F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

カテゴリ: この人だあれ?

本当はコレを年末あたりにサクッと差し込みたかったんです。ちょっぴり久し振りとなる「コレだれGP in the 1990s」です。早いもので今から20〜30年前の話。つい最近、ってのはウソだけど数字で示すと「もうそんなに昔の話なのか」とビックリしますよね。この頃のF1は今とは違う盛り上がりをみせていました。濃密なこの時代を絞り込むのもなかなか酷な話ですが、簡単過ぎず難し過ぎずの厳選した10問になります。

Q①
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ヒント:この2人のうち、今回の出題は左側の方です。右側の方は、、皆さんご存知ですよね。残念でしたー、miyabikunそんな簡単な問題を出しませーん。見た目からしてドライバーでないのは一目瞭然です。チームは絞り込めると思いますので、チームのどんな関係者かということになりますね。
この方、元々はジャーナリストの出です。わかり易い例えをするならば、昨年亡くなった今宮純あたりのイメージになるでしょうか。そこからあるドイツの自動車メーカーに引き抜きで入社し、モータースポーツを直に担当することとなりました。1995年にそのメーカーがF1の名門チームにエンジンを供給するようになると、メーカーの責任者となり、チームの首脳陣の一人として、このように毎戦カメラで捉えられるようになりました。近年はサプライヤーからワークスとして参戦する某チーム。ワークスになってからも引き続き重役を任せられていますが、一時期のチャンピオン争いをしていた頃とは程遠く、2012年シーズンにトト・ヴォルフに椅子を預ける形でF1から退きました。もうちょこっと辛抱できたら、世界は変わっていたことでしょう。

Q②
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ヒント:日本人と思しきコースマーシャルの後ろでちょうど右手を振り完成に応えるシーンのため、顔が少し見辛い画像でイジワルですね。すみません。最終戦のリタイヤ直後の画像でいわゆる「F1で目にする最後の姿」ということになります。でも心配はご無用、立派に存命して今でも競技者として活躍する方です。
イタリア人の彼はとても複雑で多彩な経歴の持ち主です。90年代初期は国際F3000で名を馳せ、1991年から94年までの4シーズンに渡りF1をドライブしています。しかしフル参戦に至らず、下位チームということもあって成績はイマイチで一度F1から離れ、舞台をCART(現在でいうインディカー)に活路を見出し渡米しました。そこで2年連続のチャンピオンを果たし、1999年に5年振りに再びF1のシートを得ることに成功しました。画像にある赤の「ウィンフィールド」カラーのチームは歴代でそこのチャンピオンと関わりがありますよね。ところが二度目の期待も虚しく、一度も入賞すら挙げることなく、たった一年でF1を降りる羽目となってしまいました。晩年は再び慣れ親しんだCARTに籍を移すも、2001年にドイツで行われたレースでクラッシュし両足を切断。モータースポーツ人生に幕を下ろしました。ただこの方は根っからのレーサー、ファイターなのでしょう。ステアリングを置いた後「腕を原動力」とするハンドサイクル競技を始め、2012年のロンドンパラリンピック、2016年のリオパラリンピックで金メダルを獲得するなど、今でも「車輪を使った競技」で大活躍しています。昨年6月のレース中にトラックと衝突して、一時期重体との報道もありますが、また奇跡の復活を果たしてくれることを祈っています。

Q③
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ヒント:ん、味気ないレーシングスーツでまた2人。今度はどっち?!今回に限り右と左の両方、それもフルネームで答えて頂きます。なぜなら、2人はセットの方が面白いから(笑)
まず左の方からヒントです。右の方よりも5歳歳上でF1は1984年からこの90年代中盤まで参戦するベテランドライバーです。序盤のキャリアは年に2、3回入賞するのが精一杯の地味な位置をさまようドライバーではありますが、90年代に入るとようやく走りが報われ、表彰台には9回登壇し、F1引退後は耐久レースにシフトしました。今でもある形でF1に関わり、顔を目にする機会が多くあります。
続いて右側の方は左の方と同じイギリス出身のドライバーでデビューイヤーの91年に画像にもある実況アナウンサーや我々視聴者にとっても間際らしい「奇跡のコラボレーション」を果たしました。こちらは表彰台は3回に止まっています。この方も②の方と同様にF1を降りた後、アメリカのCARTシリーズに参戦しています。

Q④
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ヒント:前面に見覚えのあるダボダボシャツを羽織るお兄ちゃんが見えていますが、今回の出題はその左肩奥に見える青いシャツの方が出題対象です。こちらもイジワル画像ですが、前に映るドライバーVといつも一緒にいる方を思い出して頂ければ、察しがつくと思います。
この方は元ドライバーでなく、前に映るドライバーVさんのマネージャー。経歴を調べてみるとビックリ。実はこの方、元々はドライバーVの学校の先生をしていた方なんです。教員を辞めた後、F1のメディアに関するビジネスを行なった際、日本のF3で活躍するVと再開を果たし、以降マネージャーという関係で帯同することとなりました。VがアメリカのCARTでチャンピオンを獲得すると、Vの父も活躍したF1へ導くことに成功し、わずか参戦2年目にF1でもチャンピオンを獲得する立役者となりました。勢いづくこの方はVのために名門ティレルを買収、チーム代表となって関係を続けますが、ビッグスポンサーの潤沢な資金をもってしても再びVをチャンピオンに導くことができず、VがF1を離れた後にマネージャー業をたたんでいます。

