F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

カテゴリ: 名車と迷車

F1には長らくアロウズという老舗コンストラクターがありました。そのチームを日本企業が買収し、日本のエンジンと日本のドライバーで構成された頃があります。ベテランのF1ファンなら記憶にあるであろう「フットワーク」です。今は日本郵便、またアート引越センターの傘下に吸収されて、会社自体が無くなってしまいましたが、白地に赤のリボンがかけられたマークでお馴染みの運送会社が何とF1に参入していたんです。日本人ドライバー不在で久しい今日、まだ日本がF1に積極的だった頃の1993年、チーム3年目のFA14を取り上げたいと思います。

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《設計》
 アラン・ジェンキンス

《外見》
これまでのアロウズ時代のシャシー名は「A◯◯」という付番がされてきました。1991年にフットワークエクスプレスに買収されたことで頭文字に「F」が付けられ、以降97年に再びアロウズに戻るまで連番となっています。また日本企業が資本となりますが、チームの拠点はアロウズ時代と同じイギリスのミルトン・キーンズです。
93年開幕当初は前年のFA13の改良型となるFA13Bでの参戦となりますが、FA14はドニントンパークで行われた第3戦ヨーロッパGPで初お目見えとなりました。現在はほとんどのチームが開幕戦には新車を間に合わせてくるのが当たり前となっていますが、この頃はこのような新車の遅れは日常茶飯事でしたね。
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FA13はノーズ先端が少し持ち上ってフロントウィングと連結するような「ジョーダン191」に代表されるトーショナルウィングを採用していました。このFA14からはそのフロントセクションを一新、ベネトンが導入していたノーズコーンと分離させ、2本のステーで吊り下げるようなフロントウィングに切り替えています。今でこそ見慣れた吊り下げ型のウィング、当時はウィリアムズやマクラーレンといったチームは導入せず、まだ少数派でしたので逆にこのディテールに慣れるまでは少し時間がかかったように記憶しています。よくいえば、トレンドを先取りしていたということでしょうか。
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リヤウィングも特徴的で上部が前に羽根一枚分迫り出したような複層構造「メゾネットウィング」をいち早く搭載して、コーナリング性能を向上させています。こちらはウィリアムズをはじめとしたトップチームにも徐々に浸透したディテールではありましたが、決してスマートとは言えませんよね。
シーズンちょうど半ばにあたる第9戦イギリスGPでこのマシンはちょっとした進歩がみられます。当時ライバル達も懸命に研究を重ねてきた「アクティブサスペンション」をマクラーレンから購入して搭載しています。これでまた一歩トップチームに近付くきっかけとなります。
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カラーリングは自社のトラックに描かれるコーポレートカラーそのままに白地に赤のストライプが入るスタイリッシュさ。たばこ広告が蔓延する時代にちょっとした異彩を放っています。

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《シャシー》
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:510kg
 燃料タンク容量:220ℓ
 ブレーキキャリパー:AP
 ブレーキディスク・パッド:カーボン・インダストリー
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール:OZ
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 無限ホンダ MF-351HB
  V型10気筒・バンク角72度
 排気量:3,493cc
 エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力:720馬力(推定)
 スパークプラグ:NGK
 燃料・潤滑油:BP

ホンダ本体は92年シーズンをもって「F1第二期」を終えていますが、本田宗一郎の長男である博俊が設立した「無限」(現 M-TEC)によってホンダニズムが継承されました。 92年は前年91年のティレルに搭載されたホンダRA101Eを無限がカスタマイズし、MF351Hという名でチーム浮上に貢献。さらに翌年のこの年はそれをさらに高回転かつ高出力、軽量化を施したMF351HBを採用して、無限2年目さらなる飛躍を目指します。

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《ドライバー》
 No.9  デレック・ワーウィック(全戦)
 No.10 鈴木亜久里      (全戦)

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ドライバーは引き続き鈴木亜久里が残留。相方は前年にチームを牽引したベテランのアルボレートに代わり、こちらもベテランのワーウィックが31歳を迎える年に3年振りにF1のシートへ復帰しました。

《戦績》
 4ポイント コンストラクター9位
 ※ポイントと順位は1993年シーズンのもの
 (4位1回、6位1回、7位1回、9位1回ほか)
 ポールポジション0回

