F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

カテゴリ: この人だあれ?

モナコGP直前に衝撃的なニュースが走りました。F1に長く従事してきたラウダが5/20に70歳で亡くなりました。昨年からの闘病中で今まで生還や復活劇をみせてきたラウダですから、またF1パドックに足を運んでくれることだろうと安直に考えていたのですが、今回はそれも叶わなくなってしまいました。このブログではラウダの「F1以外の面」を度々クローズアップしてきました。訃報をうけ、今回はちゃんとF1におけるラウダをクローズアップし、功績を讃えたいと思います。

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ニキ・ラウダ
    1949年2月22日生まれ(オーストリア)
    1971年 マーチからデビュー F1在籍13年
    優勝25回                          歴代9位タイ
    表彰台54回                       歴代13位
    参戦数175戦                     歴代26位
    ポールポジション24回     歴代11位タイ
    ファステストラップ24回  歴代9位
    チャンピオン3回(1975,77,84)
    ※戦績ランキングは2019年第6戦まで

    71年 マーチ             1回出走    予選21位 決勝R
    72年 マーチ           12回全出走 予選19位 決勝7位
    73年 BRM              15回全出走 予選5位 決勝5位
    74年 フェラーリ    15回全出走 予選1位 決勝1位
    75年 フェラーリ    14回全出走 予選1位 決勝1位 ★
    76年 フェラーリ    14回出走     予選1位 決勝1位
    77年 フェラーリ    15回出走     予選1位 決勝1位 ★
    78年 ブラバム        16回全出走 予選1位 決勝1位
    79年 ブラバム        14回出走     予選4位 決勝4位

    82年 マクラーレン 15回出走     予選2位 決勝1位
    83年 マクラーレン 15回全出走 予選9位 決勝2位
    84年 マクラーレン 16回全出走 予選3位 決勝1位 ★
    85年 マクラーレン 15回出走     予選3位 決勝1位

ラウダの生い立ちや戦績は映画にもなったくらい有名で、当時をよく知らないmiyabikunよりもよっぽど詳しい方が多いと思いますが、知らない方のために一応基礎的なところから入ります。
「ニキ」というのはケケ・ロズベルグの「ケケ」やニコ・ヒュルケンベルグの「ニコ」と同様の愛称であり、本名はアンドレアス・ニコラウス・ラウダです。ラウダは裕福な家庭で生まれ、資産家である父からは後継者として育てられていました。ところがラウダには「レーシングドライバーになる」という野望があり、父の反対を押し切り、自らの生命保険を担保にするなど自力で資金繰りを行ってスポンサー獲得とレース参戦にこぎつけていきました。俗に言う「持参金ドライバー」(ペイドライバー)というやつです。今でいうストロールのような家柄なのに、ストロールと大きく違うのは「お金も技術も自力で」という点でしょうか。ラウダの方は父に勘当されてしまいました。
ヨーロッパF2で頭角を示すと、マーチの代表マックス・モズレーの目に留まり、1971年の母国、第8戦オーストリアGPでF1デビュー。予選22人中21番手、決勝はリタイヤで終えますが、翌72年シーズンからはフルタイム参戦のシートを得て正式に年間レースに加わっていきます。マーチではピーターソンの陰に隠れ、マシンの戦闘力不足もあってなかなか速さを見出すことができませんでした。そこでラウダはフィリップモリス(マールボロ)を味方につけ、73年はBRM(ブリティッシュ・レーシング・モーターズ)へ移籍、ゾルダーで行われた第5戦ベルギーGPで5位入賞を果たします。この活躍が評価され、ラウダの株価は一気に急上昇していきます。
決して速さあるわけではないBRMのマシンで入賞にこぎつけたラウダをエンツォ・フェラーリが高評価、さらに先輩ドライバーのレガッツォーニの後押しもあり、74年からトップチームのフェラーリのシートを獲得することに成功。移籍初戦の開幕戦アルゼンチンGPでいきなり2位表彰台を獲得すると、第3戦南アフリカGPで初ポール、第4戦のハラマでのスペインGPではポールからの初優勝と、ようやく「理論派」ラウダの口だけではない「証拠」を知らしめることとなります。フェラーリ1年目は6戦連続9回のポール獲得で2勝。 2年目75年も9回ポールの3連続を含む5勝を挙げて、F1参戦5年目にチャンピオンの仲間入りを果たしています。
ここまでの経緯をみても、苦労はしつつも知恵や金策を使い、F1の頂点に立ち大成功を収めています。ただラウダのすごいところは映画「RUSH」をご覧になった方ならば若い方でもご承知の通りココからです。チャンピオンとして迎えた76年も序盤から連続優勝や表彰台登壇で着実に連覇を目指している矢先、ニュルブルクリンクでの第10戦ドイツGPでスピンし大破。
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一命は取り留めますが、当然ながら火傷の治療により以降のレースは欠場。F1ドライバー人生すら危うい状況になってしまいました。ところが大手術とリハビリを経て、事故からたった1ヶ月ちょっと、2戦の欠場のみでチームの母国である第13戦イタリアGPは予選5番手、決勝4位でカムバックを果たします。今までも事故や骨折などで戦線離脱し、復帰するドライバーが多くいる中、生死をさまよう事故に遭いながら短期間で復帰したラウダが「不死鳥」と呼ばれる所以はココにあります。それにも関わらずこのシーズンはランキング2位で終え、翌77年は2回目のチャンピオンを獲得してしまうわけですから、怪我をしつつも才能やセンスが錆びることはありませんでした。しかしラウダはフェラーリよりも革新的にマシン開発に取り組むブラバムへの移籍を決めており、第16戦カナダGPと最終戦日本GP(富士スピードウェイ)の2戦を欠場、エンツォ・フェラーリとケンカ別れすることとなりました。
ブラバムではポールポジションや表彰台登壇はあるものの「表彰台かリタイヤか」といったメリハリのある戦績が続き「F1へのモチベーション」が低下する原因の一つとなりました。2年目の79年は表彰台すら無くなり、シーズン残り2戦にあたる第14戦カナダGP予選を前にF1引退を発表、かねて並行していた「ラウダ航空」経営にシフトしていきます。(このF1空白期間については以前に取り扱いました)
一方的なF1引退を発表してしばらく経った82年シーズン前、マクラーレンのロン・デニスがラウダをテストに招き、82年シーズンから再びF1の世界に戻ることとなります。序盤はブランクに適応する手探りな走りとなるものの、第3戦アメリカ西GPと第10戦イギリスGPで優勝を挙げて「予選の出遅れを決勝でしっかり取り返す」という貫禄のレース運びに持ち込んでいきました。84年から若手のプロストがチームメイトとなりエンジンもフォードからポルシェに換装するとチームは一気に上り調子に転換。プロストな7勝を挙げる中、ラウダは5勝でポールポジションがないにも関わらず、わずか0.5ポイント差で3回目のチャンピオンを獲得します。事故前にチャンピオン、事故後もチャンピオン、復帰後もチャンピオンという前人未到のキャリアを成し遂げたラウダは85年のリタイヤ続きに嫌気がさし、プロストに引導を渡す形で「F1正式引退」となりました。
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基礎的と言いつつ、ラウダのキャリアを一言で書けず、だいぶ長くなりました。これ以外にも書き切れないエピソードは沢山あります。ここからはいつものキャリアグラフをみていくことにします。
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1シーズンの参戦ドライバーは現在よりも多くいますが、18位より上を表現しました。キャリア序盤のマーチ時代はポイント獲得がありませんのでグラフに入らない位置にいます。ご覧の通りキャリアのピークは映画にも取り上げられた参戦4年目から7年目に所属したフェラーリ時代で2回チャンピオンを獲得しました。当時のフェラーリもマシン自体がとても優れていたわけではなく、相方レガッツォーニの結果からも「ラウダの腕によって底上げされたこと」が大いに反映されています。ドライビングテクニックもさることながら、メカニカルな面にも知識が長け、マシン改良やセッティング能力も高かったようです。ラウダをフェラーリ加入に肩入れしてくれた先輩を在籍初年から圧倒していました。レガッツォーニの心中も気になるところですよね(笑)
また、ラウダの特徴の一つに「モチベーションに左右される点」もあります。上でも「ケンカ別れ、モチベーション低下、嫌気」という表現しましたが、腕が落ちて移籍や引退を決めたというよりかはフェラーリと不仲になったり、ブラバムの不甲斐無さを理由にしたりと「マシンが気に入らない、他に興味を持った」など、今のドライバーにはあまり無い理由です。ひと昔ふた昔前のドライバーは強気でした。お金よりも満足感やチーム体制との相性なども重要です。

