F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

カテゴリ: F1 de Let's study!

過去のサーキットシリーズ最終章のアジアラウンドです。F1のアジア進出は2000年代に入った頃からブームが到来したこともあって、テレビ中継され比較的馴染みのあるGPが多いかと思います。ただこの企画で取り扱われる=現時点で消滅してしまっている、というわけなので寂しい限りです。特徴的なのは1サーキットを除いた他はヘルマン・ティルケの監修によって、元々あったサーキットを改修したのではなく、わざわざF1のために一から開設したものである点です。わざわざ誘致して金かけて、もう既に無いわけですから、目立ったレイアウト変更もなく短命なものばかり。もったいない。

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トルコGP
《イスタンブールパーク》
  所在地 :イスタンブール県イスタンブール
  F1開催 :2005〜11(7回)
一周距離:5.338km
初代優勝:K・ライコネン(マクラーレン)
最多優勝:F・マッサ(3回)
最多P.P. :F・マッサ(3回)
最速P.P. :1分25秒049 S・ベッテル(2011)
最多F.L. :K・ライコネン(2回)
最速F.L. :1分24秒770 J・P・モントーヤ(2005)

アジアとヨーロッパの結節点、異国情緒が融合するトルコのイスタンブールパークサーキットです。アジア系では比較的多めとなる7回開催されました。
起伏に富んだ左回り(反時計回り)のレイアウトはアオムシみたいな形をしていますね。ちょうどアオムシの顔にあたる図の右側の多角形コーナーは名物「ターン8」です。4つのエイペックスをまとめてのネーミング。当然ながら走行ラインは各エイペックスにタッチするように一つの弧を描くように採るのが理想的ですが、これがなかなか困難のよう。ステアリング角やダウンフォース、サスペンション、タイヤなど様々なファクターが整わないとあれよあれよとアウトサイドのグラベルに引き込まれてしまいます。また一度リズムを崩すとなかなかラインに戻れないのも高難易度と言われる所以です。賛否両論あるティルケサーキットの中でもココは人気も高く、度々復活を望む声がありますよね。
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2018年現役ドライバーではライコネン、ベッテル、ハミルトンが1勝ずつとなっており、アロンソ、ペレス、ヒュルケンベルグもレース経験があります。最多勝は全11勝のうち3勝がココというマッサでした。


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インドGP
《ブッダ国際》
  所在地 :デリー連邦直轄地
  F1開催 :2011〜13(3回)
一周距離:5.125km
初代優勝:S・ベッテル(レッドブル)
最多優勝:S・ベッテル(3回)
最多P.P. :S・ベッテル(3回)
最速P.P. :1分24秒119 S・ベッテル(2013)
最多F.L. :全3回バラバラ(1回ずつ)
最速F.L. :1分27秒249 S・ベッテル(2011)

インドと言えば、人口が多い?カレー?それとも象?!間違えてはいませんが、それらとはちょっと違います。インドと言えばインド式数学で有名なようにITや工業にも長けた国です。
2010年にHRT(ヒスパニア・レーシング)でF1ドライブしたインドで2人目のK・チャンドックがインドでのGP開催に一役買いました。でも当の本人はココで実際にレースはしておらず、インド人が地元で走った最初で今のところ最後なのは初代インド人F1ドライバーで、現在は日本でも活躍するN・カーティケヤンでした。
このレイアウトを見ていると、どうしても下半分は握り心地がいいんじゃないかななんて思ってしまいます(笑)向きを90°右回転させると、アイロンに見えるし、バーレーンの時も書いたように「祈りを捧げるため正座して天を仰ぐ瞬間」にも見えます。そうそう、ベッテルがコントロールラインでやったやつ
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そうそう、正しくこんな感じ。
ティルケらしく様々なレイアウトを採ることができます。ただこちらもティルケらしく「どこかで見たことあるような」雰囲気を醸し出すサーキットです。路面はなかなかダーティでした。2011年から13年のたった3回の開催に止まりますが、予定ではもう少し契約は長くありました。現役のドライバーで走った者は多くいますが、ご存知の通りポールも優勝も全てベッテルが獲得しています。


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韓国GP
《韓国国際》
  所在地 :全羅南道霊岩郡三湖邑三浦里
  F1開催 :2010〜13(4回)
一周距離:5.621km
初代優勝:F・アロンソ(フェラーリ)
最多優勝:S・ベッテル(3回)
最多P.P. :S・ベッテル(2回)
最速P.P. :1分35秒585 S・ベッテル(2010)
最多F.L. :S・ベッテル(2回)
最速F.L. :1分39秒605 S・ベッテル(2011)

