F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

カテゴリ: F1 de Let's study!

年明け以来3ヶ月近く放置してしまっていたあの企画「コレだれGP」を再開したいと思います。忘れていませんでしたか?!まだ完結していませんからね、時間があるこの時期に久々の頭の体操をしておきましょう!今回は前回の1990年代からまたさらに10年昔の1980年代からの出題となります。全戦テレビ放映の前の時代に入りますよー。miyabikunもこの時代生まれの一人ではありますが、現役ドライバーでこの時代生まれなのは最年長のライコネン(79年生まれ)を除き、アロンソを筆頭にハミルトン、ベッテル、リカルド、ボッタスの5人にまで減ります。90年代が中心になりつつある現役ドライバーでも今回の先輩方を知らない子が多くいるかもしれません。

Q①
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ヒント:なかなかの甘いマスクではありませんか。当時は大手スポンサーは複数チームにスポンサードしていたこともあり、似通った色のマシンやスーツを見かけましたが、スーツを見る限り、本物のフェラーリのドライバーのようです。1970年代末期から80年代末期と長きに渡ってF1をドライブしたフランス人で、この画像はキャリア中期にあたる83年のものです。チームと年を調べれば自ずと候補が浮かび上がりそうです。母国の新技術、高出力マシンにより予選での速さをウリとし、一時期はチャンピオン候補として名前が挙がったこともありますが、結局チャンピオンになることはできませんでした。ただF1大国の一つであるフランスとしてはいまだに上位の戦績を持ち続けており、ある方に次ぐ2番目に大成したドライバーといえます。現役のガスリーやオコンは彼を上回る戦績を残せるでしょうか。そろそろ超えてもらわらないと困りますね。このドライバーは晩年に日本においてとても滑稽な愛称で呼ばれていました。どうしようかなぁ、大々ヒントになっちゃうなぁ、、「妖怪、、通せんぼ、、」ここまで!(笑)現在もたまにF1のパドックにお見えになりますよね。甘いマスクは変わらずですが、だいぶ丸いマスクになられました。

Q②
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ヒント:先程の赤から一転、この方は緑のレーシングスーツを身にまとってインタビューを受けています。見た目の落ち着きっぷりはドライバーというよりインタビュアーやジャーナリストの風貌にも見えますね。ジェントルマンって感じ。80年代前半から90年代前半までF1をドライブしており、日本のファンにも馴染みあるドライバーだと思います。F1では比較的少数派のベルギー出身で近年だとバンドーンの大先輩の位置付けになるでしょうか。ベルギー人ドライバーは2人の優勝経験者がおり、偉大なイクス先輩に次ぐ3勝を挙げています。参戦数でいえば、この方がダントツの最多です。キャリア序盤は中堅チームで腕をならし、87年にベネトンに移籍すると徐々に頭角を示して表彰台にも度々登壇しています。キャリア後半は再び中堅チームで余生を過ごす形になりましたが、その粘り強い走りから日本では「振り向けば、、」なんて愛称が付けられましたね。

Q③
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ヒント:まずはシャンパンを振る横顔から。昔の表彰式には優勝者に月桂冠がかけられました。この横顔だけでピンとくる方もいるかもしれません。この方は残念ながら既にこの世にはいませんが、この時代を知らないファンでも、実はこの方の名前だけは毎年何気無く口にし目にしているんですよ。
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正面を向いてもらいましょう。顔だけ見ればどことなくマッサにも似ていますが、この方もマッサ同様にフェラーリドライバーだったのですがカナダ出身のドライバーですので血縁関係にはありません。デビューは何と名門マクラーレンからです。77年に入賞はなりませんでしたがたった1戦でエンツォ・フェラーリの目に止まり、そのシーズン終盤には早々とフェラーリに加入するというスピード出世を果たしています。2年目にしてフェラーリに抜擢されたルクレールの上をいく飛び級具合です。それだけこの方の力強い走りはファンのみならずF1関係者の心を掴む走りだったという証です。チャンピオン争いにも名乗りを挙げますが、惜しくも獲得には至らず、82年の予選走行中に壮絶な死を遂げてしまいました。miyabikunも当然ながら死後に名前から知り、過去のビデオでその走りを観た一人ですが、見るからにマシンを振り回し、気持ちが前に前に表れてくるアツい走りをするドライバーだなという印象を受けました。一見危なっかしいんだけど、無機質な車体を通して、今やりたいこと、考えていることがそのままマシンの挙動に表れているような気がして、観ていて飽きません。残念ながらチャンピオンは獲れず殉職してしまったわけですが、我々世代としてはこの方の息子さんの方が馴染みがありますね。目元に名残があります。父の死から15年後にしっかりと息子がチャンピオンを獲得しました。ちなみに親子2代のF1ドライバーとして有名な彼ですが、実は弟もF1ドライバーとして参戦歴があるため「兄弟ドライバー」でもあります。名前は何と息子と同じ!

Q④
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ヒント:画像の奥、こちらを向く方が対象となります。パッと見の雰囲気はチームクルーかレプリカを着るファンにも見えてしまいそうですが、この方はmiyabikunの生まれ年のれっきとしたF1チャンピオンです。オーストラリア人2人目、そして現状で最終のチャンピオン獲得者になります。リカルドはこの偉大な先輩に続くことはできるのでしょうか。1970年代中盤から80年代中盤まで活躍したドライバーです。キャリア序盤はチームを転々とし、くすぶっていた時代が長くありました。77年に優勝を含めた表彰台を経験すると、翌78年にウィリアムズに移籍。当時は優勝には縁のないチームながら、そこでようやく頭角を示し、移籍3年目の80年に自身としてもチームとしても初となるチャンピオンを獲得。プライベーターのウィリアムズが名門チームに向かう立役者となりました。ところが翌年81年にチームメイトとの確執があり、F1引退を表明し、以降はスポット的に中堅チームでズルズルと参戦する形でF1から去っています。一度チャンピオンを獲るだけ立派なことなのですが、去り方がちょっとみっともないというか、残念な感じです。今の現役チャンピオン経験者はくれぐれも真似しないように。。

Q⑤
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ヒント:こちらも2人写る中の奥の口髭を蓄えた方が対象です。前に映る方は皆さんもよく知っている方でしょう。この立ち位置にいるということは、ドライバーでなくチーム関係者ということになります。南アフリカ出身の彼は元々製図を得意としイギリスに渡り、名門チームであるブラバムのエンジニアとして働いたのがF1に携わるきっかけでした。チーフデザイナーに昇格すると、ユニークなアイデアをふんだんにマシンに投入し、成績も一気に上昇していよいよチャンピオン獲得にあと一歩のところに上り詰めます。グラウンドエフェクトを軽減させるレギュレーションに対して、81年のBT49Cは走行中に車高を変化させる「ハイドロニューマチックサスペンション」なるデバイスを導入、ピケに初チャンピオンをもたらすことに成功しています。またマクラーレンに移籍してからも低重心化に重きを置き、ホンダとのタッグとなった初年88年のMP4/4では全16戦15勝という最強マシンを作り上げました。斬新的なモノコック断面や低重心化、新素材導入など、F1史における著名デザイナーの一人として名を馳せました。「空力の奇才」と呼ばれるエイドリアン・ニューウェイの一代前の空力の奇才にあたります。90年シーズンをもってF1から離れた後は市販車のデザインにシフトし、当時市販車最速の記録を樹立したマクラーレン「F1」というスーパーカー開発に携わっています。