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続いて予選、決勝順位のプロットです。当時は6位までが入賞圏でした。チーム別を色で表現しています。どちらのグラフも26位までの記載とし、27位に集まっているものが決勝リタイヤや失格を示しています。今回は予選決勝を見易く別々にしたので、逆に気付き辛いかもしれませんが、ラウダの特徴的な戦い方を見ることができます。それは「予選よりも決勝の方が順位を上げている点」です。ラウダは通算24回のポールポジションを獲得し、優勝は25勝。ファステストラップ24回でした。プロットをみると、予選順位より決勝順位の方が上にきます。予選は上位でなくても、決勝レースでうまく前に出て上位フィニッシュする。ライバルに離されたらマシンをぶつけたり壊さないようにして入賞を獲得する。その積み重ねが84年の「勝利数が少なくても年間で上回る」という賢い勝ち方です。人間、特にスポーツマンはライバルに勝ちたい、前にいたいという気持ちが強く出ます。ラウダはその「うわべだけの位置」に捉われず、ルールに則した手段を冷静に選べるドライバーでした。ラウダよりも前の時代はmiyabikunではなお知りえませんが、後世ではプロストをはじめ、M・シューマッハやアロンソはこのような勝ち方を積み重ねてきましたよね。「速い」という言葉よりも「強い」「手強い」という言葉がしっくりきます。プロストは特に、ラウダの真横で悔しい思いをしましたもんね。プロストの計算づくのレースペースや緩急ある走りなど、ラウダからの影響もあるはずです。

こちらもドライバー系お馴染みのもの「チームメイト対決」です。この時代、特に70年代は現在のように2人体制でなかったり、シーズン中のチェンジもよくあることでした。ライバル側は代表的なドライバーのみの名前を記載しています。また、チーム自体参加しなかったレース、ラウダが出走していないレースは勝敗をつけられないため除外しました。
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こうしてみてもフェラーリ在籍時は優勢に立つことが多くても、他はうまく勝敗を分け合っているように思えます。75年と77年は(実は事故した76年ももしかしたら)チャンピオンを獲得したので察しが付きますが、引退復帰後の84年もプロストに対して辛勝したチャンピオンイヤーでした。決勝よりも予選ではプロストに圧倒的に負け越しています。それでもチャンピオンを獲得してしまうのだから、先述のようにラウダの「勝利への方程式」は希少なやり方でした。デビュー直後と晩年は大敗しているものの、ラウダが負け越しているのはピケやプロスト、逆に勝ち越しているのはレガッツォーニやロイテマン、ワトソンと考えると「チャンピオンになれる、なれない」がはっきり分かれてみえます。