日本のエンジンに日本のドライバーということでひいき目で見てしまいたくなるところですが、結果としてはご覧のように表彰台は無く入賞は2回、コンストラクターズランキングも前年の7位6ポイントから9位4ポイントに落ちてしまいました。
アルボレートの抜けた穴をワーウィックで補う形で始まったシーズン序盤はビリではないものの予選は20番手付近をさまよい、決勝もワーウィック、鈴木ともにがシングルフィニッシュで終えるもリタイヤが非常に多く、6位入賞には程遠い内容が続きます。FullSizeRender
ところが第9戦イギリスGPでマクラーレンの搭載するアクティブサスペンションを手に入れると、マシンの安定性が一段と増し、ワーウィックのみならず鈴木も予選で速さをみせるようになります。予選最高位は鈴木による第12戦ベルギーGPでマクラーレンのセナを横目にサードロウとなる6番手を獲得。決勝は残念ながらリタイヤに終わりますが、あからさまにサスペンションの改良が成績に乗っかってきています。決勝の最高位はワーウィックによる第11戦ハンガリーGPの4位。その他第9戦イギリスGPも6位を獲得しますが、鈴木に入賞は一度も無く「後半戦の予選だけが冴え渡る」不作なシーズンを送ってしまいました。
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このマシンを一言で言い表すならば、様々なライバル達の「いいところ」を少しずつ導入して成り立たせているマシンといったところ。ドライバーもそこそこ、エンジンもなかなかなこのチームが低迷する形で終わった一つの理由として「メカニカル・ディレクター不在」であったことが挙げられます。デザイナーのアラン・ジェンキンスはデザイナーセンスは高く評価されていたものの、ライバルチームにいたメカニカル・ディレクターのような技術的指揮に欠けていたという見方がなされていました。見た目上は帳尻を合わせたり、ドライバビリティ向上に繋げようと尽力を注いだものの、マシンそのもののコンセプトや方向性が定まっていなかったために「成績が今ひとつ」に終わってしまいました。また一昨年のポルシェエンジンから無限ホンダにスイッチし進化しつつも、ギヤボックスのトラブルが目立ち、リタイヤの数ばかりが増えてしまいました。特にせっかく後半の改良型サスペンションを導入して予選は中団を獲得できるようになっても、鈴木は第9戦から第15戦日本GPまで7戦連続のリタイヤとなれば、その速さを成績に直結できません。

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後半戦はその名の通り軽快なフットワークで速さを見出しつつも、決勝もリタイヤへの早いフットワークに繋がってしまったFA14。ホンダなき後、無限ホンダという形でジャパンパワーを繋ぎ止めたわけですが、この年を最後に無限ホンダはロータスに身を移し、フットワークはフォードを選択。以降もたまにある入賞と度々起こるリタイヤを繰り返し、96年シーズンをもって元のアロウズへと戻っていきました。

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久々にこの企画をやります!F1の名車をクイズ形式にした「F1コレどれGP」今回は1970年代編です。miyabikunの完全に生まれる前の時代に突入します。名車は沢山ありますし、有名どころを拾い上げましたので、若いF1ファンも簡単に答えられるかもしれません。張り切ってLets go!

Q①
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ヒント:丸っこくて可愛いですよね。これでもれっきとしたF1マシンです。画像の汚さは別にしても明らかに現代のマシンとは遠くかけ離れた時代だということが想像できると思います。
目に入る楕円型のフロントウィングは戦闘機からアイデアを得て、ノーズコーン先端から1本のステーで取り付けられており、その形状から「ティートレイ」と呼ばれていました。見た目の可愛らしさと裏腹に表彰台もピーターソンの手によって数回登壇しています。

Q②
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ヒント:これまた赤のカラーリングですね。オールドカーは今に比べて赤のカラーリングが多かったように思います。このマシン、以前にこのブログの「名車シリーズ」で取り扱ったことがあります。ファンは多くいると思いますので、あまり悪くは言えないけど、カメのようなカメムシのようなぺったんこしていて決してカッコいいものではないですね(笑)ただこちらも先程の①と同様、いやそれ以上の活躍をみせ、何とチャンピオンマシンです。だからチャンピオンの歴史を辿っていけば必ずこのマシンに当たることになります。ちなみにこのチームは40年以上前の時代のこのマシン以降、たったの3人しかチャンピオンドライバーを輩出していません。名門チーム?!はたまた迷門か?!

Q③
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ヒント:あまりスポンサーロゴの入っていない白のマシンにシュトメレン?マシンの絞り込みの手がかりになりそうな文字が入っていますが、そんなことよりコクピットの前に何か付いていませんか?!ハロのようなセンターピラーが立っています。これ空力デバイスにも見えますが驚くなかれ「バックミラー」なんです。何とも個性的!現在のハロ導入時に前方視界の支障が懸念されていましたが、思いの外問題無いという結果となりましたね。後ろを見る時に「上」を見なければならないのか。ライバルが横に並んだ時は捕捉できるのでしょうか。雨天時は気流でうまい具合に雨避けになるかも(笑)
あと残念ながらこの画像で捉えられていませんが、このピラーの前には一昔前の市販ターボ車のボンネットにあったような、センターに扁平なエアインテークが設けてあるのも特徴です。あるチームのマシンをカスタマイズして作られたこのマシン、見た目だけでなく戦績もダサく短命に終わりました。