アジアで日本、中国ときたら、当然あります韓国も。韓国の国旗って日本国旗と少し似ているけど細かな描写ですよね。真ん中の赤と青のまが玉は「赤は陰陽」「青は太極」を表し、その四隅は「卦(け)」と呼ばれるものが配置されています。その4つの卦、四卦もよく見るとすべて異なるパターンです。古くは朝鮮(今の南北朝鮮)時代から続き、中央が赤青黄の三色が使用されたり、四隅の卦を8つ用いた「八卦」だったこともあるそうです。興味のある方は是非調べてみて下さい。
このサーキットは所在地から「霊岩(ヨンアム)サーキット」とも呼ばれています。朝鮮半島でいう「うさぎの足元」あたりに位置し、日本からも近いです。2007年から干拓地の造成を始め、2009年の秋から地上設備建設に着手しましたが、2010年の秋開催にギリギリ、、間に合いませんでした。以前に初開催を振り返ったことがありますが、舗装面の養生不足や縁石の高さ調整不足、排水への対応不足、路肩は文字通りの「グリーンのペイント」で対処するなど、未完成部分や不備のあるまま迎えてしまい、GP開催中に急遽補修を施しています。また何よりもコースマーシャルが未熟かつ不足しており、遠いお隣のオーストラリアから人材を集めるなどの対応で臨みましたが、事故処理の対応や使用しないタイプの消火器の使用などにより不評を買ってしまいました。解説の森脇氏も中継中に「最低な対応」と批判したのは有名ですよね。サーキットまでのアクセスや宿泊施設も整備が追いつかずに苦労したとのこと。サーキットレイアウト監修は同じくティルケ氏によるものですが、そのあたりの不手際は当然ながら関係ありません(笑)
レイアウトはマレーシアにも似て今にも噛みついてきそうなパックマン型です。極端に長い2本のストレートに小刻みに続く中低速コーナーがティルケっぽさを感じます。このサーキットは市街地ではない専用サーキットなのに、区間によってはウォールに近いため閉塞感を覚えます。
こちらも現役ドライバーが多く走行しており、4回開催中ベッテルが2ポール3勝を挙げています。ちょうどこの時期レッドブルでフィーバーしていた時代と重なることもあって、日本GPと合わせて中国を除くアジア全般で好成績です。


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パシフィックGP
《TIサーキット英田(現 岡山国際)》
  所在地 :岡山県英田郡英田町(現 美作市)
  F1開催 :1994,95(2回)
一周距離:3.703km
初代優勝:M・シューマッハ(ベネトン)
最多優勝:M・シューマッハ(2回)
最多P.P. :A・セナ、D・クルサード(1回ずつ)
最速P.P. :1分10秒218 A・セナ(1994)
最多F.L. :M・シューマッハ(2回)
最速F.L. :1分14秒023 M・シューマッハ(1994)

アジア編の最後は我らが第2日本GPとして2年間だけ開催されたパシフィックGPです。以前にレースを振り返った際に粗方書いてしまいました。まだ日本の景気がいい時代、ゴルフ会員権などを扱うタナカインターナショナルの田中肇社長によってバーニー・エクレストンに直談判の末、開催にこぎつけたものです。ただ当時は一国一開催のルールがあり、日本GPは鈴鹿サーキットで使用していたため「太平洋」の意味のパシフィックをGP名として採用しています。
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岡山県の山間の限られた敷地にコンパクトに設営され、ご覧の通り缶切りだかエレキギターのような形状で、鋭角以下の低速コーナーで構成されています。初開催の1994年はセナ、翌95年はクルサードと2回ともウィリアムズがポールを獲得するも、決勝は2回ともベネトンのM・シューマッハが優勝しました。
95年初頭の1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」の影響で当初予定していた4月開催から日本GPの一週前の10月に延期され、何と日本国内で二週連続開催となりましたが、96年は春先に開催したいFIAと秋開催を望んだ運営側の折り合いが付かず、そのままバブル崩壊による経営悪化も相まって消滅してしまいました。仮に今でも経営悪化が無ければ続いていたのか、日本のコンストラクターやドライバー参戦が難しくなった2000年台後半まで永続されることは無かったように思います。