最後は先程描いたラウダのランキンググラフに同時代のライバルを加えて、例のごとくぐちゃぐちゃになっちゃっているグラフをご覧頂きます。ラウダは今回の主役ですので黒太線、チャンピオン獲得者8人は色別の実線、あとチャンピオンではありませんが、チームメイトになったりこの時代を象徴するドライバー3人を破線で色分けしています。ちなみに82年のみチャンピオンが空欄ですが、ご存知の通り1勝チャンピオンのK・ロズベルグです。時代に若干のズレがあると考えて除外しました。
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60年代末から70年代前半に圧倒してきたスチュワートが身を引くと、そこから一気にラウダをはじめとした若手のライバルが台頭してきています。70年代中盤になってフェラーリを操るラウダが一時代を築いて、隙を狙う形でピンク色のハントが割って入っています。要はココが映画で描かれた時代ですね。ラウダが1回目の引退をすると、もっと若手の天才ピケ(父)やプロスト、比較対象からは除外しているG・ヴィルヌーブ(父)あたりが名乗りを上げ、復帰したラウダもそれに負けじと食らいついた様子がわかります。ラウダのライバルのイメージが強いハント以外にも、実に数多くのライバルを相手にF1界のトップに君臨し続けたわけです。グラフがぐちゃぐちゃしていることは、グラフが見辛い以前に「混戦の末チャンピオン争いをした時代であった」ことも合わせて読み取れます。
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去る5/29にオーストリアの聖ステファン教会にてラウダの葬儀が執り行われました。F1ドライバー時代も様々な復活劇を遂げ、ドライバーから離れたのちの最近までF1に携わってきたラウダもさすがに病相手には勝てませんでした。ただ速かった、強かったドライバーという一言では片付かず「自負、理論だったバトル、問題提起と改善」といった頭を使う稀有のレジェンドはF1で異彩を放ちました。古舘伊知郎風に表現するとしたら「F1働き方改革」とでも呼びそう(笑)全てはとても真似できないけど、我々もその「ラウダニズム」を持って取り組めば、効率的に物事をゴールまで進めていける、と教えてくれたように感じます。

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これからは遠くからゆっくりF1観戦し、昔の仲間と辛辣な評価をしてもらえたらいいなと思います。最後になりましたが、心よりご冥福をお祈りします。

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メルセデスに帯同するラウダは、体調不良のため昨シーズン後半に帯同を外れ、再び復帰すべく治療に専念しています。以前にラウダはモータースポーツ以外に航空会社を経営していたという「2つの顔」について書きました。当ブログのアップ700回目となる今回はその2つ目の顔の「ある出来事とラウダの信念」をフォーカスしていきます。

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F1でチャンピオンを獲得したラウダは晩年のブラバムの「戦闘力の低いマシン」に嫌気がさし1979年の最終戦を待たずに引退(第1期)以降は昔から関心があった航空業界で「ラウダ航空」を設立、ビジネススタイルをシフトしていきます。順調に国際線を拡大し成長していく最中、1991年に事件が起こりました。航空業界で最も恐ろしい出来事「墜落事故」です。F1界のラウダの生き様は映画「RUSH」で知る方も多いと思いますが、ラウダそのもの人物をみていくとこの事件も語らないわけにはいきません。

《事故概要》
ラウダ航空004便
      機体  :ボーイング767-300ER
      日時  :1991年5月26日 16時18分頃
    出発地:中国 香港啓徳空港(HKG)現在は閉港
    経由地:タイ ドンムアン空港(DMK)
    終着地:オーストリア ウィーン国際空港(VIE)
    墜落地:タイ スパンブリー・ダーンチャーン郡
    乗務員:運航2人+客室8人=10人
      乗客  :213人
      被害  :乗員乗客223人全員死亡
      原因  :(後述)

事故はナショナルジオグラフィックTV「メーデー!航空機事故の真実と真相」でも取り扱われ、事故の原因究明の様子が描かれています。その画像をお借りしながら事故調査委員会とラウダの奔走をご紹介します。
(一部ショッキングな再現画像や描写があります)

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香港からのフライトの後、バンコク経由でウィーンに向かう機体はドンムアン空港を16時に離陸し、6分後に2基搭載するエンジンの左側の逆噴射装置(スラストリバーサー)の油圧弁に関する警告が点いたり消えたりを繰り返すようになります。逆噴射装置は本来「着陸後の空気ブレーキ」として使用するもので、上空を航行中に使用することはまずありません。
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特に気にせず高度7,500mまで上昇を続けると、警告開始10分後に突如逆噴射装置が作動し、揚力が低下。バランスを崩した機体は設計以上の負荷がかかり機体後方から分解し始め、離陸からわずか15分足らず、装置作動から30秒でタイの山腹に墜落。223人全員が死亡しました。タイで起きた航空事故で史上最多、またボーイング767で最多の死者数となる大事故となりました。
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ラウダは電話で事故を伝えられ、声明しています。
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《事故原因》
機体の残骸は広範囲に飛散していることから、単に墜落しただけではなく「空中で分解または爆破」したと推測されました。日本にはあまり馴染みはありませんが当時は湾岸戦争の最中、海外では爆撃やテロはつきものです。乗客にそれを起こしそうな者、起こされるターゲットが無いか調べていきます。
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残骸は墜落原因を知る限られた証拠の一つ。金属の裂け方や焦げ、破片の大きさや遺体の損傷からも原因を突き止めることができます。というより、それらから突き止めるしかない。ただ今回は地元住民が現場に足を踏み入れ、珍しい金属を略奪し、転売する姿が目撃されており、遺品捜査もゆっくりしていられません。
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ラウダも原因究明のため早々と現地入りし、自らその残状を目にしています。ラウダの時代のF1もクラッシュや仲間の事故死はみており、自らも1976年ドイツGPで瀕死の事故に遭っていますが、この現場を見たラウダは「目にした事故で最も悲惨なもの」と話しています。人の命に大小は無くても、航空機事故はF1事故よりも甚大で多数を巻き込みます。miyabikunも乗り物全般、もちろん飛行機も好きなのですが、乗るとなると墜落の可能性はゼロで無かろうと毎回心の中で覚悟してしまいます。
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損傷したブラックボックス(ボイスレコーダーやフライトレコーダー)とエンジンを発見すると、調査員は不可解な事実を知ることになります。
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千切れて離れた位置に墜落したエンジンは航行中にはあり得ない「逆噴射装置が使われた状態」にあったこと。またボイスレコーダーに残されたやり取りから運航乗務員の意図や落ち度もみられないため、ラウダをはじめ調査員は「テロではなくメカニカルトラブルであった」ことを確信しました。
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※この後ろ姿は番組中でラウダを演じた俳優です