Q⑤
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ヒント:ヘルメットのバイザーに水色の十字。F1でよく見かける国のドライバーのようです。90年代のマールボロ系といえば、あの方を想像しますが、特徴的なヘルメットデザインとバイザーの奥の目が違いそうですね。よってその方ではありません。しかし、この国のF1ドライバーって有名な割に人数にすると多くありませんので、ある程度絞り込みは可能かと思います。ちなみにこの時代の候補といえば3人しかいません。名前にしたら2つしかない?!(笑)
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F1デビューはその3人のうち最も古い1989年です。ただチームに恵まれなかったこともあり、キャリア序盤は予選落ちを数回していたため、実質活躍できたのは1991年からとなります。その91年第3戦サンマリノGPはこの国のドライバー2人目となる表彰台を獲得。続く後輩に対して先輩風を吹かせられればよかったのですが、表彰台登壇はこの一度キリとなり、94年終盤に新たに加わった後輩と入れ替わる形でF1を降りています。名前が実に特徴的で、顔よりも名前の音で記憶されている方も多いと思います。テレビ中継や書籍で採用されていたのは実は愛称で、本名は結構長い。少し前にドライブした母国の先輩からのアドバイスで愛称を採用していたようです。よってこちらはよく聞く愛称の回答を可とします(miyabikunも本名は頭に入っていません)

Q⑥
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ヒント:シャンパンファイトの後ろに観衆がいる、ということはこの方はあそこで表彰台に立ったということですね。なかなかのヒントです。フランス人ドライバーとして母国のビッグメーカーを盾に長きに渡りF1を支えたドライバーです。F1デビューは1994年に母国のコンストラクターであるリジェからでした。その年の第9戦ドイツGPで2位表彰台を早々と獲得し「ポストプロスト」を期待されてはいましたが、その後しばらく表彰台からは遠退き、入賞がやっとのレースが続きました。キャリア3年目でリジェがプロストの手に渡った際も引き続き起用されるも、1997年第7戦カナダGPで大クラッシュを起こし、7戦欠場する出来事もありました。97年シーズンは中野信治のチームメイトを経験したり、晩年はB・A・Rでホンダエンジン、トヨタのレギュラードライバーを担うなど、日本とも縁の深いドライバーの一人です。
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「ボスが偉大だと、やり辛いー!」

Q⑦
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ヒント:日本人ドライバーです。この顔に見覚えありますか?!すぐに思い出せない方は名前を聞けばああと納得されるでしょうし、ご存知の方はもしかしたらニヤリと笑みを浮かべていることと思います。顔や戦績よりも珍しい名前とレース中の出来事などのインパクトが強いドライバーですね。今シーズンからドライブすることが決定した角田裕毅くんをはじめ、歴代の日本人ドライバーは「自動車メーカーの育成や結び付き」でシートを獲得する者が多い中、この方は「自身でスポンサー(持参金)を用意してチームに売り込みを図る」という独自の方法を採り、シート獲得したことで話題となりました。
若かりし頃はアルバイトをしながら参戦費用を貯め、単身でイギリスに渡ってからも資金調達をコツコツ集め、上位カテゴリーの門を叩いていきます。以降も日本の英会話スクールを味方につけ一つずつステップアップし、1994年第15戦日本GPでF1デビュー。翌95年は日本企業であるフットワークからフル参戦を果たしています。F1では「マシンの消火にあたる際に後から駆け付けたメディカルカーと接触して足を負傷する」という伝説を国際カメラで捉えられるなどで一躍有名となってしまいましたが、自らの売り込みや交渉力、行動力でF1シートを勝ち得たというのは立派なものだと思っています。また当時や以降のF1中継であまり彼のことを触れたりクローズアップされてこなかったのが不思議でありもったいないことだと個人的に感じます。

Q⑧
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ヒント:今回唯一の女性ノミネートとなります。F1ドライバーでないのは一目瞭然ですが「元関係者」であることに間違いありませんね。
あるドライバーの夫人として、90年代後半から2000年代序盤にかけて、毎レース1回は必ずと言っていいほどカメラでお目にかかれた方です。この方の存在はドライバーにとってとても大きなものでしたよね。ドライバーが90年代中盤に大きな事故に遭った際、献身的に看病してくれたことで愛を育み、1998年に結婚。以降腕を組みガレージで見守り、ドライバーは見事チャンピオンを獲得しました。ドライバーの才能もさることながら、マシンをはじめタイヤにエンジン、ライバルとの勢力図が一変したことでなし得たチャンピオンでしたが、もしかしたらこの方の存在がチャンピオン獲得に一番の原動力になったのかもしれません。詳しくは分かりませんが、残念ながら今はそのドライバーとは離婚された模様。

Q⑨
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ヒント:1990年代から2000年代のF1の歴史をみるにあたって、大なり大なりこの方の前を必ず通過する必要があります。F1屈指の手腕、そしてお騒がせ者の両面を持つこの方です。
元々はF1はもとより、モータースポーツとは関係の無いアパレル業界の人間でした。しかしそのアパレルメーカーがF1のビッグスポンサー、そしてチーム経営を始めると、1988年からこの方もF1の世界に関与するようになります。F1界の著名デザイナーの獲得、さらには有力な若手シューマッハの獲得にも成功すると、ドライバーズとコンストラクターズのダブルチャンピオンを獲得するまでに仕立て上げて名を馳せました。シューマッハ移籍後は一度低迷しますが、2000年代に入るとスペイン人の若手アロンソを見出し、再びダブルチャンピオンを獲得に至りました。チーム経営や統率力に長けた彼ではありましたが、それを欲しがるばかりスポーツでご法度の「禁じ手」を計画。一時期はF1界から永久追放される事件を起こしてしまいました。