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世界的に人気の高い鈴鹿サーキットでの日本GPも、首の皮一枚繋げて生き延びる時代です。日本のみならず今は世界的に自動車に求めているもの、方向性がこの20年だけでも大幅に変わってきました。スポーツ性を高めたい旧来からのファン、相反する部分もありつつ、エンターテイメント性を高めて新たな支持や若者への関心に仕向けていかないと、伝統や歴史言う前にF1そのものが破綻してしまいます。今後F1のあり方や目標、目的をしっかり定めて続けてほしいですね。
夏休み期間中からまとめて、昨シーズンの各レース前を含めると一年半近くかけてF1の全40GP、72サーキット(ラスベガスだけは、本当にごめんなさい)を見てきました。表現と確認できる限りレイアウト変更も示したつもりです。これからまた新たなGPやサーキット、レイアウトが現れては消えていくと思いますが、全世界でF1が引き続き開催され、ファンが魅了する走りを見続けていけることを願っています。

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これだけはアジアに来ちゃうまでにやっておきたかった!過去のサーキットのヨーロッパ編パート2です。これをやればヨーロッパのF1サーキットは全制覇なはず。今回は西寄り南寄りのヨーロッパになります。

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ポルトガルGP
ポルトガルはスペインと同じイベリア半島に位置するユーラシア大陸最西端の国です。半島というよりかは、大陸みたいなスケールですよね。ジブラルタル海峡を越えると、すぐ近くにアフリカ大陸もあり、先日取り上げたモロッコが見えます。ユーラシア大陸最東端より先の島国日本から見たらポルトガルはまるで真逆の位置です。にも関わらず、1543年の戦国時代に鹿児島の種子島まで船を走らせ「鉄砲」なる武器やキリスト教を持ち込むなど、日本の歴史には必ず出てくるような結びつきの強い国でもあります。日本のことを知っていて来てくれたのか、中国の先を回り込んでたまたま行き着いたのか、miyabikunは歴史が弱いのでよくわかっていません。オフシーズンになったら勉強します。
今の若い方にはあまり馴染みがないかもしれませんが、ポルトガルでのF1は1958年から長い空白期間を経て96年まで3箇所で行われていました。
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《ポルト市街地》
  所在地 :ポルト県ポルト
  F1開催 :1958,60(2回)
一周距離:7.407km
初代優勝:S・モス(ヴァンウォール)
最多優勝:S・モス、J・ブラバム(1回)
最多P.P. :S・モス、J・サーティース(1回)
最速P.P. :2分25秒560 J・サーティース (1960)
最多F.L. :ホーソーン、サーティース(1回)
最速F.L. :2分27秒530 J・サーティース (1960)

初代となる1958年と60年の2回だけ行われたのはポルトガル第二の都市ポルトの市街地コースでした。驚くのは今では考えられない「路面電車の軌道の上を跨ぐ」区間があったとのこと。レインレースになったら怖いですね。反時計回りのレイアウトで図の左側、ターン1,2が丸く角が欠けていると思います。これは日本にはまだあまり馴染みがありませんが、ヨーロッパには多くあるロータリー式交差点(環状交差点)になります。日本は右回りの時計回りに回りますが、ヨーロッパは左回り反時計回りで回ります。コース全体は左回りで間違いありませんが、F1はこの交差点を2箇所とも日本と同じ時計回りで走行していたようです。古過ぎるので多くは知りませんが、2回の開催でモスとホーソーンが1勝ずつ挙げています。
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《モンサントパーク》
  所在地 :リスボン
  F1開催 :1959(1回)
一周距離:5.440km
初代優勝:S・モス(クーパー)
最多優勝:S・モス(1回)
最多P.P. :S・モス(1回)
最速P.P. :2分02秒890 S・モス(1959)
最多F.L. :S・モス(1回)
最速F.L. :2分05秒070 S・モス(1959)

こちらはポルト市街地の合間にたった1回だけ行われた首都リスボンの市街地サーキットです。ターン3の「クローバーリーフヘヤピン」から緩やかなストレート「アウトストラーダ」は高速道路区間をなぞっています。こちらもモスが唯一のポール、優勝、ファステストラップを総ナメ。よってモスモスしています。そういえば最近モスバーガー食べてなかったなぁ。

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《エストリル》
  所在地 :リスボン県エストリル
  F1開催 :1984〜96(13回)
一周距離:4.350km(1984〜93)
                  4.360km(94〜96)
初代優勝:A・プロスト(マクラーレン)
最多優勝:A・プロスト、N・マンセル(3回)
最多P.P. :A・セナ(3回)
最速P.P. :1分11秒494 D・ヒル(1993)
                  1分20秒330 D・ヒル(1996)
最多F.L. :G・ベルガー(3回)
最速F.L. :1分14秒859 D・ヒル(1993)
                  1分22秒446 D・クルサード(1994)

