F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

カテゴリ: 名車と迷車

miyabikun今、日本でも今週末にGPが行われるフランスでもなく(気分は)アメリカのオレゴン州にいます。F1が無い週末をいいことに、世界陸上のオレゴン大会に傾倒しております。時差は大きいものの、メインどころの競技が日本の遅めの午前中に観られるのが有難いです。昨年の東京オリンピックに出場できなかったサニブラウンは男子100m決勝に進出して健闘しましたね。miyabikun個人的に注目するのは惜しくも女子1,500mでは準決勝で敗退したものの、顔色一つ変えずロボットのような出立ちで中長距離を幅広くこなす田中希実です。織田裕二による司会も今回が最後だそうで、ちょっとそこは寂しいですね。世界陸上観ると、また走りたくなるんだよなあ。日本はまだ暑いし、マスクは取りたいけど(笑)

話題をF1に戻し、今回は少しご無沙汰していた「名車シリーズ」をやりたいと思います。最近は「ドライバーズチャンピオンを獲得した一つ前のシーズンのマシン」に注目してきたわけですが、1979年にフェラーリのシェクターが獲得する前のシーズンで使用された78年型フェラーリ312T3に着目します。

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《設計》
 マウロ・フォルギエリ

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《外見》
以前この「名車を振り返る」にて16/4/27に312T、18/10/14に312T4を特集しました。順番戻る形となりますが、今回はそのシリーズの三車種目です。基本的には名称にある通り、1975年に端を発する「312Tシリーズ」(3ℓ12気筒Trasversaleの略)の派生型。しかしシャシーをはじめ、エンジンやタイヤなど、前作312T2から大幅な改良を施したマシンとなっています。
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まずホイールベースは変わらず、全長は4,250mmと66mm縮められつつも、全幅は200mmもワイド化された2,130mmとなりました。フロントタイヤ内側は完全にサイドポンツーンの外側に配置されたことで、見た目から扁平かつワイド感が伝わってきます。
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この当時は実に様々なデザインコンセプトのマシンがある中、このマシンは両側の扁平なサイドポンツーンに「上を前」とした斜めにラジエーターを装備。暖気はリヤタイヤの前部上方に排出する形を採っています。ただし、ロータスとは異なり、グラウンドエフェクトカーではありませんでした。
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タイヤメーカーにも変更があり、これまで長らくかつ大多数のチームが採用してきたグッドイヤーに代わり、ミシュランにスイッチしています。
我々ファンからすれば、製造元くらいしか一見違いが無さそうな二社のタイヤですが、実は「タイヤの構造」自体に大きな違いがありました。グッドイヤーはバイアス構造を採用する一方、ミシュランはラジアル構造のタイヤです。
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保険会社のチューリッヒにわかりやすい画像がありますのでそれを拝借しますと、バイアス構造(左)はタイヤ内部を補強するカーカスが「回転方向に対して斜めに配置」されたもので、高荷重や耐衝撃に向いているのに対し、ラジアル構造(右)はカーカスが「タイヤの中心(車軸)から放射状に配置されており、柔軟かつ安定して高速走行に向いているという特性があります。
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カラーリングは歴代の312Tを継承した赤と白のツートンカラーにウィング類は無塗装アルミニウムのシルバーが採用されています。フェラーリのロゴやアジップの黄色が絶妙な存在感を示しています。

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《シャシー》
 全長:4,250mm
 全幅:2,130mm
 全高:1,010mm
 最低車体重量:580kg
 燃料タンク容量:200ℓ
 クラッチ: -
 ブレーキキャリパー: -
 ブレーキディスク・パッド: -
 サスペンション:フロント -
          リヤ  -
 ホイール: -
 タイヤ:ミシュラン

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《エンジン》
 フェラーリTipo015
  水平対向12気筒(V型12気筒・バンク角180度)
 排気量:2,991cc
 エンジン最高回転数:12,400rpm(推定)
 最大馬力:517馬力(推定) 
 スパークプラグ:
 燃料・潤滑油:アジップ

エンジンは初代312Tから全く変わらない水平対向12気筒のTipo015を継承していますが、改良を重ねて最高出力は15馬力程度向上しています。ちなみにTipo015は水平対向型をうたいつつ、実態は「V型12気筒バンク角180度」であり、スバル(旧 富士重工業)が得意とする「ボクサーエンジン」とは異なります。

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《ドライバー》1978年第3戦南アフリカGPから
 No.11 カルロス・ロイテマン(第3戦〜最終戦)
    ジョディ・シェクター (79年開幕戦,第2戦)
 No.12 ジル・ヴィルヌーブ (第3戦〜79年第2戦)

前年77年までエースとして君臨し、ドライバーズチャンピオンを獲得した直後に離脱したラウダに代わって、78年からはカナダ人の若手、G・ヴィルヌーブを引き続き起用。ロイテマンとのコンビネーションでシーズンに挑んでいます。
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また、この312T3は翌年79年の序盤2戦でも採用されており、ロータスへ移籍したロイテマンの後釜としてシェクターもドライブしています(今回は78年シーズンをメインに取り扱います)

《戦績》
 58ポイント コンストラクター2位
  ただし312T3としては49+翌年3=52ポイント
 (1位4回、3位4回、4位1回ほか)
 ポールポジション2回