Q⑩
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ヒント:ベネトンと思しき水色のガレージでモニターを見守る赤白黒のスーツ。今でも変わらぬ面持ちの彼は現在のF1中継でお馴染みの声と顔ですね。日本を代表するまん丸なタイヤです。いやいやタイヤ技術者です。ひとえにタイヤ技術者というだけでなく、時代によって所属や役割に違いがあります。90年代終盤から2000年代は「メーカーの開発者、総指揮」という立場でF1に関与。長らく続いたアメリカのグッドイヤーの勢力を急速に上回り、ナンバーワンタイヤを確立しました。新勢力として参入したフランスのミシュランの後塵を拝する時期も経験しましたが、長時間に渡りタイヤに負荷をかけるとされたインディアナポリスのバンク走行においても不安要素なく走り切ったのは日本企業として心強い誇りとなりました。2012年でタイヤメーカーを定年退職してからは「名門チームの足回り担当」として他メーカーのタイヤとマシンの相性をみる役を経験しています。テレビ解説ではソフトな語り口で専門であるタイヤや路面状況などをわかりやすく説明してくれていますが、そのソフトな口調の奥に「本当は言いたくて我慢している様子」をちらほら感じます。タイヤはソフトばかりでなく時にはズバッとハードにキメてくれてもいいと思うのですが、公衆の面前で本音はなかなか難しいでしょうか。


以上、今回はドライバーだけでなく関係者色強めの10問(10.5問)を出題してみました。超簡単にはしていないけど、超難しいようにもしないようにしました。みんな大好き90年代のF1ですから、大丈夫ですよね。
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「ん?うーん。。」
よく見て思い出して下さい(あなたは今回出題されている側なんですが)
いきますよ?!


 A①:ノルベルト・ハウグ
 A②:アレッサンドロ・ザナルディ
 A③:マーティン・ブランドル(左)
      マーク・ブランデル(右)
 A④:クレイグ・ポロック
 A⑤:J・J・レート
 A⑥:オリビエ・パニス
 A⑦:井上隆智穂
 A⑧:イリヤ・ハッキネン(当時)
 A⑨:フラビオ・ブリアトーレ
 A⑩:浜島裕英

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「あらボク忘れられている。。」
あと2、3年いたら、きっと忘れられない立ち位置でした。でも、この方があの机を叩いたら破壊しちゃいそうだ(笑)

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一週間の空きがあると気持ちも楽ですね。我々ファンがそう思うんだから、ドライバーや関係者は移動もあるわけだしもっとそう思っているはずです。このくらいのペースがちょうどいいですよ。つい先日「コレだれGP」を開催したばかりですが、少し時間があるため今回はさらに10年前となる2000年代のコレだれをやってみたいと思います。今週末からまた鬼のような三週連続開催が待っている。。こんな悠長なことしていられなくなりますね。

Q①
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ヒント:堂々たる風格。こう見えてこの年のF1新人です。最近の新人とは全く違う、妙な落ち着きと内に秘めたる闘志も感じられますね。この年は開幕戦で4人の新人がいましたが、25歳のこの方、ただ単なる新人ではなく、アメリカのトップカテゴリーでしっかりチャンピオンを獲得してからF1の門を叩いています。他カテゴリーや下位カテゴリーをよく知らないmiyabikunもこの方は参戦前からよく知っていて、まさかF1に来ると思いませんでした。マンセルや佐藤琢磨などとは逆のキャリアです。
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F1デビューは名門ウィリアムズ。初年の序盤はリタイヤも後半戦のイタリアGPで優勝を挙げ早々とF1を攻略。チャンピオン争いに名乗りを上げてきました。ただF1の水が合わなかったのか6年目の途中でF1から離れ、再びアメリカに戦いの舞台を戻してしまいました。F1以外で今でも活躍する「猛獣」です。

Q②
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ヒント:表彰台かな?!めちゃくちゃ嬉しそう!隣ではM・シューマッハから拍手で讃えられています。レーシングスーツから察するにジョーダンあたりでしょうか。この後はいよいよシャンパンファイトか
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って、おい!ファイトせずシューマッハ帰っとるやないか!!1人でシャンパン振って可哀想に。。このドライバーはF1でも少数派のポルトガル人で唯一となる登壇者です。堅実な速さで完走を続け、初入場が初表彰台獲得となりました。どうして初入賞で一気に表彰台に登壇することになったのか、レース自体が異例の事態となり「番狂わせ」が起きたためです。番狂わせでも何でも、表彰台に乗れたことは素晴らしいこと。

Q③
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ヒント:今回は2000年代を代表するF1関連のものが対象となりますが、この一枚目はデビューイヤーの1999年のものです。この方はブラジル出身で、ある新興チームからF1参戦となりますが、チームメイトと比べると入賞は3回とやや物足りない内容でした。この方で一番印象に残っているのはこのシーンという方が多いかもしれません。
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あるストレートでマシンが3台横並びになっています。向かって左側が白と黒のマクラーレン、右側はフェラーリで今回の対象は真ん中の白いマシンです。同一周回ではなく、両側2台からみたら周回遅れになる瞬間なのですが、マシンの両側からほぼ同時にパッシングされています。周回遅れにされるのは屈辱的なことではあるものの、両サイドは目下チャンピオン争いの真っ最中。F1史を振り返ると必ず通る名シーンの一つです。ある意味有名人。

Q④
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ヒント:胸元にチラッと見えるエンブレムからもフェラーリの関係者であることがわかります。見た目あまり若くなさそうですが、スタッフか何かでしょうか。この方はスポットながらフェラーリドライバーです。ある正ドライバーの事故により急遽2戦参戦しています。デビューは何と1993年です。下位チームで数年過ごし、レギュラードライブしたのは1999年が最後でした。ところがテストドライバーに徹して10年後にスポットであれ再びレースに出る機会が訪れると思っていなかっでしょう。サーキット下見はしっかりと、でも目標は完走とやや低めか。