《ラウダの信念》
F1での瀕死の事故は結局明確な原因も分からず、ただ早期の復帰だけを目指して尽力しました。今回は自分の身体は無傷も罪無き多くの乗客と会社の仲間を失うこととなりました。ラウダは事故で命を落とした人達のためにも、残された家族のためにも、また自身の会社の威信をかけて原因究明に向けてボーイング社に「航行中の逆噴射装置作動とその危険性」について問いただしました。
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ボーイング社からの回答は「航行時の逆噴射は通常時の10%の揚力低下に過ぎず、墜落の原因になり得ない」でした。自らがパイロットもこなすラウダはその回答に納得できず、シミュレーターや風洞実験、さらにはボーイング社のパイロットが実機による再現実験を行い、当初ボーイング社から提示された低下率を大きく上回る25%の揚力低下を証明してみせます。空気の薄い高高度で揚力が低下するとなれば、安全な航行の足かせになることは明らかです。
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墜落に値するメカニズムは証明されました。続いて「なぜ航行中に逆噴射装置が勝手に作動したのか」についても、指示を送る油圧弁の模型を作製し、幾多にも及ぶ事象を繰り返し行いました。
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そして誤作動の原因と思われる現象に辿り着きます。それは「配線がショートした時に油圧弁がエラーを起こす」ものでした。これは運行乗務員(パイロット)側ではどうやってもカバーできない、機体の設計そのものの問題であったことを突き止めました。
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《結果と業界への波及》
ボーイング社を相手に懐疑をもったラウダは事故をうやむやにするのではなく、真の原因と不備をみつけ、ボーイング社と共に遺族に対して賠償することとなりました。また、ラウダ航空の事故は
「高高度航行中の逆噴射作動は航行に支障をきたす」
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「動作指示する油圧弁は一段でなく二段で制御する」
という航空業界に新たな常識を与えます。今ではフェールセーフや二段構えが当たり前な世の中になりましたね。機械制御のみならず、何事においてもこれは基本であり、その大切さを正しく教えてくれました。またラウダは番組の取材でこのように答えています「F1で3回チャンピオンになるよりも、航空会社を経営する方が大変」と。

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現役ドライバー時代から理論的かつ賢明な走りでF1界を制し、引退後は辛口コメントでフェラーリやジャガー、メルセデスの相談役もこなしてきました。自社の事故も誠心誠意で真実を明かすところにも「ラウダらしさ」を感じます。
ラウダはmiyabikunの亡き父とも歳が近い、今月で70歳を迎えます。これまで数々生死の境を乗り越えてきたラウダ。闘病は大変だと思うけどスチュワートやフィティパルディなどと並ぶ「古きF1」を知る貴重な生き字引ですから、長生きして、またF1の舞台に戻ってくるといいなと思います。


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今ウィリアムズからシロトキンが参戦するロシアはアジアとヨーロッパにまたがる世界最大の領土を持つ大国です。その面積に対して人口はさほど多いわけではありませんが、F1での歴史はとても浅く、小さい勢力です。ロシアGPを前に、希少かつ最新の勢力をみせ始めた大国の3人のドライバーを比較検証していきたいと思います。ひとえにロシア出身とはいえ国土が非常に広大なため、各ドライバーに出身地の地図も載せてみました。なお、ロシアGPの行われるソチの位置になります。ご参考まで。
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ヴィタリー・ペトロフ
1984年9月8日生まれ
レニングラード州ヴィボルグ出身
2010年~12年 3年間 58戦参戦
0勝 PP0回 FL1回 表彰台1回 入賞13回
10年 ルノー           19回出走 予選7位   決勝5位
11年 L・ルノー      19回出走 予選6位   決勝3位
12年 ケータハム    20回出走 予選18位 決勝11位
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F1においてロシア勢が初めて知らしめられる様になったのは、まだ記憶にも新しい2010年のルノーから参戦したV・ペトロフでした。美味しそうな名前ですよね。前にも書いたけど、冬に食べたら身体の芯まで温まりそうな料理かと思っちゃいます。ペトロフはサンクトペテルブルクに近いレニングラード州の都市ヴィボルグ出身の現在34歳です。広いロシア、その中でもフィンランドに非常に近い位置になります。確かに雰囲気はフィンランド人と似てなくもない。ボッタスの兄貴っぽい(笑)F1は25歳から28歳でドライブしました。
レースデビューは近年のドライバーでは比較的遅い17歳でした。レーシングカートは未経験です。ロシア国内のレースを経験したのち、イギリスやイタリアのフォーミュラ・ルノーに参戦。しかしロシア国内から出ると成績は振るわず、ロシアのレースに一度籍を戻しています。05年にロシアでチャンピオンに輝くと、翌06年からF1の下位カテゴリーに位置したGP2に参戦を始め、徐々に国際大会で上位を獲得するようになります。遅咲きもあってか、なかなか苦労した下積みを過ごしていますね。
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F1は先にGP2からステップアップを果たしていたグロージャンがなかなかの「当たり屋」であったために10年から代わってルノーのシートを獲得、それがロシア人初F1ドライバー誕生となりました。
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こちらは今まで度々登場しているプロット「ペトロフの予選決勝結果」になります。予選はグリッド昇降格前の純粋な順位を採用し、グラフ下端24位にプロットされているものはビリもしくはリタイヤ扱いとしています。先に各シーズンの予選決勝のベストグリッドを書きましたが、3年のうち最も成績が良かったのは2年目の黒いロータス・ルノー時代でした。その11年の予選は開幕戦オーストラリアGPで初Q3進出となり、ルノーエンジン搭載車ではレッドブルに続く3番手をゲット。決勝はスタートで4位までジャンプアップに成功して、ウェバーを上回っての3位表彰台を獲得しています。第5戦スペインGPも同じ6番手スタートを獲得しますが、入賞圏外フィニッシュで終わり、結局開幕戦の表彰台が自身初であり最後の最高位となっています。
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12年もロータス・ルノー継続かと思われましたが、2年振りにライコネンがF1復帰するあおりを受けてチームは放出、ペトロフは持参金を用意してベテランのトゥルーリからシートを奪取することに成功して、コバライネンと共に改称ケータハム初年を担うことになりました。プロットも予選決勝とも分かりやすいまでに低下し、予選は19番手付近でフィックス。決勝最高位は最終戦ブラジルGPの11位に終わり、惜しくも入賞ならず。コンストラクターズのビリ脱出に貢献しますが、またもやシートを追われてF1からとうとう離れる形となりました。
たった3年で異なるチーム名の所属をこなしたペトロフは、在籍チーム全てが駆け出しの頃から慣れ親しんだルノーエンジンでした。結果もさることながらルノーワークスの一時下火化とベテラン、新人のどちらにも追いやられるといった「ちょっと不遇な」表彰台経験者でしたね。F1ドライブ後はドイツツーリングカー選手権(DTM)に参戦。こちらDTMでも初ロシア人ドライバーとなり、正しくロシアのモータースポーツの先駆けを確立しています。

