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先日のロシアGPではハミルトンがM・シューマッハの持つF1最多優勝記録91勝に並ぶかどうかで注目されました。結果的には3位に終わり、その記録は次戦以降に持ち越しになったわけですが、こちらの記録は無事に数を増やし、歴代最多タイに並ぶこととなりました。今までバリチェロが単独で持つ「F1最多決勝走行数」にアルファロメオのライコネンが並びました。ハミルトンの優勝に比べると地味ではありますが、70年の歴史を持つF1で「最多記録更新」となれば、暗い話題の続く今年の貴重な明るい話題の一つになります。あまり騒がれることないこの記録について、タイで並んだバリチェロとライコネンの戦績比較をメインとしてみていきたいと思います。

《決勝レース走行数300戦超えのドライバー》
 1 322戦 バリチェロ
    322戦 ライコネン
 3 311戦 アロンソ
 4 306戦 M・シューマッハ
    306戦 バトン

「300戦超え」という観点でみると、該当者は過去に5人います。そのいずれも近年までドライブした者で、バリチェロを除く4人は多かれ少なかれチャンピオンを獲得しています。F1で300戦走る機会が与えられたということは何らか「F1をドライブしてほしい」というニーズがあってこそなせる業ですが、バリチェロはノンタイトルでこれまで決勝最多出走を保持してきました。これはかなり立派なことであり、もしかしたら「チャンピオン獲得以外の他の何か」で高く評価されていたのかもしれません。
バリチェロより先の91年後半からF1にステップアップし、バリチェロの年齢を上回る43歳までF1をドライブしたM・シューマッハが下回った理由は、これは07年〜09年の3シーズンでF1現役から離れていたためであり、もしその間も現役でいた場合は306戦プラス52、さらに94年の出場停止2戦や99年の負傷欠場6戦を加味すると、366戦まで数を伸ばしていたことになります。最近はそのM・シューマッハの各記録がハミルトンによって塗り返られつつありますが、何においてもM・シューマッハがトップにいたところでした。

《最多出走2人のポイントランキング変遷》
ここからは決勝走行数最多の322戦を記録したバリチェロとライコネンに的を絞り、グラフやデータをまとめました。まずは322戦を重ねてきた所属チームとその年のドライバーズランキングをグラフ化しています。
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バリチェロはこれまでも違う記事で何回か出てきました。今回は不要な情報を取り除いて、ライコネンと横並びできる形に改良を施しています。バリチェロは93年にジョーダンからデビューしました。その後フォードのワークス扱いとして名手スチュワートが立ち上げたチームに所属。そこでの活躍をかわれて2000年からトップチームであるフェラーリでアーバインの後任に抜擢されました。そこで表彰台の常連となり自身のキャリアを上げ、チームの連続チャンピオンに貢献。しかしこの体制に嫌気がさしたバリチェロは06年から佐藤琢磨に代わりBAR改めホンダワークスに移籍。ホンダの撤退により急遽チームを失うところR・ブラウンに救われてブラウンGPで継続起用。ところがブラウンGPもメルセデスワークス立ち上げにより放出され、晩年は落日のウィリアムズで若手育成をすべく静かにF1を降りています。バリチェロはそれまで「鉄人」と呼ばれたパトレーゼの256戦走行を大きく上回る322戦として先日までF1最多決勝走行数を保持してきました。image
ライコネンはバリチェロから遅れること8年後、01年にザウバーから「条件付きスーパーライセンス発給」という珍しい扱いでF1デビュー。暫定的な扱いにも関わらず安定した完走と入賞を重ねたこともあって、5戦目となるスペインGPから正式にスーパーライセンスが与えられるという面白い経緯を持っています。翌02年からは同郷の先輩であるハッキネンの休養宣言により名門マクラーレンに移籍、先輩クルサードに引けを取らない速さをみせて03年と05年はドライバーズランキング2位を獲得するなど、ルノーのアロンソと共に次世代のF1を背負って立つ若手として期待されました。マクラーレンで速さをみせつつもマシン側の不運が降りかかり足かせになる中、フェラーリのM・シューマッハが06年限りでF1引退を発表、その後釜として07年からフェラーリへ移籍、その初年にライバルの揉め事の合間を縫って僅差の逆転チャンピオンを獲得しました。チャンピオンを獲得して以降はライバルの台頭とマシンの不振があり、09年限りで契約を1年早める形でF1を一度離れ、2年間はラリーに転向。しかし再びF1で白羽の矢が立ったライコネンは12年はルノーから改称したロータスから復帰。14年からは同期で以前はライバルとして雌雄を決してきたアロンソのチームメイトとなるフェラーリに2度目の移籍。そして15年からは公私共に交流のあるベッテルと「打倒メルセデス」に奔走しています。近年は若手の台頭が目立ち、18年限りでフェラーリを離れ、同じフェラーリエンジンを搭載する古巣ザウバー(アルファロメオ)に復帰して現在に至ります。
2人の共通点としては「共にフェラーリを長きに渡りドライブしている」点です。そのフェラーリ在籍時にキャリアベストの順位を獲得しています。グラフの尺度は2人とも20位以上で揃えて作図していますが、バリチェロの初期は参戦ドライバー数が多い点はあるものの、ざっとみる限りライコネンの方が高い水準で推移していることがわかります。共に成績、ポイントランキングは上下しつつも、バリチェロはその振り幅が大きいことも特徴的です。以前のパトレーゼのような参戦数が多いドライバーのことを「鉄人」または「苦労人」と例えることがありますが、miyabikun個人的な印象としては、同じ322戦走行の2人ではバリチェロの方がそれを強く感じます。それはライコネンはチャンピオン獲得者であること、未だ現役ドライバーであること、さらに途中で2年間F1から離れていたためだと思います。