Q⑤
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ヒント:出題は写真右端の初老過ぎの男性。拳を振り上げ前方のモニターに向かって大興奮しています。ドライバーの親でしょうか。その方の後ろは年齢的に弟かな。昔から夫人や恋人をガレージに呼ぶドライバーは多く見かけましたが、2000年代に入ると親や兄弟が息子の勇姿を見守る姿を多く見かけるようになりました。miyabikunは小学生の頃、運動会で親が来た日に限ってリレー競技のバトンを落とすという大恥をかいた過去があるため、それ以降親が見に来るのを拒んでいましたが、皆さんはいかがでしたか?!またこの親子を見るたびに思うのですが、毎戦帯同していて、この方々は仕事されていないのでしょうか。親や兄弟を養うくらい息子が稼いでいるから大丈夫なのかな。

Q⑥
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ヒント:シャツの胸元にあるメーカーのロゴマークがしっかり入っているので、かなり絞り込めると思います。風貌や年齢からしてもドライバーではないことは明らかですね。この方は機械系の大学でエンジンを専門とした研究を経て、卒業後は某自動車メーカーでエンジン開発に従事。2000年からメーカー関係者の立場からF1と関係を持った方です。実務をしながら大学で研究を重ね、博士号を取得していることもあって「博士」という愛称で呼ばれていましたね。このメーカーのエンジンはとにかく「Power」がウリ。

Q⑦
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ヒント:優しそうなおじさんですね。あまり見慣れないレーシングスーツを着ていますが、当然F1ドライバーでもどこかのチーム関係者でもないけど、F1には欠かすことができない部品メーカーの方です。久し振りにF1の舞台に復帰し、少しずつ採用チームが増えて安定した優勝を重ねられるようになった矢先、Q②のレースにも関係する「大事件」が勃発。チャンピオンを無事に獲得しつつもその翌年を最後に残念ながらF1から撤退する形となりました。今現在、この方が今でも関わっているのか定かではありませんが、このメーカーの復活を望む声をたまに耳にします。復帰はもうないでしょうね。

Q⑧
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ヒント:あるシーズン開幕戦の新人記念撮影のひとコマ。1人見慣れた方も写っていますが、今回の対象は向かって左側、ホンダのロゴを付けた方です。よく見えないかもしれませんが、日本人です。この時代の日本人F1ドライバーといえば、数人に絞られますね。日本のチームに日本のチーム代表、そしてエンジンもチームメイトも日本人という「日本尽くし」の中でF1デビューを果たしました。IMG_7192
日本国内だけでなく、海外でもレース経験を経ていましたが、チャンピオンを獲得した経験はなく不安視される声があったものの、チーム代表は起用を決断。しかし不安は的中し、デビュー4戦目のスタート直後にライバルを巻き込む大クラッシュを引き起こしてしまいます。第5戦も現地入りはしますが急遽ドライバーをスイッチ、さらにはシーズン中にスーパーライセンスを剥奪されるという結果を招いてしまいました。

Q⑨
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ヒント:表彰台のテッペンでシャンパンファイト前に3位の方と揃ってラッパ飲み。3位の方とは同じ国で、どうやらこの国の方はとにかくまずは黙って酒、といったところでしょうか。デビューがワークスチーム、そして少数ながら数々の名ドライバーを輩出した国出身のドライバーということで、大きな期待が寄せられていましたが、優勝は経験しつつも、このレースが唯一の優勝というのも意外な戦績でした。
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チームメイトに恵まれなかったこともあって、イマイチ光る成績が残せず、晩年は下位チームに数年食らい付き、静かにF1から離れていきました。近年日本でもレース経験があるため、ご存知の方やファンも多いと思います。

Q⑩
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ヒント:この感じからして誰の関係者かは一目瞭然だと思います。Q⑤の方と同様に、同じ頃対比するようによく映像に捉えられていましたよね。現在も関係者はF1の第一線で活躍されていますが、ある時期から親子立ちし、この方の露出はかなり少なくなりました。息子をあそこまで育て上げるまで大変な苦労をされたと聞いています。ただ今はお父さんがいなくても大変立派に育ってF1界を支え、代表するドライバーとなりました。

以上、厳選に厳選を重ねた10人です。本当はまだまだ取り上げたい人物は山ほどいたのですが、今回も簡単過ぎずマニアック過ぎずで選びました。まだまだ最近の話ですから、そんなに難しくないでしょう?!答え合わせに入ります。


 A①:ファン・パブロ・モントーヤ
 A②:ティアゴ・モンテイロ
 A③:リカルド・ゾンタ
 A④:ルカ・バドエル
 A⑤:ルイス・アントニオ・マッサ
 A⑥:マリオ・タイセン
 A⑦:ピエール・デュパスキエ
 A⑧:井出有治
 A⑨:ヘイキ・コバライネン
 A⑩:アンソニー・ハミルトン

今回はドライバー以外から4問の出題でした。こうしてみると、ドライバー以外にも時代を象徴する方って沢山いますよね。
最後にもう1問。この中でマッサはどれ?!
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正解は真ん中と右(笑)

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今までサーキット、マシンなどジャンルと時代別にクイズを出題してきました。今回からこの企画の新バージョン「F1コレだれGP」と題して始めていきたいと思います。誰ってことは、人物に関する出題となります。F1には多くの人が関わって成り立っていますよね。ドライバーはもちろんチーム関係者、供給メーカーやスポンサー関係者などなど広い範囲からメジャー過ぎず、でもマニアック過ぎない方々をピックアップしました。可能な限りヒントを添えますので、できればフルネーム(ミドルネームは省略可)で答えてみて下さい。第1回はいつものように2010年代の10人となります。それではどうぞー!