Q⑥
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ヒント:強面や、、。結構お歳を召した方のように見えますが、これは1981年の写真で当時39歳。今でいうところのアロンソと同じくらいにあたります。お歳というほどではないものの、若くもないか。アルゼンチン出身のドライバーです。アルゼンチンといえばマラドーナやメッシ、いやいやF1ではファンジオの母国ですね。超偉大な先輩がいながら、参戦数はそんな先輩の3倍近くレースをこなしたこちらもベテランです。F1ドライバーになったのが29歳ですから、スタートから遅咲きでした。いくつかのチームを移籍していますが、デビューがブラバム、続いてフェラーリ、ロータス、そしてチャンピオン獲得後のウィリアムズとそこそこいいチームばかり。ただその経緯を辿るとなかなか複雑なものです。76年の第13戦イタリアに急遽ブラバムからフェラーリにスポットドライブしたきっかけでそのままフェラーリへ移籍を果たしますが、スポットとなった理由は「第10戦ドイツGPで瀕死の事故を起こしたラウダの後任」の位置付けでした。翌77年からレガッツォーニに代わってラウダのチームメイトとして正ドライバーとなるものの、ラウダがチームがこの方に傾いているのに嫌気がさして離脱する結果となり、今回のQ③がチームメイトとして加わります。③の走りが高評価されると、今度は自分の立場が危うくなり、ロータスへの移籍を決めます(その移籍した年にフェラーリはチャンピオン獲得)ロータスでの一年を経て80年にウィリアムズに移籍するとQ④の方がチャンピオンを獲得。翌81年は自分がチャンピオンを獲得せんばかりチームオーダーを無視して優勝を挙げると④との関係が悪化、⑤がデザインしたマシンにチャンピオンを奪われるという「仲違いが自身のキャリアを振り回す」結果に陥ってしまいました。
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うん、せっかく優勝しても表彰台でこの表情。もう少し柔らかく、笑顔でいられたらもう一段上の結果をもたらしたかもしれません。ちなみにこの方はすごい記録を持っています。それは「デビュー戦でポールポジション獲得」歴代ではこの方を含めたったの5人しかいません。そのうちの一人には③の息子がいます。

Q⑦
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ヒント:どアップ!そしていい笑顔!後ろにチラッと名前が見えちゃっているのはご愛嬌!今ホンダを応援するファンの方々、この方を知らないとなれば怒られちゃいますぞ!少数精鋭のスウェーデン出身で優勝こそないものの、第二期ホンダエンジンを初めてドライブした方です。F1デビューは一応1980年です。一応なんて言い方をしたのは、当時所属したチームがまるで戦闘力が無く、予選すら通過できないという苦い経験をしたためです。初めて予選を通過して決勝レースを戦ったのは83年にホンダエンジンを積むスピリットによるスポット参戦でした。予選14番手、決勝は6周目リタイヤでした。せっかくホンダの復帰に協力したのに、翌84年はシートを失い、84年はまたもティレルからスポット参戦。しかしそのティレルは「水タンク事件」により出場停止。セナに代わってトールマンの代走から一気にシート獲得に向かったものの、そのトールマンも85年開幕戦に出走できないという不遇なキャリア序盤を過ごしています。そんなツイていない彼にチャンスが訪れます。Q①を解雇したことで空きシートができたフェラーリにうまく移籍を果たし、2位表彰台獲得に至りました。その後87年にマクラーレンへ移籍。マクラーレンにホンダが搭載されることが決まってもこの方は選定されず88年はリジェへの移籍を強いられ、なかなか旧友ホンダに再び乗ることはなく下位チームをさまようこととなりました。
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これは87年の日本GP。予選10番手から3位表彰台に立つも、2位には以前代走を任され、翌年にシートを奪う形となった方が並んでいます。どことなく浮かぬ顔。

Q⑧
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ヒント:マフィアみたいな風貌のおじさんがこちらに向かって来ています。出題しているのがバレたか(笑)この方は見るからにドライバーではありませんが、すごーく力のある方です。力といっても腕力ではなく権力の方です。当時のFIA(国際自動車連盟)兼FISA(国際自動車スポーツ連盟)の会長です。フランス軍を経て、モータージャーナリストに転身、1950年にFFSA(フランス自動車スポーツ連盟)を立ち上げています。そこから徐々に昇格を果たし、1979年にFISAを設立、F1を牛耳る立場になりました。この頃のF1は技術向上に合わせて事故も問題視された時代です。グラウンドエフェクトカー禁止をめぐり、FOCA(F1製造者協会)と対立して一時期は「F1が分裂するのではないか」と騒動となりました。以降グラウンドエフェクトカー禁止、クラッシュテストの導入、ターボエンジン禁止といった安全対策を段階的に取り入れましたが、91年のFISA会長選挙、93年のFIA会長選挙でマックス・モズレーに敗れ退任しています。セナに対して「危険ドライバー」とみなし、スーパーライセンス剥奪する騒動にも発展しました。

Q⑨
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ヒント:ん、この顔はもしかしたら、、いやmiyabikunそんな簡単な問題を出すだろうか。その通りです。パッと見は似ていますが、おそらく一瞬よぎった方ではありません。
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横から見てみます。違うでしょう。共通点もありますが、別のドライバーです。にしても、こちらもなかなかなイケメンです。今のドライバーがそうじゃないとは言いませんが、ふた昔前くらいのドライバーは結構イケメンが多くいました。この方はイタリアの貴族の子孫で育ちもよろしゅうございます。1979年にデビューし、80年から名門のロータスに移籍、チームメイトはチャンピオン経験者のM・アンドレッティという中、2年目にして2位表彰台をはじめ多く入賞を獲得して打ち負かしたことがあります(チャンピオン経験者を負かす若手、最近もどこかで聞いたことがあるな)翌81年、82年そして84年はマンセルをチームメイトにポイント上で勝り、将来を期待されるドライバーを続けます。しかし85年から加入した若手のセナに対しては速さにおいてやや劣る面がみられ、不遇に感じたこの方はチームを去り、86年からブラバムに乗る選択をします。ところがこの年にQ⑤の設計したマシンは追求し過ぎたが故の安定感に不安のあるマシンであり、シーズン中に行われたポールリカールでの合同テスト中に発生したクラッシュが引き金となり命を落としました。もしこの事故がなければ、もう数年前から日本でF1のテレビ放送が始まっていたら「音速の貴公子」という愛称はこの方が先に呼ばれていたかもしれません。ポールリカールでのフランスGPが行われる度にこの方のことが頭をよぎります。

