東京オリンピック・パラリンピック2020、まずオリンピックが無事に?(無理矢理?)開幕しましたね。直前までバタバタとスキャンダルがありましたが、簡素化されたとはいえなかなか開会式の演出はよかったのではないかと思いました。ちょっと演説が長かったカナ(笑)オリンピックの度に思うのは開会式の前にも予選や試合がありますよね、アレって毎回何なんだろうって。開会式を前に敗退してしまう選手や競技、種目もあったりするのかな。まあF1も決勝前の開会式や国歌斉唱の前にフリー走行や予選会があるので、それと同じ感覚と思えばいいんでしょうか。オリンピック中継って同時進行で各種競技が行われるので、何を観ていたらいいかとても迷いますよね。miyabikunはまだ少し先にはなりますが、競技経験のある陸上競技に注目しています。日本のみならず各国の選手には実力を存分に発揮してほしいですね!
今年の「名車を振り返る」は1月メルセデスW04以降(ドライバーズ)チャンピオンを獲得する直前のマシンに注目し、獲得までにどんな積み上げた功績や工夫があったのかをみています。今回はその視点で初のウィリアムズのマシンとなります。1996年ヒルによって獲得した前年95年のFW17(FW17B)です。ウィリアムズのチャンピオンはもう四半世紀前のマシンにまで遡らなければならないのですね。
《設計》
パトリック・ヘッド
エイドリアン・ニューウェイ
《外見》
前年94年にF1としては8年振り、GPウィークにおいて12年振りに死亡事故が発生。安全面を考慮すべくエンジンは排気量3.5ℓから3.0ℓへの縮小をはじめ、ステップド・ボトム導入によるダウンフォース低下へのレギュレーション変更されています。
一番初めに目が行くところ、マシンの先端部であるノーズコーンです。今でこそ高いノーズに吊り下げ式のフロントウィングステーは見慣れたものになりましたが、ウィリアムズはこの年からハイノーズを採用。ティレルが端を発し、ベネトンも先行していたディテールへようやく踏み切ったことになります。ステップド・ボトムでフロア高さが50mm高くなったため、フロアにより多くの気流を取り込み、少しでも多くのダウンフォースを得ることを目的としています。
今年の「名車を振り返る」は1月メルセデスW04以降(ドライバーズ)チャンピオンを獲得する直前のマシンに注目し、獲得までにどんな積み上げた功績や工夫があったのかをみています。今回はその視点で初のウィリアムズのマシンとなります。1996年ヒルによって獲得した前年95年のFW17(FW17B)です。ウィリアムズのチャンピオンはもう四半世紀前のマシンにまで遡らなければならないのですね。
《設計》
パトリック・ヘッド
エイドリアン・ニューウェイ
《外見》
前年94年にF1としては8年振り、GPウィークにおいて12年振りに死亡事故が発生。安全面を考慮すべくエンジンは排気量3.5ℓから3.0ℓへの縮小をはじめ、ステップド・ボトム導入によるダウンフォース低下へのレギュレーション変更されています。
一番初めに目が行くところ、マシンの先端部であるノーズコーンです。今でこそ高いノーズに吊り下げ式のフロントウィングステーは見慣れたものになりましたが、ウィリアムズはこの年からハイノーズを採用。ティレルが端を発し、ベネトンも先行していたディテールへようやく踏み切ったことになります。ステップド・ボトムでフロア高さが50mm高くなったため、フロアにより多くの気流を取り込み、少しでも多くのダウンフォースを得ることを目的としています。
またレギュレーション変更に合わせ、コクピット横の高さが150mm高く設定され、逆にリヤウィングの高さが150mm低く変更されました。これはウィリアムズに限ったことではなく、上記安全対策とダウンフォース低下が目的となります。今まではマシンに乗るドライバーはしっかり見えていた印象でしたが、この年から「ドライバーがマシンに埋まって見える」ようになりました。F1のオールドファンはノーズコーンをはじめとしたシルエットの変更に違和感を覚えた方が多いかもしれません。
第7戦フランスGPからリヤエンドの空力処理として通称「バットフラップ」と呼ばれるフラップを搭載し、以降各チームへ波及していきました。またFW16(FW16B)で特徴的であったドライブシャフトを一体型カバーで覆うリヤアッパーアームは継承されますが、セッティングが繊細で引き続き神経質な挙動を示すことが確認されたため、ようやく第13戦ポルトガルGPからFW17Bと称して分離された元来のタイプに戻され、柔軟なセッティングに対応できるように改良されました。それ以外には信頼性に乏しいギヤボックスにも改良をほどこしていますが、大きな変更はありません。
