今シーズンはいよいよ40年振りにF1にグラウンドエフェクトカーが復活します。マシンのフォルムやディテールも大きく変わり、現段階では全くの未知数ですね。今回の「名車を振り返る」も引き続きチャンピオンになる一台前にあたるマシンを取り上げてはいますが、名車というよりかは迷車、珍車に近いかもしれません。チャンピオンとチャンピオンの間に挟まれた地味なマシンでソースを集めるのに苦労しましたが、どうにかしてこのチームのを久々に取り上げたいと思い書きましたので読んでやって下さい、1982年のブラバムBT50(BT49D)です。時代は今と同じちょうどレギュレーションの過渡期、グラウンドエフェクトカー最終年のマシンになります。
《設計》
ゴードン・マーレー
デビッド・ノース
《外見》
1980年代のF1マシンといえばフェラーリの真紅をはじめ、マクラーレンやアルファロメオで使用されたマールボロの印象が強くありますが、miyabikun個人的にはブラバムの白をベースにスピード感ある濃紺の矢のようなカラーリングがシンプルで好きです。地味そうに見えて、過去のレースシーンを観ると意外と目立ちます。後付けですが、この二色のカラーリングが東海道新幹線(中央リニア新幹線)とどこか似ているものを感じます。
まずは本来の82年マシンBT50からみていきます。フロントウィングが見当たりませんが、トラブルとかはなく元々無いのです。サーキットによってはウィングを付けているものもあります。
70年代末期にルノー(現 アルピーヌ)によってF1界にタービンを搭載した過給器「ターボ」が導入され、飛躍的にパワフルなエンジンが誕生しました。続いてワークスであるフェラーリもターボを搭載したことで「F1は高出力ターボの時代」に向かいつつありました。当時フォード(コスワース)を使用していたブラバムもその波に遅れまいとして、ドイツのBMWからの供給にこぎつけ、前年81年にBT49Bの改良型である「BT49T」と名付けられたマシンでBMWターボのテストを行っていました。冷却効率の強化やマシンの形状変更などを経て、82年シーズンからはBT49シリーズのマイナーチェンジではなく、BT50としてフルモデルチェンジを果たすこととなりました。
白は膨張色であることもあってか、グラウンドエフェクトカー特有の扁平かつ角々しい印象が目立ちます。しかしこのチームには空力の奇才と呼ばれたマーレーがいます。ライバルに比べるとサイドポンツーン開口は低く、開口からはなだらかな弧を描き、リヤタイヤに近い高さまで持ち上がる、正しく「航空機の羽根」のようなフォルムをしています。
BT49Dは前年にチャンピオンを獲得したBT49Cで搭載され、走行中に空気圧と油圧で車高を下げる「ハイドロニューマチックサスペンション」を除去。またグラウンドエフェクトカーの付き物である「スライディングスカート」を可動できるようにしました。さらにフロントノーズも前作(というか、本来はこちらが前作)BT50に近い作り込みとしているため、ぱっと見は酷似しています。
こちらがBT49Dで
これがBT50。
見かけ方としては、ドライバーの後ろにあるロールバーのまたさらに後ろ、エンジンカバーの部分が平坦(時にはカウルを外し、エンジン上部が剥き出し)なのと、濃紺の帯が細く続いているのがBT49D。エンジンカバーがこんもりとあり、ドライバー真横の帯に小さく「BMW」と書かれているのがBT50となります。この画像では見難いですね(笑)
メインスポンサーはイタリアの牛乳加工メーカーのパルマラットです。これでもかと言わんばかりにマシンをどこから見ても見えますね。パルマラットといえば、この時代のブラバムや少し前の時代のニキ・ラウダを連想させます。
《シャシー》
〈BT49D〉
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:580kg
燃料タンク容量:220ℓ
クラッチ: -
ブレーキキャリパー: -
ブレーキディスク・パッド: -
サスペンション:フロント プルロッド
リヤ プルロッド
ホイール: -
タイヤ:グッドイヤー
〈BT50〉