Q⑩
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ヒント:最終問題は日本人枠です。この時代の日本人ドライバーといえばあの方とあの方の2人ですから、違いますね。メガネのフレームの形や大きさが「時代」を感じさせます。高専を卒業後に某自動車メーカーに就職。Q⑦の方がドライブするマシンからF1に関する仕事に従事し、各サプライヤーに対して技術的支援を行いながら86年にコンストラクターズチャンピオン獲得に一役買いました。またQ⑤のデザインしたマシンを含め87年から91年までの5年連続となるドライバーズチャンピオンにも貢献しています。90年には部署異動がありF1から一時期離れたこともありますが、マクラーレンに引き抜かれ「メーカーの人間ではなく、一技術者」として以降フェラーリやザウバーなどのチームを渡り歩いています。日本の方ですから、これ以上のヒントは必要無いでしょう。顔で覚えている方がほとんどだと思いますが、お名前を思い出してみて下さい。何でしたっけ、新井?長谷川、、中本、いや山本、、あっ桜井か?!(笑)


今回はドライバーを多めに選び、一人一人のヒントを厚めに書いてきました。ヒントもなかなか難しいものです。答えをポロって書いちゃいそうだし、出題者のmiyabikunは当然答えを知った上で書いているから難無くとも、突然ご覧になる皆さんは急に見せられてパッと思い出せないこともある。結構頭を捻って書いたつもりです。あと今回の出題はそれぞれが何らかの関係で繋がっているのも面白いです。同じ時代を戦ってきたわけだから当然ちゃ当然ですが(笑)
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じっくり思い出して下さい。時間はたっぷりあります。2人で考えてくれても結構ですし、いくつかの候補をもって答え合わせに臨んで頂いても構いません。まだ第2戦までは時間はありますから。この下に答えがあります。準備が整った方からどうぞ!


 A①:ルネ・アルヌー
 A②:ティエリー・ブーツェン
 A③:ジル・ヴィルヌーブ
 A④:アラン・ジョーンズ
 A⑤:ゴードン・マーレー
 A⑥:カルロス・ロイテマン
 A⑦:ステファン・ヨハンソン
 A⑧:ジャン・マリー・バレストル
 A⑨:エリオ・デ・アンジェリス
 A⑩:後藤治

いかがでしたでしょうか。超有名ではないけど、全く聞いたことがないという方でもなかったでしょう。80年代ともなると、若いF1ファンの方には厳しかったかもしれません。miyabikunもこれ以上コアな人から選ぼうとするとヒントすら怪しくなってきますのでちょうどいい具合で。
次なる出題は70年代か。チャンピオンばかりでは簡単過ぎるし、miyabikunもちょっと予習や準備が必要だなぁ。たぶんやります。やらなかったら挫けたと思って下さい(笑)あ、あとさらに先に新たなクイズ企画も構想にありますので、またそれはいつか出題しようと思います。
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「答えてくれた?!6月にカナダで待ってるよ!」

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本当はコレを年末あたりにサクッと差し込みたかったんです。ちょっぴり久し振りとなる「コレだれGP in the 1990s」です。早いもので今から20〜30年前の話。つい最近、ってのはウソだけど数字で示すと「もうそんなに昔の話なのか」とビックリしますよね。この頃のF1は今とは違う盛り上がりをみせていました。濃密なこの時代を絞り込むのもなかなか酷な話ですが、簡単過ぎず難し過ぎずの厳選した10問になります。

Q①
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ヒント:この2人のうち、今回の出題は左側の方です。右側の方は、、皆さんご存知ですよね。残念でしたー、miyabikunそんな簡単な問題を出しませーん。見た目からしてドライバーでないのは一目瞭然です。チームは絞り込めると思いますので、チームのどんな関係者かということになりますね。
この方、元々はジャーナリストの出です。わかり易い例えをするならば、昨年亡くなった今宮純あたりのイメージになるでしょうか。そこからあるドイツの自動車メーカーに引き抜きで入社し、モータースポーツを直に担当することとなりました。1995年にそのメーカーがF1の名門チームにエンジンを供給するようになると、メーカーの責任者となり、チームの首脳陣の一人として、このように毎戦カメラで捉えられるようになりました。近年はサプライヤーからワークスとして参戦する某チーム。ワークスになってからも引き続き重役を任せられていますが、一時期のチャンピオン争いをしていた頃とは程遠く、2012年シーズンにトト・ヴォルフに椅子を預ける形でF1から退きました。もうちょこっと辛抱できたら、世界は変わっていたことでしょう。

Q②
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ヒント:日本人と思しきコースマーシャルの後ろでちょうど右手を振り歓声に応えるシーンのため、顔が少し見辛い画像でイジワルですね。すみません。最終戦のリタイヤ直後の画像でいわゆる「F1で目にする最後の姿」ということになります。でも心配はご無用、立派に存命して今でも競技者として活躍する方です。
イタリア人の彼はとても複雑で多彩な経歴の持ち主です。90年代初期は国際F3000で名を馳せ、1991年から94年までの4シーズンに渡りF1をドライブしています。しかしフル参戦に至らず、下位チームということもあって成績はイマイチで一度F1から離れ、舞台をCART(現在でいうインディカー)に活路を見出し渡米しました。そこで2年連続のチャンピオンを果たし、1999年に5年振りに再びF1のシートを得ることに成功しました。画像にある赤の「ウィンフィールド」カラーのチームは歴代でそこのチャンピオンと関わりがありますよね。ところが二度目の期待も虚しく、一度も入賞すら挙げることなく、たった一年でF1を降りる羽目となってしまいました。晩年は再び慣れ親しんだCARTに籍を移すも、2001年にドイツで行われたレースでクラッシュし両足を切断。モータースポーツ人生に幕を下ろしました。ただこの方は根っからのレーサー、ファイターなのでしょう。ステアリングを置いた後「腕を原動力」とするハンドサイクル競技を始め、2012年のロンドンパラリンピック、2016年のリオパラリンピックで金メダルを獲得するなど、今でも「車輪を使った競技」で大活躍しています。昨年6月のレース中にトラックと衝突して、一時期重体との報道もありますが、また奇跡の復活を果たしてくれることを祈っています。

Q③
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ヒント:ん、味気ないレーシングスーツでまた2人。今度はどっち?!今回に限り右と左の両方、それもフルネームで答えて頂きます。なぜなら、2人はセットの方が面白いから(笑)
まず左の方からヒントです。右の方よりも5歳歳上でF1は1984年からこの90年代中盤まで参戦するベテランドライバーです。序盤のキャリアは年に2、3回入賞するのが精一杯の地味な位置をさまようドライバーではありますが、90年代に入るとようやく走りが報われ、表彰台には9回登壇し、F1引退後は耐久レースにシフトしました。今でもある形でF1に関わり、顔を目にする機会が多くあります。
続いて右側の方は左の方と同じイギリス出身のドライバーでデビューイヤーの91年に画像にもある実況アナウンサーや我々視聴者にとっても間際らしい「奇跡のコラボレーション」を果たしました。こちらは表彰台は3回に止まっています。この方も②の方と同様にF1を降りた後、アメリカのCARTシリーズに参戦しています。