Q①
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ヒント:チームはウィリアムズのようですね。エンジンは、、ルノーの模様。ウィリアムズ・ルノーの組み合わせは過去にも名車がたくさんあります。それにしても端正な顔つきのこの方、どこかで見たことあるような、、。2010年代ドライバーということは、そう古い話ではないのですが、初めて見る顔ではないというか。
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うん、確かに似ている。ウィリアムズ・ルノーでしょう、もしやあの方に関係があるのか?!名前が偉大でしたね。注目度は間違い無くあるわけですが、時として名前負け、重荷になってしまうこともあります。この方のお母さんもまた有名ですね。F1での成績はイマイチで終わりますが、今後もその「名前」で食べていけるんだろうなぁ。

Q②
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ヒント:まずは横顔。黄色と黒でチームはルノーのようです。ボッタスのように肌が白いですね。寒い国出身でしょうか。この方はある大国において初めてF1参戦となり話題になりました。ワークスチームからの参戦も経験したし、お金もたっぷり持ち込んで時折速さはみせてくれていたものの、F1において大国ほどの存在感とはいきませんでした。またF1を離れた後にようやく母国GPが開催されるようになったのも何だか不遇。ただこの方の存在や活躍もあって、それに結びついたとなれば、貢献度は高いです。
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「マアネー」

Q③
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ヒント:少し見辛いですが、チームロゴの入ったスーツを着て、デビュー前のスチル撮影を行っています。F1に関係のある人物なのですが、誰だったかなぁ。見覚えはある。思い出せないのも無理はありません。F1をドライブしたのはたったの1シーズン、19戦のみですから。でもこの方、F1以外のカテゴリーにおいてはなかなか好成績かつ幅広く活躍しています。中でもまだ始まって歴史の浅い「次世代型モータースポーツ」でしっかりチャンピオンを獲っています。誰もが憧れるF1。必ずしもF1での成績だけが能じゃない。何かでテッペンに立てるのは素晴らしいこと。

Q④
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ヒント:襟口に見覚えあるチームのロゴが入っています。そうこの方はある系列の塾生出身。晴れてF1の門を叩いたわけですが、ただ相方が悪かった。。2年間タッグを組んだ1人目はあるベテランの引退を機に上級クラスへ進級し、早々と優勝を挙げます。また3年目に組んだ相方も絶対王者の移籍と共にこちらも上級クラスへ進級が決まり、無事に初表彰台を獲得。逆にこの方自身は3年でF1を追われることに。。でも心配は無用!先程の③と同じカテゴリーでチャンピオンになりました。よかったね、新カテゴリーがある時代で。

Q⑤
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ヒント:ん?この方は、、見るからに女性だしF1ドライバーではないですね。今回からの「コレだれGP」は冒頭にも書いたようにドライバーのみが対象ではありません。F1に関連する方を含めた広い範囲からの出題となります。
インド出身の彼女、実はすごく優秀な方です。オーストリアで法律学を学び、国際連合(UN)や企業の法務担当を経て、F1界に進出。F1初(今のところ唯一)の「女性チーム代表」となりました。何やら上の方を見守っていますね。表彰式かな。

Q⑥
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ヒント:お目目クリクリで可愛いー!今までF1ドライバーを「カッコいい」という目線で見てきたことはあっても「可愛い」と見てしまったのは彼が初かもしれません。若手育成に長けたザウバーが育成選手として起用したことによりF1のシートを得ています。世界中にファンも多かったと思います。1シーズンの浪人期間中はフェラーリの裏方で働き、再びレギュラーシートに復帰するも、成績は今一つ。デビューの年齢も比較的早かったのですが、そのためシート喪失も若いうちに迎えてしまっています。非常にもったいない。

Q⑦
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ヒント:胸にチーム名がガッツリ入っています。彼もなかなか若そうですね。下位カテゴリーでは母国のワークスであるルノーで腕を鳴らしF1デビューと相なりましたが、チームの戦闘力に恵まれませんでしたね。別チームでトータル2年過ごし、入賞は一度も無し。F1のリザーブに名を残しつつ、別カテゴリーにひっそりとシフトされていきました。
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印象が薄い方のため、ヒントとしてもう一枚「ピック」アップしました。2年目の彼です。一枚目の1年目と比べたら、しっかり鍛えられた感じ。

Q⑧
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ヒント:3人写っているうちの、真ん中で担がれている方が今回の出題者です。両サイドはさすがにわかるでしょ(笑)だから真ん中が主役。チャンピオン経験者に担がれて幸せ者です。F1で2人目となる南米ベネズエラ出身のドライバーです。母国の国営企業から潤沢な資金を片手に名門のウィリアムズからデビューを果たし、参戦2年目24戦目にして初ポールポジションと初優勝を一気に獲得して話題となりました。この幸せな表彰式の後のパーティでガレージで火災を起こしたのも有名だし、近年の希望ナンバーが開始された頃にヨーロッパで忌み数とされ、長らく使われなかった「13」を自ら選んで採用していたのも印象的です。ちなみに、近年低迷が続くウィリアムズの「現時点における最終優勝者」としても名を残しています。