《最多出走2人の戦績比較》
F1の獲得数には様々な比較対象が存在します。ライコネンについては現時点でまだれっきとした現役ドライバーですので、それらの数を伸ばす可能性はあるわけですが、ちょうど最多で並んだ今のタイミングで両者の戦績にどんな違いがあるのかみていきたいと思います。掲載順は年功序列でバリチェロを先にしています。

・参戦(エントリー)数
 バリチェロ:326戦
 ライコネン:325戦

バリチェロ自身のコメントに「本当は326戦だと思うんだけど、、」とあるのはこの数字のことを言っています。「今回のGPにエントリーしますよ」と申請した数になります。この数字でいくと、実はまだライコネンはバリチェロに並んでいません。この後出てくる「決勝走行数」との差について、バリチェロは94年第4戦サンマリノGPで予選落ち、98年第13戦ベルギーGPのスタート直後の大クラッシュでリスタートできず、02年第5戦スペインGPはギヤボックス故障、そして同じ年の第11戦フランスGPは以前にこのブログで振り返った通り「ダミーグリッドでジャッキを外し忘れた」ため、4戦の決勝不走行がありました。
一方ライコネンは325戦中、初年01年第14戦ベルギーGPでクラッシュによる赤旗再開時にスタートせず、05年第9戦アメリカGPは「ミシュランタイヤ勢によるボイコット」、あとまだ記憶に新しい17年第15戦マレーシアGPではグリッド上でのエンジントラブルによりスタートしなかった3レース減でバリチェロと共に「決勝走行数322戦」となります。

・決勝走行数
 バリチェロ:322戦
 ライコネン:322戦

こちらが今回の主役となる数字です。322回という数字だけでいえば、一年365日より少ないし、私達が生活する上であらゆることを322回以上していることも多いでしょうから、そう大きな数字にもみえません。しかしこれを「四輪オープンホイールレースの最高峰F1で決勝スタートを切った数」として考えれば、ただならぬ大きな数字であることに間違いありません。F1は私達一般人では想像もできない狭き門。この舞台に立ちたい若手ドライバーが五万といる中でのこの数。そして数限られたシートに10数年座ってレースしなければならないわけですから、新参者にシートを奪われず、チームからの期待に応え、ちゃんと役割を持つという環境を整える必要があります。バリチェロとライコネンは一部似た立ち位置の時代はあったものの、それでもチームに必要とされた人材であったことがこの大記録達成に結びついています。