Q④
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ヒント:前面に見覚えのあるダボダボシャツを羽織るお兄ちゃんが見えていますが、今回の出題はその左肩奥に見える青いシャツの方が出題対象です。こちらもイジワル画像ですが、前に映るドライバーVといつも一緒にいる方を思い出して頂ければ、察しがつくと思います。
この方は元ドライバーでなく、前に映るドライバーVさんのマネージャー。経歴を調べてみるとビックリ。実はこの方、元々はドライバーVの学校の先生をしていた方なんです。教員を辞めた後、F1のメディアに関するビジネスを行なった際、日本のF3で活躍するVと再開を果たし、以降マネージャーという関係で帯同することとなりました。VがアメリカのCARTでチャンピオンを獲得すると、Vの父も活躍したF1へ導くことに成功し、わずか参戦2年目にF1でもチャンピオンを獲得する立役者となりました。勢いづくこの方はVのために名門ティレルを買収、チーム代表となって関係を続けますが、ビッグスポンサーの潤沢な資金をもってしても再びVをチャンピオンに導くことができず、VがF1を離れた後にマネージャー業をたたんでいます。

Q⑤
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ヒント:ヘルメットのバイザーに水色の十字。F1でよく見かける国のドライバーのようです。90年代のマールボロ系といえば、あの方を想像しますが、特徴的なヘルメットデザインとバイザーの奥の目が違いそうですね。よってその方ではありません。しかし、この国のF1ドライバーって有名な割に人数にすると多くありませんので、ある程度絞り込みは可能かと思います。ちなみにこの時代の候補といえば3人しかいません。名前にしたら2つしかない?!(笑)
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F1デビューはその3人のうち最も古い1989年です。ただチームに恵まれなかったこともあり、キャリア序盤は予選落ちを数回していたため、実質活躍できたのは1991年からとなります。その91年第3戦サンマリノGPはこの国のドライバー2人目となる表彰台を獲得。続く後輩に対して先輩風を吹かせられればよかったのですが、表彰台登壇はこの一度キリとなり、94年終盤に新たに加わった後輩と入れ替わる形でF1を降りています。名前が実に特徴的で、顔よりも名前の音で記憶されている方も多いと思います。テレビ中継や書籍で採用されていたのは実は愛称で、本名は結構長い。少し前にドライブした母国の先輩からのアドバイスで愛称を採用していたようです。よってこちらはよく聞く愛称の回答を可とします(miyabikunも本名は頭に入っていません)

Q⑥
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ヒント:シャンパンファイトの後ろに観衆がいる、ということはこの方はあそこで表彰台に立ったということですね。なかなかのヒントです。フランス人ドライバーとして母国のビッグメーカーを盾に長きに渡りF1を支えたドライバーです。F1デビューは1994年に母国のコンストラクターであるリジェからでした。その年の第9戦ドイツGPで2位表彰台を早々と獲得し「ポストプロスト」を期待されてはいましたが、その後しばらく表彰台からは遠退き、入賞がやっとのレースが続きました。キャリア3年目でリジェがプロストの手に渡った際も引き続き起用されるも、1997年第7戦カナダGPで大クラッシュを起こし、7戦欠場する出来事もありました。97年シーズンは中野信治のチームメイトを経験したり、晩年はB・A・Rでホンダエンジン、トヨタのレギュラードライバーを担うなど、日本とも縁の深いドライバーの一人です。
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「ボスが偉大だと、やり辛いー!」

Q⑦
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ヒント:日本人ドライバーです。この顔に見覚えありますか?!すぐに思い出せない方は名前を聞けばああと納得されるでしょうし、ご存知の方はもしかしたらニヤリと笑みを浮かべていることと思います。顔や戦績よりも珍しい名前とレース中の出来事などのインパクトが強いドライバーですね。今シーズンからドライブすることが決定した角田裕毅くんをはじめ、歴代の日本人ドライバーは「自動車メーカーの育成や結び付き」でシートを獲得する者が多い中、この方は「自身でスポンサー(持参金)を用意してチームに売り込みを図る」という独自の方法を採り、シート獲得したことで話題となりました。
若かりし頃はアルバイトをしながら参戦費用を貯め、単身でイギリスに渡ってからも資金調達をコツコツ集め、上位カテゴリーの門を叩いていきます。以降も日本の英会話スクールを味方につけ一つずつステップアップし、1994年第15戦日本GPでF1デビュー。翌95年は日本企業であるフットワークからフル参戦を果たしています。F1では「マシンの消火にあたる際に後から駆け付けたメディカルカーと接触して足を負傷する」という伝説を国際カメラで捉えられるなどで一躍有名となってしまいましたが、自らの売り込みや交渉力、行動力でF1シートを勝ち得たというのは立派なものだと思っています。また当時や以降のF1中継であまり彼のことを触れたりクローズアップされてこなかったのが不思議でありもったいないことだと個人的に感じます。

Q⑧
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ヒント:今回唯一の女性ノミネートとなります。F1ドライバーでないのは一目瞭然ですが「元関係者」であることに間違いありませんね。
あるドライバーの夫人として、90年代後半から2000年代序盤にかけて、毎レース1回は必ずと言っていいほどカメラでお目にかかれた方です。この方の存在はドライバーにとってとても大きなものでしたよね。ドライバーが90年代中盤に大きな事故に遭った際、献身的に看病してくれたことで愛を育み、1998年に結婚。以降腕を組みガレージで見守り、ドライバーは見事チャンピオンを獲得しました。ドライバーの才能もさることながら、マシンをはじめタイヤにエンジン、ライバルとの勢力図が一変したことでなし得たチャンピオンでしたが、もしかしたらこの方の存在がチャンピオン獲得に一番の原動力になったのかもしれません。詳しくは分かりませんが、残念ながら今はそのドライバーとは離婚された模様。

Q⑨
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ヒント:1990年代から2000年代のF1の歴史をみるにあたって、大なり大なりこの方の前を必ず通過する必要があります。F1屈指の手腕、そしてお騒がせ者の両面を持つこの方です。
元々はF1はもとより、モータースポーツとは関係の無いアパレル業界の人間でした。しかしそのアパレルメーカーがF1のビッグスポンサー、そしてチーム経営を始めると、1988年からこの方もF1の世界に関与するようになります。F1界の著名デザイナーの獲得、さらには有力な若手シューマッハの獲得にも成功すると、ドライバーズとコンストラクターズのダブルチャンピオンを獲得するまでに仕立て上げて名を馳せました。シューマッハ移籍後は一度低迷しますが、2000年代に入るとスペイン人の若手アロンソを見出し、再びダブルチャンピオンを獲得に至りました。チーム経営や統率力に長けた彼ではありましたが、それを欲しがるばかりスポーツでご法度の「禁じ手」を計画。一時期はF1界から永久追放される事件を起こしてしまいました。

