miyabikun今、日本でも今週末にGPが行われるフランスでもなく(気分は)アメリカのオレゴン州にいます。F1が無い週末をいいことに、世界陸上のオレゴン大会に傾倒しております。時差は大きいものの、メインどころの競技が日本の遅めの午前中に観られるのが有難いです。昨年の東京オリンピックに出場できなかったサニブラウンは男子100m決勝に進出して健闘しましたね。miyabikun個人的に注目するのは惜しくも女子1,500mでは準決勝で敗退したものの、顔色一つ変えずロボットのような出立ちで中長距離を幅広くこなす田中希実です。織田裕二による司会も今回が最後だそうで、ちょっとそこは寂しいですね。世界陸上観ると、また走りたくなるんだよなあ。日本はまだ暑いし、マスクは取りたいけど(笑)
話題をF1に戻し、今回は少しご無沙汰していた「名車シリーズ」をやりたいと思います。最近は「ドライバーズチャンピオンを獲得した一つ前のシーズンのマシン」に注目してきたわけですが、1979年にフェラーリのシェクターが獲得する前のシーズンで使用された78年型フェラーリ312T3に着目します。
《設計》
マウロ・フォルギエリ
《外見》
以前この「名車を振り返る」にて16/4/27に312T、18/10/14に312T4を特集しました。順番戻る形となりますが、今回はそのシリーズの三車種目です。基本的には名称にある通り、1975年に端を発する「312Tシリーズ」(3ℓ12気筒Trasversaleの略)の派生型。しかしシャシーをはじめ、エンジンやタイヤなど、前作312T2から大幅な改良を施したマシンとなっています。
まずホイールベースは変わらず、全長は4,250mmと66mm縮められつつも、全幅は200mmもワイド化された2,130mmとなりました。フロントタイヤ内側は完全にサイドポンツーンの外側に配置されたことで、見た目から扁平かつワイド感が伝わってきます。
この当時は実に様々なデザインコンセプトのマシンがある中、このマシンは両側の扁平なサイドポンツーンに「上を前」とした斜めにラジエーターを装備。暖気はリヤタイヤの前部上方に排出する形を採っています。ただし、ロータスとは異なり、グラウンドエフェクトカーではありませんでした。
タイヤメーカーにも変更があり、これまで長らくかつ大多数のチームが採用してきたグッドイヤーに代わり、ミシュランにスイッチしています。
我々ファンからすれば、製造元くらいしか一見違いが無さそうな二社のタイヤですが、実は「タイヤの構造」自体に大きな違いがありました。グッドイヤーはバイアス構造を採用する一方、ミシュランはラジアル構造のタイヤです。
保険会社のチューリッヒにわかりやすい画像がありますのでそれを拝借しますと、バイアス構造(左)はタイヤ内部を補強するカーカスが「回転方向に対して斜めに配置」されたもので、高荷重や耐衝撃に向いているのに対し、ラジアル構造(右)はカーカスが「タイヤの中心(車軸)から放射状に配置されており、柔軟かつ安定して高速走行に向いているという特性があります。
カラーリングは歴代の312Tを継承した赤と白のツートンカラーにウィング類は無塗装アルミニウムのシルバーが採用されています。フェラーリのロゴやアジップの黄色が絶妙な存在感を示しています。
《シャシー》
全長:4,250mm
全幅:2,130mm
全高:1,010mm
最低車体重量:580kg
燃料タンク容量:200ℓ
クラッチ: -
ブレーキキャリパー: -
ブレーキディスク・パッド: -
サスペンション:フロント -
リヤ -
ホイール: -
タイヤ:ミシュラン
《エンジン》
フェラーリTipo015
水平対向12気筒(V型12気筒・バンク角180度)
排気量:2,991cc
エンジン最高回転数:12,400rpm(推定)
最大馬力:517馬力(推定)
スパークプラグ:
燃料・潤滑油:アジップ
エンジンは初代312Tから全く変わらない水平対向12気筒のTipo015を継承していますが、改良を重ねて最高出力は15馬力程度向上しています。ちなみにTipo015は水平対向型をうたいつつ、実態は「V型12気筒バンク角180度」であり、スバル(旧 富士重工業)が得意とする「ボクサーエンジン」とは異なります。
《ドライバー》1978年第3戦南アフリカGPから
No.11 カルロス・ロイテマン(第3戦〜最終戦)
ジョディ・シェクター (79年開幕戦,第2戦)
No.12 ジル・ヴィルヌーブ (第3戦〜79年第2戦)
前年77年までエースとして君臨し、ドライバーズチャンピオンを獲得した直後に離脱したラウダに代わって、78年からはカナダ人の若手、G・ヴィルヌーブを引き続き起用。ロイテマンとのコンビネーションでシーズンに挑んでいます。
また、この312T3は翌年79年の序盤2戦でも採用されており、ロータスへ移籍したロイテマンの後釜としてシェクターもドライブしています(今回は78年シーズンをメインに取り扱います)
《戦績》
58ポイント コンストラクター2位