カラーリングは引き続きイギリスのタバコメーカーであるロスマンズをメインスポンサーとし、白地に紺と金と赤のラインが施されています。ほか、ロータスでお馴染みのコマツや前年までベネトンのスポンサーを行ってきた三洋電機など日本企業も参画。
《シャシー》
全長:4,150mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:595kg
燃料タンク容量: - ℓ
クラッチ:AP
ブレーキキャリパー:AP
ブレーキディスク・パッド:
サスペンション:フロント プッシュロッド
リヤ プッシュロッド
ホイール:OZ
タイヤ:グッドイヤー
《エンジン》
ルノー RS7,RS7B,RS7C
V型10気筒・バンク角67度
排気量:2,997cc
エンジン最高回転数:14,300rpm(推定)
最大馬力:760馬力(推定)
スパークプラグ:チャンピオン
燃料・潤滑油:エルフ
パワーダウンを目論み、排気量が3.0ℓに統一された元年、ルノーは前年までのRS6からバンク角67°はそのままにスケールダウンしたRS7を開発。ウィリアムズとルノーは協業してホンダなき時代のチャンピオンエンジンに成り上がったものの、この年から最大のライバルとして名乗りを上げたベネトンにも同型のエンジンを供給することが決定しました。
第7戦フランスGPでRS7B、シーズン後半の第13戦ポルトガルGPのFW17Bの際にRS7C投入と二度の改良を経て、同じエンジンを載せた宿敵と相まみえます。
《ドライバー》
No.5 デイモン・ヒル (全戦)
No.6 デビッド・クルサード(全戦)
前年94年にチャンピオンを取り損ねたF1二世ヒルをエースとし、セナの代役としてデビューしたクルサードをレギュラードライバーに昇格させたことにより、チーム、ドライバー共に「英国」で固めたラインナップとなります。確実と思われたドライバーズチャンピオンの奪還なるか?!
《戦績》
118ポイント コンストラクター2位
(1位5回、2位7回、3位5回、4位2回ほか)
ポールポジション12回
94年はコンストラクターズチャンピオンは守ったものの、エースでありF1界の星ともいえるセナを失い、若きシューマッハ&ベネトンにドライバーズチャンピオンを奪われる形となりました。若き才能に奪還をかけた初戦ブラジルGPは予選でヒルがポールポジション、2番手にベネトンのシューマッハを挟んで3番手がクルサードという幸先よいスタートを切ります。ところが決勝でヒルがスタートに失敗、シューマッハに前を明け渡し、さらには30周でギヤボックストラブルによるリタイヤ。クルサードはヒルの離脱の分、一つ順位を上げた2位フィニッシュとなるも、優勝のシューマッハ共々「使用燃料の規定違反」となり一時期失格扱いとなるドタバタ劇となりました(後日、チームに対してのポイント付与はされずも、ドライバーに対しては不問という裁定でクルサードの2位が確定)
14年振りに復活開催を果たした第2戦アルゼンチンGPはヒルではなくクルサードが冴え渡り、自身初のポールポジションを獲得、スタートダッシュもよく初優勝を予感させますが、エンジンが突如シャットダウンし、復帰するものの結局スロットルの不調でリタイヤ。ヒルは2番手スタートで鈍り、またもやシューマッハに先行を許しますが、3回ストップのシューマッハを退けてクルサードに代わって優勝し、翌第3戦サンマリノGPで2連勝を挙げます。
以降着実に優勝を重ねるシューマッハに対し、ウィリアムズとヒルは第5戦モナコGP、そして第7戦フランスGPから第10戦ハンガリーGPまでポールポジションを獲得するものの2位が精一杯で3勝目はハンガリーGPまで待つこととなります。チームはシーズン後半戦の第13戦ポルトガルGPでリヤサスペンションに改良を施したFW17Bを投入し、クルサードのポールトゥウィン、ヒルは2番手スタートから3位表彰台で終えています。クルサードは第15戦パシフィックGPまで4戦ポールポジションを獲得して速さの証明はできたものの、時既に遅し。シューマッハが2年連続かつコンストラクターズチャンピオンまで獲得となり、ドライバーズどころかコンストラクターズも奪われるというシーズンで幕を閉じました。
