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珍しくフェラーリの連投になります。フェラーリなのに白のライン。見慣れないし何だか嫌な予感がしますね(笑)前回2014年型F14Tの「ある意味の大先輩」にあたる93年型F93Aです。まだやるか駄馬!

《設計》
 ハーベイ・ポスルズウェイト
 ジョン・バーナード
 マイク・コフラン
 ジョージ・ライトン

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《外見》
まず独特なカラーリングから見てみましょう。モノコックの高さでエンジンカバーまで真っ直ぐ白いラインが入っています。この色使いと位置をみれば1975年のラウダによってチャンピオンがもたらされた312Tが思い出されます。
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そこからしばらく紅と白のツートンカラーが採用されますが、ラウダが離れた頃から成績が落ち始め、80年代に入るとシャシー本体は基本的に紅一色、ウィング類が黒をまとって、アジップとフェラーリのロゴマーク「カヴァッリーノ・ランパンテ」の黄色で構成されています。しかし前年92年はオリジナリティあふれるF92Aで散々たるシーズンを送りました。その流れを断ち切るべく、チャンピオンを獲得した時代に「原点回帰」したかったのでしょうか。
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ベースはそのF92Aとしたため、軽く浮いたノーズコーン周辺に名残がみられます。しかし特徴的だった縦楕円のサイドポンツーン開口を角張った縦長に変え、高重心のタネにもなった「ダブルデッキ(ダブルフロア)」と呼ばれる二重床構造を廃止しました。ダブルデッキはリヤエンドへスムーズな気流を通し、ディフューザー効果を高める目論みがあったものの、エキゾーストパイプの取り回しなどに無理を強いられ、冷却効率の低下やエンジン出力の低下に繋がったと言われています。そこで一般的なおさまりに戻したというわけです。
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それ以外の特徴的な部分としては、一歩「遅れをとった」アクティブサスペンションの導入です。アクティブサスペンションと聞くと、前年92年のウィリアムズFW14Bが連想されますよね。これが大当たりしてウィリアムズ&マンセルにやりたい放題され、当然翌年ともなればライバル各車こぞって搭載してくるわけですが、このF93Aは大失敗を冒してしまいました。とにかく思うように機能しない。アクティブサスペンションはサスペンションそのもののハード面が正常に作動することはもちろんのこと、ソフト面、いわゆる「指示系統」がしっかりしていないと最適な状態を作れません。何度も何度もアクチュエーターに改良を重ね、危険な挙動を示すことも多々あり、ようやくまともになったのはシーズン終盤と時すでに遅しでした。
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シャシーのネーミング「F93A」の93は想像できるけど、末尾のAって何ぞやという話ですよね。Bがこの後に?!の予定でしたが結局立ち消えとなりました。F93Aをライトンに託し、バーナードは別系統でBを開発中だったものの、シーズン途中で「翌94年でハイテク装備(電子制御デバイス)禁止」を決定したことによって、94年型の開発にシフトしたためです。

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《シャシー》
 全長:  - mm
 全幅:  - mm
 全高:  - mm
 最低車体重量:505kg
 燃料タンク容量: - kg
 ブレーキキャリパー:ブレンボ
 ブレーキディスク・パッド:ヒトコ
 サスペンション:フロント プルロッド
          リヤ    プルロッド
 ホイール:BBS
 タイヤ:グッドイヤー

《エンジン》
 フェラーリTipo041(E2A-93)
  V型12気筒・バンク角65度
 排気量:3,497cc(推定)
 エンジン最高回転数:15,000rpm
 最大馬力:730馬力(推定)
 燃料・潤滑油:アジップ

ターボ廃止以降、90年代前半のフェラーリといえば何といっても3.5ℓV12気筒エンジンですね。太く力強いエキゾーストノートを奏でて、多くのファンを魅了してきました。しかし、ライバルと比べるとホンダV12や軽量かつコンパクトなルノーV10に比べてパワーの点で劣るという声も多くあり、90年代前半で遅れをとっていたのも事実でした。93年シーズンは少数派となったフェラーリV12は92年シーズンをもってF1を撤退したホンダと秘密裏に技術提携を図る策を採ります。ホンダV12はコンパクトでエキゾーストパイプの取り回しに定評があったことで有名でした。1シリンダーあたり5バルブ搭載していたものを4バルブ化するなどの進化を経て、結果的にシーズン終盤は戦闘力の向上を果たしています。
ギヤボックスは前年の後半車F92ATから引き継ぐ横置きとなっています。ただし、セミオートマチック7速から6速と1段数減らしたものを搭載しました。