ただし312T3としては49+翌年3=52ポイント
(1位4回、3位4回、4位1回ほか)
ポールポジション2回
開幕直後の2戦は前年マシンの312T2が使用されますが、ヴィルヌーブのドライビングスタイルとミシュランタイヤの特性に合わせるべく、サスペンション配置やシャシーも新造した312T3が第3戦南アフリカGPでデビュー。予選はヴィルヌーブが8番手、ロイテマンは9番手と中団に沈み、決勝も両者ともリタイヤで終えるなど、前途多難を思わせる苦い初戦に終わりますが、思いの外早いタイミングで真価を発揮していきます。
マシンの2戦目となるロングビーチ市街地での第4戦アメリカ西GPではポールがロイテマン、2番手ヴィルヌーブというフロントロウを獲得。決勝のスタートはヴィルヌーブがダッシュを決めて先行しレース序盤に姿を消しますが、ロイテマンがしっかり走り抜き、4戦目にして2勝。このマシンでの初優勝を遂げます。
シーズン中盤はやや中弛みな成績が続くものの、ロイテマンはブランズハッチでの第10戦イギリスGP、ワトキンスグレンでの第15戦アメリカ東GPで優勝。そして期待の若手ヴィルヌーブは最終戦に迎えたイル・ノートルダム(現 ジル・ヴィルヌーブ)での母国カナダGPで予選3番手、決勝は2位に13秒以上差を付けた初優勝を獲得。ドライバーズ、コンストラクターズともロータスには遠く及ばないシーズンとなりましたが、この勝利はヴィルヌーブの地元にとって、そしてフェラーリにとっても未来明るい内容で終幕となりました。
このシーズンはアンドレッティとピーターソンを擁し、ダブルチャンピオンを獲得したロータスが頭一つ突出した速さを持っており、シーズン通じて5勝を挙げたフェラーリでも太刀打ちできませんでした。それは何よりも、前年77年からロータスが取り入れたグラウンドエフェクトカーの導入、対応を見送ったことも大きかったでしょう。フェラーリは翌79年第3戦からグラウンドエフェクトを取り入れた改良型312T4をようやく導入、シェクターとヴィルヌーブのコンビでロータスを打破。ダブルチャンピオン獲得となったものの、この312T4も長らくフェラーリがこだわってきた水平対向12気筒(V型12気筒、バンク角180度)は幅の広い形状をしていたため、結局「理想的なグラウンドエフェクトカー」には至りませんでした。
己の技術力、こだわりを追求するあたりが「フェラーリらしさ」とも言えますが、トレンドの導入が後手後手にまわり、いざ取り組んだ頃にはライバルはさらに先をいくという状況が続きました。ルノーに端を発する「ターボエンジンの導入」においても、ルノーの導入は77年、方やフェラーリは81年。全てが全て、必ずしもターボ導入がいいことばかりだけだとは限りませんが、それもまた「フェラーリらしさ」か。
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話題をF1に戻し、今回は少しご無沙汰していた「名車シリーズ」をやりたいと思います。最近は「ドライバーズチャンピオンを獲得した一つ前のシーズンのマシン」に注目してきたわけですが、1979年にフェラーリのシェクターが獲得する前のシーズンで使用された78年型フェラーリ312T3に着目します。
《設計》
マウロ・フォルギエリ
《外見》
以前この「名車を振り返る」にて16/4/27に312T、18/10/14に312T4を特集しました。順番戻る形となりますが、今回はそのシリーズの三車種目です。基本的には名称にある通り、1975年に端を発する「312Tシリーズ」(3ℓ12気筒Trasversaleの略)の派生型。しかしシャシーをはじめ、エンジンやタイヤなど、前作312T2から大幅な改良を施したマシンとなっています。
まずホイールベースは変わらず、全長は4,250mmと66mm縮められつつも、全幅は200mmもワイド化された2,130mmとなりました。フロントタイヤ内側は完全にサイドポンツーンの外側に配置されたことで、見た目から扁平かつワイド感が伝わってきます。
この当時は実に様々なデザインコンセプトのマシンがある中、このマシンは両側の扁平なサイドポンツーンに「上を前」とした斜めにラジエーターを装備。暖気はリヤタイヤの前部上方に排出する形を採っています。ただし、ロータスとは異なり、グラウンドエフェクトカーではありませんでした。
タイヤメーカーにも変更があり、これまで長らくかつ大多数のチームが採用してきたグッドイヤーに代わり、ミシュランにスイッチしています。
我々ファンからすれば、製造元くらいしか一見違いが無さそうな二社のタイヤですが、実は「タイヤの構造」自体に大きな違いがありました。グッドイヤーはバイアス構造を採用する一方、ミシュランはラジアル構造のタイヤです。
保険会社のチューリッヒにわかりやすい画像がありますのでそれを拝借しますと、バイアス構造(左)はタイヤ内部を補強するカーカスが「回転方向に対して斜めに配置」されたもので、高荷重や耐衝撃に向いているのに対し、ラジアル構造(右)はカーカスが「タイヤの中心(車軸)から放射状に配置されており、柔軟かつ安定して高速走行に向いているという特性があります。