Q⑩
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ヒント:ベネトンと思しき水色のガレージでモニターを見守る赤白黒のスーツ。今でも変わらぬ面持ちの彼は現在のF1中継でお馴染みの声と顔ですね。日本を代表するまん丸なタイヤです。いやいやタイヤ技術者です。ひとえにタイヤ技術者というだけでなく、時代によって所属や役割に違いがあります。90年代終盤から2000年代は「メーカーの開発者、総指揮」という立場でF1に関与。長らく続いたアメリカのグッドイヤーの勢力を急速に上回り、ナンバーワンタイヤを確立しました。新勢力として参入したフランスのミシュランの後塵を拝する時期も経験しましたが、長時間に渡りタイヤに負荷をかけるとされたインディアナポリスのバンク走行においても不安要素なく走り切ったのは日本企業として心強い誇りとなりました。2012年でタイヤメーカーを定年退職してからは「名門チームの足回り担当」として他メーカーのタイヤとマシンの相性をみる役を経験しています。テレビ解説ではソフトな語り口で専門であるタイヤや路面状況などをわかりやすく説明してくれていますが、そのソフトな口調の奥に「本当は言いたくて我慢している様子」をちらほら感じます。タイヤはソフトばかりでなく時にはズバッとハードにキメてくれてもいいと思うのですが、公衆の面前で本音はなかなか難しいでしょうか。


以上、今回はドライバーだけでなく関係者色強めの10問(10.5問)を出題してみました。超簡単にはしていないけど、超難しいようにもしないようにしました。みんな大好き90年代のF1ですから、大丈夫ですよね。
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「ん?うーん。。」
よく見て思い出して下さい(あなたは今回出題されている側なんですが)
いきますよ?!


 A①:ノルベルト・ハウグ
 A②:アレッサンドロ・ザナルディ
 A③:マーティン・ブランドル(左)
      マーク・ブランデル(右)
 A④:クレイグ・ポロック
 A⑤:J・J・レート
 A⑥:オリビエ・パニス
 A⑦:井上隆智穂
 A⑧:イリヤ・ハッキネン(当時)
 A⑨:フラビオ・ブリアトーレ
 A⑩:浜島裕英

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「あらボク忘れられている。。」
あと2、3年いたら、きっと忘れられない立ち位置でした。でも、この方があの机を叩いたら破壊しちゃいそうだ(笑)

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一週間の空きがあると気持ちも楽ですね。我々ファンがそう思うんだから、ドライバーや関係者は移動もあるわけだしもっとそう思っているはずです。このくらいのペースがちょうどいいですよ。つい先日「コレだれGP」を開催したばかりですが、少し時間があるため今回はさらに10年前となる2000年代のコレだれをやってみたいと思います。今週末からまた鬼のような三週連続開催が待っている。。こんな悠長なことしていられなくなりますね。

Q①
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ヒント:堂々たる風格。こう見えてこの年のF1新人です。最近の新人とは全く違う、妙な落ち着きと内に秘めたる闘志も感じられますね。この年は開幕戦で4人の新人がいましたが、25歳のこの方、ただ単なる新人ではなく、アメリカのトップカテゴリーでしっかりチャンピオンを獲得してからF1の門を叩いています。他カテゴリーや下位カテゴリーをよく知らないmiyabikunもこの方は参戦前からよく知っていて、まさかF1に来ると思いませんでした。マンセルや佐藤琢磨などとは逆のキャリアです。
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F1デビューは名門ウィリアムズ。初年の序盤はリタイヤも後半戦のイタリアGPで優勝を挙げ早々とF1を攻略。チャンピオン争いに名乗りを上げてきました。ただF1の水が合わなかったのか6年目の途中でF1から離れ、再びアメリカに戦いの舞台を戻してしまいました。F1以外で今でも活躍する「猛獣」です。

Q②
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ヒント:表彰台かな?!めちゃくちゃ嬉しそう!隣ではM・シューマッハから拍手で讃えられています。レーシングスーツから察するにジョーダンあたりでしょうか。この後はいよいよシャンパンファイトか
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って、おい!ファイトせずシューマッハ帰っとるやないか!!1人でシャンパン振って可哀想に。。このドライバーはF1でも少数派のポルトガル人で唯一となる登壇者です。堅実な速さで完走を続け、初入場が初表彰台獲得となりました。どうして初入賞で一気に表彰台に登壇することになったのか、レース自体が異例の事態となり「番狂わせ」が起きたためです。番狂わせでも何でも、表彰台に乗れたことは素晴らしいこと。

Q③
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ヒント:今回は2000年代を代表するF1関連のものが対象となりますが、この一枚目はデビューイヤーの1999年のものです。この方はブラジル出身で、ある新興チームからF1参戦となりますが、チームメイトと比べると入賞は3回とやや物足りない内容でした。この方で一番印象に残っているのはこのシーンという方が多いかもしれません。
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あるストレートでマシンが3台横並びになっています。向かって左側が白と黒のマクラーレン、右側はフェラーリで今回の対象は真ん中の白いマシンです。同一周回ではなく、両側2台からみたら周回遅れになる瞬間なのですが、マシンの両側からほぼ同時にパッシングされています。周回遅れにされるのは屈辱的なことではあるものの、両サイドは目下チャンピオン争いの真っ最中。F1史を振り返ると必ず通る名シーンの一つです。ある意味有名人。

Q④
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ヒント:胸元にチラッと見えるエンブレムからもフェラーリの関係者であることがわかります。見た目あまり若くなさそうですが、スタッフか何かでしょうか。この方はスポットながらフェラーリドライバーです。ある正ドライバーの事故により急遽2戦参戦しています。デビューは何と1993年です。下位チームで数年過ごし、レギュラードライブしたのは1999年が最後でした。ところがテストドライバーに徹して10年後にスポットであれ再びレースに出る機会が訪れると思っていなかっでしょう。サーキット下見はしっかりと、でも目標は完走とやや低めか。

Q⑤
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ヒント:出題は写真右端の初老過ぎの男性。拳を振り上げ前方のモニターに向かって大興奮しています。ドライバーの親でしょうか。その方の後ろは年齢的に弟かな。昔から夫人や恋人をガレージに呼ぶドライバーは多く見かけましたが、2000年代に入ると親や兄弟が息子の勇姿を見守る姿を多く見かけるようになりました。miyabikunは小学生の頃、運動会で親が来た日に限ってリレー競技のバトンを落とすという大恥をかいた過去があるため、それ以降親が見に来るのを拒んでいましたが、皆さんはいかがでしたか?!またこの親子を見るたびに思うのですが、毎戦帯同していて、この方々は仕事されていないのでしょうか。親や兄弟を養うくらい息子が稼いでいるから大丈夫なのかな。