Q④
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ヒント:黄色の車体に黒のアクセント。ノーズコーンにエルフのロゴとなれば、あのチームが頭に浮かびますね。◯◯といえばエルフ!なんてフレーズをこのブログでも呪文のように度々唱えてきました。近年再びターボを搭載し、ハイブリッドパワーユニットに変貌を遂げたF1マシンではありますが、これが「ターボをF1に初めて搭載」したマシンでした。
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ターボは高出力を得られる反面、NA(自然吸気)車に比べて燃費が悪く、排熱の対策など必ずしもメリットばかりではありません。このマシンとチームは予選一発の速さはあったものの決勝リタイヤも多く、チャンピオン獲得に至らぬままターボ後発のライバル達にやられてしまいました。戦績よりも「F1界の技術向上」という意味で一役買った一台です。

Q⑤
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ヒント:ワイドで扁平な一台がピットに滑り込んできました。こちらも年代を感じさせるディテールのマシンになりますが、特徴はリヤエンドにあります。
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何だ、この四角い切妻は?!充電式?!このマシンの動力源はガスタービンです。ガスタービンは一時期新たな動力源として航空業界や鉄道業界でも試作や実用を繰り返していたもので、F1にも参入したことがありました。メーカーは航空機エンジンで今でも有名なプラット・アンド・ホイットニー(P&W)社です。インディ500とF1の両方で競争力を持つことを目標にデビューしたこのマシンですが、見てもわかる通り車重が重く、振るわぬ結果で終わっています。あともう一つ特徴を挙げるならば、四輪駆動(4WD)であった点です。今は当然ながらレギュレーションで禁止されています。

Q⑥
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ヒント:見慣れないフォルムから皆の注目を集め、ダミーグリッドに向かう一台のマシン。リヤタイヤがやけにデカく見え、フロントタイヤの存在がよくわからないけど、ちゃんと付いているのかな?!
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ああコレは!多くの説明は不要ですね。6輪車のアレです。空気抵抗を低減する目的でフロントタイヤを10インチに小径化し、フロントウィング後端からサイドポンツーンまでの高さが綺麗に揃えられています。なぜフロントタイヤを四輪にしたかというと、タイヤを小径化したことによる接地面積の低下、またブレーキ力の低下を補うためです。見た目のインパクト抜群のこのマシンの戦績はシェクターによる1勝をはじめ複数回の表彰台を獲得する好成績を挙げますが、ライバルに比べると見た目以上の成績とはいかず、2シーズンで役目を終えています。こちらも先程の⑤と同様に現在のレギュレーション「四輪に限る」からは外れてしまうため適合しません。

Q⑦
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ヒント:あまりいいカットではありませんが、とあるタバコブランドがマシンに描かれています。初期のF1マシンは今のようにスポンサーロゴやカラーが施されるのではなく「ナショナル(ネーション)カラー」と呼ばれる国を代表する色で塗り分けられるのが基本でした。例えばイギリスは緑や深緑、フランスは青、ドイツが銀、イタリアは赤、そして日本はアイボリーなどになりますが、70年代からこの先のF1界を長く支える「タバコ広告」がチラホラ現れてきます。よく見るとチーム名がガッツリ書いてあるので半分答えが明らかになっていますので、型式までをお答え下さい。あ、残念ながらマクラーレンではありませんからね(笑)

Q⑧
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ヒント:リヤはシュッとスマートなのに、フロントが何だか厚ぼったいですね。画像があまり良くなく、肝心なところが暗くて見辛くなってしまっています。ごめんなさい。フロントウィング端部に四角く大きな開口が見えます。この中にはラジエターが仕込んであります。画像のヘルメットからも分かる通り、60年代に2回のチャンピオンを獲得したG・ヒル専用車として用意されていたものの、最高位は5位1回で入賞も1回キリ。

Q⑨
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ヒント:漆黒のマシンが見事なスタートダッシュを決めています。チャンピオン獲得から久しくなったこのチームはこの年からある新技術を投入してF1界を席巻することとなりました。
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設計者(一応名前は伏せます)が航空機を研究して「上下逆さまにすればダウンフォースを得られる」ことに気付き、サイドポンツーンのフロアパネルを跳ね上げるような形状を取り入れました。そのコンセプトが功を奏し、翌年にはチャンピオンに返り咲くことに繋がりました。かの有名な「グラウンド・エフェ、、」ここまで!(笑)