Q⑨
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ヒント:爽やかな笑顔です。近年流行る育成ドライバー、それも名門フェラーリが太鼓判を押す有望若手と評されていました。「されていました」って既に過去形だし、今のF1で見かけないということは、フェラーリに見限られたかって?!違います、このドライバーは惜しまれつつ若くして絶命したためいないんです。残念ながらF1における「レース中の最終殉職者」です。今でも「もし彼がフェラーリをドライブしていたら」なんてタラレバはよく耳にします。もしかしたら現在のようなメルセデスの独走を許さなかったかもしれない。若手有望株の一人、フェルスタッペンあたりとバチバチに次世代チャンピオンを目指していたかもしれない。様々な憶測がされていますね。今は弟分のルクレールがその亡きアニキの分まで飛躍、奔走し、彼が付けていたカーナンバー「17」は大切に保管されているため、しっかりとF1界に存在しています。

Q⑩
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ヒント:最後はこの方。ドライバーではありません。見りゃわかるって?!(笑)上方を見つめつつ、どこか不安そうに、照れ臭そうにしていますね。この方はシャツの色こそ変わりましたが、今回の出題で唯一「現在も存命でF1に関わりのある方」となります。めちゃくちゃ関わっているし、沢山の人が助けられていると思います。この時ばかりは「ある1人」だけを見ていることと思いますが、ドラ息子を手塩にかけ、最近はようやくライバル達とバトルできるようになりましたよね。2020年代に入った今、そして今後もF1界におけるキーマンの1人です。

いかがでしたでしょうか。有名過ぎず、でも知らなさ過ぎるわけでもない10人をピックアップしてみました。さっくり答え合わせといきましょうか。


 A①:ブルーノ・セナ
 A②:ヴィタリー・ペトロフ
 A③:ルーカス・ディ・グラッシ
 A④:ジャン・エリック・ベルニュ
 A⑤:モニシャ・カルテンボーン
 A⑥:エステバン・グティエレス
 A⑦:シャルル・ピック
 A⑧:パストゥール・マルドナド
 A⑨:ジュール・ビアンキ
 A⑩:ローレンス・ストロール

70年以上の歴史の中のたかだか近年10年の関係者です。今回は皆さん全問正解できましたでしょうか。これからいつものように少しずつ古く、難易度を上げていきますからね。頭の中のF1の知識、フル稼働で臨んで下さい。

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あらら、ふて腐れてまあ。。君とは同世代なハズよ?!

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前回はフーゲンホルツの略歴と手がけたサーキットについてみてきました。今回はその中でも「日本との関わり」についてクローズアップしていきます。

《鈴鹿サーキット建設計画の変遷》
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世界から一歩遅れた形となった日本も戦後は高度成長期に突入し、自動車やバイクなどの輸送機器の発達や需要も加速していきました。本田技研工業は現存する自動車メーカーの中では後釜であり、その頃はまだバイクをメインとしていました。1959年に参戦した「マン島TTレース」を皮切りに本田技研工業の創始者、本田宗一郎は「国内に本格的なサーキットを建設したい」という野望を抱くようになります。

建設地の条件には
 ・大都市から遠く離れていないこと
 ・コース設計に適した自然環境があること
 ・近隣住民との折衝が円滑に行えること

が掲げられ、いくつかの候補地が選定されました。候補に挙がったのは水戸(茨城県)、既にダートコースが設営されていた浅間(群馬県)、ライバルのヤマハも近くホンダの技術研究所も近い浜松(静岡県)、亀山とスーパーカブの生産工場を建てたばかりの鈴鹿(三重県)、そして亀山から峠を越えたお隣の土山(滋賀県)の6つでした。
そこから「亀山」「鈴鹿」「土山」の3箇所に絞られます。亀山は既に宅地化されている地区の用地取得が必要であること。土山は国道や鉄道などの交通の便に難があるため却下。そこで起伏と平地を兼ね備えつつ工場建設で地域と良好な関係を築けていたことから、鈴鹿で決定したと言われています。60年(昭和35年)1月に描かれた鈴鹿レーシングコース建設計画にはこのようなレイアウトでした。IMG_3018
鈴鹿という名は同じですが、現在の形からは想像できないレイアウトです。それもこれは現在の位置から少し離れています。
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冒頭の図の倍の縮尺にするとおさまります。今よりも東側にあたる、今でいう国道23号バイパス寄りを予定していました。浄土池を周回し、アウトバーンを思わせる上下別の長く並行したストレートで構成されています。水田のある平坦なエリアでこのような計画を立てますが、本田宗一郎から「米を粗末に扱うな」との喝が飛び、以降西側の松林を造成し、度重なる検討が行われることとなります。以下のレイアウト変遷図は資料にもなっていますが、ただそれを流用するのでは芸が無いため、最近新設サーキットが無く、せっかくあっても開催されず、不要不急で手持ち無沙汰なミヤビマン・ティルケを久々に召集し、色分けのトレースをさせてみました。細かなRなどはわからないものの、イメージくらいは伝わると思います。

① 60年8月 塩崎定夫による原案(ピンク)
② 60年8月 ヨーロッパ視察後の修正案(赤色)IMG_3017
これが現地で計画された初期のレイアウトです。先程に比べると「鈴鹿感」はありますが、今でいうセクター1に強烈なインパクトがあります。鈴鹿サーキットの一番の特徴である本線立体交差が①では3箇所もあったんです。ちょっと見てみたかった気もしますが、当然ながら全長は延びます。西側のスプーンカーブも今と異なり鋭角ですね。これだときっと「スプーン」という愛称にはならなかったでしょう。
②は塩崎定夫、飯田佳孝、小川雄一郎の3人が本場ヨーロッパのサーキット(スパ、ホッケンハイム、ニュルブルク、アッセンなど)のレイアウト、施設、舗装などを目にし、調査した結果を反映したものです。セクター1の立体交差2箇所を無くし、クジラやヘビの頭のような線形に変えています。さすがに立体交差はやり過ぎかなと気付いたのでしょうか。こちらの方が今よりもパッシングポイントが多いようにも感じます。S字やデグナー、スプーンの原型となる線形がこのあたりから浮かび上がってきました。

