションのトラブルでグラベルにマシンを止めてここまで。
チームクルーはピットでセナの帰りを待つも戻ることはなく、セナはもどかしいレースの遠いフィニッシュラインをここから眺めるしかないという厳しい現実。
ウィリアムズに届かないならば、せめてベネトンだけでもとベルガーもシューマッハ攻略に挑みますが、うまく差し返されて及ばず。大きく重いホンダV12エンジンよりも軽量小型のフォードV8の方が有利と出ました。
《決勝結果》
   1 N・マンセル(ウィリアムズ・R)
   2 R・パトレーゼ(ウィリアムズ・R)
   3 M・シューマッハ(ベネトン・Fo)

蓋を開けても予選順位と変わらぬ結果。内容も近年にありがちな逃げ逃げレースで盛り上がりには欠けています。その後も第5戦サンマリノGPまでマンセルが5連勝、パトレーゼも4回の2位を積み上げて、ニューマシンに最強デバイスを積むウィリアムズにはこのシーズンは誰も歯が立ちませんでした。マクラーレンの猛追を制したシューマッハはこれがF1で記念すべき初表彰台となります。片山右京は食中毒に見舞われながらも予備予選落ちした鈴木亜久里の分まで奮闘してしっかり12位完走。それにしても、ヘルメット越しでも辛さが伝わってきます。

最終コーナーに自らの名が採用され、改修を終えた2015年の新生「エルマノス・ロドリゲス」にマンセル登場。時が経つこと23年後の勝者のロズベルグを讃えました。その隣にはそのロズベルグの後任のボッタスの姿も。ボッタスも今や勝利が約束されたメルセデスドライバーです。今シーズンのメキシコGPはボッタスが制する番かな?!

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今元気のないホンダが元気があった頃のマシンを振り返ってみます。アイデアの宝庫ロータスとホンダ第2期がタッグを組んだ1987年の「ロータス99T」です。日本の初フル参戦ドライバーである中嶋悟と株価急上昇でホンダと共に名を馳せたセナによる代表車の一つです。

《設計》
ジェラール・ドゥカルージュ
マーティン・オジルビー

《外見》
ロータスといえば、先日振り返ったばかりのJPSによる漆黒に金文字、そしてこのシーズンからスイッチしたキャメルイエローの印象が強いですよね。今のルノーとはまた違う黄色がサーキットにおいてベネトンに引けを取らない異彩を放っていました。
マシンカラーの劇変によって目の錯覚に陥りそうですが、前作98Tからの発展系とはいえ、ノーズ形状は太く丸く、そこに秘策が隠されていました。一度諦めていたアクティブサスペンションの再導入です。ロータスは1982年にF1マシンに先駆けて、市販車からフィードバックした油圧のアクティブサスペンションにチャレンジしていました。コーリン・チャップリンの目論見がハマらなかったものを5年越しで盛り込みました。ノーズ両側にピトー管を備えて速度を検知し、さらに加速度センサーの情報を車載コンピューターで解析、電子油圧で制御するものとなっています。気のせいかもしれませんが、オンボードカメラの映像を観る限り、この時代にしてはブレがない気がしないでもない。
今回こそどハマりしたらマシン挙動を理想的に操作できる夢のようなマシンになり得ましたが、結果は中失敗。当時はまだ解析に時間がかかるため、高速サーキットでは特に理想的なポイントで制御できず、フロアが路面スレスレまで落ち込んだり、本来マシンが沈みこむべき地点でいたずらに突っぱねたりと、いわゆる「振り遅れ」みたいなものが多発してしまいました。車を運転される方だと、カーブやマンホールの蓋の上を走行している時に車が「逆の反応」を示したら驚いちゃいますよね(笑)乗り物に弱い方なら乗り物酔いしてしまいそう。。当然マシンが不安定であればタイヤへの入力も上手くいかず、温度調節に苦戦して「適正なタイヤ環境を作れない」などの二時的被害も起きました。何よりも他車にはない「負荷物」の搭載からくる重量配分の違いも少なからず足かせになったでしょう。

《エンジン》
ホンダRA167E
IHI製ツインターボ(過給圧4.0バール制限)
V型6気筒・バンク角80度
排気量:1,494cc(推定)
最高回転数:11,600rpm(非公開)
最大馬力:   882馬力(決勝時推定)
                  1,065馬力(予選時推定)
スパークプラグ:NGK
燃料・潤滑油:エルフ