・322戦に要したシーズン数とチーム数、年齢
 バリチェロ:19シーズン 6チーム 39歳
 ライコネン:18シーズン 5チーム 40歳

先程のキャリアグラフで示していますが、バリチェロ は19シーズンにおいてジョーダン、スチュワート、フェラーリ、ホンダ、ブラウンGP、ウィリアムズの6チームを39歳までに渡り歩きました。ライコネンはザウバー、マクラーレン、フェラーリ、ロータス、アルファロメオと5チームを41歳目前の40歳のうちに18シーズンかけて達成する形となりました。ライコネンについてはフェラーリで2回、ザウバー(現 アルファロメオ)2回を集約すると、チーム数だけでいえばたったの4チームに減ります。一度退いたチームに再び戻るのは歴代のドライバーでもたまにみられることではありますが、一度お払い箱になったフェラーリに二度在籍するというのは近年ではベルガーまで遡ることとなる珍しいケースです。プライド高きドライバーならあまり採らない移籍だろうし「一度は乗りたいフェラーリ」に二度乗るのは至難の業です。
バリチェロとライコネンの経緯の大きな違いとしては「ライコネンには2シーズンF1から離れていた時期がある」点です。バリチェロは39歳で達成したのに対し、ライコネンは41歳手前という2歳の年齢差がそこで生まれます。またバリチェロとライコネンに共通しているのは先程も触れた「フェラーリ在籍経験がある」点です。経緯や戦績はどうであれ、フェラーリに乗るくらいの人材でないと、これまで長くF1で重宝されません。

・リタイヤ数とその割合
 バリチェロ:91回 リタイヤ率28.2%
 ライコネン:62回 リタイヤ率19.3%

決勝を多く参戦していても、必ずしも全てが優秀な結果でフィニッシュしたわけでもありません。バリチェロは決勝走行322戦のうち91回に及ぶリタイヤでレースを終え、リタイヤ率28.2%。ライコネンはは決勝走行322戦のうち62回のリタイヤをし、リタイヤ率は19.3%となりました。これについては所属チームのマシンの出来栄え、ドライバー起因のリタイヤ、さらにライバルとのバトルの末そうなったため、一概に2人のせいと言い切るのは可哀想なものも多く含まれます。
余談ですが、歴代のドライバーでリタイヤ数最多なのは、決勝208戦参戦で134回ものリタイヤをかました「壊し屋」チェザリスで、リタイヤ率は64.4%となります。これではいくらマールボロから支援をされていても、フェラーリのシートには座れませんでした。

・入賞数とその割合
 バリチェロ:140戦 入賞率43.5%
 ライコネン:214戦 入賞率66.5%

入賞や獲得ポイントは時代によって変化するため、本来は並列比較には適さないデータです。それを敢えて比較すると、バリチェロは「6位、8位、10位まで入賞」の時代を経て、トータルは140戦、入賞率は43.5%。ライコネンも同様の入賞順位時代を経験しでトータル214戦、入賞率が66.5%に達しました。バリチェロは6位まで入賞の時代が長く、逆にライコネンは10位入賞の時代が長いため、バリチェロにとっては不利な戦績比較となります。
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・表彰台登壇数とその割合
 バリチェロ:  68回 表彰台率21.1%
 ライコネン:103回 表彰台率32.0%

表彰台は今も昔も3位までで統一されているので、こちらは比較しやすいです。バリチェロはフェラーリ在籍時代と09年のブラウンGP時代に数を稼いで68回、表彰台率は21.1%。ライコネンはマクラーレン時代と2回のフェラーリ時代で多くを稼いで表彰台103回、表彰台率32.0%でバリチェロを上回っています。ライコネンの表彰台数はF1歴代5位、表彰台率は単独歴代32位に位置し、現役ではハミルトン、ベッテルをはじめ、同郷のボッタスや若手のM・フェルスタッペンには及ばない割合となっています。ライコネンも充分に若い21歳のキャリアスタートとなったものの、近年はより早くF1のシートを獲得し、さらには早い段階で登壇してしまう早熟なドライバーも増えてきました。
バリチェロの表彰台率は21.1%ということは「5回に1回の表彰台」登壇、ライコネンは表彰台率32.0%は「3回に1回の表彰台」となります。ライコネンはともかく、バリチェロもそんなに多く登壇していたのですね。その件についてこの後少しだけ検証しています。

・優勝数とその割合
 バリチェロ:11勝 優勝率3.4%
 ライコネン:21勝 優勝率6.5%

ここからは特にポイントランキングで有利に働き、レースにおいて表彰台の中央で皆から讃えられる優勝の数比較となります。ライコネンはバリチェロの約倍にあたる21勝でその数は歴代15位、優勝率は6.5%に達します。バリチェロの11勝は歴代27位タイの優勝率はライコネンの約半分の3.4%に止まります。ライコネンについてはマシントラブルや自身のミスでいくつか優勝を失ったケースがあり、バリチェロは「オトナの事情」もあったため、共に本来であればもう少し数を伸ばせそうなチャンスもありましたね。マシントラブルやオトナの事情で優勝を逃すのは辛いですね。またお互いに決勝走行数から割り出しているため分母が大きい分、ライバルより低めの値となってしまいます。とても前向きな表現をするならば、これだけの多くの参戦をしてきたのに、もう少し優勝の数が多くてもよかったかな、と。まあ現役のライコネンは「今後優勝が全く無い」と言い切るのは早いですが。