Q⑥
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ヒント:シャツの胸元にあるメーカーのロゴマークがしっかり入っているので、かなり絞り込めると思います。風貌や年齢からしてもドライバーではないことは明らかですね。この方は機械系の大学でエンジンを専門とした研究を経て、卒業後は某自動車メーカーでエンジン開発に従事。2000年からメーカー関係者の立場からF1と関係を持った方です。実務をしながら大学で研究を重ね、博士号を取得していることもあって「博士」という愛称で呼ばれていましたね。このメーカーのエンジンはとにかく「Power」がウリ。

Q⑦
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ヒント:優しそうなおじさんですね。あまり見慣れないレーシングスーツを着ていますが、当然F1ドライバーでもどこかのチーム関係者でもないけど、F1には欠かすことができない部品メーカーの方です。久し振りにF1の舞台に復帰し、少しずつ採用チームが増えて安定した優勝を重ねられるようになった矢先、Q②のレースにも関係する「大事件」が勃発。チャンピオンを無事に獲得しつつもその翌年を最後に残念ながらF1から撤退する形となりました。今現在、この方が今でも関わっているのか定かではありませんが、このメーカーの復活を望む声をたまに耳にします。復帰はもうないでしょうね。

Q⑧
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ヒント:あるシーズン開幕戦の新人記念撮影のひとコマ。1人見慣れた方も写っていますが、今回の対象は向かって左側、ホンダのロゴを付けた方です。よく見えないかもしれませんが、日本人です。この時代の日本人F1ドライバーといえば、数人に絞られますね。日本のチームに日本のチーム代表、そしてエンジンもチームメイトも日本人という「日本尽くし」の中でF1デビューを果たしました。IMG_7192
日本国内だけでなく、海外でもレース経験を経ていましたが、チャンピオンを獲得した経験はなく不安視される声があったものの、チーム代表は起用を決断。しかし不安は的中し、デビュー4戦目のスタート直後にライバルを巻き込む大クラッシュを引き起こしてしまいます。第5戦も現地入りはしますが急遽ドライバーをスイッチ、さらにはシーズン中にスーパーライセンスを剥奪されるという結果を招いてしまいました。

Q⑨
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ヒント:表彰台のテッペンでシャンパンファイト前に3位の方と揃ってラッパ飲み。3位の方とは同じ国で、どうやらこの国の方はとにかくまずは黙って酒、といったところでしょうか。デビューがワークスチーム、そして少数ながら数々の名ドライバーを輩出した国出身のドライバーということで、大きな期待が寄せられていましたが、優勝は経験しつつも、このレースが唯一の優勝というのも意外な戦績でした。
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チームメイトに恵まれなかったこともあって、イマイチ光る成績が残せず、晩年は下位チームに数年食らい付き、静かにF1から離れていきました。近年日本でもレース経験があるため、ご存知の方やファンも多いと思います。

Q⑩
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ヒント:この感じからして誰の関係者かは一目瞭然だと思います。Q⑤の方と同様に、同じ頃対比するようによく映像に捉えられていましたよね。現在も関係者はF1の第一線で活躍されていますが、ある時期から親子立ちし、この方の露出はかなり少なくなりました。息子をあそこまで育て上げるまで大変な苦労をされたと聞いています。ただ今はお父さんがいなくても大変立派に育ってF1界を支え、代表するドライバーとなりました。

以上、厳選に厳選を重ねた10人です。本当はまだまだ取り上げたい人物は山ほどいたのですが、今回も簡単過ぎずマニアック過ぎずで選びました。まだまだ最近の話ですから、そんなに難しくないでしょう?!答え合わせに入ります。


 A①:ファン・パブロ・モントーヤ
 A②:ティアゴ・モンテイロ
 A③:リカルド・ゾンタ
 A④:ルカ・バドエル
 A⑤:ルイス・アントニオ・マッサ
 A⑥:マリオ・タイセン
 A⑦:ピエール・デュパスキエ
 A⑧:井出有治
 A⑨:ヘイキ・コバライネン
 A⑩:アンソニー・ハミルトン

今回はドライバー以外から4問の出題でした。こうしてみると、ドライバー以外にも時代を象徴する方って沢山いますよね。
最後にもう1問。この中でマッサはどれ?!
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正解は真ん中と右(笑)

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今までサーキット、マシンなどジャンルと時代別にクイズを出題してきました。今回からこの企画の新バージョン「F1コレだれGP」と題して始めていきたいと思います。誰ってことは、人物に関する出題となります。F1には多くの人が関わって成り立っていますよね。ドライバーはもちろんチーム関係者、供給メーカーやスポンサー関係者などなど広い範囲からメジャー過ぎず、でもマニアック過ぎない方々をピックアップしました。可能な限りヒントを添えますので、できればフルネーム(ミドルネームは省略可)で答えてみて下さい。第1回はいつものように2010年代の10人となります。それではどうぞー!

Q①
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ヒント:チームはウィリアムズのようですね。エンジンは、、ルノーの模様。ウィリアムズ・ルノーの組み合わせは過去にも名車がたくさんあります。それにしても端正な顔つきのこの方、どこかで見たことあるような、、。2010年代ドライバーということは、そう古い話ではないのですが、初めて見る顔ではないというか。
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うん、確かに似ている。ウィリアムズ・ルノーでしょう、もしやあの方に関係があるのか?!名前が偉大でしたね。注目度は間違い無くあるわけですが、時として名前負け、重荷になってしまうこともあります。この方のお母さんもまた有名ですね。F1での成績はイマイチで終わりますが、今後もその「名前」で食べていけるんだろうなぁ。

Q②
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ヒント:まずは横顔。黄色と黒でチームはルノーのようです。ボッタスのように肌が白いですね。寒い国出身でしょうか。この方はある大国において初めてF1参戦となり話題になりました。ワークスチームからの参戦も経験したし、お金もたっぷり持ち込んで時折速さはみせてくれていたものの、F1において大国ほどの存在感とはいきませんでした。またF1を離れた後にようやく母国GPが開催されるようになったのも何だか不遇。ただこの方の存在や活躍もあって、それに結びついたとなれば、貢献度は高いです。
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「マアネー」

Q③
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ヒント:少し見辛いですが、チームロゴの入ったスーツを着て、デビュー前のスチル撮影を行っています。F1に関係のある人物なのですが、誰だったかなぁ。見覚えはある。思い出せないのも無理はありません。F1をドライブしたのはたったの1シーズン、19戦のみですから。でもこの方、F1以外のカテゴリーにおいてはなかなか好成績かつ幅広く活躍しています。中でもまだ始まって歴史の浅い「次世代型モータースポーツ」でしっかりチャンピオンを獲っています。誰もが憧れるF1。必ずしもF1での成績だけが能じゃない。何かでテッペンに立てるのは素晴らしいこと。

Q④
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ヒント:襟口に見覚えあるチームのロゴが入っています。そうこの方はある系列の塾生出身。晴れてF1の門を叩いたわけですが、ただ相方が悪かった。。2年間タッグを組んだ1人目はあるベテランの引退を機に上級クラスへ進級し、早々と優勝を挙げます。また3年目に組んだ相方も絶対王者の移籍と共にこちらも上級クラスへ進級が決まり、無事に初表彰台を獲得。逆にこの方自身は3年でF1を追われることに。。でも心配は無用!先程の③と同じカテゴリーでチャンピオンになりました。よかったね、新カテゴリーがある時代で。