開幕直後の2戦は前年マシンの312T2が使用されますが、ヴィルヌーブのドライビングスタイルとミシュランタイヤの特性に合わせるべく、サスペンション配置やシャシーも新造した312T3が第3戦南アフリカGPでデビュー。予選はヴィルヌーブが8番手、ロイテマンは9番手と中団に沈み、決勝も両者ともリタイヤで終えるなど、前途多難を思わせる苦い初戦に終わりますが、思いの外早いタイミングで真価を発揮していきます。
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マシンの2戦目となるロングビーチ市街地での第4戦アメリカ西GPではポールがロイテマン、2番手ヴィルヌーブというフロントロウを獲得。決勝のスタートはヴィルヌーブがダッシュを決めて先行しレース序盤に姿を消しますが、ロイテマンがしっかり走り抜き、4戦目にして2勝。このマシンでの初優勝を遂げます。
シーズン中盤はやや中弛みな成績が続くものの、ロイテマンはブランズハッチでの第10戦イギリスGP、ワトキンスグレンでの第15戦アメリカ東GPで優勝。そして期待の若手ヴィルヌーブは最終戦に迎えたイル・ノートルダム(現 ジル・ヴィルヌーブ)での母国カナダGPで予選3番手、決勝は2位に13秒以上差を付けた初優勝を獲得。ドライバーズ、コンストラクターズともロータスには遠く及ばないシーズンとなりましたが、この勝利はヴィルヌーブの地元にとって、そしてフェラーリにとっても未来明るい内容で終幕となりました。
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このシーズンはアンドレッティとピーターソンを擁し、ダブルチャンピオンを獲得したロータスが頭一つ突出した速さを持っており、シーズン通じて5勝を挙げたフェラーリでも太刀打ちできませんでした。それは何よりも、前年77年からロータスが取り入れたグラウンドエフェクトカーの導入、対応を見送ったことも大きかったでしょう。フェラーリは翌79年第3戦からグラウンドエフェクトを取り入れた改良型312T4をようやく導入、シェクターとヴィルヌーブのコンビでロータスを打破。ダブルチャンピオン獲得となったものの、この312T4も長らくフェラーリがこだわってきた水平対向12気筒(V型12気筒、バンク角180度)は幅の広い形状をしていたため、結局「理想的なグラウンドエフェクトカー」には至りませんでした。
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己の技術力、こだわりを追求するあたりが「フェラーリらしさ」とも言えますが、トレンドの導入が後手後手にまわり、いざ取り組んだ頃にはライバルはさらに先をいくという状況が続きました。ルノーに端を発する「ターボエンジンの導入」においても、ルノーの導入は77年、方やフェラーリは81年。全てが全て、必ずしもターボ導入がいいことばかりだけだとは限りませんが、それもまた「フェラーリらしさ」か。

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先日の「名車を振り返る」は前グラウンドエフェクトカー最終年にあたる1982年のブラバムBT50(BT49D)を扱いました。今回みていくチャンピオン獲得前の名車はウィリアムズにとって初代グラウンドエフェクトカーとなる79年型FW07になります。

《設計》
 パトリック・ヘッド
 ニール・オートレイ
 フランク・ダーニー

《外見》
「グラウンドエフェクト」(地面効果)を利用した技術やマシンは以前からありましたが、なかなか成功に至らず77年にロータスが成功に導いたことをきっかけにライバル達も追従、研究が進められました。

79年型FW07自体は78年末から「グラウンドエフェクトカー」として研究開発が進められていたものの、シーズンオフで完成できず、開幕戦アルゼンチンGPは79年を戦ったFW06を引き続き使用するという判断を下します。FW06は「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」というれっきとしたF1コンストラクターとしてパトリック・ヘッドが初めて手掛けたマシンであり、当然ながらノングラウンドエフェクトカーです。
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FW06はヘッドがウルフに在籍した時代のノウハウやコンセプトが盛り込まれていましたが、時代はグラウンドエフェクトを用いる時代を迎えていたため、チームとしても本意ではありませんでした。そこでシーズン1/3を消化するヨーロッパラウンド初戦、ハラマで行われる第5戦スペインGPでグラウンドエフェクトを盛り込んだFW07のデビューに踏み切ります。
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FW07は低めに角張ったサイドポンツーンにラジエター類を配置して「一枚羽根」のようなデザインに切り替えています。ぱっと見はグラウンドエフェクトの先駆けである78年型ロータス79に酷似しています。
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ノーズはオイルクーラーを移設し、開口を廃止。アルミ製ハニカム構造のモノコック一体型で強固に仕立て上げられました。
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サイドポンツーン側部は真っ直ぐ立ち上がり、今シーズン2022年型マシンでは許されていませんが、当時のグラウンドエフェクトカーの代名詞である「スライディングスカート」が備え付けられています。マシンのフロアと路面の間を走る速い気流を外部(ここでいうマシンの側面を走る気流)に対しリヤエンドまで気密状態にすることを目的としました。スカートについては後に可動の禁止やその材質、高さ、厚みなどに規制が加わっていきます。
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ウィリアムズのようなプライベートチームがF1に参戦する上で最も重要なことは「スポンサーを付けて資金を集めること」です。フランク・ウィリアムズは航空会社「サウディア」(サウジアラビア航空会社)やTAG(後のタグ・ホイヤー)など実際にはF1が開催されることの無いサウジアラビア企業を味方につけて資金繰りを行っています。マシンの白地に緑と青のラインは当時のサウディアの機体のカラーリングそのものです。
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《シャシー》
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:588kg
 燃料タンク容量: - ℓ
 クラッチ: -
 ブレーキキャリパー: -
 ブレーキディスク・パッド: -
 サスペンション:フロント -
          リヤ  -
 ホイール: -
 タイヤ:グッドイヤー

