以前にオランダGPのザントフォールトサーキットを取り扱った際に「いつかフーゲンホルツについて調べたい」と書いたことがあります。本来なら来週末がオランダGPの予定なのですが、残念ながら今年は延期となりました。時間はたっぷりあるし、せっかくなので「フーゲンホルツの残した功績と日本との関わり」について2回に分けて書いていきたいと思います。

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ジョン・フーゲンホルツ
1914年生まれのオランダ人です。一般的にF1やモータースポーツに携わる技術者は機械系や素材系の出身が多く、さらにはサーキットの設計となれば建築や土木などが専門分野ではありますが、フーゲンホルツは元々法律が専門だったようです。意外ですね。その中でオランダの自動車クラブを立ち上げるなど、当初は仕事とは別にアマチュアとしてモータースポーツと関わってきました。1948年に完成したザントフォールトサーキットで49年からサーキットの支配人に就任します。ザントフォールトはフーゲンホルツが設計したと言われていますが、それは誤りで「支配人」としての関わりとなっています。

《サーキット支配人として》
支配人になるとイタリアのモンツァ、イギリスにあるブランズハッチ、ドイツのホッケンハイムリンクやニュルブルクリンクとF1と馴染みのあるヨーロッパ諸国のサーキット支配人と「サーキット支配人連盟」なる会合の会長を務めています。組合みたいで面白いですよね。そこで「イベント時の観客誘導」「音響設備の設置方法」などのマニュアルを整備されたようです。確かにサーキットはレースの場であると同時に、観客に安全かつ快適な観戦をしてもらう場でもあります。このような活動が今日まで「エンターテイメントとして」のモータースポーツの発展に繋がっているのでしょう。

・ザントフォールト(オランダ)
 開業 :1948年
 F1開催:30回
 現状 :使用中(改修あり)
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1952年からザントフォールトがF1オランダGPの舞台に決まり、以降85年まで30回行われることになるわけですが、フーゲンホルツは74年までサーキットの支配人の傍ら、支配人以外の「別の顔」をもつことになります。新規サーキットの運営指導や設計です。

《サーキット運営の指導者、設計者として》
フーゲンホルツが携わったF1に馴染みのあるサーキットは皆さんお馴染みの鈴鹿をはじめ、スペインのハラマ、ベルギーのゾルダーとニヴェルがあります。またドイツのホッケンハイムリンクは改修に携わって今でも(昨年2019年まで)F1で実際に採用された区間が残っています。

・鈴鹿(日本)
 開業 :1962年
 F1開催:31回
 現状 :使用中(改修あり)
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鈴鹿は言うまでもなく日本のモータースポーツを代表する戦いの舞台の一つです。フーゲンホルツはこの鈴鹿をきっかけにサーキット運営の指導者、設計者として展開していきました。
この図をみると、鈴鹿っぽくはあるけど微妙に形が違うような、、これについては次回に少しだけ掘り下げてみたいと思います。黄色ラインでレイアウトを描いていることも覚えておいて下さい。現在は箇所の改修を経て、フーゲンホルツのアイデア以外の要素も加わりましたが、ベースは大きく変わっていません。

・ゾルダー(ベルギー)
 開業 :1963年
 F1開催:10回
 現状 :使用中
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鈴鹿に次いで関わったF1開催サーキットはオランダのお隣ベルギーのゾルダーです。元々ベルギーGPの舞台としてきたスパ・フランコルシャンは公道を使う一周全長14kmと非常に長く、レース自体の速度向上に伴って危険であるとの観点から1970年を最後にカレンダーから外れました。それによって1年のブランクを経て、72年に開業したばかりの後述ニヴェル、そして73年にこのゾルダーでベルギーGPが行われました。サーキット自体はニヴェルより前の63年開業です。短絡的なクローズドサーキットに改修されたスパ・フランコルシャンが誕生するまでの間、F1が10回開催され、84年シーズンをもってベルギーGPの座をスパ・フランコルシャンに戻しています。ゾルダーと聞くとやはりフェラーリ期待の若手G・ヴィルヌーブの事故死が有名です。ヴィルヌーブの名はコーナー名として残り、ゾルダーサーキットはまだ現役として活用されています。

・ホッケンハイムリンク(ドイツ)
 改修 :1966年(開業は1932年)
 F1開催:37回(再改修後を含む)
 現状 :使用中(再改修あり)
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今シーズンはカレンダーからまた外れたホッケンハイムリンクもフーゲンホルツの手が加えられています。1932年にホッケンハイムリンクは今よりも壮大な一周12kmを超える巨大サーキットで開業しました。そこからF1が制定される前の38年に楕円形のような一周全長7.725kmに短縮されています。
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しかしアウトバーンが南北に貫通するように建設されるのを機にフーゲンホルツが現在コントロールラインの置かれる「スタジアムセクション」を設置し、さらに反時計回りしていたトラックを時計回りに切り替えました。70年からF1ドイツGPの舞台に採用された際は森の中の高速区間に速度抑制のシケインを設けてGPを開催。長らくドイツGPとして定着してきました。近年は2002年にヘルマン・ティルケのデザインでさらに短縮化改良を経て現在に至ります(図の赤波線)

・ハラマ(スペイン)
 開業 :1968年
 F1開催:9回
 現状 :使用中
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1950年代にペドラルベス市街地で行われたスペインGPはしばらくF1カレンダーから外れ、再びスペインGPが開催されたのはこのハラマサーキットでの開催によるものでした。81年までの間にモンジュイック・パークと交互の開催で9回F1で使用されています。全長は3.4kmと比較的短く、長いストレートと鋭角なコーナーで構成されています。しかし幅員も狭いため、追い抜きが困難だったといわれます。サーキットレイアウトを見る限り、個人的には四輪レースよりかは二輪や自転車レースの方が適しているような気もします。

・ニヴェル(ベルギー)
 開業 :1971年
 F1開催:2回
 現状 :廃止
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危険とされたスパ・フランコルシャンに替わってベルギーGPが開かれたニヴェルもフーゲンホルツがデザインした一つです。開業した翌年1972年に使用され、翌年は先述のゾルダー、そして1974年もベルギーGPで使用されました。現在はサーキットを廃止し、一般開放されて一部は緑に戻ったものの多くは周辺道路としてサーキットの片鱗を確認することができます。
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《世界各地のサーキットに広まるアイデア》
サーキットの支配人からデザインまで手掛けてきたフーゲンホルツは、あるアイテムを開発し、それが世界中のサーキットに設置されました。それは「キャッチフェンス」です。
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これもフーゲンホルツのアイデアの一つです。ガードレールでクラッシュすると、時として身体を切断してしまう痛ましい事故が多くありました。これであれば衝突時の衝撃をある程度吸収してくれます。今ではさらに改良を経てあまり見かけなくなったものの、安全対策に力を入れていたフーゲンホルツならではの功績ですね。


フーゲンホルツは1995年にザントフォールトで運転中に事故に遭い、妻共々事故死しています。1974年にザントフォールトサーキットの支配人を退いた際は彼の数々の功績を讃え、ターン3は「フーゲンホルツ」という名前が付けられています。退いた後もフーゲンホルツは実に様々な角度からモータースポーツに関わり、後世に伝えてきました。特に日本とは鈴鹿サーキット以外にもいくつかの関わりがあったりします。次回は「フーゲンホルツと日本」についてみていきたいと思います。

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