1986年のウィリアムズでコンストラクターズチャンピオンを獲得したホンダは、この年からロータスにも同じエンジンを供給して4台体制を築きます。マンセルにピケ、セナといったトップドライバーに混ざる形で中嶋悟が誇れる母国のエンジンで初参戦しました。
1987年レギュレーションは来たる1988年シーズンいっぱいで廃止するターボエンジンの準備期間として写真左の人の右手付近にある筒状のポップ・オフ・バルブ(ブロー・オフ・バルブ)による過給圧を抜く措置が義務付けられ、5.0バールを超えたといわれていた過給圧を4.0バール上限としました。
(若い方には馴染みがない圧力の単位「バール」は一昔前に天気でも使われていました。わかりやすく今の単位「ヘクトパスカル」に換算すると4bar=4,000hPaで超々高気圧に値します)
過給圧制限によるパワー不足を補完すべくホンダは「吸気温度を調節し適正な燃焼を促す」装置を搭載して少しでもパワー向上に努めています。

《シャシー》
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:540kg(ドライバー含む)
燃料タンク容量:195ℓ
クラッチ:AP
ブレーキキャリパー:ブレンボ
ブレーキディスク・パッド:ブレンボ
ホイール:O・Z
サスペンション:フロント プルロッド
                                 リヤ    プルロッド
  (フロント、リヤともアクティブサスペンション)
タイヤ:グッドイヤー

《ドライバー》
No.11 中嶋悟(全戦)
No.12 アイルトン・セナ(全戦)

《戦績》
64ポイント コンストラクター3位
(1位2回、2位4回、3位2回、4位2回ほか)
ポールポジション1回

レース内容をザックリみると、ポールポジションの数からも察することができるように「独走の速さ」は同じホンダエンジンでもウィリアムズが優勢でこのマシンによるものではありません。前がコケて粘って表彰台や入賞にこぎつけるパターンが多くなっています。前述の「スピードサーキットの取りこぼしや順位を落とす」シーンが続きました。
初優勝はセナによる第4戦モナコGPまで待つこととなります。バンピーで低速なサーキットではアクティブサスペンションに優位性を見い出し、デトロイト市街地で行われた第5戦アメリカと連勝するなどマシンの得手不得手が明瞭でした。有名なレースは第7戦イギリスGPで優勝はウィリアムズのマンセル、2位ピケ、3位セナ、4位に中嶋悟という「ホンダエンジンがトップ4」という快挙を成し得ました。
唯一無二の技術でシーズンを牽引できると思いきや、技術的に時期早々であったことに加え、後半の第11戦イタリアGPではFW11Bがいよいよアクティブサスペンションを導入し、早々とピケによる優勝を決められてしまいました。ロータスが長年秘密裏に構想、実践してきた「お家芸」はいつの間にかウィリアムズのものと化しています。名車であり迷車な面も兼ね備えたこのマシンでワークスチームがプライベートチームに完敗した瞬間です。アクティブサスペンションもロータスではまた1年で断念してしまいました。                 
デビューイヤーの中嶋悟は当時の日本国内では最強ドライバーの1人です。しかし比較的遅咲きでF1進出して世界の舞台に立つと、世界との差が露わになり最高位はイギリスGPの4位1回となっています。ただ彼の存在はホンダという日本ブランドがF1復帰し、それに合わせて「日本のモータースポーツ」を世界に知らしめた立役者の一人であったと考えています。以降日本のメーカーやワークスと一緒にF1にステップアップした後輩は多くいます。ホンダがなければ日本人フルタイムドライバーはなかった、日本の技術力を表すことでF1で多く活躍することができたわけで、我々ファンもこの1987年以降に身近で認知していくことができました。
近年は苦戦を強いられているホンダ。アロンソも憧れ苦難を想定した上で加入し、ドライバー側でやれる限りの努力を続けています。昔F1界を席巻した「ホンダ」を世界のファンは懐かしみ、多く期待しているはずです。
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今までF1マシンには好成績を残して名を馳せ、がんじがらめのレギュレーションの範囲内や隙をついた新技術で傑作のマシンを作り上げた設計者が多くいます。ジョン・バーナードにロリー・バーン、ゴードン・マーレーもその1人だし、パトリック・ヘッドにマイク・ガスコイン、、まだまだたくさんいますね。最近のF1マシンデザイナーで有名なのはやはりエイドリアン・ニューウェイではないでしょうか。空気を相手にパワーやドライバーの腕ばかりではないマシンを数々生み出してきました。時には繊細過ぎて操るのも大変で「天才の中の駄作」ともいえる失敗もいくつかありました。