③ 61年1月 フーゲンホルツによる助言案(黄色)
④ 61年5月 測量土木設計図(茶色)
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次のステップは③先日示した黄色のレイアウト、フーゲンホルツの鈴鹿現地調査を経て描かれたものです。ヘヤピンが東側に倒れて見えるのは気になさらずに(笑)ヨーロッパ視察時にオランダのカーディーラーの伝で紹介されたフーゲンホルツが新サーキット建設プロジェクトを快諾、遠い日本まで足を運んで頂きました。20日間の滞在と調査により、ココでフーゲンホルツのアイデアが鈴鹿サーキットに注入されるわけです。立体交差を廃止したセクター1をメインスタンドから遠避ける改良を施しています。理由は「メインスタンドがやかましくなり場内放送が聞こえなくなる」から。確かに。。それ以外の特徴としては①②もそうでしたがスプーン立ち上がりから第1コーナーまでとても滑らかな線形をしています。現代のF1なら間違いなく「直線扱い」ですね。フーゲンホルツのアイデアは第1デグナーの入りも減速を伴い、130R付近を軸に180°点対象なレイアウトにも見えます。
④は測量時に計画されたレイアウトです。第1コーナーと第2コーナーは今と異なる180°ターンのような綺麗な弧を描き、S字から逆バンク、ダンロップまでは現在に非常に似たものとなっています。一方でデグナーは一つのコーナーとなっており、スプーンは①のような北に張り出した形状、そして130Rと最終コーナーは現在に近く半径の小さなコーナーへと変化しています。

⑤ 62年1月 塩崎定夫による最終決定(緑色)
⑥ 20年4月 各種改良後の現在(青色)IMG_3015
⑤が当時の完成形といえるレイアウトです。ここまでくるとほぼ現在⑥に近いものとなりました。第1コーナーと第2コーナーはフーゲンホルツのアイデアが採用され、立体交差も今と同様に鋭角に交差しています。ちなみにデグナーとシケインは後から追加改良されて生まれたものです。
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このような経過を経て、鈴鹿サーキットのレイアウトが完成しました。一部線形変更がありますが、結果的にフーゲンホルツのアイデアに近いものが鈴鹿サーキットを作り上げたと言っていいと思います。まだ当時の日本には馴染みのなかったサーキット舗装についても、ヨーロッパ視察時に得た情報を日本鋪道(現 NIPPO)に提供し、様々な砕石サンプルから木曽川の砕石を選び抜いて採用するなど、日本の道路技術の発展にも貢献するプロジェクトとなりました。

《ホンダとの関わり》
鈴鹿サーキットの変遷が長くなりましたが、今回の主役も本当はフーゲンホルツです。1961年にホンダと出会い、来日までして鈴鹿サーキットの建設に携わったフーゲンホルツはその後も日本との関わりが続きます。64年にF1参戦を控えたホンダに対して、研究目的のクーパーのシャシーを手配したり、ザントフォールトサーキットを提供してテストやシェイクダウンの場を設けています。ホンダのチャレンジ精神はフーゲンホルツの協力があってなし得たのです。
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オランダGPは85年まで行われ、1年のブランクの後、87年から日本の鈴鹿サーキットでF1は行われています。自身が携わったサーキットがバトンの如く遠い日本に受け継がれ、戦いの舞台となったことをフーゲンホルツはどのようにみていたでしょうか。残念ながら95年にそれも自動車事故により他界し、20年に復活するザントフォールトでのオランダGPを見ることはできませんでした(もし生きていたとしたら106歳)自身が関わったホンダエンジンを搭載した地元の星フェルスタッペンの活躍を我々F1ファンと共に遠くから見守っていることでしょう。


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以前にオランダGPのザントフォールトサーキットを取り扱った際に「いつかフーゲンホルツについて調べたい」と書いたことがあります。本来なら来週末がオランダGPの予定なのですが、残念ながら今年は延期となりました。時間はたっぷりあるし、せっかくなので「フーゲンホルツの残した功績と日本との関わり」について2回に分けて書いていきたいと思います。

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ジョン・フーゲンホルツ
1914年生まれのオランダ人です。一般的にF1やモータースポーツに携わる技術者は機械系や素材系の出身が多く、さらにはサーキットの設計となれば建築や土木などが専門分野ではありますが、フーゲンホルツは元々法律が専門だったようです。意外ですね。その中でオランダの自動車クラブを立ち上げるなど、当初は仕事とは別にアマチュアとしてモータースポーツと関わってきました。1948年に完成したザントフォールトサーキットで49年からサーキットの支配人に就任します。ザントフォールトはフーゲンホルツが設計したと言われていますが、それは誤りで「支配人」としての関わりとなっています。

《サーキット支配人として》
支配人になるとイタリアのモンツァ、イギリスにあるブランズハッチ、ドイツのホッケンハイムリンクやニュルブルクリンクとF1と馴染みのあるヨーロッパ諸国のサーキット支配人と「サーキット支配人連盟」なる会合の会長を務めています。組合みたいで面白いですよね。そこで「イベント時の観客誘導」「音響設備の設置方法」などのマニュアルを整備されたようです。確かにサーキットはレースの場であると同時に、観客に安全かつ快適な観戦をしてもらう場でもあります。このような活動が今日まで「エンターテイメントとして」のモータースポーツの発展に繋がっているのでしょう。