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:585kg
燃料タンク容量:220ℓ
クラッチ: -
ブレーキキャリパー: -
ブレーキディスク・パッド: -
サスペンション:フロント プルロッド
リヤ プルロッド
ホイール: -
タイヤ:グッドイヤー
《エンジン》
〈BT49D〉
フォード コスワースDFV
V型8気筒・バンク角90度
排気量:2,993cc
エンジン最高回転数:11,100rpm(推定)
最大馬力:470馬力(推定)
燃料・潤滑油: -
〈BT50〉
BMW M12/13
直列4気筒・バンク角 - 度
キューネ・コップ&カウス製ターボ
排気量:1,500cc
エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
最大馬力:570馬力(公称)
燃料・潤滑油:エルフ,バルボリン
ブラバムは長らくフォード・コスワースDFVを搭載し、前年81年はピケが初のチャンピオンを獲得しました。しかし時代は先述の通りルノーがF1に持ち込んだターボチャージャーによる「パワー合戦」が始まっていました。ブラバムはこの82年からBMWが今までF2マシンに搭載していたM12/13をF1用に改良、入念なテストを繰り返し、KKK社製ターボを搭載する決断をします。
先発のルノーやフェラーリと異なる点として、前者はV型8気筒エンジンを用いたことに対し、BMWとブラバムは直列4気筒を採用してきたことです。以前のフォードのNAに比べ、パワー、トルクとも飛躍的に向上し、最高速度は向上したもののトラブルが頻発。結局シーズン序盤でフォードに換装し直す必要が出てしまいました。
《ドライバー》
No.1 ネルソン・ピケ (第4戦を除く全戦)
ただし第2,3戦はBT49D、ほかBT50
No.2 リカルド・パトレーゼ(第4戦を除く全戦)
ただし第2,3,6〜8戦がBT49D、ほかBT50
ドライバーはF1ファンの誰もが知る有名な2人ですが、マシンの使用状況が異なるのが何ともややこしいです。この後の「戦績」にも書きますが、チャンピオンでチームのエースであるピケは全16戦中、BT50で13戦、BT49Dで2戦ドライブし、1戦の欠場があります。またパトレーゼはBT50で10戦、BT49Dで5戦ドライブして1戦欠場です。両者1戦の欠場は第4戦サンマリノGPとなっており、第2戦ブラジルGPで発覚した「ブレーキ冷却水の不正使用によるマシンの最低車体重量違反」(通称「水タンク事件」)の裁定を不服とし、ボイコットを行ったためです(ちなみに84年のティレルの件とは異なります)
《戦績》
〈BT49D〉
19ポイント コンストラクター9位
(1位1回、2位1回、3位1回ほか)
ポールポジション0回
〈BT50〉
22ポイント コンストラクター7位
(1位1回、2位1回、4位1回、5位2回ほか)
ポールポジション1回
※チームやドライバーはどちらも同じですが、
コンストラクターとしては別扱いとなります
投入時期については名称の数字の通り、前年BT49Cに続いてBMWエンジン初搭載となるBT50で開幕戦南アフリカGPに臨んでいます。ターボのパワーを引っ提げ、予選はルノーターボのアルヌーに次ぐピケが2番手、パトレーゼ4番手と好位置を獲得します。ところが決勝ではパトレーゼのターボがレース序盤の18周で根を上げ、ピケも同様に自身のミスにより早々と戦線離脱するなど、苦い幕開けとなりました。入念にテストを行ってきたにも関わらず、ターボの信頼性が乏しいとされ、第2戦ブラジルGPは再びフォード・コスワースV8NAに換装。前年のBT49Cに改良を施したBT49Dでの戦いを強いられます。
ただそのブラジルGPもフォード・コスワースを搭載したBT49D(ほかマクラーレン、ウィリアムズも)は先述「ブレーキ冷却用として用いた水でマシン重量の不正を行った」として、ピケの優勝を剥奪され、不服とした各チームが第4戦サンマリノGPをボイコットするという出来事を招いてしまいました。その後ピケはゾルダーで行われた第5戦ベルギーGPで再びBT50を採用、予選10番手から5位入賞して最終戦アメリカGP(ラスベガス)まで戦い抜いています。一方パトレーゼもBT50をドライブするもレース後半にリタイヤ、再びBT49Dに戻して第8戦カナダGPまで使用しました。