ブログの「名車を振り返る」でも何台か紹介させて頂きましたが、今回は簡単な彼の経歴と歴代の「作品」を戦績や技術、成功と失敗を簡単におさらいしてみたいと思います。

エイドリアン・ニューウェイ
1958年生まれのイギリス人です。長らく「F1の頭を使う立場」で活躍し、あの「頭」ですのでなかなか高齢かなと思いきや、まだ今年58歳です。いまだにCADを用いずドラフターで手描きをするのはすごいです。
イギリスのサウサンプトン大学で航空工学を専攻していました。工学でも航空・宇宙の分野は最も難しい学問でレベルも高いんですよね。実は自身も高校時代に一度憧れたことはありましたが、恥ずかしながら別の理工学系に流れてしまい、断念しました。その中で優秀な成績を残して卒業し、間も無く1980年からF1の世界に入りました。

《フィッティパルディ時代》
1980〜82年 F8 22戦30走行
               優勝:0  表彰台:0  P.P:0  F.L:0

ハーベイ・ポスルスウェイトの元で空力チーフを任されてF1マシンに初めて携わりました。成績は今のように輝かしい内容ではありませんが、大卒直後の若造が世界最高峰の四輪スポーツに携える時点で、才能をかわれたのでしょう。

《マーチ、レイトンハウス時代》
1988年 881 16戦+2戦36走行 シーズン6位
               優勝:0  表彰台:3  P.P:0  F.L:0
1989年 CG891 14戦27走行   シーズン12位
               優勝:0  表彰台:0  P.P:0  F.L:0
せっかくF1の世界来てもチームの消滅によってマーチに移籍、一旦F2やCARTマシンに携わり、優勝やチャンピオンを獲得するマシンを生み出します。
そして1988年にF1に戻り、チーフデザイナーの肩書きで代表車の一つ「881」がターボ車に食らいつかんばかりの活躍をみせて有名になり始めます。フロントウィングでディフューザーの効果を最大限にもたせるマシンです。さらに勢いを増し翌年の89年には軽量化、低重心化、エンジンをカスタムメイドして挑むも、逆に扱いにナーバスな車になってしまい、ドライバーもマシン性能を引き出せない現象が起きてしまいます。

《ウィリアムズ時代》
1991年 FW14    16戦32走行 シーズン2位
               優勝:7   表彰台:17  P.P:6   F.L:10
1992年 FW14B  16戦32走行 シーズン1位
               優勝:10 表彰台:21  P.P:15 F.L:11
1993年 FW15C  16戦32走行 シーズン1位
               優勝:10 表彰台:22  P.P:15 F.L:10
1994年 FW16(B)16戦32走行 シーズン1位
               優勝:7   表彰台:13  P.P:6   F.L:8
1995年 FW17(B)17戦34走行 シーズン2位
               優勝:5   表彰台:17  P.P:12 F.L:6
1996年 FW18     16戦32走行 シーズン1位
               優勝:12 表彰台:21  P.P:12 F.L:11
ニューウェイがF1においてチャンピオンクラスのマシンを仕立て上げるようになったのはウィリアムズからです。パトリック・ヘッドと共に果敢に新たな技術をマシンに投入し、最多勝の1996年の12勝に及ばない10勝でしたが、インパクトからみれば最高傑作といえる「FW14B」が完成し、N・マンセルと初チャンピオンを獲得します。
アクティブサスペンションにトラクションコントロールシステムと今の市販車でも当たり前となってきている装置をF1で初めて搭載し、のちに禁止を食らうなどせっかくレギュレーションをくぐり抜けても、揚げ足を取られるマシンになっています。
また、成功があれば失敗もあり。感性のドライビングをするA・セナには、惚れたニューウェイの技術の塊を実際に馴染むことができず、F1界の大いなる才能を失うきっかけだと物議になりました。