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《エンジン》
 フォード コスワースDFV
  V型8気筒・バンク角90度
 排気量:2,993cc
 エンジン最高回転数:10,800rpm(推定)
 最大馬力:485馬力(推定)
 スパークプラグ:チャンピオン
 燃料・潤滑油:モービル

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《ドライバー》FW07は第5戦スペインGPから
 No.27 アラン・ジョーンズ  (全戦)
 No.28 クレイ・レガッツォーニ(全戦)

ドライバーは前年までのジョーンズ一人体制からベテランのレガッツォーニを迎え、チームとしてさらなる戦闘力強化を図っています。
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《戦績》
 75ポイント コンストラクター2位
  ただしFW07としては71ポイント
 (1位5回、2位2回、3位2回、4位1回ほか)
 ポールポジション3回

1979年の開幕は前年使用したFW06が使用され、入賞はジョーンズによる第4戦アメリカ西GPでの3位1回に止まりました。そしてライバルから遅れること一年以上の時間を要し、ハラマでの第5戦スペインGPより、ウィリアムズ初のグラウンドエフェクトカーFW07が実戦走行を迎えます。
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初戦からいきなりグラウンドエフェクトカーによる飛躍がみられたというわけではなく、予選はFW06と大きく変わらずの13、14番手。決勝は両者ともリタイヤで終えています。ゾルダーで行われた翌第6戦ベルギーGPはジョーンズが予選で4番手を獲得、決勝は電気系トラブルにより惜しくもリタイヤとなりますが、第7戦モナコGPではレガッツォーニは予選16位から2位表彰台を獲得するなど、新車導入の成果が徐々に発揮し始めます。
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そして第9戦イギリスGPでジョーンズがチーム初となるポールポジションを獲得(ジョーンズ自身も初ポール)、予選4番手だったレガッツォーニがチーム初優勝を挙げ、ウィリアムズの母国レースに花を添えています。
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その後は初優勝がきっかけとなったか、成績が右肩上がりに転じ、ジョーンズが第10戦ドイツGPから三連勝を含めた4勝を挙げ、コンストラクターズランキングはリジェやロータスといった競合を上回る2位にランクアップ。ジョーンズはドライバーズランキングは3位を獲得しました。
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FW07での戦績は11戦中5勝、9表彰台、3回のポールポジションとなりました。この年のチャンピオンはフェラーリとシェクターによるダブルチャンピオンという形となった訳ですが、有効ポイントの計上が今とはだいぶ異なり「前半7戦から4戦分。後半8戦から4戦分の上位ポイントをカウントする」ものでした。チャンピオンを獲得したシェクターの前半は30ポイント、後半は21ポイントを数えて、トータルは51ポイント。一方でシーズン唯一の三連勝を挙げたジョーンズの前半はわずか4ポイント、後半は4勝分の36ポイントでトータル40ポイントと後半で稼ぐもシェクターに11ポイント上回っています。皆同じレギュレーション下でやっているため、公平や不公平などはありませんが、後半8戦だけでみたら、ジョーンズは誰よりもポイントを稼いだドライバーでした。つくづく序盤戦の「グラウンドエフェクトを期待しない」旧型マシンFW06での取りこぼしが悔やまれます。なお、チームメイトのレガッツォーニは前半6ポイント、後半23ポイントを獲得していることからも、このシーズンのウィリアムズのバイオリズムを象徴すると共に、FW07の戦闘力を知らしめるものでした。
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ただこの戦績は決して無駄なものではなく、ドライバーをレガッツォーニからロイテマンに代えた翌80年、改良型のFW07Bで臨んだジョーンズが5勝を挙げ、ウィリアムズ初のドライバーズおよびコンストラクターズの両チャンピオンを獲得。ウィリアムズは一気にトップチームに名乗りを挙げることとなりました。その足がかりとなったFW07はウィリアムズのみならずF1界でもれっきとした名車の一つに数えられます。

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今シーズンはいよいよ40年振りにF1にグラウンドエフェクトカーが復活します。マシンのフォルムやディテールも大きく変わり、現段階では全くの未知数ですね。今回の「名車を振り返る」も引き続きチャンピオンになる一台前にあたるマシンを取り上げてはいますが、名車というよりかは迷車、珍車に近いかもしれません。チャンピオンとチャンピオンの間に挟まれた地味なマシンでソースを集めるのに苦労しましたが、どうにかしてこのチームのを久々に取り上げたいと思い書きましたので読んでやって下さい、1982年のブラバムBT50(BT49D)です。時代は今と同じちょうどレギュレーションの過渡期、グラウンドエフェクトカー最終年のマシンになります。