ポルトガルGPといえば、記憶にあるのはやっぱりエストリルでしょうか。過去に2回マンセルの面白レースを振り返りましたね。1984年から96年までの13回連続で開催され、F1で使用されなくなった後は2012年までMotoGPでもポルトガルGPとして使用されていました。鈴鹿同様に幅員が狭く、F1には少々窮屈なサーキットで度々危険度の高いクラッシュを引き起こすことが問題視されてきました。95年にはティレルの片山右京も大クラッシュしています。
レイアウトは長いメインストレートにテクニカルなコーナーで内包するあたりが、ご近所スペインのカタロニアサーキットにも似ています。94年に図の青ラインからシケインを追加する赤ラインに変更されて、若干の距離延長と速度低下を図りました。最終コーナーはここもパラボリカです。「放物線」の意味を持つパラボリカという名はモンツァ以外にもいくつか点在しています。


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ペスカーラGP
《ペスカーラ市街地》
  所在地 :アブルッツォ州ペスカーラ
  F1開催 :1957(1回)
一周距離:25.579km
初代優勝:S・モス(ヴァンウォール)
最多優勝:S・モス(1回)
最多P.P. :J・M・ファンジオ(1回)
最速P.P. :9分44秒600 J・M・ファンジオ(1957)
最多F.L. :S・モス(1回)
最速F.L. :9分44秒600 S・モス(1957)

ペスカーラなんて何だか美味しそうな名前。それにしてもペスカーラってどこよ?!イタリア半島でいうふくらはぎ。腓腹筋の下のヒラメ筋あたりに位置する東岸の街の市街地サーキットになります。ここでのF1は1957年の1回限りですが、レース自体はF1の始まる30年近く前、今から95年近く前の1924年から行われていました。モンツァサーキットも1922年開業と言われていますので、最古参レイアウトの部類です。驚くのは古さだけではなく、スケールが半端じゃなくデカい!1周25km以上、1ラップに10分弱もかかる長さで、コントロールラインのある海側のストレートは6kmになります。今のF1マシンの「デプロイメントが切れる」どころの話ではありませんね。カッスカスになるまでスロットルを踏み続けるわけです。先日書いたドイツのニュルブルクリンク北コースが22.8km、スパ・フランコルシャンの旧コースでたったの14kmですので「(現存しないものを含め)自動車レースを行った周回サーキット最長」と言われています。ちなみに、いつも描くコース図は縦横2.5km四方、ニュル北と旧スパは4倍の5km四方に描いていましたが、こちらはとてもおさまらず、通常の9倍となる7.5km四方で描いてこんな感じでした。機会があれば比較してみてください(せっかくだから描いた全部をいつか重ねてみようかな)
ここの勝者もヴァンウォールを駆るモスでした。大変お疲れ様でした。


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サンマリノGP
《イモラ(エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ)》
  所在地 :ボローニャ県イモラ市
  F1開催 :1981〜06(サンマリノGPとして26回)
一周距離:5.040km(1981〜94)
                  4.895km(1995,96)
                  4.930km(1997〜99)
                  4.933km(2000〜06)
初代優勝:N・ピケ(ブラバム)
最多優勝:M・シューマッハ(7回)
最多P.P. :A・セナ(8回)
最速P.P. :1分21秒548 A・セナ(1994)
                  1分26秒890 M・シューマッハ(1996)
                  1分23秒303 J・ヴィルヌーブ(1997)
                  1分19秒753 J・バトン(2004)
最多F.L. :M・シューマッハ(5回)
最速F.L. :1分24秒335 D・ヒル(1994)
                  1分28秒931 D・ヒル(1996)
                  1分25秒531 H・H・フレンツェン(1997)
                  1分20秒411 M・シューマッハ(2004)

今回最後は「第2イタリアGP」のイモラサーキットです。実際のサンマリノ共和国はさほど離れてはいないものの、住所はれっきとしたイタリア国内のボローニャ地区になります。
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1980年だけはイタリアGPとしての開催ですが、今回はサンマリノGPとしてのサーキットをみていきます。実は昨年のイタリアGP前で取り上げたイタリアGPとして開催した80年からサンマリノGP初年の81年の間にも軽微変更があります。中間部にあるアクア・ミネラーリに青ラインのようなシケインが追加され、さらには82年ベルギーGPのゾルダーで事故死したフェラーリのG・ヴィルヌーブを讃えて高速右コーナーに「ヴィルヌーブ」と命名されています。本人は死後に命名されて知る由もありませんが、息子ジャックは父の名のついたコーナー(もっといえば地元のサーキットも)を走行していることになりますね。
そして94年のヴィルヌーブでのR・ラッツェンバーガー、タンブレロでのA・セナの死亡事故を受け、両高速コーナーにシケインを設置。一方でアクア・ミネラーリのシケインを廃止するなど赤ラインのようなレイアウトに変更されますが、追い抜きも難しく一国一開催のルールもあって2006年を最後に開催されなくなりました。