Q⑤
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ヒント:ん?この方は、、見るからに女性だしF1ドライバーではないですね。今回からの「コレだれGP」は冒頭にも書いたようにドライバーのみが対象ではありません。F1に関連する方を含めた広い範囲からの出題となります。
インド出身の彼女、実はすごく優秀な方です。オーストリアで法律学を学び、国際連合(UN)や企業の法務担当を経て、F1界に進出。F1初(今のところ唯一)の「女性チーム代表」となりました。何やら上の方を見守っていますね。表彰式かな。

Q⑥
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ヒント:お目目クリクリで可愛いー!今までF1ドライバーを「カッコいい」という目線で見てきたことはあっても「可愛い」と見てしまったのは彼が初かもしれません。若手育成に長けたザウバーが育成選手として起用したことによりF1のシートを得ています。世界中にファンも多かったと思います。1シーズンの浪人期間中はフェラーリの裏方で働き、再びレギュラーシートに復帰するも、成績は今一つ。デビューの年齢も比較的早かったのですが、そのためシート喪失も若いうちに迎えてしまっています。非常にもったいない。

Q⑦
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ヒント:胸にチーム名がガッツリ入っています。彼もなかなか若そうですね。下位カテゴリーでは母国のワークスであるルノーで腕を鳴らしF1デビューと相なりましたが、チームの戦闘力に恵まれませんでしたね。別チームでトータル2年過ごし、入賞は一度も無し。F1のリザーブに名を残しつつ、別カテゴリーにひっそりとシフトされていきました。
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印象が薄い方のため、ヒントとしてもう一枚「ピック」アップしました。2年目の彼です。一枚目の1年目と比べたら、しっかり鍛えられた感じ。

Q⑧
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ヒント:3人写っているうちの、真ん中で担がれている方が今回の出題者です。両サイドはさすがにわかるでしょ(笑)だから真ん中が主役。チャンピオン経験者に担がれて幸せ者です。F1で2人目となる南米ベネズエラ出身のドライバーです。母国の国営企業から潤沢な資金を片手に名門のウィリアムズからデビューを果たし、参戦2年目24戦目にして初ポールポジションと初優勝を一気に獲得して話題となりました。この幸せな表彰式の後のパーティでガレージで火災を起こしたのも有名だし、近年の希望ナンバーが開始された頃にヨーロッパで忌み数とされ、長らく使われなかった「13」を自ら選んで採用していたのも印象的です。ちなみに、近年低迷が続くウィリアムズの「現時点における最終優勝者」としても名を残しています。

Q⑨
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ヒント:爽やかな笑顔です。近年流行る育成ドライバー、それも名門フェラーリが太鼓判を押す有望若手と評されていました。「されていました」って既に過去形だし、今のF1で見かけないということは、フェラーリに見限られたかって?!違います、このドライバーは惜しまれつつ若くして絶命したためいないんです。残念ながらF1における「レース中の最終殉職者」です。今でも「もし彼がフェラーリをドライブしていたら」なんてタラレバはよく耳にします。もしかしたら現在のようなメルセデスの独走を許さなかったかもしれない。若手有望株の一人、フェルスタッペンあたりとバチバチに次世代チャンピオンを目指していたかもしれない。様々な憶測がされていますね。今は弟分のルクレールがその亡きアニキの分まで飛躍、奔走し、彼が付けていたカーナンバー「17」は大切に保管されているため、しっかりとF1界に存在しています。

Q⑩
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ヒント:最後はこの方。ドライバーではありません。見りゃわかるって?!(笑)上方を見つめつつ、どこか不安そうに、照れ臭そうにしていますね。この方はシャツの色こそ変わりましたが、今回の出題で唯一「現在も存命でF1に関わりのある方」となります。めちゃくちゃ関わっているし、沢山の人が助けられていると思います。この時ばかりは「ある1人」だけを見ていることと思いますが、ドラ息子を手塩にかけ、最近はようやくライバル達とバトルできるようになりましたよね。2020年代に入った今、そして今後もF1界におけるキーマンの1人です。

いかがでしたでしょうか。有名過ぎず、でも知らなさ過ぎるわけでもない10人をピックアップしてみました。さっくり答え合わせといきましょうか。


 A①:ブルーノ・セナ
 A②:ヴィタリー・ペトロフ
 A③:ルーカス・ディ・グラッシ
 A④:ジャン・エリック・ベルニュ
 A⑤:モニシャ・カルテンボーン
 A⑥:エステバン・グティエレス
 A⑦:シャルル・ピック
 A⑧:パストゥール・マルドナド
 A⑨:ジュール・ビアンキ
 A⑩:ローレンス・ストロール

70年以上の歴史の中のたかだか近年10年の関係者です。今回は皆さん全問正解できましたでしょうか。これからいつものように少しずつ古く、難易度を上げていきますからね。頭の中のF1の知識、フル稼働で臨んで下さい。

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あらら、ふて腐れてまあ。。君とは同世代なハズよ?!

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久々にこの企画をやります!F1の名車をクイズ形式にした「F1コレどれGP」今回は1970年代編です。miyabikunの完全に生まれる前の時代に突入します。名車は沢山ありますし、有名どころを拾い上げましたので、若いF1ファンも簡単に答えられるかもしれません。張り切ってLets go!

Q①
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ヒント:丸っこくて可愛いですよね。これでもれっきとしたF1マシンです。画像の汚さは別にしても明らかに現代のマシンとは遠くかけ離れた時代だということが想像できると思います。
目に入る楕円型のフロントウィングは戦闘機からアイデアを得て、ノーズコーン先端から1本のステーで取り付けられており、その形状から「ティートレイ」と呼ばれていました。見た目の可愛らしさと裏腹に表彰台もピーターソンの手によって数回登壇しています。

Q②
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ヒント:これまた赤のカラーリングですね。オールドカーは今に比べて赤のカラーリングが多かったように思います。このマシン、以前にこのブログの「名車シリーズ」で取り扱ったことがあります。ファンは多くいると思いますので、あまり悪くは言えないけど、カメのようなカメムシのようなぺったんこしていて決してカッコいいものではないですね(笑)ただこちらも先程の①と同様、いやそれ以上の活躍をみせ、何とチャンピオンマシンです。だからチャンピオンの歴史を辿っていけば必ずこのマシンに当たることになります。ちなみにこのチームは40年以上前の時代のこのマシン以降、たったの3人しかチャンピオンドライバーを輩出していません。名門チーム?!はたまた迷門か?!