初っ端からマシントラブル(主にターボ)、改良を施すも旧型マシンと旧型エンジンに戻して、裏では眉唾モノをしでかして失格とボイコットという前年チャンピオンチームらしからぬシーズンですが、表彰台はBT50で2回、BT49Dで3回とトータルで5回あります。面白いのはその内訳です。ピケは第8戦カナダGP優勝、続く第9戦オランダGPの2位をBT50で挙げました。パトレーゼは第6戦モナコGPで優勝のほか、ピケの優勝したカナダGPの2位とロングビーチでのアメリカ西GPで挙げた3位はBT49Dによるものとドライバーで戦績がくっきり分かれました。
特にカナダGPはブラバムのワンツーフィニッシュなのに「マシンもエンジンも違う=別コンストラクター扱い」というのが現代のF1ではあり得ないことですね。
このBT50は近代F1で「戦略の肝」とされるある出来事を持ち込んだことで有名です。それはコレ。
ピットシーンですが、ここに注目!
そう、F1の決勝レース中に再給油を行っているんです。現在のレギュレーションでは禁止されていますが、一昔前までは再給油ができたため、軽いタンクでペースを上げ、再給油するタイミングとその戦略が多くのドラマを生んできましたよね。その戦略は第10戦イギリスGPで敢行。このマシンとマーレーのアイデアから生み出されたものでした。
それ以外だとホッケンハイムリンクで行われた第12戦ドイツGPのあるシーンが有名です。
18周目にトップを走るピケはATSのサラザールを周回遅れにしようとしています。
ところがシケイン入口でサラザールと接触して両者リタイヤ。
サラザールはピケが目をかけた後輩の一人。両者の目が合い、ピケが怒り心頭でサラザールに近付いていく。
アーンパーンチ!この時のマシンが今回のBT50でした。ぶっちゃけ、マシンよりこっちの方が有名そう(笑)
燃えたりぶっ刺したり、殴ったり蹴ったりの82年シーズンはウィリアムズのK・ロズベルグがわずか1勝でチャンピオンに輝くなど異例なシーズンとグラウンドエフェクトカー最終年となりました。ブラバムはせっかくターボにチャレンジしたにも関わらず、以前まで使用していたノンターボのフォード・コスワースに獲られたというのも皮肉な話です。第2戦の「水タンク事件」が悔やまれます。あ、でも2位も失格となったロズベルグでしたね、やっぱりわからんぞ?!
チャンピオンから一気に中団に埋もれることになったのは、思い切ったピットでの給油戦略やターボエンジンへのスイッチ以上に、シーズンが開幕してから判明した度重なるトラブルや弱点が露呈されたことに尽きます。まず入念なテストを行ったにも関わらず、ターボが思いの外不調で、いくつかのレースを落としました。またターボによる出力強化は成功したものの、基本は「BT49シリーズの改良版」ということで、シャシーがついていけていないという状況にも陥りました。シャシーに関してはアルミ製モノコックに部分的にカーボンで補強するなどの対策は講じていますが、70年代後半から引き続き使用していたヒューランド製のギヤボックスも強度不足によりだいぶ足かせになりました。
攻めの姿勢、技術の向上、戦略の奇策はF1には必要不可欠です。ただレギュレーションの抜け穴を見つけるだけでなく「マシンそのものの落ち度」を予め潰しておけるかも重要。チャンピオン獲得から一転、わずか1勝のライバルに防衛を阻まれ「大失敗のチャレンジャー」となったブラバムは翌83年に施行されるグラウンドエフェクト禁止に向けて、シャシーナンバーを一つ飛ばした奇抜なデザインのBT52で再起を狙うのでした。
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《設計》
ゴードン・マーレー
デビッド・ノース
《外見》
1980年代のF1マシンといえばフェラーリの真紅をはじめ、マクラーレンやアルファロメオで使用されたマールボロの印象が強くありますが、miyabikun個人的にはブラバムの白をベースにスピード感ある濃紺の矢のようなカラーリングがシンプルで好きです。地味そうに見えて、過去のレースシーンを観ると意外と目立ちます。後付けですが、この二色のカラーリングが東海道新幹線(中央リニア新幹線)とどこか似ているものを感じます。