カラーリングは歴代の312Tを継承した赤と白のツートンカラーにウィング類は無塗装アルミニウムのシルバーが採用されています。フェラーリのロゴやアジップの黄色が絶妙な存在感を示しています。
《シャシー》
全長:4,250mm
全幅:2,130mm
全高:1,010mm
最低車体重量:580kg
燃料タンク容量:200ℓ
クラッチ: -
ブレーキキャリパー: -
ブレーキディスク・パッド: -
サスペンション:フロント -
リヤ -
ホイール: -
タイヤ:ミシュラン
《エンジン》
フェラーリTipo015
水平対向12気筒(V型12気筒・バンク角180度)
排気量:2,991cc
エンジン最高回転数:12,400rpm(推定)
最大馬力:517馬力(推定)
スパークプラグ:
燃料・潤滑油:アジップ
エンジンは初代312Tから全く変わらない水平対向12気筒のTipo015を継承していますが、改良を重ねて最高出力は15馬力程度向上しています。ちなみにTipo015は水平対向型をうたいつつ、実態は「V型12気筒バンク角180度」であり、スバル(旧 富士重工業)が得意とする「ボクサーエンジン」とは異なります。
《ドライバー》1978年第3戦南アフリカGPから
No.11 カルロス・ロイテマン(第3戦〜最終戦)
ジョディ・シェクター (79年開幕戦,第2戦)
No.12 ジル・ヴィルヌーブ (第3戦〜79年第2戦)
前年77年までエースとして君臨し、ドライバーズチャンピオンを獲得した直後に離脱したラウダに代わって、78年からはカナダ人の若手、G・ヴィルヌーブを引き続き起用。ロイテマンとのコンビネーションでシーズンに挑んでいます。
また、この312T3は翌年79年の序盤2戦でも採用されており、ロータスへ移籍したロイテマンの後釜としてシェクターもドライブしています(今回は78年シーズンをメインに取り扱います)
《戦績》
58ポイント コンストラクター2位
ただし312T3としては49+翌年3=52ポイント
(1位4回、3位4回、4位1回ほか)
ポールポジション2回
開幕直後の2戦は前年マシンの312T2が使用されますが、ヴィルヌーブのドライビングスタイルとミシュランタイヤの特性に合わせるべく、サスペンション配置やシャシーも新造した312T3が第3戦南アフリカGPでデビュー。予選はヴィルヌーブが8番手、ロイテマンは9番手と中団に沈み、決勝も両者ともリタイヤで終えるなど、前途多難を思わせる苦い初戦に終わりますが、思いの外早いタイミングで真価を発揮していきます。
マシンの2戦目となるロングビーチ市街地での第4戦アメリカ西GPではポールがロイテマン、2番手ヴィルヌーブというフロントロウを獲得。決勝のスタートはヴィルヌーブがダッシュを決めて先行しレース序盤に姿を消しますが、ロイテマンがしっかり走り抜き、4戦目にして2勝。このマシンでの初優勝を遂げます。
シーズン中盤はやや中弛みな成績が続くものの、ロイテマンはブランズハッチでの第10戦イギリスGP、ワトキンスグレンでの第15戦アメリカ東GPで優勝。そして期待の若手ヴィルヌーブは最終戦に迎えたイル・ノートルダム(現 ジル・ヴィルヌーブ)での母国カナダGPで予選3番手、決勝は2位に13秒以上差を付けた初優勝を獲得。ドライバーズ、コンストラクターズともロータスには遠く及ばないシーズンとなりましたが、この勝利はヴィルヌーブの地元にとって、そしてフェラーリにとっても未来明るい内容で終幕となりました。
このシーズンはアンドレッティとピーターソンを擁し、ダブルチャンピオンを獲得したロータスが頭一つ突出した速さを持っており、シーズン通じて5勝を挙げたフェラーリでも太刀打ちできませんでした。それは何よりも、前年77年からロータスが取り入れたグラウンドエフェクトカーの導入、対応を見送ったことも大きかったでしょう。フェラーリは翌79年第3戦からグラウンドエフェクトを取り入れた改良型312T4をようやく導入、シェクターとヴィルヌーブのコンビでロータスを打破。ダブルチャンピオン獲得となったものの、この312T4も長らくフェラーリがこだわってきた水平対向12気筒(V型12気筒、バンク角180度)は幅の広い形状をしていたため、結局「理想的なグラウンドエフェクトカー」には至りませんでした。
己の技術力、こだわりを追求するあたりが「フェラーリらしさ」とも言えますが、トレンドの導入が後手後手にまわり、いざ取り組んだ頃にはライバルはさらに先をいくという状況が続きました。ルノーに端を発する「ターボエンジンの導入」においても、ルノーの導入は77年、方やフェラーリは81年。全てが全て、必ずしもターボ導入がいいことばかりだけだとは限りませんが、それもまた「フェラーリらしさ」か。
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