《設計》
 ゴードン・マーレー
 デビッド・ノース

《外見》
1980年代のF1マシンといえばフェラーリの真紅をはじめ、マクラーレンやアルファロメオで使用されたマールボロの印象が強くありますが、miyabikun個人的にはブラバムの白をベースにスピード感ある濃紺の矢のようなカラーリングがシンプルで好きです。地味そうに見えて、過去のレースシーンを観ると意外と目立ちます。後付けですが、この二色のカラーリングが東海道新幹線(中央リニア新幹線)とどこか似ているものを感じます。
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まずは本来の82年マシンBT50からみていきます。フロントウィングが見当たりませんが、トラブルとかはなく元々無いのです。サーキットによってはウィングを付けているものもあります。
70年代末期にルノー(現 アルピーヌ)によってF1界にタービンを搭載した過給器「ターボ」が導入され、飛躍的にパワフルなエンジンが誕生しました。続いてワークスであるフェラーリもターボを搭載したことで「F1は高出力ターボの時代」に向かいつつありました。当時フォード(コスワース)を使用していたブラバムもその波に遅れまいとして、ドイツのBMWからの供給にこぎつけ、前年81年にBT49Bの改良型である「BT49T」と名付けられたマシンでBMWターボのテストを行っていました。冷却効率の強化やマシンの形状変更などを経て、82年シーズンからはBT49シリーズのマイナーチェンジではなく、BT50としてフルモデルチェンジを果たすこととなりました。
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白は膨張色であることもあってか、グラウンドエフェクトカー特有の扁平かつ角々しい印象が目立ちます。しかしこのチームには空力の奇才と呼ばれたマーレーがいます。ライバルに比べるとサイドポンツーン開口は低く、開口からはなだらかな弧を描き、リヤタイヤに近い高さまで持ち上がる、正しく「航空機の羽根」のようなフォルムをしています。

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BT49Dは前年にチャンピオンを獲得したBT49Cで搭載され、走行中に空気圧と油圧で車高を下げる「ハイドロニューマチックサスペンション」を除去。またグラウンドエフェクトカーの付き物である「スライディングスカート」を可動できるようにしました。さらにフロントノーズも前作(というか、本来はこちらが前作)BT50に近い作り込みとしているため、ぱっと見は酷似しています。
こちらがBT49Dで
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これがBT50。
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見かけ方としては、ドライバーの後ろにあるロールバーのまたさらに後ろ、エンジンカバーの部分が平坦(時にはカウルを外し、エンジン上部が剥き出し)なのと、濃紺の帯が細く続いているのがBT49D。エンジンカバーがこんもりとあり、ドライバー真横の帯に小さく「BMW」と書かれているのがBT50となります。この画像では見難いですね(笑)

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メインスポンサーはイタリアの牛乳加工メーカーのパルマラットです。これでもかと言わんばかりにマシンをどこから見ても見えますね。パルマラットといえば、この時代のブラバムや少し前の時代のニキ・ラウダを連想させます。

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《シャシー》
〈BT49D〉
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:580kg
 燃料タンク容量:220ℓ
 クラッチ: -
 ブレーキキャリパー: -
 ブレーキディスク・パッド: -
 サスペンション:フロント プルロッド
          リヤ    プルロッド
 ホイール: -
 タイヤ:グッドイヤー
〈BT50〉
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:585kg
 燃料タンク容量:220ℓ
 クラッチ: -
 ブレーキキャリパー: -
 ブレーキディスク・パッド: -
 サスペンション:フロント プルロッド
          リヤ    プルロッド
 ホイール: -
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
〈BT49D〉
 フォード コスワースDFV
  V型8気筒・バンク角90度
 排気量:2,993cc
 エンジン最高回転数:11,100rpm(推定)
 最大馬力:470馬力(推定) 
 燃料・潤滑油: -
〈BT50〉
 BMW M12/13
  直列4気筒・バンク角 - 度
  キューネ・コップ&カウス製ターボ
 排気量:1,500cc
 エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力:570馬力(公称)
 燃料・潤滑油:エルフ,バルボリン

ブラバムは長らくフォード・コスワースDFVを搭載し、前年81年はピケが初のチャンピオンを獲得しました。しかし時代は先述の通りルノーがF1に持ち込んだターボチャージャーによる「パワー合戦」が始まっていました。ブラバムはこの82年からBMWが今までF2マシンに搭載していたM12/13をF1用に改良、入念なテストを繰り返し、KKK社製ターボを搭載する決断をします。
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先発のルノーやフェラーリと異なる点として、前者はV型8気筒エンジンを用いたことに対し、BMWとブラバムは直列4気筒を採用してきたことです。以前のフォードのNAに比べ、パワー、トルクとも飛躍的に向上し、最高速度は向上したもののトラブルが頻発。結局シーズン序盤でフォードに換装し直す必要が出てしまいました。

《ドライバー》
 No.1 ネルソン・ピケ   (第4戦を除く全戦)
   ただし第2,3戦はBT49D、ほかBT50
 No.2 リカルド・パトレーゼ(第4戦を除く全戦)
   ただし第2,3,6〜8戦がBT49D、ほかBT50