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《ドライバー》
 No.27 ジャン・アレジ   (全戦)
 No.28 ゲルハルト・ベルガー(全戦)

若きエースのアレジを軸とし、マクラーレンからベルガーが再びフェラーリに復帰してきました。フェラーリ=ナンバー27と28。チームの持ちナンバー制が懐かしい。

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《戦績》
 28ポイント コンストラクター4位
 (1位0回、2位1回、3位2回、4位3回ほか)
 ポールポジション0回

91年のプロスト&アレジ体制、92年のアレジ&カペリ、ラリーニ体制で未勝利と「暗黒期」を迎えたフェラーリはベルガーを呼び戻し、暗黒期からの脱却を狙います。
92年よりは多少減ったものの、シーズン通してとにかくリタイヤが多いです。その数は全16戦のうち、アレジが9回、ベルガーは7回と2台揃っての完走は第6戦モナコGP、第10戦ドイツGP、そして最終戦オーストラリアGPのたった3回しかありません。この「名車を振り返る」を書く時は記憶だけでなく一応そのシーズンの総集編ビデオをザッと眺めているのですが、おさめられるのは周回遅れになったり、リタイヤや接触するシーンばかりです。あのフェラーリが、それもアレジとベルガーをもってしても、かなり苦戦したシーズンを味わっています。28ポイントという数字だけみればとても低いように感じますが、この年はウィリアムズが最後のハイテクマシンFW15Cで大暴れした年でした。ウィリアムズが168ポイント、2位のマクラーレンがそのちょうど半分の84、3位ベネトンが72、そしてこのフェラーリはウィリアムズの1/6しか稼げないコンストラクター4位と聞けば「四強」と呼んでいいのか悩ましい結果ですよね(ちなみにランキング5位のリジェは23ポイント)ウィリアムズ天下で単に年が悪かった、という言い訳も苦しい領域です。
当然ポールポジションは無く、予選最上位は第13戦イタリアGPのアレジによる3番手となっており、アレジ、ベルガーともに大抵が5番手から酷いレースだと16番手なんてのもありました。決勝最上位はそのイタリアGPのアレジの2位をはじめ、モナコとハンガリーの3位2回と表彰台登壇もシーズンでたったの3回に止まりました。この不調の原因はウィリアムズの強さはさておけばやはり開発途上にあったアクティブサスペンションの不調や誤作動が大きかったと考えられます。その極め付けが第14戦ポルトガルGPのベルガーでした。ピットアウト時に急な誤作動が生じてスピンしてクラッシュしたものです。
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間一髪くぐり抜けてガードレールへ。
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例え単独事故であっても、あってはならないことですが、本線は最もスピードにのるストレートエンドだし、他車のちょうど隙に横切ったので大惨事は免れました。マシンがドライバーの理想としない挙動を示す。それはドライバーが信頼を寄せて車を操ることができないことに繋がります。私たちが車やバイクに乗る際にステアリングと逆方向にロールが入ったり、遅れたりしたら怖いですもんね。

F1の世界は何か問題や成績の不調がみられた場合、ドライバーやチーム代表、スタッフを契約の有無関係無く、容赦無く切ってきます。前年のカペリがいい例で、特にフェラーリはその傾向が強いチームです。この年、フランスGPからラリー界でプジョーの監督をしていたジャン・トッドに白羽の矢を立て、チーム再建にかけました。F1は全くの未経験者ですがトッドはシャシーの設計チームを一本化し、必要な人材を確保するなど、今まで無かった切り口でフェラーリを束ねていきました。IMG_2984
そうそう、左にいる帽子のおじさんもこの頃はフェラーリのアドバイザーでしたね。大ゲンカした方はこの頃もういませんので、安心して座っていられますね。

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チャンピオンは第14戦でプロストに決まり、94年のハイテク禁止もあって、シーズン終盤のライバル達は消化試合と言わんばかりの姿勢を採りました。そんな中フェラーリはアクティブサスの改良、エンジンの改良を欠かすことなく取り組み続け、最終戦でようやくアレジ4位、ベルガー5位のダブル入賞でシーズンを終えます。開発の遅さ、未熟さ、そして優勝無しと引き続き「暗黒期」ではありましたが、その中でも「明るい将来」の期待を持たせるシーズンとなりました。一番悪い時代を味わえば、あとは上がるのみ。またフェラーリが「勝利」する日を目指して。

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