まずは本来の82年マシンBT50からみていきます。フロントウィングが見当たりませんが、トラブルとかはなく元々無いのです。サーキットによってはウィングを付けているものもあります。
70年代末期にルノー(現 アルピーヌ)によってF1界にタービンを搭載した過給器「ターボ」が導入され、飛躍的にパワフルなエンジンが誕生しました。続いてワークスであるフェラーリもターボを搭載したことで「F1は高出力ターボの時代」に向かいつつありました。当時フォード(コスワース)を使用していたブラバムもその波に遅れまいとして、ドイツのBMWからの供給にこぎつけ、前年81年にBT49Bの改良型である「BT49T」と名付けられたマシンでBMWターボのテストを行っていました。冷却効率の強化やマシンの形状変更などを経て、82年シーズンからはBT49シリーズのマイナーチェンジではなく、BT50としてフルモデルチェンジを果たすこととなりました。
白は膨張色であることもあってか、グラウンドエフェクトカー特有の扁平かつ角々しい印象が目立ちます。しかしこのチームには空力の奇才と呼ばれたマーレーがいます。ライバルに比べるとサイドポンツーン開口は低く、開口からはなだらかな弧を描き、リヤタイヤに近い高さまで持ち上がる、正しく「航空機の羽根」のようなフォルムをしています。
BT49Dは前年にチャンピオンを獲得したBT49Cで搭載され、走行中に空気圧と油圧で車高を下げる「ハイドロニューマチックサスペンション」を除去。またグラウンドエフェクトカーの付き物である「スライディングスカート」を可動できるようにしました。さらにフロントノーズも前作(というか、本来はこちらが前作)BT50に近い作り込みとしているため、ぱっと見は酷似しています。
こちらがBT49Dで
これがBT50。
見かけ方としては、ドライバーの後ろにあるロールバーのまたさらに後ろ、エンジンカバーの部分が平坦(時にはカウルを外し、エンジン上部が剥き出し)なのと、濃紺の帯が細く続いているのがBT49D。エンジンカバーがこんもりとあり、ドライバー真横の帯に小さく「BMW」と書かれているのがBT50となります。この画像では見難いですね(笑)
メインスポンサーはイタリアの牛乳加工メーカーのパルマラットです。これでもかと言わんばかりにマシンをどこから見ても見えますね。パルマラットといえば、この時代のブラバムや少し前の時代のニキ・ラウダを連想させます。
《シャシー》
〈BT49D〉
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:580kg
燃料タンク容量:220ℓ
クラッチ: -
ブレーキキャリパー: -
ブレーキディスク・パッド: -
サスペンション:フロント プルロッド
リヤ プルロッド
ホイール: -
タイヤ:グッドイヤー
〈BT50〉
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:585kg
燃料タンク容量:220ℓ
クラッチ: -
ブレーキキャリパー: -
ブレーキディスク・パッド: -
サスペンション:フロント プルロッド
リヤ プルロッド
ホイール: -
タイヤ:グッドイヤー
《エンジン》
〈BT49D〉
フォード コスワースDFV
V型8気筒・バンク角90度
排気量:2,993cc
エンジン最高回転数:11,100rpm(推定)
最大馬力:470馬力(推定)
燃料・潤滑油: -
〈BT50〉
BMW M12/13
直列4気筒・バンク角 - 度
キューネ・コップ&カウス製ターボ
排気量:1,500cc
エンジン最高回転数: - rpm(非公開)
最大馬力:570馬力(公称)
燃料・潤滑油:エルフ,バルボリン