Q⑩
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ヒント:明らかに違うチームのスタッフやドライバーがある赤いマシンを覗き込んでいます。一昔前まではこのようにグリッド上やガレージを偵察する様子が見られたものですが、今は珍しい光景となりました。何を見つめているかというと、。image
コレか!でも何やら蓋をされてまだ何が仕込まれているか分からない状態。このブログをご覧になっているF1ファンなら、この時点で何か分かりますよね。ラストはかなりのサービス問題。
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グレーなデバイスだと分かりつつ、レギュレーションの「拡大解釈」により実戦投入。ラウダによりデビューレースでいきなり優勝を挙げ、当然周囲から非難轟々。たった1戦で姿を消すことになりました。参戦1戦1勝、勝率100%。


以上、70年代のマシンクイズとなります。コレ以外にも実に多彩な個性を持つマシンが集まった時代です。何問答えられるでしょうか?!この方達にもチャレンジして頂きましょう!FullSizeRender
LH「くっ、クイズと聞いて急に、腹が、、」
MV「えーこんな時に?!実はクイズ苦手?!」
さあさあ、答え合わせいきますよー!

 A①:マーチ711(1971)
 A②:フェラーリ312T4(1979)
 A③:アイフェラントE21(1972)
 A④:ルノーRS01(1977)
 A⑤:ロータス56B(1971)
 A⑥:ティレルP34(1976)
 A⑦:BRM P180(1972)
 A⑧:ブラバムBT34(1971)
 A⑨:ロータス78(1977)
 A⑩:ブラバムBT46B(1978)

有名どころバッチリでしょう?!今回は簡単だったと思います。

2010年代から10年毎にみてきた名車クイズ。60年代も面白いマシンは沢山ありますが、miyabikunの知識が怪しくなってしまうため、このシリーズは今回が最終回となります。次回はまた違った形のクイズを予定しておりますのでお楽しみに!

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ウィリアムズはフェラーリやマクラーレンと共に長きにわたりF1を支えてきたプライベートチームです。また日本との関わりも深く、様々な日本企業ともタッグを組んできました。近年はレッドブルグループと運命を共にする第四期ホンダですが、今回は第二期の名車。といってもマクラーレンではありません、もっと先輩1985年のウィリアムズFW10が今回の主役です。

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《設計》
 パトリック・ヘッド

《外見》
第二期ホンダとのタッグはこれよりも2年前の1983年に端を発します。S・ヨハンソン一人で戦うスピリットに供給していたホンダは最終戦南アフリカGPからウィリアムズにスイッチ。翌84年シーズンは名門ウィリアムズに2台体制でフル参戦を果たし、ダラス市街地での第9戦アメリカGPではK・ロズベルグによる第二期初優勝を飾っています。フル参戦2年目のFW10にも継続して同じRA164Eを搭載してスタートすることとなりました。
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外見をみていくと、まずノーズコーンが前作FW09に比べて低く、紺のカラーリングも相まってシャープに仕上げられました。コクピット後方のエンジンカバー付近にみられた凸上部も無くなり、カヌーを上下にひっくり返したかののような美しくスマートなフォルムとなっています。同じエンジンが載っているのにこんな違いがあるのは、実は前作FW09はフォード・コスワースを搭載する予定で設計されていた名残があり、このFW10からようやく完全にホンダエンジン搭載に合わせた仕様に変更したためです。パワーに定評のあるホンダはさらに信頼性を向上させるため、ターボチャージャーの位置を変更し、サイドポンツーン内の整流化にも成功しています。やはりエンジン(パワーユニット)の形や大きさはマシンコンセプトを決定したりシャシーを作り込む上で重要なファクターになるわけです。
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目に見えていない点の大きな違いとしては、このマシンからウィリアムズもサスペンションの一部を除いて「カーボンファイバー製」で構成されるようになったこと。カーボンといえばアルミフレームに比べて丈夫で軽いことが特徴です。マクラーレンをはじめライバルはより前からカーボン素材をふんだんに使ったマシンを手掛けていましたが、ウィリアムズはこのFW10からの導入となりました。
サスペンションも一新され、フロントはプルロッドからプッシュロッドに変更。またリヤはライバルよりも早くトップロッカーアーム、ロワウィッシュボーンからなるサスペンションを導入しました。のちにプルロッドへの変更が施されてしまいますが、初登場からかなり「攻めの姿勢」でライバルに勝負を挑んでいきます。

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カラーリングも特徴的ですね。この年から3年で11億円近いスポンサーマネーで日本を代表するカメラメーカー「キヤノン」が加わり、ウィリアムズの後押しをすることとなります。miyabikunも今年一眼レフカメラをキヤノンに切り替えて今シーズンの日本GPに乗り込む予定でしたが、残念ながらそれは実らず。もう一年練習に充てます(笑)上部は黄色、下部の白を分断するかのように、ノーズコーンから後方に向かって真っ直ぐ斜めにタスキがかる紺の帯は前衛的でカッコいいです。