Q③
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ヒント:あまりスポンサーロゴの入っていない白のマシンにシュトメレン?マシンの絞り込みの手がかりになりそうな文字が入っていますが、そんなことよりコクピットの前に何か付いていませんか?!ハロのようなセンターピラーが立っています。これ空力デバイスにも見えますが驚くなかれ「バックミラー」なんです。何とも個性的!現在のハロ導入時に前方視界の支障が懸念されていましたが、思いの外問題無いという結果となりましたね。後ろを見る時に「上」を見なければならないのか。ライバルが横に並んだ時は捕捉できるのでしょうか。雨天時は気流でうまい具合に雨避けになるかも(笑)
あと残念ながらこの画像で捉えられていませんが、このピラーの前には一昔前の市販ターボ車のボンネットにあったような、センターに扁平なエアインテークが設けてあるのも特徴です。あるチームのマシンをカスタマイズして作られたこのマシン、見た目だけでなく戦績もダサく短命に終わりました。

Q④
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ヒント:黄色の車体に黒のアクセント。ノーズコーンにエルフのロゴとなれば、あのチームが頭に浮かびますね。◯◯といえばエルフ!なんてフレーズをこのブログでも呪文のように度々唱えてきました。近年再びターボを搭載し、ハイブリッドパワーユニットに変貌を遂げたF1マシンではありますが、これが「ターボをF1に初めて搭載」したマシンでした。
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ターボは高出力を得られる反面、NA(自然吸気)車に比べて燃費が悪く、排熱の対策など必ずしもメリットばかりではありません。このマシンとチームは予選一発の速さはあったものの決勝リタイヤも多く、チャンピオン獲得に至らぬままターボ後発のライバル達にやられてしまいました。戦績よりも「F1界の技術向上」という意味で一役買った一台です。

Q⑤
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ヒント:ワイドで扁平な一台がピットに滑り込んできました。こちらも年代を感じさせるディテールのマシンになりますが、特徴はリヤエンドにあります。
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何だ、この四角い切妻は?!充電式?!このマシンの動力源はガスタービンです。ガスタービンは一時期新たな動力源として航空業界や鉄道業界でも試作や実用を繰り返していたもので、F1にも参入したことがありました。メーカーは航空機エンジンで今でも有名なプラット・アンド・ホイットニー(P&W)社です。インディ500とF1の両方で競争力を持つことを目標にデビューしたこのマシンですが、見てもわかる通り車重が重く、振るわぬ結果で終わっています。あともう一つ特徴を挙げるならば、四輪駆動(4WD)であった点です。今は当然ながらレギュレーションで禁止されています。

Q⑥
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ヒント:見慣れないフォルムから皆の注目を集め、ダミーグリッドに向かう一台のマシン。リヤタイヤがやけにデカく見え、フロントタイヤの存在がよくわからないけど、ちゃんと付いているのかな?!
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ああコレは!多くの説明は不要ですね。6輪車のアレです。空気抵抗を低減する目的でフロントタイヤを10インチに小径化し、フロントウィング後端からサイドポンツーンまでの高さが綺麗に揃えられています。なぜフロントタイヤを四輪にしたかというと、タイヤを小径化したことによる接地面積の低下、またブレーキ力の低下を補うためです。見た目のインパクト抜群のこのマシンの戦績はシェクターによる1勝をはじめ複数回の表彰台を獲得する好成績を挙げますが、ライバルに比べると見た目以上の成績とはいかず、2シーズンで役目を終えています。こちらも先程の⑤と同様に現在のレギュレーション「四輪に限る」からは外れてしまうため適合しません。

Q⑦
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ヒント:あまりいいカットではありませんが、とあるタバコブランドがマシンに描かれています。初期のF1マシンは今のようにスポンサーロゴやカラーが施されるのではなく「ナショナル(ネーション)カラー」と呼ばれる国を代表する色で塗り分けられるのが基本でした。例えばイギリスは緑や深緑、フランスは青、ドイツが銀、イタリアは赤、そして日本はアイボリーなどになりますが、70年代からこの先のF1界を長く支える「タバコ広告」がチラホラ現れてきます。よく見るとチーム名がガッツリ書いてあるので半分答えが明らかになっていますので、型式までをお答え下さい。あ、残念ながらマクラーレンではありませんからね(笑)

Q⑧
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ヒント:リヤはシュッとスマートなのに、フロントが何だか厚ぼったいですね。画像があまり良くなく、肝心なところが暗くて見辛くなってしまっています。ごめんなさい。フロントウィング端部に四角く大きな開口が見えます。この中にはラジエターが仕込んであります。画像のヘルメットからも分かる通り、60年代に2回のチャンピオンを獲得したG・ヒル専用車として用意されていたものの、最高位は5位1回で入賞も1回キリ。

Q⑨
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ヒント:漆黒のマシンが見事なスタートダッシュを決めています。チャンピオン獲得から久しくなったこのチームはこの年からある新技術を投入してF1界を席巻することとなりました。
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設計者(一応名前は伏せます)が航空機を研究して「上下逆さまにすればダウンフォースを得られる」ことに気付き、サイドポンツーンのフロアパネルを跳ね上げるような形状を取り入れました。そのコンセプトが功を奏し、翌年にはチャンピオンに返り咲くことに繋がりました。かの有名な「グラウンド・エフェ、、」ここまで!(笑)

Q⑩
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ヒント:明らかに違うチームのスタッフやドライバーがある赤いマシンを覗き込んでいます。一昔前まではこのようにグリッド上やガレージを偵察する様子が見られたものですが、今は珍しい光景となりました。何を見つめているかというと、。image
コレか!でも何やら蓋をされてまだ何が仕込まれているか分からない状態。このブログをご覧になっているF1ファンなら、この時点で何か分かりますよね。ラストはかなりのサービス問題。
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グレーなデバイスだと分かりつつ、レギュレーションの「拡大解釈」により実戦投入。ラウダによりデビューレースでいきなり優勝を挙げ、当然周囲から非難轟々。たった1戦で姿を消すことになりました。参戦1戦1勝、勝率100%。


以上、70年代のマシンクイズとなります。コレ以外にも実に多彩な個性を持つマシンが集まった時代です。何問答えられるでしょうか?!この方達にもチャレンジして頂きましょう!FullSizeRender
LH「くっ、クイズと聞いて急に、腹が、、」
MV「えーこんな時に?!実はクイズ苦手?!」
さあさあ、答え合わせいきますよー!

 A①:マーチ711(1971)
 A②:フェラーリ312T4(1979)
 A③:アイフェラントE21(1972)
 A④:ルノーRS01(1977)
 A⑤:ロータス56B(1971)
 A⑥:ティレルP34(1976)
 A⑦:BRM P180(1972)
 A⑧:ブラバムBT34(1971)
 A⑨:ロータス78(1977)
 A⑩:ブラバムBT46B(1978)

有名どころバッチリでしょう?!今回は簡単だったと思います。

2010年代から10年毎にみてきた名車クイズ。60年代も面白いマシンは沢山ありますが、miyabikunの知識が怪しくなってしまうため、このシリーズは今回が最終回となります。次回はまた違った形のクイズを予定しておりますのでお楽しみに!

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