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ダニール・クビアト
1994年4月26日生まれ
ロシア バシコルトスタン共和国 ウファ出身
2014年~17年 4年間 74戦参戦
0勝 PP0回 FL1回 表彰台2回 入賞27回
14年 トロ・ロッソ 19回出走 予選5位   決勝9位
15年 レッドブル     19回出走 予選4位   決勝2位
16年 ブル / ロッソ  21回出走 予選6位   決勝3位
17年 トロ・ロッソ 15回出走 予選9位   決勝9位
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まだF1のレギュラーシート喪失から日が浅い、別名「魚雷」ことクビアト。ロシアはロシアでも、その中の「バシコルトスタン共和国」という自治体があること自体、今回このネタを書くにあたって恥ずかしながら初めて知りました。大変勉強になりました。当時のベッテルにそろそろ飽きてきたmiyabikunは、久々にトロ・ロッソを上位に持っていける「ベッテルの後継者になり得る逸材誕生」の予感がして、デビュー直後から密かにクビアト推しでいました。レッドブルに昇格したまではそこそこ順調に推移していたのですが、、結果はご存知の通り。非常に残念です。
幼少期はカートに勤しみ、2010年から先輩ベッテルと同様のBMW系ドライバーとしてレッドブルの育成システムに出会うことになります。その後ペトロフもお世話になったフォーミュラ・ルノー、GP2のさらに下位となるGP3に参戦、13年にチャンピオンを獲得するといよいよF1テストの機会が与えられ、14年にリカルドがレッドブルに昇格を果たしたトロ・ロッソの空席ゲットに至りました。
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初年は19戦中5回の入賞で最高位9位が3回、開幕戦の入賞は後輩フェルスタッペンが獲得するまで、それまでの先輩ベッテルの持つ記録を25日縮めた最年少記録でした。予選は初地元ロシアGPと最終戦アブダビGPで予選5番手を獲得しています。この活躍を受け、15年はベッテルの抜けた穴を前年のリカルドに続いてまたもやJ・E・ベルニュを差し置いてのレッドブル上級塾に進学許可を受けました。さすがにレッドブルに昇格すると、予選決勝の成績はドンと上がりますよね。第6戦モナコGPの4位入賞を皮切りに、第10戦ハンガリーGPでは7番手スタートから2位表彰台を獲得しました(こちらはベッテルに18日遅れの当時最年少表彰台2番目、現在4番目の記録)結果的にこのシーズンは相方リカルドを3ポイント上回る7位で終えることに成功するなど、ベッテルに負けないペースでステップアップを果たして、本当にココまではいい感じに来ていました。
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事件は翌16年の第3戦中国GPからでしたね。フェラーリのベッテルと接触を起こし、ベッテル2位、クビアト3位で共に登壇するも、表彰式前の控え室で叱責を食らい、続く地元のロシアGPでスタート直後に再びベッテルと接触してリタイヤに追い込んでしまいました。ベッテルからのチーム直訴も影響したか、このレースを最後にレッドブルグループ初となる「トロ・ロッソへの強制送還」を経験してしまいました。スイッチしたフェルスタッペンはレッドブル昇格早々に優勝するわ、降格した先のサインツとは比較対象になるわで「出戻り後」は相当な屈辱に合わせて焦りにかられて、第1期トロ・ロッソ時代から一段階落ちるような戦績となり、昨年終盤にとうとうシートを失いました。
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セルゲイ・シロトキン
1995年8月27日生まれ
モスクワ州モスクワ
2018年~         1年目 15戦参戦中
0勝 PP0回 FL0回 表彰台0回 入賞1回
18年 ウィリアムズ 15回出走 予選12位 決勝10位
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当初この企画は上記2人のロシア人比較を予定していました。しかしクビアトと入れ替わり今シーズン新たにロシア3人目となるシロトキンがウィリアムズからデビューしましたので、まだF1参戦中の身ではありますが、参考までに加えました。
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顔は落ち着いているものの3人の中では最も若く、現在23歳になったばかりです。13歳からカートを始め、2012年はイタリアのF3、翌13年はフォーミュラ・ルノーに昇格を果たすと、ロシアの国営スポンサーを味方につけたシロトキンはザウバーの目に留まり、F1への道が一気に近づきました。15年から16年のGP2最終年をドライブしつつ、ルノーのテストドライバーを掛け持ち、チャンピオンにはならずも17年にザウバーのテストドライバーを経験。持ち込みスポンサーを後ろ盾に18年から特に所縁もなかったウィリアムズにおいてベテランのクビカとの接戦に打ち勝ち、晴れてレギュラーシートを得ました。
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まだ現役バリバリなので戦績を結論付けるには早い時期ですが、ご存知の通り現役ドライバー中、入賞まで14戦を要する最遅となってしまいました。フォローするならば、今のウィリアムズは入賞が10位となった近年であっても、上位完走が厳しいというのが事実です。また序盤7戦は現役最小タイの決勝周回数に対し、第8戦から第14戦までの中盤7戦は、相方ストロールより2周分多い周回数となる上位6位の走行数をこなすようになるなど、周回遅れになっても完走まで車を持っていく姿勢は評価できます。