・ポールポジション獲得数とその割合
 バリチェロ:14回 獲得率4.3%
 ライコネン:18回 獲得率5.5%

予選第1位のポールポジションの回数と獲得率になります。バリチェロは優勝の数に対してポールポジションがそれを上回る形となったため、要は「スタートから順位を落としている」ことが多いことを示しています。先程書いたようにバリチェロについては「諸般の事情」があったため、このような形にならざるを得なかったことをフォローしておきます。逆にライコネンは優勝の数がポールポジション数を上回る戦績となっています。チームでエースを担う時期があったこと。またライコネンの走り方自体が予選重視より決勝追い上げ方であるという特徴が出ています。

・ファステストラップ獲得数とその割合
 バリチェロ:17回 獲得率  5.3%
 ライコネン:46回 獲得率14.3%

今でこそファステストラップにはボーナスとして1ポイント付与される時代となりましたが、2人のキャリアのほとんどは「レースのある指標に過ぎない」時代のドライブでした。先程の「優勝数」でも書きましたが、上位フィニッシュをするにあたり、両者の走りの特徴がよく表れた数字だと思います。バリチェロの全盛期は「元々競争力のあるマシンと戦略で上位を勝ち取っていた」ことに対してライコネンは「予選は苦手、決勝は気合で前を追いかける」タイプの走りで上位フィニッシュを行ってきました。現役では頭一つ飛び抜けていたライコネンのファステストラップ獲得数も、近年はオールマイティーな速さでF1を席巻するメルセデスの猛追を受け、ハミルトンに上回られています。

・ドライバーズチャンピオン
 バリチェロ:0回
 ライコネン:1回(2007年フェラーリ)

バリチェロとライコネンを比較するにあって最も異なる点はコレでしょう。チャンピオンを獲得しているか否かです。バリチェロはポストセナとしてセナ自身からもお墨付きを貰う若手の有望株でした。しかし鳴かず飛ばずのキャリア前半で苦労の時期を過ごし、ドライバーとして成熟した頃とった行動は「トップチームでのセカンドドライバーの求人に飛びついた」ことでした。こうすれば表彰台常連、エースドライバーのお許しがあれば優勝も近道、という移籍をしています。もちろんこの選択が悪いわけではありませんし、マシンそのものがよければ、自分の戦績もよくなります。しかし所詮は「セカンドドライバー」ですから、この後出てくるキャリアグラフからもわかるように、チャンピオン獲得を許される環境ではありませんでした。またフェラーリ在籍以外の09年にもチャンピオン獲得の大チャンスが巡ってくるわけですが、それを惜しくも逃す形となりキャリア終盤は戦績低下の一途を辿りました。チャンスを逃すということは、バリチェロ自身やファンには失礼な言い方かもしれませんが、残念ながら「値しなかった」と結論付けられてしまいます。
ライコネンも決して簡単にチャンピオンを獲得したわけではなく、キャリア前半から並み居る先輩をかき分けて何回か惜しいところで破れるというシーズンを繰り返しました。実際には07年のチャンピオンに輝いたものの、シーズンの流れからいけば完全にマクラーレンからの獲得がみえていた中で「敵の自滅」が功を奏し、ギリギリの大逆転チャンピオンをモノにしました。速さには定評がありつつも、自身のミス以上に乗ったマシンに泣かされた日々が多くあったことが悔やまれる点かもしれません。