ドライバーはF1ファンの誰もが知る有名な2人ですが、マシンの使用状況が異なるのが何ともややこしいです。この後の「戦績」にも書きますが、チャンピオンでチームのエースであるピケは全16戦中、BT50で13戦、BT49Dで2戦ドライブし、1戦の欠場があります。またパトレーゼはBT50で10戦、BT49Dで5戦ドライブして1戦欠場です。両者1戦の欠場は第4戦サンマリノGPとなっており、第2戦ブラジルGPで発覚した「ブレーキ冷却水の不正使用によるマシンの最低車体重量違反」(通称「水タンク事件」)の裁定を不服とし、ボイコットを行ったためです(ちなみに84年のティレルの件とは異なります)
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《戦績》
〈BT49D〉
 19ポイント コンストラクター9位
 (1位1回、2位1回、3位1回ほか)
 ポールポジション0回
〈BT50〉
 22ポイント コンストラクター7位
 (1位1回、2位1回、4位1回、5位2回ほか)
 ポールポジション1回
※チームやドライバーはどちらも同じですが、
 コンストラクターとしては別扱いとなります

投入時期については名称の数字の通り、前年BT49Cに続いてBMWエンジン初搭載となるBT50で開幕戦南アフリカGPに臨んでいます。ターボのパワーを引っ提げ、予選はルノーターボのアルヌーに次ぐピケが2番手、パトレーゼ4番手と好位置を獲得します。ところが決勝ではパトレーゼのターボがレース序盤の18周で根を上げ、ピケも同様に自身のミスにより早々と戦線離脱するなど、苦い幕開けとなりました。入念にテストを行ってきたにも関わらず、ターボの信頼性が乏しいとされ、第2戦ブラジルGPは再びフォード・コスワースV8NAに換装。前年のBT49Cに改良を施したBT49Dでの戦いを強いられます。
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ただそのブラジルGPもフォード・コスワースを搭載したBT49D(ほかマクラーレン、ウィリアムズも)は先述「ブレーキ冷却用として用いた水でマシン重量の不正を行った」として、ピケの優勝を剥奪され、不服とした各チームが第4戦サンマリノGPをボイコットするという出来事を招いてしまいました。その後ピケはゾルダーで行われた第5戦ベルギーGPで再びBT50を採用、予選10番手から5位入賞して最終戦アメリカGP(ラスベガス)まで戦い抜いています。一方パトレーゼもBT50をドライブするもレース後半にリタイヤ、再びBT49Dに戻して第8戦カナダGPまで使用しました。
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初っ端からマシントラブル(主にターボ)、改良を施すも旧型マシンと旧型エンジンに戻して、裏では眉唾モノをしでかして失格とボイコットという前年チャンピオンチームらしからぬシーズンですが、表彰台はBT50で2回、BT49Dで3回とトータルで5回あります。面白いのはその内訳です。ピケは第8戦カナダGP優勝、続く第9戦オランダGPの2位をBT50で挙げました。パトレーゼは第6戦モナコGPで優勝のほか、ピケの優勝したカナダGPの2位とロングビーチでのアメリカ西GPで挙げた3位はBT49Dによるものとドライバーで戦績がくっきり分かれました。
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特にカナダGPはブラバムのワンツーフィニッシュなのに「マシンもエンジンも違う=別コンストラクター扱い」というのが現代のF1ではあり得ないことですね。

このBT50は近代F1で「戦略の肝」とされるある出来事を持ち込んだことで有名です。それはコレ。
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ピットシーンですが、ここに注目!
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そう、F1の決勝レース中に再給油を行っているんです。現在のレギュレーションでは禁止されていますが、一昔前までは再給油ができたため、軽いタンクでペースを上げ、再給油するタイミングとその戦略が多くのドラマを生んできましたよね。その戦略は第10戦イギリスGPで敢行。このマシンとマーレーのアイデアから生み出されたものでした。

それ以外だとホッケンハイムリンクで行われた第12戦ドイツGPのあるシーンが有名です。
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18周目にトップを走るピケはATSのサラザールを周回遅れにしようとしています。
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ところがシケイン入口でサラザールと接触して両者リタイヤ。
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サラザールはピケが目をかけた後輩の一人。両者の目が合い、ピケが怒り心頭でサラザールに近付いていく。
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アーンパーンチ!この時のマシンが今回のBT50でした。ぶっちゃけ、マシンよりこっちの方が有名そう(笑)
燃えたりぶっ刺したり、殴ったり蹴ったりの82年シーズンはウィリアムズのK・ロズベルグがわずか1勝でチャンピオンに輝くなど異例なシーズンとグラウンドエフェクトカー最終年となりました。ブラバムはせっかくターボにチャレンジしたにも関わらず、以前まで使用していたノンターボのフォード・コスワースに獲られたというのも皮肉な話です。第2戦の「水タンク事件」が悔やまれます。あ、でも2位も失格となったロズベルグでしたね、やっぱりわからんぞ?!
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チャンピオンから一気に中団に埋もれることになったのは、思い切ったピットでの給油戦略やターボエンジンへのスイッチ以上に、シーズンが開幕してから判明した度重なるトラブルや弱点が露呈されたことに尽きます。まず入念なテストを行ったにも関わらず、ターボが思いの外不調で、いくつかのレースを落としました。またターボによる出力強化は成功したものの、基本は「BT49シリーズの改良版」ということで、シャシーがついていけていないという状況にも陥りました。シャシーに関してはアルミ製モノコックに部分的にカーボンで補強するなどの対策は講じていますが、70年代後半から引き続き使用していたヒューランド製のギヤボックスも強度不足によりだいぶ足かせになりました。