《チームメイトとの戦績比較》
三者の参戦期間は綺麗に被らないため、直接の戦績比較はできません。よって、まずは当時チームメイトだったドライバーとの予選、決勝対決をさせてみます。予選はいつもの通り「昇降格前の純粋な予選順位」とし、決勝のリタイヤは最後尾扱い、両リタイヤは「引き分け」とします。また各ロシア人ドライバーのイメージカラーはペトロフが赤系、クビアトが青系、シロトキンが緑系と区別しました。
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まず初号機ペトロフです。初年2010年は優勝経験もあるクビカに対して予選決勝ともに大敗です。うん、これは仕方ない。だってレース巧者だもん。いきなり勝つようなことがあれば、もっと評価されていたでしょう。2年目の11年はどうか、こちらもベテランのハイドフェルドに名前と顔だけはイケているセナに対して、予選も決勝も上回っています。この年は先程も書いたように表彰台にも登壇しており、マシンも比較的ペトロフに合っていたかと思います。概ねロータス・ルノー継続と思われたにもかかわらず、3年目は下位チーム移籍を強いられた件はラリーから出戻った「ビッグネームのおっちゃん」を恨むしかありませんね。下位チームとなっても最終の12年はコバライネン相手にまあまあいい勝負していました。全20戦中10勝9負け1引き分けの対戦成績の中に、ミクロで見れば最終戦ブラジルGPが予選19位から決勝は11位と入賞まであと1つのチーム最上位フィニッシュ(結果チーム全成績ではタイ記録)となり、ポイント付与はないもののコンシストラクター12チーム中10位に引き上げたことに価値があります。最終的にはペトロフのみならずコバライネンも合わせて13年のレギュラーシート喪失(ただしコバライネンはスポット参戦あり)となりました。
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続く2号機、クビアトです。1年目となるトロ・ロッソ第1期は先輩塾生のベルニュ相手に予選で余裕で勝ち越し、決勝は8勝9敗2引き分けの内容で上級クラスのレッドブルに選出されています。ちなみにベルニュは前年13年はリカルドを相手に負けが多く、トロ・ロッソ居残りが決まったわけですが、クビアトとは決勝では競り勝っているにもかかわらず昇格に声がかかることもなく、シートを喪失しています。何とも不運というか不遇というか、、活躍の場をフェラーリのテストドライバーを経て今はフォーミュラEに切り替える運命を辿っていきます。2年目の14年は先輩リカルドと共に優勝も狙えるレッドブルとなったことで、求められる結果も「ワンランク上」が期待されました。そこで予選は負けても決勝で1つ上回り、ランキングも上回る偉業を成し遂げます。リカルドが表彰台2つに対しても1つしっかり獲得して、珍しく未勝利シーズンでも2人で被害は最小限に抑えられています。クビアトにとって、この後のランキンググラフでもわかるようにこれがベストシーズンといえます。
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悲劇はこの後すぐにやってくる。3年目も同じラインナップでスタートするも、前述のベッテル先輩事件を2つかましたことでフェルスタッペンとスイッチ。第2期トロ・ロッソ相方が新入りサインツとなっても「降格」が精神的にも走りにも悪影響を及ぼしたか、予選決勝共に大敗を喫する結果に。思わず同情したくなるような内容でした。4年目となる「今のところのF1最終年」サインツ相手にいいところが出し切れず、方やサインツはワークスルノーへの引き抜き、さらには次世代の塾生であるガスリーやハートレイの引き合いにされる状況にさいなまれて、最終戦を待たずして第17戦アメリカGPを最後に退学。今シーズンはフェラーリの開発ドライバーへの道を選ぶという、何だかベルニュ先輩と「同じ香り」を漂わせています。
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最後は3号機現役のシロトキンの直近第15戦シンガポールGPまでのストロールちゃまとの比較になります。テールエンダー確定のヘボヘボ名門ではありますが、ちゃんと勝ち負けは比較できます。予選は8勝7敗の今のところの勝ち越しで、内容はストロールの最上位が第14戦イタリアGPのQ3進出の10番手、シロトキンはアゼルバイジャン、ドイツ、イタリアの12番手3回となっています。ストロールと共に、高速寄りのサーキットで何とかライバルの中に食い込めています。決勝は6勝8敗1引き分けでストロールの勝ちとなっています。これが一年違いのキャリアの差か「懐の余裕」かは分かりません。この後の残る6戦で勝敗が変わる、チームが台頭しそうそうなサーキットがあるかと考えると、、メキシコで割合は少ないながらもロングストレートセクションがあるくらいで他はライバルを食えるようなGPやサーキットはなさそう。今できることは来シーズンの移籍が噂されるストロールがチームメイトの間に「予選決勝共に勝てるかどうか」が注目の的となるのでしょうか。現時点ではまだ決着はついていません。