ブラバムは長らくフォード・コスワースDFVを搭載し、前年81年はピケが初のチャンピオンを獲得しました。しかし時代は先述の通りルノーがF1に持ち込んだターボチャージャーによる「パワー合戦」が始まっていました。ブラバムはこの82年からBMWが今までF2マシンに搭載していたM12/13をF1用に改良、入念なテストを繰り返し、KKK社製ターボを搭載する決断をします。
先発のルノーやフェラーリと異なる点として、前者はV型8気筒エンジンを用いたことに対し、BMWとブラバムは直列4気筒を採用してきたことです。以前のフォードのNAに比べ、パワー、トルクとも飛躍的に向上し、最高速度は向上したもののトラブルが頻発。結局シーズン序盤でフォードに換装し直す必要が出てしまいました。
《ドライバー》
No.1 ネルソン・ピケ (第4戦を除く全戦)
ただし第2,3戦はBT49D、ほかBT50
No.2 リカルド・パトレーゼ(第4戦を除く全戦)
ただし第2,3,6〜8戦がBT49D、ほかBT50
ドライバーはF1ファンの誰もが知る有名な2人ですが、マシンの使用状況が異なるのが何ともややこしいです。この後の「戦績」にも書きますが、チャンピオンでチームのエースであるピケは全16戦中、BT50で13戦、BT49Dで2戦ドライブし、1戦の欠場があります。またパトレーゼはBT50で10戦、BT49Dで5戦ドライブして1戦欠場です。両者1戦の欠場は第4戦サンマリノGPとなっており、第2戦ブラジルGPで発覚した「ブレーキ冷却水の不正使用によるマシンの最低車体重量違反」(通称「水タンク事件」)の裁定を不服とし、ボイコットを行ったためです(ちなみに84年のティレルの件とは異なります)
《戦績》
〈BT49D〉
19ポイント コンストラクター9位
(1位1回、2位1回、3位1回ほか)
ポールポジション0回
〈BT50〉
22ポイント コンストラクター7位
(1位1回、2位1回、4位1回、5位2回ほか)
ポールポジション1回
※チームやドライバーはどちらも同じですが、
コンストラクターとしては別扱いとなります
投入時期については名称の数字の通り、前年BT49Cに続いてBMWエンジン初搭載となるBT50で開幕戦南アフリカGPに臨んでいます。ターボのパワーを引っ提げ、予選はルノーターボのアルヌーに次ぐピケが2番手、パトレーゼ4番手と好位置を獲得します。ところが決勝ではパトレーゼのターボがレース序盤の18周で根を上げ、ピケも同様に自身のミスにより早々と戦線離脱するなど、苦い幕開けとなりました。入念にテストを行ってきたにも関わらず、ターボの信頼性が乏しいとされ、第2戦ブラジルGPは再びフォード・コスワースV8NAに換装。前年のBT49Cに改良を施したBT49Dでの戦いを強いられます。
ただそのブラジルGPもフォード・コスワースを搭載したBT49D(ほかマクラーレン、ウィリアムズも)は先述「ブレーキ冷却用として用いた水でマシン重量の不正を行った」として、ピケの優勝を剥奪され、不服とした各チームが第4戦サンマリノGPをボイコットするという出来事を招いてしまいました。その後ピケはゾルダーで行われた第5戦ベルギーGPで再びBT50を採用、予選10番手から5位入賞して最終戦アメリカGP(ラスベガス)まで戦い抜いています。一方パトレーゼもBT50をドライブするもレース後半にリタイヤ、再びBT49Dに戻して第8戦カナダGPまで使用しました。
初っ端からマシントラブル(主にターボ)、改良を施すも旧型マシンと旧型エンジンに戻して、裏では眉唾モノをしでかして失格とボイコットという前年チャンピオンチームらしからぬシーズンですが、表彰台はBT50で2回、BT49Dで3回とトータルで5回あります。面白いのはその内訳です。ピケは第8戦カナダGP優勝、続く第9戦オランダGPの2位をBT50で挙げました。パトレーゼは第6戦モナコGPで優勝のほか、ピケの優勝したカナダGPの2位とロングビーチでのアメリカ西GPで挙げた3位はBT49Dによるものとドライバーで戦績がくっきり分かれました。
特にカナダGPはブラバムのワンツーフィニッシュなのに「マシンもエンジンも違う=別コンストラクター扱い」というのが現代のF1ではあり得ないことですね。
このBT50は近代F1で「戦略の肝」とされるある出来事を持ち込んだことで有名です。それはコレ。
ピットシーンですが、ここに注目!