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南北アメリカ(ラスベガスごめんなさい)やりました。アフリカもヨーロッパもやって、あと残り少しとなりました。アメリカ大陸戦に入る前にはそちらもやりたいですね。

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今年日本は猛暑に地震、台風など例年以上に自然災害が集中している気がします。昨日は西日本で台風の被害が多く出ていました。被害に遭われた方も多くいると思います。東日本に住むmiyabikunも帰宅する際に最寄駅がパンクしており、いつもより1時間余計に時間がかかりました。まだ今年何かあるんじゃないかなという心配もあります。天災には防げるものとそうでないものとありますが、危機管理の意識は持って生活していきたいですね。
F1は先日までにいわゆるヨーロッパラウンドが無事に終わりました。ヨーロッパといえばF1発祥の地です。廃止されてしまったGP、サーキットが数多くあります。2回に分けて「ヨーロッパ北東エリア」の今はなきGPをみていきたいと思います。

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オランダGP
《ザントフォールト》
  所在地 :北ホラント州ザントフォールト
  F1開催 :1952,53,55,58〜71,73〜85(30回)
一周距離:4.193km(1952,53,55,58〜71)
                  4.226km(1973〜79)
                  4.252km(1980〜85)
初代優勝:A・アスカリ(フェラーリ)
最多優勝:J・クラーク(4回)
最多P.P. :R・アルヌー(3回)
最速P.P. :1分17秒420 J・イクス(1971)
                  1分15秒461 R・アルヌー(1979)
                  1分11秒074 N・ピケ(1985)
最多F.L. :J・クラーク(5回)
最速F.L. :1分19秒230 J・イクス(1970)
                  1分19秒438 G・ヴィルヌーブ(1979)
                  1分16秒538 A・プロスト(1985)

フェルスタッペンのオランダです。miyabikunは残念ながら現役でF1レースを観ることはできていないのですが、F1史でいけば歴史は長く、30回ものGPが行われてきました。
戦後となる1948年にオランダ中部の海岸沿いの敷地を使って専用サーキットを開設。52年からF1カレンダーに組み込まれ、途中何回か途切れながらF1が日本で開催される前の85年まで一貫してザントフォールトサーキットが使用されました。ただし70年台に入るとモータースポーツの騒音が問題となり、住民の反対運動を受けて開催できなくなります。今やフェルスタッペンの活躍もあって2017年にデモランが行われたり、全世界にオレンジをまとったファンを集めるほど人気が回復してきています。今のF1マシンはエコロジーで低騒音になりましたから、うまくいけばオランダGP実現はあるかもしれません。マシンより今は一番うるさいのはピーピー言うその母国ドライバーだったりしてね。
F1開催時は大回りをしていたものが、現在は距離は大きく変わらずも後半セクションは跡形もなく改修され、破線のような鋭利な形状に変更されています。


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スウェーデンGP
《アンデルストープ》
  所在地 :アンデルストープ
  F1開催 :1973〜78(6回)
一周距離:4.018km(1973〜77)
                  4.031km(1978)
初代優勝:D・ハルム(マクラーレン)
最多優勝:J・シェクター、N・ラウダ(2回)
最多P.P. :M・アンドレッティ(2回)
最速P.P. :1分23秒810 R・ピーターソン(1973)
                  1分22秒058 M・アンドレッティ(1978)
最多F.L. :N・ラウダ、M・アンドレッティ(2回)
最速F.L. :1分26秒146 D・ハルム(1973)
                  1分24秒836 N・ラウダ(1978)

