F1の夏は今現在進行形のサマーブレイクほか「ヨーロッパラウンド〜」だとか「夏の高速連戦〜」なんて以前は呼んだものですが、残る今シーズンのヨーロッパ戦はオランダとイタリアの2ヶ所です。モナコやスペイン、オーストリアにイギリス、ハンガリー、ベルギーまでやったのに、昔に比べてだいぶ短く感じますよね。イモラでのエミリア・ロマーニャGPが中止になったこと、またそもそもの開催地、レース数が増えたことによって「ヨーロッパの比重が少なくなった」ことがそのような錯覚を生んでいるのかもしれません。さらに忘れてはならないこと、今シーズンからまた伝統フランスGPが消滅したこともあるでしょう。フランス人ドライバーは2人、ワークスチームが一つちゃんとあるのにやらない(やれない)という不条理というか現実をこのようなことからも感じ取ることができる今のF1です。今年のアタマに過去のフランスGPは既に扱ってはいますが、レースの無い暇なひととき、miyabikunの独断と偏見でフランスGPの世界にいざないたいと思います。今回は直近の舞台ポール・リカールではなく、その一つ前にマニ・クールで行われていた2004年第10戦フランスGPです。
ちなみにマニ・クールのサーキットレイアウトはこんな感じでした(黒実線)時計回りで、ぐるりと方向転換するエストリルや180°、ドッカンとブレーキングをかます鋭角アデレイドヘヤピン、また最終コーナーにはカナダのジル・ヴィルヌーブやサンマリノ時代のエンツォ・エ・ディノ・フェラーリ(イモラ)の最終進入にも似た「ひょっこりシケイン」があります。見た目は深海魚?!やさぐれたパックマンみたい。
2004年のF1といえば、、言わずと知れたフェラーリのM・シューマッハでガン決まりしていた頃です。面白くなかったですねー(笑)ファンにとっては幸せな時間だったことと思います。2000年からチャンピオンに返り咲いたM・シューマッハにおいて、5年連続7回目の期待がかかるシーズンとなっています。
フランスGPまでの9戦分の戦績をおさらいしておくと、、しておくまでもありません。実にシンプル。9戦8勝です。誰が?!もちろんM・シューマッハが(笑)
赤いキックボードに何やら貼り紙が。何なに?「ブリヂストンの駐車規則違反、次回押収される」だって?!心配ご無用です。単なるチームスタッフのイタズラ。
こんなイタズラできるほど余裕しゃくしゃくだったわけです。このフランスGPもどうせ勝つんでしょう(いつだかの時代に似たセリフ)では残ると1勝は誰が挙げたのか、そちらの方が気になりますよね。この方です。
右の若かりしアロンソ?いや違います。左側にいるトゥルーリです。以前「過去のGP」でも18/5/23に扱ったことのある第6戦モナコGPで勝利しています。何故かフェラーリのスタッフと歩いていますが、イタリアのお友達なのかな。フェラーリに移籍も無ければ、まさかF1キャリアこの1勝に終わると思いませんでした。イタリアのフェラーリとイタリアのトゥルーリのみの優勝ということで、このレースまで「全戦の表彰式でイタリア国歌が流れる」という、今では想像出来ない状況で進行しています。
現在F1で日本代表といえば角田くんが奮闘中。この時代にも貴重な日本代表が1人います。
〜探し物はなんですか?〜
〜見つけ難いものですか?〜
というのは冗談ですが、ホンダのバックアップを受けジョーダンからF1の門を叩いた佐藤琢磨がBAR・ホンダから参戦しています。
当時インディアナポリスで行われた前戦アメリカGPで日本人2人目となる表彰台登壇を果たして、目下評価は急上昇中。なるほど、トラック上で探していたのは「ツキ」ということか?(笑)
予選は今回もM・シューマッハ、とはいかず、地元のワークスであるルノーのアロンソが獲得。M・シューマッハは2位に沈んでいます。驚くべきは上位10台中、ブリヂストンはフェラーリの2台のみであり、他8台はミシュランユーザーが名を連ねています。ミシュランもフランスメイク。懐かしいなぁ、ビバンダムくん。miyabikunが大学生の時の携帯電話ストラップで当時使っていたっけ。
《予選結果》
P.P. F・アロンソ
(ルノー ミシュラン)
2 M・シューマッハ
(フェラーリ ブリヂストン)
3 D・クルサード
(マクラーレン・メルセデス ミシュラン)
スタンドはルノーの旗が舞います。水色一色。何せ紅続きの表彰台のテッペンを「地元で」水色にできるチャンス。アロンソへ期待が大きくのしかかる。
スタートはポールのアロンソが死守し、ターン1に滑り込む。マニ・クールは抜きどころが限られているため、スタートダッシュは重要です。5番スタートの相方トゥルーリも失速したクルサードをかわして、ルノーがワンスリー体制を築く。
M・シューマッハは、上位で最も早い11周目に1回目のピットインを行う。