そう、F1の決勝レース中に再給油を行っているんです。現在のレギュレーションでは禁止されていますが、一昔前までは再給油ができたため、軽いタンクでペースを上げ、再給油するタイミングとその戦略が多くのドラマを生んできましたよね。その戦略は第10戦イギリスGPで敢行。このマシンとマーレーのアイデアから生み出されたものでした。
それ以外だとホッケンハイムリンクで行われた第12戦ドイツGPのあるシーンが有名です。
18周目にトップを走るピケはATSのサラザールを周回遅れにしようとしています。
ところがシケイン入口でサラザールと接触して両者リタイヤ。
サラザールはピケが目をかけた後輩の一人。両者の目が合い、ピケが怒り心頭でサラザールに近付いていく。
アーンパーンチ!この時のマシンが今回のBT50でした。ぶっちゃけ、マシンよりこっちの方が有名そう(笑)
燃えたりぶっ刺したり、殴ったり蹴ったりの82年シーズンはウィリアムズのK・ロズベルグがわずか1勝でチャンピオンに輝くなど異例なシーズンとグラウンドエフェクトカー最終年となりました。ブラバムはせっかくターボにチャレンジしたにも関わらず、以前まで使用していたノンターボのフォード・コスワースに獲られたというのも皮肉な話です。第2戦の「水タンク事件」が悔やまれます。あ、でも2位も失格となったロズベルグでしたね、やっぱりわからんぞ?!
チャンピオンから一気に中団に埋もれることになったのは、思い切ったピットでの給油戦略やターボエンジンへのスイッチ以上に、シーズンが開幕してから判明した度重なるトラブルや弱点が露呈されたことに尽きます。まず入念なテストを行ったにも関わらず、ターボが思いの外不調で、いくつかのレースを落としました。またターボによる出力強化は成功したものの、基本は「BT49シリーズの改良版」ということで、シャシーがついていけていないという状況にも陥りました。シャシーに関してはアルミ製モノコックに部分的にカーボンで補強するなどの対策は講じていますが、70年代後半から引き続き使用していたヒューランド製のギヤボックスも強度不足によりだいぶ足かせになりました。
攻めの姿勢、技術の向上、戦略の奇策はF1には必要不可欠です。ただレギュレーションの抜け穴を見つけるだけでなく「マシンそのものの落ち度」を予め潰しておけるかも重要。チャンピオン獲得から一転、わずか1勝のライバルに防衛を阻まれ「大失敗のチャレンジャー」となったブラバムは翌83年に施行されるグラウンドエフェクト禁止に向けて、シャシーナンバーを一つ飛ばした奇抜なデザインのBT52で再起を狙うのでした。
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コメント
コメント一覧 (13)
読み応え有りました。
ブラバムのカラーリング大好きです。
リアルタイムでは知りませんが、10年程前に(パストール・マルドナドが優勝した年)この年の事が話題になったのを思い出しました。
ピットストップ作戦に関しては、他のチームからしてみれば「その手があったか!」みたいな感じだったのでしょうか…
ただ、この頃のグランドエフェクトマシンは、ドライバー的に不評だったみたいですね。
マリオ・アンドレッティ曰く「アクセルの芸術を殺してしまった」
ジル・ヴィルヌーヴ曰く「馬力とダウンフォースの比率が間違っている」
など…
充分考えられているとは思いますが、ダウンフォースが抜けた時に、空を飛んだりしないようにお願いしたいです。
高橋徹さんの事故みたいのは見たくないです。
(幼少時に偶然テレビで観てました)
思ってしまいました、今思い返すと少し恥ずかしい。
その後2022規定のマシンが公開されたときになーんだと