繰り返し、このFW17(FW17B)とシューマッハの駆るベネトンB195は同じエンジンを搭載しています。戦績比較すると全17戦中、ウィリアムズはポールポジション12回、優勝5回(ヒル4勝、クルサード1勝)、表彰台登壇延べ17回、ファステストラップは6回獲得。一方ベネトンはポールポジション4回、優勝11回(シューマッハ9勝、ハーバート2勝)、表彰台は15回登壇、ファステストラップ8回ということで、予選(一発の速さ)は完全にウィリアムズが優勢。ただ決勝でウィリアムズは優勝はおろか順位を落とすことも多く、何よりリタイヤの数がとても多いシーズンとなりました。最大の敗因はマシントラブルの数にあります。ギアボックスの故障によりレースを落とし、度重なるアクシデントがドライバー2人を泣かせました。またナーバスな挙動を示していたにも関わらず、開幕戦からそれを対策せず、シーズン後半でようやくアップデートに出るという対応の遅さも足かせとなりました。ドライバー2人に扱い易くするつもりが、ドライバー2人では対処できない問題で長らくつまずき、方やライバルは「ナンバー1ドライバー体制」でマシンを仕立て上げ優勝や安定したポイントを積み重ねる。前年は「絶対的エースの不調と急逝、その間を抜け出す若手」にしてやられたところ、翌年は「マシンの弱点の改善が後手に回り、エンジンの優位性もイーブンになったライバル1人に大きく打ちのめされる」という、名門らしからぬポカでチャンピオンから陥落するという屈辱を味わいました。
翌96年、ベネトンで下積みと成功をおさめたシューマッハはフェラーリの目に止まり移籍。若手成長株のクルサードは活きのいい人材を探すマクラーレンに移籍を決め、ウィリアムズはヒルをエースのまま、アメリカで大成をおさめたF1二世J・ヴィルヌーブを迎え入れることとなりました。ドライバーの移籍がありつつもウィリアムズ「チャンピオン奪還への道」は続きます。
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またレギュレーション変更に合わせ、コクピット横の高さが150mm高く設定され、逆にリヤウィングの高さが150mm低く変更されました。これはウィリアムズに限ったことではなく、上記安全対策とダウンフォース低下が目的となります。今まではマシンに乗るドライバーはしっかり見えていた印象でしたが、この年から「ドライバーがマシンに埋まって見える」ようになりました。F1のオールドファンはノーズコーンをはじめとしたシルエットの変更に違和感を覚えた方が多いかもしれません。
第7戦フランスGPからリヤエンドの空力処理として通称「バットフラップ」と呼ばれるフラップを搭載し、以降各チームへ波及していきました。またFW16(FW16B)で特徴的であったドライブシャフトを一体型カバーで覆うリヤアッパーアームは継承されますが、セッティングが繊細で引き続き神経質な挙動を示すことが確認されたため、ようやく第13戦ポルトガルGPからFW17Bと称して分離された元来のタイプに戻され、柔軟なセッティングに対応できるように改良されました。それ以外には信頼性に乏しいギヤボックスにも改良をほどこしていますが、大きな変更はありません。
カラーリングは引き続きイギリスのタバコメーカーであるロスマンズをメインスポンサーとし、白地に紺と金と赤のラインが施されています。ほか、ロータスでお馴染みのコマツや前年までベネトンのスポンサーを行ってきた三洋電機など日本企業も参画。
《シャシー》
全長:4,150mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:595kg
燃料タンク容量: - ℓ
クラッチ:AP
ブレーキキャリパー:AP
ブレーキディスク・パッド:
サスペンション:フロント プッシュロッド
リヤ プッシュロッド
ホイール:OZ
タイヤ:グッドイヤー
《エンジン》
ルノー RS7,RS7B,RS7C
V型10気筒・バンク角67度
排気量:2,997cc
エンジン最高回転数:14,300rpm(推定)
最大馬力:760馬力(推定)
スパークプラグ:チャンピオン
燃料・潤滑油:エルフ
パワーダウンを目論み、排気量が3.0ℓに統一された元年、ルノーは前年までのRS6からバンク角67°はそのままにスケールダウンしたRS7を開発。ウィリアムズとルノーは協業してホンダなき時代のチャンピオンエンジンに成り上がったものの、この年から最大のライバルとして名乗りを上げたベネトンにも同型のエンジンを供給することが決定しました。
第7戦フランスGPでRS7B、シーズン後半の第13戦ポルトガルGPのFW17Bの際にRS7C投入と二度の改良を経て、同じエンジンを載せた宿敵と相まみえます。
《ドライバー》
No.5 デイモン・ヒル (全戦)
No.6 デビッド・クルサード(全戦)
前年94年にチャンピオンを取り損ねたF1二世ヒルをエースとし、セナの代役としてデビューしたクルサードをレギュラードライバーに昇格させたことにより、チーム、ドライバー共に「英国」で固めたラインナップとなります。確実と思われたドライバーズチャンピオンの奪還なるか?!