一方でアロンソは軽快にラップを重ねて、14周目まで引っ張るという差です。ポールポジションを狙うべく軽タンクで予選に臨んだものの、スタートで前に出られなかったのは痛手。
トラック上で「ツキ」を探していた佐藤は7番スタートからまたもやホンダエンジンがブローし、わずか15周目でリタイヤ。何故バトンのものは平気なんだ、と言いたくなるくらいのトラブル続き。マニ・クールでは残念ながら「ツキ」を見つけ切れなかったということか。
M・シューマッハはその後、29周目に2回目のピットを迎えます。ココは抜けないマニ・クール。どうしても前に立ちたいM・シューマッハとフェラーリはある秘策を企てます。ペースアップをし、アロンソのアンダーカットを狙う。つまり「決勝レースを予選モードの快速ラップで走り続ける」ということ。
その策はうまくハマり、3周遅れで迎えたアロンソ2回目のピットインの際にM・シューマッハが前に立ちます。
M・シューマッハはまたアロンソより4周早い42周目に3回目のピットに向かい、暫定的な2位に陥落しますが、アロンソ3回目のピットで再びトップに。この時点でM・シューマッハはアロンソに対して「後ろを見ながら」走ればトップを維持できるものの、何とフェラーリは58周目に
四度ピットに呼び込みます。
ピット作業をしかと確認。抜け目無いわー。
2位アロンソに対して1回分ピットインが多くても、8.3秒の差をつける圧勝。2番スタートからならば余裕で勝てる。誰かコヤツを止められる若人はおらんかー?!
レースは最後の最後、チェッカーフラッグを受けるまで分かりません。ファイナルラップの最終コーナーで、タイヤがズルズルになった3位トゥルーリはアウト側を回る形となり、インがガラ空き。
そこにバリチェロが飛び込む!
バリチェロが3位に浮上し、フェラーリはワンスリーフィニッシュとなります。
FB「ヤルノは何ヤっとルノだバカモンが」
これがきっかけにもなり、トゥルーリとブリアトーレの関係が悪化、トゥルーリはシーズン閉幕を待たずにチームを追われることとなりました。
これでM・シューマッハは10戦9勝。。やり過ぎ、やらせ過ぎ。。
《決勝結果》
1 M・シューマッハ(フェラーリ ブリヂストン)
2 F・アロンソ (ルノー ミシュラン)
3 R・バリチェロ (フェラーリ ブリヂストン)
マシンが秀でていることもさることながら、この時代のフェラーリはドライバー、チームスタッフの三位一体で「勝つための手順」がバッチリ確立されていました。さらには戦略やチームメイトの貢献など、M・シューマッハにとってこの上無い形でシーズンが進行していきます。マシンが壊れない限り、誰かのトラブルに巻き込まれない限り、負けるストーリーが思いつきません。その後のレッドブル×ベッテル時代、メルセデス×ハミルトン時代、そして現在のレッドブル×フェルスタッペン時代にも通じる「F1絶対政権の鉄則」です(繰り返しになりますが、翌2005年にこれが木っ端微塵に崩壊した時は驚きと爽快感を覚えました)
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ちなみにマニ・クールのサーキットレイアウトはこんな感じでした(黒実線)時計回りで、ぐるりと方向転換するエストリルや180°、ドッカンとブレーキングをかます鋭角アデレイドヘヤピン、また最終コーナーにはカナダのジル・ヴィルヌーブやサンマリノ時代のエンツォ・エ・ディノ・フェラーリ(イモラ)の最終進入にも似た「ひょっこりシケイン」があります。見た目は深海魚?!やさぐれたパックマンみたい。
2004年のF1といえば、、言わずと知れたフェラーリのM・シューマッハでガン決まりしていた頃です。面白くなかったですねー(笑)ファンにとっては幸せな時間だったことと思います。2000年からチャンピオンに返り咲いたM・シューマッハにおいて、5年連続7回目の期待がかかるシーズンとなっています。
フランスGPまでの9戦分の戦績をおさらいしておくと、、しておくまでもありません。実にシンプル。9戦8勝です。誰が?!もちろんM・シューマッハが(笑)
赤いキックボードに何やら貼り紙が。何なに?「ブリヂストンの駐車規則違反、次回押収される」だって?!心配ご無用です。単なるチームスタッフのイタズラ。
こんなイタズラできるほど余裕しゃくしゃくだったわけです。このフランスGPもどうせ勝つんでしょう(いつだかの時代に似たセリフ)では残ると1勝は誰が挙げたのか、そちらの方が気になりますよね。この方です。
右の若かりしアロンソ?いや違います。左側にいるトゥルーリです。以前「過去のGP」でも18/5/23に扱ったことのある第6戦モナコGPで勝利しています。何故かフェラーリのスタッフと歩いていますが、イタリアのお友達なのかな。フェラーリに移籍も無ければ、まさかF1キャリアこの1勝に終わると思いませんでした。イタリアのフェラーリとイタリアのトゥルーリのみの優勝ということで、このレースまで「全戦の表彰式でイタリア国歌が流れる」という、今では想像出来ない状況で進行しています。