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攻めの姿勢、技術の向上、戦略の奇策はF1には必要不可欠です。ただレギュレーションの抜け穴を見つけるだけでなく「マシンそのものの落ち度」を予め潰しておけるかも重要。チャンピオン獲得から一転、わずか1勝のライバルに防衛を阻まれ「大失敗のチャレンジャー」となったブラバムは翌83年に施行されるグラウンドエフェクト禁止に向けて、シャシーナンバーを一つ飛ばした奇抜なデザインのBT52で再起を狙うのでした。

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前回の1991年からまた4年ほど遡り、今回は87年の「チャンピオンまであと一歩のマシン」を追いかけていきます。マクラーレンMP4/3です。日本のF1ファンのみならず、全世界的に翌年88年のMP4/4は超有名マシンであり、前年までのMP4/2シリーズも紛れもないチャンピオンマシンのため、間に挟まれたこのMP4/3は地味ですよね。ただ普通の地味ではない、地味でも名車、翌年に再びチャンピオンに返り咲く要素はしっかり備えていました。

《設計》
 スティーブ・ニコルズ
(ジョン・バーナード)

前年のMP4/2Cまではジョン・バーナードの指揮下で開発が進められました。しかしこの87年からはフェラーリに移籍したため、バーナードに従事したスティーブ・ニコルズが主体となって引き続きMP4/3を作り上げています。そしてブラバムでチャンピオンマシンを手掛けてきた「空力の鬼才」ゴードン・マーレーがマクラーレンに加入したことで、以降のマシン(つまりMP4/4)にマーレーのセンスが存分に取り入れられていくこととなります。

《外見》
随分前に取り扱ったMP4/2シリーズの時も書きましたが、我々日本のF1ファンは特にこの時代のマクラーレンといえば88年型のMP4/4のフォルムが目に焼き付いていると思います。このMP4/3はそれの一年前にあたるモデルではあるものの、カラーリング以外は似て非なるものに見えますよね。そう見える一番の原因は太く短いノーズです。後継機のMP4/4はエンジン規定の違いもさることながら、前方のクラッシャブルゾーンの確保のため「各種ペダルはフロントアクスル(前輪)より後ろ」と定められたため、モノコック前方が細く長く引き伸ばされ、ホイールベース(前後輪間距離)も2,794mmから2,875mmに延長しています。この時代のマシンのドライビングポジションが如何に前方寄りで危険度が高かったことがわかります。
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今でこそ後継機との比較ができてしまいますが、前作MP4/2シリーズとの違いはどこにあるのかをみていきます。前作まではジョン・バーナードが主体となり、この年からはフェラーリに移籍したため、マクラーレンの所属ではなくなったものの、バーナードの下で共に働いたニコルズが引き継いだこともあり、マシンコンセプトやディテールなど基本的な大きな差はありません。
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外見でよくわかる違いとしては、ドライバー後方のエンジンカバーの膨らみがだいぶスリムとなりました。ヘッドレストあたりの断面はカラーリングも相まって、段差の付いた「雪だるま」のような感じ。
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またサイドポンツーン上端も開口付近から一度上部に持ち上がって、リヤエンドに向かいなだらかなカーブを描いていたMP4/2シリーズに比べ、このMP4/3は低く路面と平行に平らになっています。ニコルズはチャンピオンを獲得したMP4/2シリーズの流れを汲みつつ、少しでもダウンフォースを得られるような小変更に留めてきました。再び後継機の話に戻すと、この低く平らなサイドポンツーンはMP4/4に相通ずるところもあります。ゴードン・マーレーが本格的に手掛けたMP4/4はマーレーが推した「フラットフィッシュ」と呼ばれる低く平らにする思想が存分に盛り込まれたマシンでした。バーナードからマーレーに、このMP4/3は2人のビッグデザイナーの間に挟まれた「変形の最中」のマシンであったことがデザインからも充分読み取れます。
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カラーリングはお馴染みのマールボロです。オイル供給のシェルと併せて非常に有名だけど至ってシンプル。ガチャガチャと小口のスポンサーを連ねたチームもありますが、マクラーレンはこのカラーリングとスポンサーで充分目立ち、速さと強さもあり、インパクトは抜群です。

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《シャシー》
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:540kg
 燃料タンク容量:195ℓ(ターボ車上限値)
 クラッチ: - ブレーキキャリパー: -
 ブレーキディスク・パッド: -
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール: -
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 TAG TTE PO1(ポルシェ製)
  V型6気筒・バンク角80度
  キューネ・コップ&カウス製ツインターボ
 排気量:1,496cc
 エンジン最高回転数:11,100rpm(推定)
 最大馬力:750馬力(推定)
 燃料・潤滑油:シェル

エンジンの実態としては1983年からドイツのスポーツカーメーカーであるポルシェで製造されているものの、ポルシェからの直接供給ではなくそれらには一貫してサウジアラビアの企業である「TAG」のバッジネームが付けられています。近年でいうレッドブルの「タグホイヤー(ルノー)」と同じですね。
前年のチャンピオンマシンMP4/2Cに搭載されたものと同じツインターボを装着したTAG TTE PO1が使用されていますが、この年から「最大過給圧が4bar(4気圧)に制限」されたため、過給時の最大馬力は低下。さらには「ターボ車の燃料搭載量は195ℓに制限」(ちなみにNA車は220ℓ)となったため、パワーと引き換えに「低燃費走行」を強いられることとなりました。