《戦績》
118ポイント コンストラクター2位
(1位5回、2位7回、3位5回、4位2回ほか)
ポールポジション12回
94年はコンストラクターズチャンピオンは守ったものの、エースでありF1界の星ともいえるセナを失い、若きシューマッハ&ベネトンにドライバーズチャンピオンを奪われる形となりました。若き才能に奪還をかけた初戦ブラジルGPは予選でヒルがポールポジション、2番手にベネトンのシューマッハを挟んで3番手がクルサードという幸先よいスタートを切ります。ところが決勝でヒルがスタートに失敗、シューマッハに前を明け渡し、さらには30周でギヤボックストラブルによるリタイヤ。クルサードはヒルの離脱の分、一つ順位を上げた2位フィニッシュとなるも、優勝のシューマッハ共々「使用燃料の規定違反」となり一時期失格扱いとなるドタバタ劇となりました(後日、チームに対してのポイント付与はされずも、ドライバーに対しては不問という裁定でクルサードの2位が確定)
14年振りに復活開催を果たした第2戦アルゼンチンGPはヒルではなくクルサードが冴え渡り、自身初のポールポジションを獲得、スタートダッシュもよく初優勝を予感させますが、エンジンが突如シャットダウンし、復帰するものの結局スロットルの不調でリタイヤ。ヒルは2番手スタートで鈍り、またもやシューマッハに先行を許しますが、3回ストップのシューマッハを退けてクルサードに代わって優勝し、翌第3戦サンマリノGPで2連勝を挙げます。
以降着実に優勝を重ねるシューマッハに対し、ウィリアムズとヒルは第5戦モナコGP、そして第7戦フランスGPから第10戦ハンガリーGPまでポールポジションを獲得するものの2位が精一杯で3勝目はハンガリーGPまで待つこととなります。チームはシーズン後半戦の第13戦ポルトガルGPでリヤサスペンションに改良を施したFW17Bを投入し、クルサードのポールトゥウィン、ヒルは2番手スタートから3位表彰台で終えています。クルサードは第15戦パシフィックGPまで4戦ポールポジションを獲得して速さの証明はできたものの、時既に遅し。シューマッハが2年連続かつコンストラクターズチャンピオンまで獲得となり、ドライバーズどころかコンストラクターズも奪われるというシーズンで幕を閉じました。
繰り返し、このFW17(FW17B)とシューマッハの駆るベネトンB195は同じエンジンを搭載しています。戦績比較すると全17戦中、ウィリアムズはポールポジション12回、優勝5回(ヒル4勝、クルサード1勝)、表彰台登壇延べ17回、ファステストラップは6回獲得。一方ベネトンはポールポジション4回、優勝11回(シューマッハ9勝、ハーバート2勝)、表彰台は15回登壇、ファステストラップ8回ということで、予選(一発の速さ)は完全にウィリアムズが優勢。ただ決勝でウィリアムズは優勝はおろか順位を落とすことも多く、何よりリタイヤの数がとても多いシーズンとなりました。最大の敗因はマシントラブルの数にあります。ギアボックスの故障によりレースを落とし、度重なるアクシデントがドライバー2人を泣かせました。またナーバスな挙動を示していたにも関わらず、開幕戦からそれを対策せず、シーズン後半でようやくアップデートに出るという対応の遅さも足かせとなりました。ドライバー2人に扱い易くするつもりが、ドライバー2人では対処できない問題で長らくつまずき、方やライバルは「ナンバー1ドライバー体制」でマシンを仕立て上げ優勝や安定したポイントを積み重ねる。前年は「絶対的エースの不調と急逝、その間を抜け出す若手」にしてやられたところ、翌年は「マシンの弱点の改善が後手に回り、エンジンの優位性もイーブンになったライバル1人に大きく打ちのめされる」という、名門らしからぬポカでチャンピオンから陥落するという屈辱を味わいました。
翌96年、ベネトンで下積みと成功をおさめたシューマッハはフェラーリの目に止まり移籍。若手成長株のクルサードは活きのいい人材を探すマクラーレンに移籍を決め、ウィリアムズはヒルをエースのまま、アメリカで大成をおさめたF1二世J・ヴィルヌーブを迎え入れることとなりました。ドライバーの移籍がありつつもウィリアムズ「チャンピオン奪還への道」は続きます。
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コメント
コメント一覧 (5)
このシーズンは、完全にベネトンとウィリアムズの2強対決。
次にフェラーリが続きますが、マクラーレンは蚊帳の外って感じでしたね。
ミカ・ハッキネンが活躍するまで少し時間を待たないといけない?