《三者の予選決勝戦績》
先程個別でプロットした3人の予選および決勝の成績を無理矢理一つのグラフで表現するとこうなります。最下部にプロットされるものは予選、決勝ともビリもしくはリタイヤのものとなり、各人の色使いは先程と揃えて、黄色の領域は3位までの表彰台獲得、緑色は入賞圏内の10位までを塗って表現しています。
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パッと見ると、2号機クビアトの2年目がトップチームドライブもあって高水準に位置します。それを追いかけるかのようにペトロフの2年目も1回の登壇もあって比較的高めです。シロトキンは入賞が一度キリなため、プロットは2人の先輩より低くなります。マシンやチームのせいなのか、実力なのかは本当に断言し難い。
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続いて、だいぶ見辛いですが参戦数で左端に寄せてみました。最多参戦は今のところクビアトの74戦、次にペトロフの58戦、そしてシロトキンは今日現在の15戦となります。参戦ドライバー数がペトロフ時代とクビアト時代で若干異なりますので単純比較できませんが、ペトロフのケータハムはお世辞にも成績が良かった方ではないため、クビアトの最終年と比べても予選、決勝とも低い内容で推移しています。クビアトはもう少し安定した入賞圏内を残せたら、第2期トロ・ロッソ時代を実績ない新人に奪われることは無かっただろうに。比較対象のサインツがシーズン終了前にルノーに移籍したこともあって「立ち位置の不安定さや重圧」などが結果にも現れているかのように見えます。

《ドライバーズランキング》
こちらも戦績と同様に各人で参戦時期は被りませんが、一つのグラフで表現してみました。
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まだ1シーズンを終えていないシロトキンはさておき、ペトロフもクビアトも2年目が最も好成績だったことがわかります。1年目は練習期間で2年目は真の実力を発揮する、これが一般的な流れです。特にクビアトはうまくトップチームへの移籍を決めたので、むしろこうならなきゃ困りますね。それを維持できればよかったのに、3年目は序盤に前述が重なり「ラフなドライバー」である印象から降格を招いて、そこから1年目第1期にも劣る成績がシート喪失に繋がってしまいました。レッドブル塾のシステムにはちゃんと「昇格と共に降格も十分あり得る」ということを知らしめてくれました。降格後の奮起を期待しても、それ以上の精神的ダメージ、焦りなどを伴って「命繋ぎ」ができませんでしたね。
シロトキンは今現在、2年目を過ごせるかの確約が未だにされていません。個人的には先輩2人のように維持、もしくはより戦闘力のあるマシンでのドライブでどうなるか見てみたいものですが、来シーズン向けのシートも残りが少なくなってきています。シーズンの最後まであのマシンでできる限り上位完走、入賞していければいいのになと思っています。

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今回は近年成長著しいロシア人ドライバーをピックアップしてみました。現在フェラーリで開発ドライバーを担当するクビアトは、もしかしたら来シーズン再び(三度?)F1の舞台に戻ってこれるかもしれない噂が挙がってきています。今後もロシアGPは行われることだし、ロシアのF1熱が下火になるにはまだ早い!

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何やら小さいカートに小さい子が乗っています。
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おお、スピンターンか!一人前にヘルメット被ってクイックにステアリングを切る。可愛いですね。今回のこの子は一体誰だ?
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こちらはもう少し成長した同じ子。現役のF1ドライバーです。どことなく面影がありますね。チャンベッテルちゃんの本当に「ちゃん」の頃の映像です。子供の頃からカートで名を馳せてきた者が集まるのがF1の世界なのですが、このクラスになるとやっぱり小さい頃から注目されているものなんですね。ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、この天才の過去を特集したドイツのテレビ局の映像をYouTubeで閲覧できます。

https://youtu.be/GrofXYsj4SE
https://youtu.be/YgKZkBuPzzA
https://youtu.be/jyo2NJJ4M-U

観て何となく何を言っているのかは想像できるのですが、たぶんドイツ語であるため、細かなところまではわかりません。そこで今回はこんなことすると本人やファンの方から怒られてしまいそうですが、映像をお借りして息抜きとして遊んでみたいと思います。あくまでmiyabikunが作ったフィクションストーリーですから、真に受けず気楽に楽しんで下さい。

セバスチャン・ベッテルは1987年にドイツのヘッセン州ヘッペンハイムで自動車関連に勤める父ノルベルトと母ハイケの間に生まれました。
8歳となる95年より本格的にカートで活躍し、将来はドイツを代表するM・シューマッハに次ぐF1ドライバーとして活躍の期待が寄せられています。
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まだまだ子供です。みんなと学校に行ったり、家に帰ればテレビアニメを楽しむ可愛い時代のベッテルがうかがえます。

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学校に通う傍、父の運転するキャンピングカーに乗り込み、カートの大会を転戦してドライビングスキルも磨いていきます。
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「ちゃんとタイヤも自分で着けたりしてメンテナンスするよ。でもこのナット、ちょっと、、固い。。助けてよぅ。。」
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「どれ、あーこれは確かに固い、こんちくしょう」
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「だいぶ固くて、私の肩も痛くなった。ああ、ウチのセバスチャンは探究心の塊だよ。ただたまにアツくなり過ぎてキレてしまうのがね。。私の育て方に問題でもあったのか」