その心配は杞憂に終わりました。
しっかりとした対策あっての採用だと思いますが高速域でのダウンフォース抜けやフロア下に入った空気の対処
などはしっかりとして欲しいところ。もし飛んでしまうような事があったら、令和版CLRになってしまう。
CLRの件も犠牲者が出なかったからこそ今では笑い話
ですが、300キロ超えでマシンがいきなり飛ぶなんて
恐怖以外の何事でもないので、安全かつ面白いレースが展開できるように対策し続けてほしいです。
こんにちは。今回の名車は「マシン以外」のところで
だいぶ引っ張ってしまいました(笑)
読み応えあったならよかったです。
ありがとうございます。
全盛期のブラバムのカラーリングはカッコいいですね。
ブラバムの秀逸なところは単に途中給油という
点だけではなく「給油のし易さ」も強みでした。
そういうマシンにデザイナーが仕立て上げているのは
さすがだチャンピオンチームといったところです。
高橋徹さんの事故、ありましたね。
グラウンドエフェクトカーってとても繊細かつ
高度なテクニックだと思います。
理論的には成立しても、その均衡が崩れた時の挙動や
対処が難しいです。
懸念される「浮き上がる問題」今シーズンのマシンは
どこまで解消されるか、まずは合同テストで
明らかになりますね。
こんにちは。
F1マシンのグラウンドエフェクトカーと聞くと
この80年代序盤の偏平かつ四角いマシンを連想
してしまいますよね。
さすがにデザインは現代マシンの発展形です(笑)
グラウンドエフェクトといわれても、
ただ路面に置かれているだけではピンときませんね。
ウェバーがドライブするル・マンのメルセデスCLRの
事故が思い出されますね。
前車のスリップストリームに入ると、
挙動が安定しないということがありました。
現代のマシンではある程度その懸念が
クリアされていると聞きましたが、
やっぱり確証は実際のレースシーンになってみないと
わからないですね。
もし転覆したり、跳ね上がった時もサバイバルセルや
ハロでカバーできるのかの不安もあります。
いずれにせよ、合同テストで明らかになりそうですね。
こちらもコメント参加させて下さい。
ウイングカー全盛時代のF1で迫力ありますね。
それにプラスしてターボパワーが加わる。
ところが肝心の車体シャーシが、まだカーボンファイバーモノコック導入するチームが少なく(マクラーレンとロータスくらい)
当時のブラバムもアルミニウム材質モノコックベースに部分的カーボンファイバーで補強する程度の安全性に不安がありました。
ブラバムが使用するBMWは、フェラーリやルノーが採用するV6と違って唯一の直4でしたね。
まだホンダやTAGポルシェのV6がデビューしていませんでした。
ブラバムと言えば、エースドライバーがネルソン・ピケで設計デザイナーがゴードン・マレーとのゴールデンコンビ有名。
今で言うところレッドブルのフェルスタッペンとエイドリアン・ニューウェイのコンビですね。
ネルソン・ピケもプロストと同じように、ブラバム時代で先輩ラウダからタイトル獲得の秘訣を叩き込まれて3度(1981年、1983年、1987年)ドライバータイトル獲得しましたですね。
1994年F1も、最悪でしたが?
フェラーリのジル・ビルニューブ死亡とピローニの負傷。デビュー間もない新人ドライバーのパレッティ死亡。
開幕戦始まる前にF1ドライバー全員のボイコット騒ぎ。
このボイコットで、普段は各チームで争っているドライバー同士の結束が固まって友情を深め合った。
ただ1人だけボイコットから抜け出して離脱したF1ドライバーがいました。
名前は伏せますが、ベネトンでドライブしてインディーカーでも活躍した人物とだけ言って置きます。
後は想像で?