ベネトンはウィリアムズと全く同じ仕様のルノーV10を初めて使用。
ウィリアムズはベネトンと同じ吊り下げ式ハイノーズを初めて採用。
エンジン的には、V12もV8も時代に合わなくなってV10が最適標準に固まってきた。
ベネトンとウィリアムズ双方のNo.1ドライバーであるシューマッハとデーモン・ヒルだけでなくNo.2ドライバーのジョニー・ハーバードとデビッド・クルサードも優勝したのが両チームの凄いところです。
フェラーリは唯一V12エンジンで最後のシーズンとなりましたが、カナダGPジル・ビルニューブサーキットでアレジが初優勝したのも良かったでしたね。
この時のフェラーリV12にはホンダV12技術と元ホンダエンジニアでマクラーレンからフェラーリに移籍した後藤治氏が改良を加えた効果が発揮されました。
翌年1995年、フェラーリにシューマッハが移籍してベネトンにはアレジとベルガーが移籍。
シューマッハ1人に対してアレジとベルガー2人とのトレード?
複雑な心境です。
ウィリアムズ・ルノーでテストドライバーからレギュラードライバーを通じて
過去歴代のFW14、FW14B、FW15C、FW16、FW16Bをドライブしてきた
ウィリアムズ参戦3シーズン目になるデーモン・ヒルにとっても自身専用マシンが
FW17、FW17Bですね。
翌年FW18で念願のドライバータイトル獲得したけれどウィリアムズ最後のマシンになってしまった(マンセルやプロストと同じ)
でもウィリアムズの歴代王者(アラン・ジョーンズ、ケケ・ロズベルグ、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト)の仲間入り。
アイルトン・セナもデーモン・ヒルを祝福した事でしょう。
デーモン・ヒルの次にはウィリアムズ最後の王者ジャック・ビルニューブが待っている。
こんばんは。
引き続きのコメントありがとうございます。
この時代はV10エンジンへの集約化と
ルノー搭載の二強が健闘していましたね。
フェラーリはいつもながら、マクラーレンまでもが
迷走し、この二強からは完全に遅れをとりました。
すごいのはおっしゃる通り、
フェラーリやマクラーレンを差し置いて、
ウィリアムズとベネトンの二強のセカンドドライバー
までもが台頭し、優勝をもぎ取ったところです。
ずっと昔の時代はmiyabikun分かりませんが、
感覚的にこのあたりからドライバーの腕一本
だけでなく「マシン自体の戦闘力」が成績に大いに
加担し出したように感じます。
老舗かつチャンピオンを輩出することに味を占めた
ウィリアムズは結果的にこの時代の四天王と呼ばれた
ドライバーを全員乗せた唯一のチームでしたね。
今考えてみると、とんでもない影響力と
羨望の眼差しを受けたチームだなと気付かされます。
今や名ばかりのチームになってしまいましたが、
マクラーレンやフェラーリ同様に、再浮上して
くれる日を願っています。
1994年も契約が残っていたのですが、セナと再びコンビ組むことになるので断ったと言われていましたですね。
セナの方はプロストとの再ジョイントを望んでいた?
1992年マンセルが初めてドライバータイトル獲得した時も、プロスト同様に契約が残っていましたが、フェラーリ時代にプロストとはギクシャクしたので断った。
でも1994年セナが亡くなってウィリアムズの要請を受けて米国インディーカーシリーズから帰国して代打ピンチヒッターを引き受けましたですね。
セナとマンセルのウィリアムズルノーでのコンビも見てみたかったです。
ちなみにピケとプロスト、セナとピケと言うコンビも無かったですね。笑
フランク・ウィリアムズ卿は、2人のトップドライバーを競い合わせてウィリアムズチーム全体のレベルを上げるのが得意そうですね。
ホンダターボエンジンを奪ったマクラーレンのロン・デニスに向けて対抗心を燃やしていたように見られます。
2人共に偉大なレーサーを父親に持っているのが共通でしたが、それ以外は全くタイプが違う?
インディーカーで世界王者になったジャックも、F1では全くの新人。それを優しく指導する兄貴的存在がデーモンって感じでした。
デザイナーのエイドリアン・ニューウェイはデーモン側の味方で、ジャックには好意的では無かった?
逆にパトリック・ヘッドの方は、ジャックに着きっ切りでしたね。
フランク・ウィリアムズ卿は両ドライバー上手くコントロールしていたと思います。