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《ドライバー》
 No.1 アラン・プロスト   (全戦)
 No.2 ステファン・ヨハンソン(全戦)

前年86年はチームメイトであったK・ロズベルグの助けも借り、ウィリアムズのマンセルに対して辛勝、二連覇を達成したプロスト。このシーズンから引退したロズベルグに代わり、フェラーリから歳下のヨハンソンを招き入れ、プロストの三連覇、チームとしては四連覇への期待がかかります。

《戦績》
 76ポイント コンストラクター2位
 (1位3回、2位3回、3位6回、4位1回ほか)
 ポールポジション0回

アデレイド市街地での開幕戦オーストラリアGPは二年連続のディフェンディングとして挑んだプロストが予選5番手からの優勝、ヨハンソンは予選10番手から3位表彰台獲得。第3戦ベルギーGPも予選こそ平凡だったものの、決勝のプロストは6番手スタートからの優勝、ヨハンソンも10番手スタートから2位となり、と幸先のよい序盤戦となります。
ところがシーズン中盤に入ると、優勝はおろか、表彰台登壇がやっとの状態が続きます。ヨハンソンはホッケンハイムでのドイツGPで2位を獲得しますが、エースのプロストは第4戦モナコGPから第11戦イタリアGPまでの8戦で3位3回に止まり、チャンピオン争いからは完全に脱落してしまいます。
その後プロストはエストリルでの第12戦ポルトガルGPで予選3番手を獲得。マシントラブルしたマンセルとレース終盤でフェラーリのベルガーを振り切ってシーズン3勝目を獲得。この勝利がポルシェエンジンのF1最終優勝であり、プロスト自身は当時のF1最多勝であったスチュワートの27勝を上回る、28勝目となり最多勝の単独トップを記録しました(その後51勝まで数を伸ばすものの、2000年代でM・シューマッハの91勝、さらに先日のロシアGPではハミルトンが100勝まで伸ばしました。この28勝目や生涯51勝が霞んでしまいますね)ヨハンソンは鈴鹿で初開催となる第15戦日本GPでの3位を最後にポイントの積み上げができず、結局前年チャンピオンのプロストはピケ、マンセル のウィリアムズ勢に加え、ウィリアムズと同様にホンダエンジンを載せるロータスのセナに上回られたドライバーズランキング4位に陥落。コンストラクターズランキングも前年と同様にウィリアムズ対して大敗し、さらには3位のロータスに詰め寄られる形でシーズンを終えています。

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先程の戦績からもわかる通り、このマシンにおいてポールポジションは一度も無く、シーズン通して速さをみせたのは前年のコンストラクターズチャンピオンであるウィリアムズ・ホンダでした。全16戦のうち、ウィリアムズが獲得したポールポジションは12回(ピケ4回、マンセル8回)その上、肝心のドライバーズチャンピオンは最多6回の優勝を果たしたウィリアムズのマンセルではなく、プロストと同じ3勝ながらシーズン後半に上位入賞を続けたピケに渡っています。パワーはポルシェではなくホンダの勢いに押されてしまいました。また、いかに速さがあっても、年間通じた安定性が無いとF1でチャンピオンは獲得できないということを体現したかのようなシーズンでした。
さらにマクラーレン敗北のもう一つの理由として、ポルシェエンジン最終年の低迷、信頼性不足が足かせとなりました。第8戦ドイツGPはレース終盤ではトップを走行するシーンがあったにも関わらず、オルタネーターの不具合によりレース残り5周でストップ(レースは一応7位完走扱い)と、優勝も狙えたレースを落としています。ヨハンソンが最終表彰台獲得となった第15戦日本GPもプロストは2番手スタートながらパンクに見舞われて後退。ファステストラップで猛追するも7位入賞圏外で終えるという「運気の無さ」もシーズン各所にみられました。
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そんなマクラーレンの朗報といえば、翌88年にはウィリアムズに代わってホンダエンジンを獲得することに成功。ほか、ドライバーもヨハンソンに代わり、株価急上昇中の若手セナの獲得で改めてチャンピオン返り咲きを図ります。このマシンは翌年型MP4/4がシェイクダウンする直前までホンダエンジンを換装した「MP4/3B」に改造。ブラバムより新加入したゴードン・マーレーの思想を加えられつつ、このマシンは常勝マクラーレンの「影の功労者」に形を変えることで役目を終えています。

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名車シリーズはフェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズ、ベネトンときて、またウィリアムズです。まさにF1四強時代を遡っています。トップチームがこの時代のようにひしめき合ってくれると盛り上がりますね。今回のウィリアムズは1991年型のFW14。あれBは?!Bではありません。Bはいつでもできますから(笑)

《設計》
 パトリック・ヘッド

 エイドリアン・ニューウェイ


1980年代終盤のマーチで空力処理に長け、著名デザイナーの仲間入りを果たしたニューウェイがこのマシンから開発に加わり、ウィリアムズはこれまでの「パワーありき」でないマシン作りを目指していきます。