《キャリアグラフ》
先程のキャリアグラフを重ねてみます。暖色赤系のグラフがバリチェロ、寒色青系をライコネンとし、フェラーリ在籍期間を二重線で結んで強調してみました。初めは「実際の時系列」に合わせるとこうなります。
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ライコネンの「空白期間」のグラフは切りました。バリチェロはライコネンより8年早くF1参戦してフェラーリに移籍するまではランキング10位前後をさまよう形となります。ライコネンは2年目にマクラーレンへ移籍するとランキング一桁台につけ、フェラーリに移籍したバリチェロとランキング2位を交互に取り合う成績を挙げています。バリチェロと入れ替わりでフェラーリに移籍したライコネンはその初年07年でようやくチャンピオンを獲得するも以降は成績を落とし、F1から逃げるような形で空白期間に入りました。その間バリチェロはウィリアムズで何とか食い下がるも、年齢的にも限界があったか若手にシートを奪われてF1を離れて行きました。ライコネンは2年のブランクがありつつもバリチェロがF1を離れた12年にロータスから現役復帰を果たし、ブランクを感じさせることなくまた一桁台のランキングを長らく維持しています。そんなライコネンも近年は下位チームのアルファロメオに移籍したこともあって、バリチェロの晩年と似た波形を描くようになりました。時系列ではなく、年数(キャリア)で示した方がその手はわかりやすいかもしれません。
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こちらはライコネンの空白期間を詰めて繋いでいます。水準としては水色のライコネンの方が高いランキングで推移しています。ランキング上位進出は所属するチーム、マシンの影響もあってか、ライコネンの方が早い年次でランキング2位を獲得しています。ライコネンはキャリア7年目でチャンピオンとなり、ランキング上位を行ったり来たりしています。バリチェロはフェラーリ在籍期間で急激に上位ランクを続けますが「契約」がありますのでそれ以上の成績が許されません(仮に許されていたにしても、1位に浮上できたかはわかりません)バリチェロは17年目にあたる09年の「ブラウンGPフィーバー」で相方バトンに先行され、ライバルの成長株であるレッドブルのベッテルに競り負けてしまう時点で、それ以上の結果を獲得することは不可能でした。チャンスをモノにできるかできないかも、チャンピオンになる資質の一つです。

《戦績グラフ》
戦績をさらに細分化させ、予選決勝の順位をプロットしてみました。まず時系列編。image
うわ、最多と最多の予選決勝ともなると、プロットの数がすごいことになります。322戦のドライバーが2人。それも予選と決勝ですから、プロット数は1,288にもなります。これはデータのサンプル数としたら充分ですが、見るに耐えない。
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予選と決勝を分けてみました。これならば多少はマシでしょうか。予選順位は丸、決勝順位を四角として、予選の方には途中から導入された「ノックアウト方式」を示しました。年によってQ2進出ボーダーラインが若干変わりますが、現在の15位で揃えさせて頂きました。決勝編は3位までの表彰台ラインと入賞ラインを一応時代に合わせて薄く色付けしてあります。いつものことですが先程のランキンググラフが近似線のようになっていますね。2人のドライバーが重なる時代は青系のライコネンのプロットの方が高い位置にあるようにみえます。チームは異なれどここが「チャンピオン級かセカンドドライバーか」の違いとして表れてくるのだと思います。image
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これを先程のポイントランキングと同様にキャリアに並べ替えてみます。予選、決勝共にライコネンの方がキャリア100戦前後の前半に上位フィニッシュがみられます。100戦台後半に入るとバリチェロのフェラーリ移籍が上位2位付近に浮上し、ライコネンと拮抗。また250戦付近で上位が続くライコネンに対してバリチェロが下位に沈んだまま続き、300戦付近は共に右肩下がりのプロットとなっています。この300戦を超えたあたりからのライコネンの沈下の仕方がバリチェロになぞらえているようで、ライコネンの終焉がそう遠くないようにも思えてしまいます。miyabikun個人的にはあと1年くらい頑張ってほしいなと思っているのですが。

《今後の行方》
今時点では来シーズン以降のライコネンの去就ら発表されていませんが、少なくとも今シーズンはあと7戦残っているため、バリチェロのいう326戦をも超えた最多単独1位を更新してきます。また来シーズンからは現在決勝走行数311戦を誇るアロンソの復帰が決定しているため、この記録に並び、超える可能性もあります。その他現役では先日のロシアGP終了時点でハミルトンが260戦、ベッテルが250戦と続き、それら2人はまだ3シーズン以上分の開きがあります。
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今シーズンのアルファロメオは昨年以上の不出来により苦戦を強いられ、まもなく41歳となるライコネンが継続参戦するか否かに注目が集まります。記録には興味が無いってサラりとかわされそうですが、実は1レースでも多くF1で走ることを誰よりも密かに楽しみにしているかも(笑)

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