ブラバムへのコメントもありがとうございます。
昨シーズンも久々の僅差と混戦のチャンピオン争いで
非常に盛り上がりましたが、この1982年も
非常に混戦の(F1史上最大の)シーズンでしたね。
リアルタイムで観られないのが惜しいです。
本編で挿入したブラバム2人の表彰台は
カナダGPのもので、パレッティの壮絶な事故の後の
シーンのため、喜ぶ様子のない表彰式となりました。
F1レース中の死亡事故はこれが最後となれば
よかったのですが、94年のほかごく稀に
発生してしまっています。
ボイコットから抜け出したドライバー、、
色々考えたのですが、今回のピケと仲良しで、
少々髪の薄いあの方が答えでしょうか(笑)
大正解です。本当よく御存知ですね。
おそらくチーム関係者からボイコットに参加すれば、どうなるか?圧力プレッシャーを掛けられたのでしょうね。
それにボイコット離脱しただけで無く、ドライバー同士で何を会話したか?内容をチーム関係者に暴露してしまったのが心証を悪くしたようで、最後までボイコットに参加したドライバーから不評を買ったようです。
逆にドライバー同士の連帯感を深めるために、ピアノ演奏を披露して全員を慰めたF1ドライバーもいましたですね。
古き良き時代のF1世界にジ~ンと来てしまいました。泣
1978年BT46の通称「ファンカー」は、度肝を抜かれました。笑
このシーズン最終戦に、急遽ピケがブラバムに新加入しました。
1979年BT48もアルファロメオV12エンジン搭載のウイングカーで格好良かったですが、シーズン最後で急にフォード・コスワースV8に変更した事でラウダが荷物をまとめてブラバムから去っていきました(最初の引退)
ラウダに代わってピケがエースに昇格してブラバムを引っ張っりました。
「ファンカー」が禁止されたので、BT47が欠番になってしまいました。
ターボエンジンではないフォードコスワースV8で、1勝してタイトル獲得。
フィンランド人で初のF1王者ですね。
後にミカ・ハッキネン、キミ・ライコネンへと続く。
コンストラクタータイトルは、ビルニューブとピローニの代打ピンチヒッターとしてパトリック・タンベイとマリオ・アンドレッティの活躍によりフェラーリが獲得しました。
翌年1983年、ブラバムBMWのピケが2回目のドライバータイトル獲得しましたね。
キミ・ライコネンもヘビースモーカーで、発言がクールですね。笑
ロズベルグは1986年マクラーレンでプロストのチームメイトでしたが、プロストとの相性が凄く良くて仲良しでした。
最終戦オーストラリアGPアデレイドでロズベルグ自身自ら囮となってレースを引っ張り(ガス欠りタイヤ覚悟)見事プロストの2回目タイトル獲得に貢献しました。
まるで昨年F1最終戦でのマックス逆転優勝して初ドライバータイトル獲得した時に、チームメイトのセルジオ・ペレスが貢献したように。
ライコネンもフェラーリでセバスチャン・ベッテルとW王者コンビを組んでいましたが2人共に仲良しでしたね。
ライコネンは先輩でしたがベッテルを引き立てていた感じです。
こんばんは。
この前のクイズはやはりあの方で正解ですか。
よかった(肝心なドライバー名が伏せられている)
K・ロズベルグをはじめハッキネンもライコネンも
今現役のボッタスも個性的ながらフィンランド人気質
の一面は一貫して感じられる気がします。
きっと国の風土がそういう人間を育てるのでしょう。
総じて「どハマりした時には手が付けられない速さ」
を持ち合わせています。
F1の中では数少ないながらも、選ばれし者は
それなりの結果を残してくる。
実に効率的で優秀な人材にあふれた国ですね。
ケケ・ロズベルグの息子ニコ・ロズベルグも加えたいのですが、ニコの方はフィンランド国籍ではなくドイツ国籍なんですね。
フィンランドの方々の名前は○○○ネンが多いのですが、ロズベルグと言うのはドイツ系っぽいですね。
バルテリ・ボッタスもフィンランド人で物腰が柔らかくて優しい雰囲気ですね。
ライコネンよりもハッキネンに近い感じです。
ドライバータイトル獲得する意味で、メルセデスのチームメイトがハミルトンだった事がボッタスにとって厳しいでしたでしょうか?