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《シャシー》
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:540kg
 燃料タンク容量:199ℓ
 ブレーキキャリパー:AP
 ブレーキディスク・パッド:SEP
             (カーボン・インダストリー)
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プルロッド(のちに採用)
 ホイール:フォンドメタル
 タイヤ:グッドイヤー

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《エンジン》
 ホンダRA164E,RA165E
  V型6気筒・バンク角80度
  IHI製ツインターボ
 排気量:1,496cc(RA164E)
     1,498cc(RA165E)
 エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力:669馬力以上(RA164E推定)
      881馬力以上(RA165E推定)
 スパークプラグ:NGK
 燃料・潤滑油:モービル

シーズン当初は前年に使用したRA164Eを搭載して挑むも、高回転時の異常燃焼(ノッキング)により、ピストンやシリンダーが変形を起こしてエンジンを壊すトラブルが続きます。ホンダはバイク発祥のメーカーということもあって、今までは「ショートストローク」により高回転を実現してきました。そこで第5戦カナダGPからピストンのボア(ピストンの内径)を8mm小径化させ、替わりにストローク(行程)を8mm長くさせたいわゆる「ロングストローク」化改良を行ったRA165Eを導入して対応することとしました。

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《ドライバー》
 No.5 ナイジェル・マンセル(全戦)
 No.6 ケケ・ロズベルグ  (全戦)

80年台前半のウィリアムズといえば、82年シーズンにわずか1勝でチャンピオンとなったロズベルグが代表格ですね。チームメイトにはラフィに代わってロータスでならしたマンセルを起用。荒ぶるドライビングでインパクト抜群の「髭男爵」の2人がラウダとプロストを擁するマクラーレン崩しにかかります。

《戦績》
 71ポイント コンストラクター3位
 (1位4回、2位3回、3位1回、4位2回ほか)
 ポールポジション3回

1985年シーズンは全16戦で争われ、そのうちの1/4にあたる4勝を挙げるなど、前年の1勝からホンダはフル参戦2年目にしてなかなか飛躍しました。2人の内訳は先輩ロズベルグが2回の優勝と2位2回、3位1回の合計5回の表彰台。マンセルも優勝2回、2位1回の合計3回の表彰台を獲得するも、それ以上に連続リタイヤも多いという「白黒はっきりした」戦績となりました。

革新的なリヤサスペンションをもって臨んだ開幕戦ブラジルGPはロズベルグが2番手、マンセル5番手で予選を終え、決勝は両者リタイヤという幸先がよくない形となりました。
その後しばらく表彰台に手が届かない入賞止まりのマンセルに対して、ロズベルグは第3戦サンマリノGPまで3戦連続のリタイヤが続いて、チャンピオンのマクラーレンはおろかフェラーリやロータスにも遅れをとる暗雲が立ち込めます。
その状況を抜け出すべくホンダは先述の第5戦カナダGPより新スペックエンジンRA165Eを導入。一度トラブルにより周回遅れ手前の後方までロズベルグはかなり速いラップを重ねて猛追し、それをみたロータスのセナがホンダエンジンに憧れを抱いたというのは有名な話です。
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6/23に行われた第6戦デトロイト市街地でのアメリカ東GPにおいて市街地レースを得意とするロズベルグがシーズン初優勝を挙げ、その4日後に息子のニコが誕生と、ようやくチームにもいい流れが舞い込みます。相方マンセルもシーズン後半戦に調子が上向きとなり、第13戦ベルギーGPで2位、そして続く第14戦の地元イギリスのブランズハッチでのヨーロッパGPでは当時最遅となる72戦目にして初優勝を挙げました。このレースから革新的なロッカーアームのリヤサスペンションをプルロッドに切り替えたことによりギヤボックスの小型化が図られ、エンジンカバーも低く改良されました。第15戦の南アフリカGPでマンセルが連勝、ロズベルグ2位のダブル表彰台を獲得。残念ながらコンストラクターズランキングはマクラーレン、フェラーリに及ばない3位で終わりましたが、チームにとっては前年の6位からの浮上のシーズンとなりました。