《外見》
フロントセクションは古き良きスラントノーズです。ただし付け根は若干浮き上がり、当時流行となっていたアンヘドラルウィングとなっています。
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特徴的なのは翼端板が後方まで湾曲して伸び、ヴォルテックスジェネレーター(過流生成器)と組み合わせてフロントタイヤの乱流制御を担っています。こちらは前年90年のフェラーリに端を発する技術です。前作FW13Bよりもショートホイールベース化を図り、ダンパーは水平配置として少しでも空力効率を向上。さらにエンジンから排出される熱気をうまくディフューザーとリヤウィングの空間に流し込むリヤエンドの処理など正にニューウェイイズムが盛り込まれています。IMG_1859

このマシン最大の特徴はフェラーリに続く導入に踏み切った「セミオートマチックトランスミッション」です。今までのマニュアル車にあるギヤシフトをステアリング裏面のパドルで行うというもの。ウィリアムズは横置きされたトランスミッションを油圧で動作させています。
当時のウィリアムズのカラーリングは紺と黄色と白の3色の組み合わせ。赤文字のキヤノンが映えます。一般的にエアインテークからエンジンカバーにかけてキャメルの黄色が配置されていますが、開幕戦アメリカGPと第2戦ブラジルGPはキヤノンの白地に赤文字が記されたこともあります。ちょっとレア色。

《シャシー》
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:505kg
 燃料タンク容量:220ℓ
 クラッチ:AP
 ブレーキキャリパー:AP

 ブレーキディスク・パッド:カーボンインダストリー

 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール:フォンドメタル
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 ルノー RS3,RS3B
  V型10気筒・バンク角67度
 排気量:3,493cc
 エンジン最高回転数:14,400rpm(推定)
 最大馬力:770馬力(推定)
 スパークプラグ:チャンピオン
 燃料・潤滑油:エルフ

IMG_1863
《ドライバー》
 No.5 ナイジェル・マンセル(全戦)
 No.6 リカルド・パトレーゼ(全戦)

ドライバーはブーツェンに代わってこの年からマンセルが加入。2年振りの復帰で同じコンビネーションとなり打倒マクラーレンに挑みます。

《戦績》
 125ポイント コンストラクター2位
 (1位7回、2位6回、3位4回、5位3回ほか)
 ポールポジション6回

フェニックス市街地で行われた開幕戦アメリカGPはマクラーレンのセナ、フェラーリのプロストに続く3番手パトレーゼ、4番手マンセルのラインナップで迎え、決勝は2台ともギヤボックス故障によるリタイヤでスタートしました。序盤はパトレーゼが予選で奮起し、第2戦ブラジルGP、第3戦サンマリノGPでセナに次ぐ予選2番手と速さをみせますが、マンセルはリタイヤが続いて第4戦モナコGPまで4戦連続のポールトゥウィンを決められるなど、マクラーレンから大きな遅れとなります。

第2戦で2位表彰台を獲得したパトレーゼはマンセルに比べ好調であり、第5戦カナダGPから第7戦フランスGPまで3戦連続のポールポジションを獲得し、速さではマクラーレンに食ってかかる位置につけ、第6戦メキシコGPでようやくシーズン初優勝を飾りました。しかしフロントセクションに改良を施したヨーロッパラウンド初戦の第7戦フランスGPはポールポジションのパトレーゼが失速。代わって優勝を挙げたマンセルと主役は徐々にマンセルに傾くようになってきます。

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マンセルはカナダGPの残り半周まで優勝を確実視していましたが、シケインを過ぎたあたりから突如失速(実態は観客の声援に応えた際のマンセルの操作ミス)と何ともマンセルらしい「恥ずかしい6位入賞扱い」を経験。フランスGPでの優勝を皮切りに第8戦イギリスGP、第9戦ドイツGPを制し、以降も優勝や表彰台にも顔をみせます。一方でマシントラブルによるリタイヤも多く、結果的にチーム全体で7勝を挙げつつもマンセルはセナから24ポイント引き離されたランキング2位、パトレーゼはマンセルから19ポイント離れた3位でシーズンを終え、7勝を一人で飾ったセナに完敗してしまいました。IMG_1864
細かくみた戦績が興味深く、マンセルとパトレーゼの優勝を含めた表彰台登壇数は全32回中17回とシーズンの半分は登壇している計算になります。ところがリタイヤの数は2人合わせて11回(うち、マンセルの失格1回を含む)であり、残る4回が5位と6位の入賞圏内ということになりますが、リタイヤの割合も非常に高いのが特徴的です。FW14はいわば「表彰台かリタイヤか」の両極端なマシンでした。その原因の一つは構想から一年半の歳月を経て投入したセミオートマトランスミッションにまつわるトラブルというのがまた皮肉なもの。
またこの当時のウィリアムズといえばマンセルがエース、パトレーゼはセカンドドライバーである印象が強くあります。しかしこのシーズン序盤はパトレーゼの方が先に2位表彰台を獲得、優勝も先であり、ポールポジション獲得数もパトレーゼが4回に対してマンセルは2回と「パトレーゼの方がFW14を早くから速く走らせることに馴染んでいた」とも言えます。


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シーズン序盤に多発したマシントラブルでのリタイヤが響き、マクラーレンとセナに完敗したウィリアムズは最終戦オーストラリアGPのTカーにアクティブサスペンションを搭載した「Bスペック」つまりFW14Bを持ち込んでいます。このマシンが翌年F1界を席巻するとはまだ誰も予想していません。最強ウィリアムズ計画はこの91年から秘密裏に始まっていたのです。

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