こちらはエリクソの母国スウェーデンのGPです。1973年から78年の6回行われていました。40年前ならエリクソンも母国GPがあったのにね。
薄いピンクの四角い部分はシルバーストンやアメリカのセブリングと同様の滑走路です。広大な敷地で車をぶっ飛ばすのに適していますよね。このサーキットのもう一つの特徴は「コントロールライン際にピットが無い」点です。最近は横着してピットロードを描かなくなってしまっていました。コントロールラインは図の右側の旗のある位置になるわけですが、ピットはなんと図の左下方向のターン6「Sodra」の先にありました。タンコブのような右ターン「Karusell」の後半から外側に分岐し、ターン6を過ぎたあたりからピンクの滑走路上にピットアウトロードを採って「Flight Straight」の少し屈曲したところで本線合流していきます。ここまで説明するなら、破線で入れた方がよっぽど楽で分かりやすかったですよね(笑)航空写真で見る限り、サーキット周辺は殺風景で一見廃墟っぽくみえます。果たして今は使われているのでしょうか。すぐ隣にそっくりのちっこいゴーカート場が可愛いくあるので、是非見てやって下さい。
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スイスGP
《ブレムガルテン》
  所在地 :ベルン州ベルン
  F1開催 :1950〜54(5回)
一周距離:7.280km
初代優勝:G・ファリーナ(アルファロメオ)
最多優勝:J・M・ファンジオ(2回)
最多P.P. :J・M・ファンジオ(3回)
最速P.P. :2分35秒900 J・M・ファンジオ(1951)
最多F.L. :J・M・ファンジオ(2回)
最速F.L. :2分39秒700 J・M・ファンジオ(1954)

昔々、争いごとをしなさそうなスイスでもF1が行われていた時代がありました。F1初年の1950年から54年の5年間はスイスの首都ベルンの中心にある公園で行われ、82年にも一度だけフランスGPの舞台であるディジョン・プレノワでもスイスGPと冠して行われました。今回は純正スイスの前者のみを取り扱います。
以前にも話題に出した、この時代は55年に行われたル・マン24時間レースで多数の死亡事故が起き、モータースポーツのあり方に疑問や消極的な印象を与えた時期でした。スイスも例外ではなく、その事故をきっかけに国内でのモータースポーツを一切禁止しています。
緑豊かな公園の敷地を周回するレイアウトとなっており、直線区間がほとんどありません。また現在も公園は現存するもののサーキットの名残はほとんどありません。


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ルクセンブルクGP
《ニュルブルクリンク》
  所在地 :ラインラント・プファルツ州アイフェル
  F1開催 :1997,98(2回)
一周距離:4.556km
初代優勝:J・ヴィルヌーブ(ウィリアムズ)
最多優勝:ヴィルヌーブ、ハッキネン (1回)
最多P.P. :ハッキネン、M・シューマッハ(1回)
最速P.P. :1分16秒602 M・ハッキネン (1997)
最多F.L. :フレンツェン、ハッキネン(1回)
最速F.L. :1分20秒450 M・ハッキネン (1998)
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ドイツ国内のニュルブルクリンクによるルクセンブルクGPです。確かに地図で見れば直線距離で100km弱のところにあるのですが、国はれっきとしたドイツです。先程のディジョン・プレノワでのスイスGP、またイタリア国内でのサンマリノGPなど、一国一開催からうまく逃れて複数開催したい場合の方法としてこういった措置が採られた時代がありました。ルクセンブルクGPの開催時期は1997,98年の2年間ということで、どんな効果を狙ったかはご想像の通りかと思います。国旗はオランダのデジャヴではないですよ、そっくりなんです。このブログで表現できていないかもしれませんが、横三本線で最下段の青が少し薄く、縦横比がオランダ=2:3に対してルクセンブルク=4:5になっています。
97年はハッキネンの初ポール、98年はM・シューマッハをハッキネンがオーバーカットを決めるなど、ハッキネンにとっては一皮剥けたレース内容が印象的でした。コースレイアウトは近年のドイツGP使用時と異なり、メルセデスアリーナに大回りする前の時代になります。

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今でもF1開催があっていいんじゃないかなと思える国やサーキット、まさかこんな国で開催されていたとは、と思えるものなど、長いF1の歴史の中には実に多彩にサーキットがあるものですね。もうちょこっとだけあるので、続きはまた次回。

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イタリア国歌も散々聴いてきましたよね。その多くがM・シューマッハをはじめフェラーリにまつわる優勝時に聴けるものであり、このあとわかりますが、イタリア人F1ドライバーによるものは国歌の知名度の割には意外と少ないものになります。

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《イタリア国歌》
    曲名:L'inno di Mameli(マメーリの賛歌)
    制定:不明(1740年や1745年など諸説あり)
    作詞:ゴッフレード・マメーリ
    作曲:ミケーレ・ノヴァーロ

    Fratelli d'Italia, l'Italia s'è desta,
    dell'elmo di Scipio s'è cinta la testa.
    Dov'è la Vittoria?
    Le porga la chioma, ché schiava di Roma
    Iddio la creò.