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1980年にジョーンズとフォードエンジンでダブルチャンピオンを獲得。81年はドライバーズチャンピオンは逃したもののコンストラクターズチャンピオンを防衛。混戦の82年はロズベルグによるドライバーチャンピオンを獲得したことで一躍トップチームに仲間入りしたプライベーターのウィリアムズ。一時期はブラバムやフェラーリ、マクラーレンといった古豪にいなされつつも、新たにホンダエンジンとキヤノンというジャパンパワーを得て再びトップの座への返り咲きを図るといった時代もありました。近年のウィリアムズは往年の輝きは無く、チーム名こそ残ったものの残念ながら「ウィリアムズ家」はF1から身を引く形を採ることになりました。どこで判断を間違えたか、あの時か、それともこれかと色々憶測してしまうこともいくつかありますが、今シーズンはようやくテールエンダーから脱しつつあります。若手のドライバーも健闘していますから、長年のF1を支えてきたフランク・ウィリアムズ氏が存命の間に恩返ししてもらえたらいいなと願うばかりです。
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祝!(?)F1復帰決定ということで、今回の名車は長年続いた「紅い帝王」を木っ端微塵に打破、チームに初戴冠をもたらした青いマシン。2005年のルノーR25をみていきます。
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《設計》
 ボブ・ベル
 ティム・デンシャム

《外見》
結果的にいえばチャンピオンマシンなわけで「速い、強い」マシンであるのはもちろんですが、ライバルのように「一際目立った特徴」があるわけではありません。その裏返し「一際」が無い分、安定したパフォーマンスが発揮できたのかもしれません。IMG_4966
目で見てわかる点としては、以前2006年型「R26」でも書いたサイドポーンツーンからエンジンカバーに当たるあたりに入るスリット「シャーク・ルーバー」があります。当時のフェラーリが先に始めた放熱対策の工夫ではありますが、ボディカラーである水色にこのような切れ込みがあると、本当にサメのエラのよう。フロントセクションは細く鋭利なノーズコーンとアッパーアーム付け根に猫耳のように取り付くウィングレットが特徴的です。またロワアームはV型のステー「Vキール」を採用、キールを無くしてきたライバルのマクラーレンとこの辺もまた思想が異なります。IMG_4961
フロントウィングの作り込みが独特で、ちょうど「iモード」のロゴが入る翼端部は翼端板を内側に90°折り曲げたコの字の形状をなし、モンツァやスパ・フランコルシャンなど高速指向のサーキットではそれを取り止めるなど「高い信頼性」と「どんな状況でもそつなく速い」マシン作りに励みました。ギヤボックスについても、ライバルのほとんどは7速まで多段化する中、ルノー6速ギヤの幅広いレンジのまま搭載されています。
マシンカラーはルノーの基本カラーである黄色に日本たばこ産業「マイルドセブン」の水色をまとうツートンです。日本企業が、それも今ではご法度とされている「タバコ」の会社ですから驚きですよね。日本企業がこんなデカデカと今も掲示し続けいるかはわかりませんが、続いていたらマイルドセブンではないんでしょうね。今はメビウスだったかな?!

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《シャシー》
 全長:4,800mm
 全幅:1,800mm
 全高:   950mm
 最低車体重量: - kg
 燃料タンク容量: - kg
 ブレーキキャリパー:AP
 ブレーキディスク・パッド:ヒトコ
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール:OZ
 タイヤ:ミシュラン

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《エンジン》
 ルノーRS25
  V型10気筒・バンク角72度
  排気量:3,000cc
  エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
  最大馬力: - 馬力(非公開)
  スパークプラグ:チャンピオン
  燃料・潤滑油:エルフ

フェラーリをはじめ、メルセデスやBMWもホンダといったエンジンがV10のバンク角90°を採用する中、ルノーは唯一バンク角72°を採用し続け、コンパクトかつ軽量であるコンセプトを貫いています。

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《ドライバー》
 No.5 フェルナンド・アロンソ (全戦)
 No.6 ジャンカルロ・フィジケラ(全戦)

エースとしてルノーに再び勝利をもたらしたアロンソはそのままチームに存続。相方には2001年まで前身のベネトンに所属し、ジョーダンやザウバーも渡り歩いたベテランのフィジケラが4年振りに復帰しています。

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《戦績》
 191ポイント コンストラクター1位
 (1位8回、2位6回、3位4回、4位4回ほか)
 ポールポジション7回