現在F1で日本代表といえば角田くんが奮闘中。この時代にも貴重な日本代表が1人います。
〜探し物はなんですか?〜
〜見つけ難いものですか?〜
というのは冗談ですが、ホンダのバックアップを受けジョーダンからF1の門を叩いた佐藤琢磨がBAR・ホンダから参戦しています。
当時インディアナポリスで行われた前戦アメリカGPで日本人2人目となる表彰台登壇を果たして、目下評価は急上昇中。なるほど、トラック上で探していたのは「ツキ」ということか?(笑)
予選は今回もM・シューマッハ、とはいかず、地元のワークスであるルノーのアロンソが獲得。M・シューマッハは2位に沈んでいます。驚くべきは上位10台中、ブリヂストンはフェラーリの2台のみであり、他8台はミシュランユーザーが名を連ねています。ミシュランもフランスメイク。懐かしいなぁ、ビバンダムくん。miyabikunが大学生の時の携帯電話ストラップで当時使っていたっけ。
《予選結果》
P.P. F・アロンソ
(ルノー ミシュラン)
2 M・シューマッハ
(フェラーリ ブリヂストン)
3 D・クルサード
(マクラーレン・メルセデス ミシュラン)
スタンドはルノーの旗が舞います。水色一色。何せ紅続きの表彰台のテッペンを「地元で」水色にできるチャンス。アロンソへ期待が大きくのしかかる。
スタートはポールのアロンソが死守し、ターン1に滑り込む。マニ・クールは抜きどころが限られているため、スタートダッシュは重要です。5番スタートの相方トゥルーリも失速したクルサードをかわして、ルノーがワンスリー体制を築く。
M・シューマッハは、上位で最も早い11周目に1回目のピットインを行う。
一方でアロンソは軽快にラップを重ねて、14周目まで引っ張るという差です。ポールポジションを狙うべく軽タンクで予選に臨んだものの、スタートで前に出られなかったのは痛手。
トラック上で「ツキ」を探していた佐藤は7番スタートからまたもやホンダエンジンがブローし、わずか15周目でリタイヤ。何故バトンのものは平気なんだ、と言いたくなるくらいのトラブル続き。マニ・クールでは残念ながら「ツキ」を見つけ切れなかったということか。
M・シューマッハはその後、29周目に2回目のピットを迎えます。ココは抜けないマニ・クール。どうしても前に立ちたいM・シューマッハとフェラーリはある秘策を企てます。ペースアップをし、アロンソのアンダーカットを狙う。つまり「決勝レースを予選モードの快速ラップで走り続ける」ということ。
その策はうまくハマり、3周遅れで迎えたアロンソ2回目のピットインの際にM・シューマッハが前に立ちます。
M・シューマッハはまたアロンソより4周早い42周目に3回目のピットに向かい、暫定的な2位に陥落しますが、アロンソ3回目のピットで再びトップに。この時点でM・シューマッハはアロンソに対して「後ろを見ながら」走ればトップを維持できるものの、何とフェラーリは58周目に
四度ピットに呼び込みます。
ピット作業をしかと確認。抜け目無いわー。
2位アロンソに対して1回分ピットインが多くても、8.3秒の差をつける圧勝。2番スタートからならば余裕で勝てる。誰かコヤツを止められる若人はおらんかー?!
レースは最後の最後、チェッカーフラッグを受けるまで分かりません。ファイナルラップの最終コーナーで、タイヤがズルズルになった3位トゥルーリはアウト側を回る形となり、インがガラ空き。
そこにバリチェロが飛び込む!
バリチェロが3位に浮上し、フェラーリはワンスリーフィニッシュとなります。
FB「ヤルノは何ヤっとルノだバカモンが」
これがきっかけにもなり、トゥルーリとブリアトーレの関係が悪化、トゥルーリはシーズン閉幕を待たずにチームを追われることとなりました。
これでM・シューマッハは10戦9勝。。やり過ぎ、やらせ過ぎ。。
《決勝結果》
1 M・シューマッハ(フェラーリ ブリヂストン)
2 F・アロンソ (ルノー ミシュラン)
3 R・バリチェロ (フェラーリ ブリヂストン)
マシンが秀でていることもさることながら、この時代のフェラーリはドライバー、チームスタッフの三位一体で「勝つための手順」がバッチリ確立されていました。さらには戦略やチームメイトの貢献など、M・シューマッハにとってこの上無い形でシーズンが進行していきます。マシンが壊れない限り、誰かのトラブルに巻き込まれない限り、負けるストーリーが思いつきません。その後のレッドブル×ベッテル時代、メルセデス×ハミルトン時代、そして現在のレッドブル×フェルスタッペン時代にも通じる「F1絶対政権の鉄則」です(繰り返しになりますが、翌2005年にこれが木っ端微塵に崩壊した時は驚きと爽快感を覚えました)
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