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カートには可愛いぬいぐるみをお守りとしてぶら下げて子供らしい一面も垣間見れますが、ひとたびレースとなれば立派なドライバーです。華麗なペダルさばきとステアリングさばきで前車を猛然とあおり、かわしていきます。
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「私はカートばかりやらせるつもりはありません。学校にもちゃんと通わせ、ヘルメットやカーメンテナンスも自分でやらせます」
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部屋に飾られた多くの優勝カップも披露してくれました。
「これは優勝すると貰えるカップで一番デカイやつ。すごいでしょ?」
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ドイツでカートを勤しむ者の目標といえば?
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「やっぱりミハエルだよ。彼はドイツが誇る名ドライバー。何度か会って話したことがあるよ。ボクの中のヒーローはやっぱりセナよりミハエルかな」
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「アゴはねー、アイーン。こんな感じ。アハハ!」

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ドイツ出身のF1ドライバーはメルセデスの育成を受けてきている者が多い中、彼は将来レンタルドライブも経験したBMW系の出身です。
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「いつかミハエルの様にF1でチャンピオンになれるといいな。なるべくブチ切れない様に気を付けるよ」

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その後98年からレッドブルの育成ドライバーに任命され、ドイツの大会を総ナメにし、2005年にはF3のヨーロッパシリーズに参戦、そこでイギリスからの同世代にして現在最大のライバルとなるハミルトンと対決しています。そして06年にはBMWザウバーにレンタルされてテストドライバーを経て、07年の第7戦アメリカGPでいよいよ皆さんもご存知の通りのF1デビューに至りました。

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今日現在でF1での優勝は51で歴代3位タイ、ポールポジション54回は歴代4位、表彰台105回も歴代4位、そしてチャンピオン獲得4回で歴代3位タイとまだいずれもF1界の頂点には及びませんが、各最年少記録を塗り替えてセンセーショナルを巻き起こしました。優勝91回、ポールポジション76回、表彰台155回、チャンピオン7回を持つ偉大な先輩と同じチームとなり少しずつ近付いてきました。同世代の強力なハミルトンとともに30代となってもまだまだ記録は伸ばせる位置にいます。追いつけ追い越せで切磋琢磨し、F1の発展と盛り上がりに向けて引き続き頑張ってもらいたいですね!次は2年振りの地元ドイツGP。それを前に今回はフィクション、息抜き回でした。

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先日仕事の関係で昭和シェル石油の本社ビルを訪ねました。シェルといえば、やっぱりありました。意外と指太いのね。
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これは誰だ?!可愛いですね。現役ドライバーなんですが、今でもそのまま名残がありますよね。誰だかわかりますか?そう、現チャンピオンのハミルトンです。
以前に書いたニキ・ラウダはドライバーの傍ら航空会社を経営したり、少し前のドライバーですが趣味で有名なのは鉄人パトレーゼはなかなかな鉄道マニアだったりと、F1ドライバーも本職のカーレーサー以外に当然副業や趣味や特技、いつもと違った顔などがあったりします。ハミルトンは幼少時代からカートで実力を見出す前、実はラジコンで名を馳せ、幼少時代にテレビ出演を果たしていました。皆さんもよくご存知な話かもしれませんが、簡単にご紹介します。

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ルイス・ハミルトンは1985年にアフリカ系イギリス人の父とイギリス人の母の間に生まれた、いわゆる「黒人ドライバー」とデビューの時から話題になりました。父アンソニーは一時期までマネージングしていたため頻繁にF1の舞台に帯同してご存知かと思います。母カーメンは離婚してしまっていますが、たまにパドックに姿を見せていますよね。父や一般的な黒人と比べると、彼は白人の母とあって中和、洗練された顔付きかと思います。本名は「ルイス・カール・デビッドソン・ハミルトン」とその名は当時一斉を風靡したあの陸上選手カール・ルイスから名付けられたと言われています。

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これは1992年の映像なのでハミルトンがちょうど7歳くらいの頃です。ラジコンはそもそも父が趣味でやっていたものとのこと。小さいとはいえハミルトンっちゃハミルトンです。リポーターの問いかけに目線も合わさずラジコンを真剣に追っています。
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昔懐かしいプロポでステアリングとブレーキの説明をしています。まだ声変わりしていないから完全な子供声しています。
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大人に交ざってレース開始!
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たぶんこれがハミルトンの車かな?
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さすがラジコンチャンピオン、全くいじられない大人達顔負けでチェッカーフラッグ!そして可愛いガッツポーズ!こんな時代があったんですね。今じゃこんなチンピラみたいになっちまいやがって。
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他、海外のCMでもハミルトンとラジコンの共演は度々あるようです。これは保険会社アリアンツのCMのワンシーン。
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受付でプロポを渡されてスタート
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オフィスを手に取るように疾走していく内容となっています。
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極め付けはマクラーレン時代にスマートフォンを使って操縦できるラジコンをとうとう実際のF1マシンで再現しちゃっています。
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ラジコンチャンピオンの手に渡れば
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当然乗りこなす。ハミルトンもまさか自分の商売道具までラジオコントロールすることまでは考えていなかったでしょう。これ無人のF1マシンです。ある意味不気味。
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スマートフォンを横持ちして傾けると同じ舵角でステアリングに連動しているようです。テンション高めですね!

ラジコンのチャンピオンがきっかけでモータースポーツ関係者の目に留まった、という話を聞いたことがあります。確かにコースのライン採りや荷重移動など、たかがラジコンかもしれませんが同じ四輪の機械には違いありません。幼い頃からのこれらが「運転勘」を養い、運転技術の鍛錬や読みに繋がったのかもしれませんね。またはラジコンを操る時のように彼はサーキットを俯瞰的に捉えることができたりして。
ハミルトンをはじめ、F1ドライバークラスともなると幼少時代からカートなどで注目されて多くの大会の画像や動画が見られたりします。
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今回はカート時代よりもっと前のハミルトンの特技について触れてみました。
https://youtu.be/knuYY8oiDZU
https://youtu.be/VaCXXJRUX9M
https://youtu.be/FiLoANg6nNY


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