・ザントフォールト(オランダ)
 開業 :1948年
 F1開催:30回
 現状 :使用中(改修あり)
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1952年からザントフォールトがF1オランダGPの舞台に決まり、以降85年まで30回行われることになるわけですが、フーゲンホルツは74年までサーキットの支配人の傍ら、支配人以外の「別の顔」をもつことになります。新規サーキットの運営指導や設計です。

《サーキット運営の指導者、設計者として》
フーゲンホルツが携わったF1に馴染みのあるサーキットは皆さんお馴染みの鈴鹿をはじめ、スペインのハラマ、ベルギーのゾルダーとニヴェルがあります。またドイツのホッケンハイムリンクは改修に携わって今でも(昨年2019年まで)F1で実際に採用された区間が残っています。

・鈴鹿(日本)
 開業 :1962年
 F1開催:31回
 現状 :使用中(改修あり)
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鈴鹿は言うまでもなく日本のモータースポーツを代表する戦いの舞台の一つです。フーゲンホルツはこの鈴鹿をきっかけにサーキット運営の指導者、設計者として展開していきました。
この図をみると、鈴鹿っぽくはあるけど微妙に形が違うような、、これについては次回に少しだけ掘り下げてみたいと思います。黄色ラインでレイアウトを描いていることも覚えておいて下さい。現在は箇所の改修を経て、フーゲンホルツのアイデア以外の要素も加わりましたが、ベースは大きく変わっていません。

・ゾルダー(ベルギー)
 開業 :1963年
 F1開催:10回
 現状 :使用中
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鈴鹿に次いで関わったF1開催サーキットはオランダのお隣ベルギーのゾルダーです。元々ベルギーGPの舞台としてきたスパ・フランコルシャンは公道を使う一周全長14kmと非常に長く、レース自体の速度向上に伴って危険であるとの観点から1970年を最後にカレンダーから外れました。それによって1年のブランクを経て、72年に開業したばかりの後述ニヴェル、そして73年にこのゾルダーでベルギーGPが行われました。サーキット自体はニヴェルより前の63年開業です。短絡的なクローズドサーキットに改修されたスパ・フランコルシャンが誕生するまでの間、F1が10回開催され、84年シーズンをもってベルギーGPの座をスパ・フランコルシャンに戻しています。ゾルダーと聞くとやはりフェラーリ期待の若手G・ヴィルヌーブの事故死が有名です。ヴィルヌーブの名はコーナー名として残り、ゾルダーサーキットはまだ現役として活用されています。

・ホッケンハイムリンク(ドイツ)
 改修 :1966年(開業は1932年)
 F1開催:37回(再改修後を含む)
 現状 :使用中(再改修あり)
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今シーズンはカレンダーからまた外れたホッケンハイムリンクもフーゲンホルツの手が加えられています。1932年にホッケンハイムリンクは今よりも壮大な一周12kmを超える巨大サーキットで開業しました。そこからF1が制定される前の38年に楕円形のような一周全長7.725kmに短縮されています。
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しかしアウトバーンが南北に貫通するように建設されるのを機にフーゲンホルツが現在コントロールラインの置かれる「スタジアムセクション」を設置し、さらに反時計回りしていたトラックを時計回りに切り替えました。70年からF1ドイツGPの舞台に採用された際は森の中の高速区間に速度抑制のシケインを設けてGPを開催。長らくドイツGPとして定着してきました。近年は2002年にヘルマン・ティルケのデザインでさらに短縮化改良を経て現在に至ります(図の赤波線)

・ハラマ(スペイン)
 開業 :1968年
 F1開催:9回
 現状 :使用中
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1950年代にペドラルベス市街地で行われたスペインGPはしばらくF1カレンダーから外れ、再びスペインGPが開催されたのはこのハラマサーキットでの開催によるものでした。81年までの間にモンジュイック・パークと交互の開催で9回F1で使用されています。全長は3.4kmと比較的短く、長いストレートと鋭角なコーナーで構成されています。しかし幅員も狭いため、追い抜きが困難だったといわれます。サーキットレイアウトを見る限り、個人的には四輪レースよりかは二輪や自転車レースの方が適しているような気もします。

・ニヴェル(ベルギー)
 開業 :1971年
 F1開催:2回
 現状 :廃止
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危険とされたスパ・フランコルシャンに替わってベルギーGPが開かれたニヴェルもフーゲンホルツがデザインした一つです。開業した翌年1972年に使用され、翌年は先述のゾルダー、そして1974年もベルギーGPで使用されました。現在はサーキットを廃止し、一般開放されて一部は緑に戻ったものの多くは周辺道路としてサーキットの片鱗を確認することができます。
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《世界各地のサーキットに広まるアイデア》
サーキットの支配人からデザインまで手掛けてきたフーゲンホルツは、あるアイテムを開発し、それが世界中のサーキットに設置されました。それは「キャッチフェンス」です。
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これもフーゲンホルツのアイデアの一つです。ガードレールでクラッシュすると、時として身体を切断してしまう痛ましい事故が多くありました。これであれば衝突時の衝撃をある程度吸収してくれます。今ではさらに改良を経てあまり見かけなくなったものの、安全対策に力を入れていたフーゲンホルツならではの功績ですね。


フーゲンホルツは1995年にザントフォールトで運転中に事故に遭い、妻共々事故死しています。1974年にザントフォールトサーキットの支配人を退いた際は彼の数々の功績を讃え、ターン3は「フーゲンホルツ」という名前が付けられています。退いた後もフーゲンホルツは実に様々な角度からモータースポーツに関わり、後世に伝えてきました。特に日本とは鈴鹿サーキット以外にもいくつかの関わりがあったりします。次回は「フーゲンホルツと日本」についてみていきたいと思います。

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