復帰初年の2002年は未勝利のランキング4位、 2年目3年目は若いアロンソによる1勝で2年連続のランキング3位、そしてわずか4年目にしてこの戦績。着実に成長して非常に立派です。ただこのマシンのこの戦績はシーズン最多勝ではありません。でもドライバーズ、コンストラクターズ共に紛れも無い立派なチャンピオンを獲得。どうしてこんなことになったのでしょう。
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開幕戦オーストラリアGPは開幕前テストの好調さそのままにベテランのフィジケラがポールトゥウィン、アロンソは予選13番手から3位表彰台を獲得と幸先良いスタートを切ります。第2戦サンマリノGPと第3戦バーレーンGPはアロンソがポールトゥウィン。そして過去のレースでも振り返った第4戦サンマリノGPではフェラーリのM・シューマッハとのガチンコ勝負を見事に耐え抜き、チャンピオン争いを堂々率いてシーズン序盤を終えます。ところがヨーロッパラウンドに入ると、フェラーリに代わってパワーと信頼性を向上させつつあるマクラーレンが追従し始め、アロンソばかり表彰台の真ん中は許さないというレースが続きます。
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抜群の速さはありつつつも時折自滅を繰り返すマクラーレンに対し、アロンソは第14戦トルコGPから最終戦中国GPまで6戦連続で表彰台に登壇するなど、シーズン一貫した安定感を続けた結果、3戦残しでダブルチャンピオン獲得に至りました。IMG_9903
シーズン最速を知らしめ、最多の10勝を挙げつつもチャンピオンを取り逃したマクラーレンとこのルノーとの違いの一つに「タイヤのなじみ方」が挙げられます。ルノーはミシュランタイヤの特性を理解した上で「乗り始めからグリップするマシン」にサスペンションを仕立て上げたのに対し、マクラーレンはどちらかというと「決勝追い上げ型」にしたためタイヤ作りが遅く、まず肝心な予選での好位置を取り逃し、決勝レースでなじんできた頃にはルノーに逃げられるかマシン自らが悲鳴を上げるなど、プロセスの違いがみられました。またアロンソの強みとして「確実にポイントを持ち帰る」といった安定感と達成感が終始続いた点も大きかったと思います。アロンソは全19戦で7勝、15回の表彰台、17回の入賞、2回のリタイヤ(うち1回は棄権)だったのに対し、最大のライバルとなったライコネンは同じく7勝、表彰台12回、入賞14回、リタイヤ3回(うち棄権1回)と優勝だけではなく表彰台や入賞数が効いています。アロンソのドライビングはミスが少なく、マシントラブルだけでなくライコネン自らのミスにより順位を落としたものもありました。これらが序盤から発揮され、ようやくマクラーレンが並び、追い抜き始めた頃にはライコネンの届かない領域に達することができたといえます。
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同じマシンを駆る相方フィジケラはわずか1勝、表彰台3回、入賞11回に止まります。次年2006年のようなライバルがアッと驚くデバイスが搭載されていたわけではなくとも、堅実さ、戦略、そしてミスの少なさが相まって「シューマッハ」というF1の高い壁を乗り越えられたのは、アロンソだからと言っても過言ではありません。ルノー唯一のチャンピオン経験者であるアロンソが来シーズン12年振りに戻ってきます。40代となる猛者は古巣をどう立て直すか、ルノーの本気さ、再建に今から大きな期待が寄せられています。

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このマシンを「名車」として取り扱うメディアはそうそうないでしょう。名車というよりかは「迷車」の部類になるかと思います。見覚えのあるカラーリングの名門も全てが名車であるとは限りません。miyabikunはそんなマシンも丁寧に注目していく所存です。前回に引き続き、負のループにさまよう名門。1994年型のマクラーレンMP4/9です。

《設計》
 ニール・オートレイ
 アンリ・デュラン
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《外見》
基本的には前年93年のMP4/8から正常進化させたマシンです。しかし1994年は他のライバルと同様にマシンレギュレーションの中の「ハイテクデバイス禁止」に準じた仕様とし、エンジンはフォード製からプジョー製にスイッチしたため、それに見合った改良を施しています。MP4/9の特徴的なデバイスとしてはコクピット内にある3つのフットペダルのうち、クラッチを無くした2ペダル式を採用しています。IMG_4321
またサイドポンツーン前方の整流効果を高めるべく、フロントサスペンション後方からコクピットに沿う形でディフレクター(バージボード)を初搭載。ライバルもこの時期からこぞって搭載するようになり、以降のF1マシンに欠かせないデバイスとなりました。IMG_4323
カラーリングは歴代と変わらずメインスポンサーであるマールボロの赤白のツートンカラー。エンジンカバー付近にプジョーのロゴマークがデカデカと入ります。またノーズにはプジョーのトレードマークであるフランシュ・コンテ州の紋章に使用される「ライオン」がシェルよりも大きく鎮座します。信頼性があればマークの重みも増したことでしょう。

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《シャシー》
 全長:    -    mm
 全幅:    -    mm
 全高:    -    mm
 最低車体重量:515kg
 燃料タンク容量: - kg
 ブレーキキャリパー:ブレンボ
 ブレーキディスク・パッド:
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プッシュロッド
 ホイール:スピードライン
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 プジョーA6
  V型10気筒・バンク角72度
 排気量:3,498cc
 エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
 最大馬力: - 馬力(非公開)
 スパークプラグ:NGK
 燃料・潤滑油:シェル