《マクラーレン時代》
1997年 MP4-12     17戦34走行 シーズン4位
               優勝:3   表彰台:7    P.P:1   F.L:2
1998年 MP4-13     16戦32走行 シーズン1位
               優勝:9   表彰台:20  P.P:12 F.L:9
1999年 MP4-14     16戦32走行 シーズン2位
               優勝:7   表彰台:16  P.P:11 F.L:9
2000年 MP4-15     17戦34走行 シーズン2位
               優勝:7   表彰台:22  P.P:7  F.L:12
2001年 MP4-16     17戦34走行 シーズン2位
               優勝:4   表彰台:13  P.P:2  F.L:6
2002年 MP4-17     17戦34走行 シーズン3位
               優勝:1   表彰台:10  P.P:0  F.L:1
2003年 MP4-17D  16戦32走行 シーズン3位
               優勝:2   表彰台:13  P.P:2  F.L:3
2004年 MP4-19(B)18戦36走行 シーズン5位
               優勝:1   表彰台:4    P.P:1  F.L:2
2005年 MP4-20     18戦36走行 シーズン2位
               優勝:10 表彰台:18  P.P:7  F.L:12
2006年 MP4-21     18戦36走行 シーズン3位
               優勝:0   表彰台:9    P.P:3  F.L:3
実力と名声を得たニューウェイはウィリアムズと契約に折り合いが付かず、低迷期にあったマクラーレンを次なる活躍の場とします。テクニカル・ディレクターとして移籍2年目となる1998年に早くも「MP4-13」が他のマシンを寄せ付けない速さをみせ、なかなか勝てずのハッキネンとマッチングしチャンピオンに成り上がりました。
ブレーキステアリングシステム、巨大なディフレクター、チムニーダクト、ホーンウィングやゼロキールサスペンションなどなど、もちろん全てがニューウェイのアイデアやデザインではありませんが、のちにF1界でトレンドとなるデバイスの先駆けとなります。
マクラーレン時代の大失敗。何といっても2003年型「MP4-18」が出走どころかクラッシュテストにすら通過できず幻に終わり、旧型を改良して使用せざるを得なかったこと。そしてマクラーレン時代に最多勝を誇り、F1最高速記録を持つ「MP4-20」のスピードと引き換えの信頼性の無さが、チャンピオン獲得の足かせになったこととして表れています。

《レッドブル、トロ・ロッソ時代》
2007年 RB3    17戦34走行 シーズン5位
               優勝:0   表彰台:1    P.P:0   F.L:0
             STR2 22戦44走行 シーズン7位
               優勝:0   表彰台:0    P.P:0   F.L:0
2008年 RB4    18戦36走行 シーズン7位
               優勝:0   表彰台:1    P.P:0   F.L:0
             STR3 13戦26走行 シーズン6位
               優勝:1   表彰台:1    P.P:1   F.L:0
2009年 RB5    17戦34走行 シーズン2位
               優勝:6   表彰台:16  P.P:5   F.L:5
             STR4 17戦34走行 シーズン10位
               優勝:0   表彰台:0    P.P:0   F.L:0
2010年 RB6    19戦38走行   シーズン1位
               優勝:9   表彰台:20  P.P:15 F.L:6
2011年 RB7    19戦38走行   シーズン1位
               優勝:12 表彰台:27  P.P:18 F.L:10
2012年 RB8    20戦40走行   シーズン1位
               優勝:7   表彰台:14  P.P:8   F.L:6
2013年 RB9    19戦38走行   シーズン1位
               優勝:13 表彰台:24  P.P:11 F.L:12
2014年 RB10  19戦38走行 シーズン2位
               優勝:3   表彰台:12  P.P:0   F.L:2
2015年 RB11  19戦37走行 シーズン4位
               優勝:0   表彰台:3    P.P:0   F.L:3
2016年 RB12
今日までレッドブル・アドバンスド・テクノロジーという会社の最高責任者としてレッドブルのマシン監修をしています。序盤はトロ・ロッソにもマシンを横流しできたので、2チーム同時にニューウェイマシンが並びましたが、現在はレッドブルのみ関与しています。
パワフルなメルセデスエンジンから再びウィリアムズ時代のルノーエンジンと絡むことになりますが、非力感は否めず、より空力面で工夫を施してあげる必要がありました。トロ・ロッソで先に優勝し、レッドブルに移ったベッテルと共にレッドブル最強時代を築いていきます。2013年に9連勝したベッテルのRB9は圧巻でした。
フロントにはブリッジウィング、またリアにはダブルディフューザーやブロウンディフューザーといったマシンエンドのダウンフォース対策も成功させては禁止、成功させては禁止とせっかくの技術も頭打ちにならざるを得ません。さらには近年はターボエンジン化が引き金となり、ニューウェイだけのアイデアだけでは対応し切れない面とレギュレーションによる縛りがチャンピオンから陥落させてしまっています。

マンセルやハッキネン、ベッテルといったドライバーをチャンピオンに押し上げ、単なる機械屋ではない、航空工学を糧にパワーでも腕でもない、目に見えない「空気」を相手に繊細かつ速いマシンを手がけてきたニューウェイは、時には失敗作はあれど影の偉大な近代F1貢献者に違いありません。彼がピットロードを歩くと、他チームは急いでパーテーションで隠すというのも有名ですね。他チームの研究や動向観察も抜かりありません。

以前にプレイステーションの「グランツーリスモ」で理想的なマシンを設計し登場させたり、先日アストンマーチンと共同でとんでもない市販車を開発していました。度々隠居説やヨット競技への転向などが噂され、徐々に第一線からアドバイザーの立場になるなど、徐々に天才ニューウェイの作るマシンは見られなくなってくるかもしれません。

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