    〜間奏〜

    Fratelli d'Italia, l'Italia s'è desta,
    dell'elmo di Scipio s'è cinta la testa.
    Dov'è la Vittoria?
    Le porga la chioma, ché schiava di Roma
    Iddio la creò.
    Stringiamci a coorte,
    siam pronti alla morte.
    Siam pronti alla morte,
    l'Italia chiamò.
    Stringiamci a coorte,
    siam pronti alla morte.
    Siam pronti alla morte,
    l'Italia chiamò.(Sì!)

    イタリアの兄弟よ、イタリアは今目覚めた
    シピオの兜を頭に戴き
    勝利の女神ヴィットリアは何処に?
    主が創りたもうたローマのしもべ
    我がイタリア その美しい髪を捧げよ

    〜間奏〜

    イタリアの兄弟よ、イタリアは今目覚めた
    シピオの兜を頭に戴き
    勝利の女神ヴィットリアは何処に?
    主が創りたもうたローマのしもべ
    我がイタリア その美しい髪を捧げよ
    さあ隊列を組め、我等は死をも恐れない
    我等は死をも恐れない
    イタリアが呼んでいる
    さあ隊列を組め、我等は死をも恐れない
    我等は死をも恐れない
    イタリアが呼んでいる(そうだ!)

この国歌は聴いているだけで勇ましい気分になれます。面白いのは間奏を挟んで曲調が変わる点でしょうか。聴き慣れない時は「終わったのに、まだ続きあるんだ?!」という感覚に度々陥ったのを思い出します。勇ましい気分になるのはそのテンポのいい曲調に加え、戦い前を連想する士気を高めるような歌詞にもあるのかもしれません。F1の場合、イタリアGP以外は戦の後に流れるものではあるのですが。国歌は5番まであるものの、例のごとく知名度は低く、イタリア国民でも5番までしっかり知っている人は限られているようです。

https://youtu.be/-uSKxNAIQ-8

《国歌を聴ける、聴けた機会など》
    現役ドライバー:なし(A・ジョビナッツィ)
    OBドライバー:アスカリ、トゥルーリ、フィジケラ
                              アルボレート、ファリーナ、
                              パトレーゼ、ナニーニ ほか
    優勝者上位5人:1 13回 A・アスカリ        30.2%
                               2   6回 R・パトレーゼ    14.0%
                               3   5回 G・ファリーナ    11.6%
                                    5回 M・アルボレート 11.6%
                               5   3回 G・フィジケラ       7.0%
                              他 11回                              25.6%
                           合計43回                            100.0%
    コンストラクター:フェラーリ、トロ・ロッソ、
                                    アルファロメオ、マセラティ
    開催国として:イタリアGP(2018年は第14戦)

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間も無くF1は1,000戦の大台に達します。イタリアは誰もが知るフェラーリのお国、歴史長きモンツァでのF1の割に、イタリア人ドライバーの優勝回数となるとたったの43回なんです。一人ずば抜けた人は別として、近年ではハミルトンやベッテルが着実に勝ち星を積み重ねて歴代上位に立ち、イタリア人全員を余裕で上回る数となっています。
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イタリア人最多は頭一つ抜けた13勝のアスカリで、以下はパトレーゼ、ファリーナとアルボレート、フィジケラにアンジェリスまでが複数回、そして他9人が1勝となっています。1勝するだけでも大変で、勝てない人はもっと山のようにいるんですから、M・シューマッハの91勝は異次元過ぎることがよくわかりますよね。
先日チーム別のドライバー戦績を見てきました。ドイツ人のM・シューマッハがイタリア国歌を流すチャンスは72回ありました。続いてオーストリア人のラウダが14回、ドイツ人のベッテルが直近のベルギーGPを制したことでアスカリに並ぶ13回まで飛躍し、現役では歌詞無しアロンソが11回、母国GP無しライコネン9回ですから、聴き慣れているわけですよね。

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イタリア人よりよっぽどイタリアに貢献してきたM・シューマッハはイタリア国歌にまつわる逸話があります。優勝しご機嫌なシューマッハは表彰台の中央で聴くイタリア国歌のタクトを振る仕草を度々していましたが、国歌斉唱は厳粛な行事であり、本人はそんな気はさらさらなかったのでしょうが、イタリア首相などから侮辱行為であると厳しい指摘をされたことがあります。今ベッテルも優勝して表彰台の中央で口ずさんで頭を振る姿が見受けられますが、大先輩と同様に感極まって指揮し出しちゃうんじゃないかとヒヤヒヤして見てしまいます。ベッテルが勝つとイタリアと実はドイツ国歌も聴けるんだから、メルセデスにとってもそう悪い気はしない?!いや悔しいかな。
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優勝も嬉しいし、指揮したくもなりますよね。なかなかなアップテンポでノリのいい国歌です。今はこれが流れた数だけ、メルセデスと争えている証です。