92年を最後にマクラーレンはホンダとのパートナーシップを解消。前年はフォードと組んで何とか場を繋ぎました。そしてこのシーズンからフランスの小型車メーカーであるプジョーと複数年契約を結ぶことになります。この3年で毎年エンジンが変わるという、、マシンはエンジンとの組み合わせで作り上げていくものです。コロコロ変わるのはチームにとっても操るドライバーにとっても決していいことではありません。

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《ドライバー》
 No.7 ミカ・ハッキネン   (第10戦を除く全戦)
        フィリップ・アリオー (第10戦)
 No.8 マーティン・ブランドル(全戦)

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ドライバーはセナがウィリアムズに移籍した関係で若手のハッキネンがエース格として繰り上がりました。前年93年の第15戦日本GPで初の表彰台登壇を果たし「ポストセナ」を仰せつかります。相方はベテランのマーク・ブランデル、ではなく現在は解説やインタビュアーでお馴染みのマーティン・ブランドルを召集。くれぐれもお名前のお間違えないように(笑)ハッキネンは第9戦ドイツGPのターン1で接触事故を起こし1戦出場停止を受けたため、翌戦のハンガリーGPはプジョー推しのフランス人アリオーが代走しています。晩年はクリーンなファイターのイメージが強いハッキネンも若かりし頃はなかなか生意気なクラッシャー。若い頃はみんな通る道です。

《戦績》
 42ポイント コンストラクター4位
 (1位0回、2位2回、3位6回、4位1回ほか)
 ポールポジション0回

リタイヤについて、上記に記載はありませんが、このマシン、とにかくリタイヤが多い!特に前半8戦が酷く、ハッキネンが8戦中6回、ブランドルも5回リタイヤし、ダブルリタイヤは8戦中4回を数えます。これ、この時代の誰もが知るマールボロ・マクラーレンですよ、あのカラーリングにしてコレは非常に恥ずかしい。悪くなったのはセナが抜けたから?!いやいや、それ以上の欠陥がこのマシンにありました。一番の原因は「プジョーエンジン」でした。開幕当初は非常に信頼性が低く、開幕戦ブラジルGPはハッキネン8番手、ブランドル18番手。結局決勝は両者リタイヤし、前年の前戦オーストラリアGPにセナがポールトゥウィンだったことが嘘だと思えるような幕開けでした。image
以前に「過去のレース」で振り返った第2戦パシフィックGPではオーバーヒート対策としてラジエターを改良し挑むも、予選4番手でスタートしたハッキネンが蹴り出し鈍いポールポジションのセナに追突してその後リタイヤという、改良の成果すら確認できないダメレースを演出してしまいました。
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前年まで隣にいて、初表彰台を讃えてくれたセナの逆鱗に触れてしまっていましたね。セナとハッキネンのレース上のコンタクトはこれが最後となりました。当時セナファンからハッキネンファンに切り替えたばかりのmiyabikunも絶句したの幼心ながら今でもよく覚えています。第3戦の「悲劇」の後、第4戦モナコGPでハッキネンはベネトンの宿敵M・シューマッハに次ぐ予選2番手を獲得しますが、こちらもスタート直後にD・ヒルと接触しリタイヤ。第5戦スペインGPは予選3番手からシューマッハ、ヒルら次世代のチャンピオン候補達と熱戦を繰り広げるも、48周目にプジョーエンジンが音を上げたためリタイヤとなりました。
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シーズン後半戦になると、マシンのドライバビリティがようやく改善、エンジンが信頼性を増したことで第11戦ベルギーGPの2位を皮切りに第14戦へレスでのヨーロッパGPまでハッキネンが4戦連続表彰台を獲得します。しかしブランドル含め優勝は無く、チャンピオン争いも程遠い不作なシーズンを終える形となりました。
ドライバー単位の成績はハッキネンが2位1回、3位5回。ブランドルが2位1回、3位1回となっています。ハッキネンはドライバーズランキング4位で翌年95年はそのままマクラーレンに残留。ブランドルは一度シートを喪失するも、リジェからお呼びがかかり、鈴木亜久里とシェアする形で参戦しています。

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マクラーレンは成績不振のガンともいえたプジョーエンジンをこの年限りの単年契約で切り上げ、95年から新規参戦となるメルセデスエンジンを採用することになりました。以降2年の歳月を経て、優勝。そして3年目にハッキネンによるダブルチャンピオンを獲得する「完全復活」を遂げます。現在2020年も引き続き復調を予感させるマクラーレン。来シーズンから再びメルセデスとタッグを組む予定となっています。名門の完全復活はメルセデスエンジンとのマッチングに期待が寄せられます。

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