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「ねーねーねー、この前お兄とチームの国歌はやったじゃん、でさーボクのは無いの?ボクの!」
はいはい、わかりましたよ。君も立派なトップチームドライバーに在籍して、貴重な優勝を挙げてますね。ちゃんとやるからそうピーピー言いなさんな。というわけで母国GPは無くとも今シーズンもしっかり表彰式で国歌を聴かせてくれたフェルスタッペンのオランダです。パワーユニットが健全だったら、もう1つか2つ勝てるはずだった?!、、、(笑)あー悪かった、悪かったよ。そうピーピー言わなくてもやりますって。
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《オランダ国歌》
    曲名:Wilhelmus van Nassouwe
             (ウィルヘルムス・ヴァン・ナッソウエ)
    制定:1932年
    作詞:フィリップス・ファン・マルニクス
    作曲:不明(フランスの従軍歌)

    #1
    Wilhelmus van Nassouwe
    Ben ick van Duytschen bloet
    Den Vaderlant ghetrouwe
    Blyf ick tot in den doet
    Een Prince van Oraengien
    Ben ick, vrij, onverveert
    Den Coninck van Hispaengien
    Heb ick altijt gheeert 

    ウィルヘルムス・ヴァン・ナッソウエ
    我はオランダの由緒正しき血筋
    永遠に祖国に忠誠を誓おう
    オラニエ公  我は何ものにも臆せず自由なり
    スペイン国王への忠誠を誓う

    #6
    Mijn schild ende betrouwen
    Zijt Gij, o God mijn Heer,
    Op U zo wil ick bouwen,
    Verlaat mij nimmermeer.
    Dat ick doch vroom mag blijven,
    U dienaar t'aller stond,
    Die tirannie verdrijven,
    Die my mijn hert doorwondt. 

    我が盾 我が望み
    それは神、いかなるときもあなたに他ならない
    我を見捨てることなかれ
    汝の導きに従い、敬虔な信者として
    永遠に汝のしもべとなろう
    我等を脅かす災厄と暴君を振り払いたまえ

https://youtu.be/SuQMauKtUQU

これはオランダ語による歌詞です。タイトルは「Wilhelmus van Nassouwe」という王家の先祖であるオラニエ公ウィレム1世から採られています。今回は通常よく歌われる1番と6番を掲載しました。1番の歌詞の頭文字は「W」で6番の頭文字は「M」で実際には15番まであるとのこと。この国歌は別名「WILLEM VAN NASSOV」という15文字のタイトルなんですが、面白いことに気付きます。なんと各曲の頭文字がタイトルになっています。確かに6番がMになっている。すごい。大喜利みたいだ(笑)
このメロディは国歌の中で世界一古いものだそうです。それも1568年と言われていますから450年も前になります(ちなみに国歌で世界一古い歌詞は日本国歌「君が代」の西暦904年で今から1114年前)
1番の歌詞の中に「スペイン国王への忠誠を誓う」とあります。これは国が独立のキッカケとなった。オランダ独立戦争(八十年戦争)での想いが綴られています。F1でオランダとスペインといえば、、
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ありましたね。サインツ、忠誠を誓うそうです。実際はどうでしたか?!

《国歌を聴ける、聴けた機会など》
    現役ドライバー:M・フェルスタッペン
    OBドライバー:J・フェルスタッペン、
                              アルバース、ドーンボスほか
                             (ただしいずれも優勝未経験)
    優勝者:4回 M・フェルスタッペン 100%
    コンストラクター:現在は無し(スパイカー)
    開催国として:オランダGP(現在は無し)

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ボクちゃん1人で今のオランダF1を支え、唯一の優勝で母国の国歌を他国で響かせています。大したものですよね。若いからどうしても言動が生意気に見えて、本当に生意気なんですが、決勝スタートからのアグレッシブさ、チャンピオンだろうが歳上だろうが物怖じせず攻めて、ブルーブラック振動もしっかり要請してしまうのだ。生意気なりの結果やアクションもできています。歴代こちらも15人と少数精鋭で20歳の若さで父超え完了。今では母国が無い代わりに各国に「オレンジ軍団」を集めて、F1を盛り上げている貴重な存在です。昨年フェルスタッペンがオランダGPの行われたザントフォールトサーキットで近代F1マシン走行のイベントを行っています。フェルスタッペン人気で国や主催者が動くようなことがあれば、オランダGP復活が本当に実現してしまうかもしれませんね。
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「まあ、そういうこと」
これでいい?ちゃんと国歌紹介したからねー。


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