ペーター・ザウバーは存命ながら当人はおらず、チームとシャシーに名だけが残り、今や古豪の領域に入りつつあります。中団から下位を行ったり来たりするチームは近年フェラーリ色が一層強く、この名前が今後いつまで継承されるのかも非常に興味がありますね。
来シーズンはチャンピオン経験者のライコネンを迎え入れ、さらなる飛躍が期待されます。F1現役最高齢、最多出場のライコネンのキャリアスタート、共に才能を開花させたのもここザウバーからでした。今回はそのデビューマシン、2001年型C20を取り上げてみます。
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《設計》
(セルジオ・リンランド)
レオ・レス
ステファン・テイラー
ウィリー・ランプ

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《外見》
当時のチーム名は「レッドブル・ザウバー・ペトロナス」でした。今のレッブルグループと同様にノーズコーンの着色が施され、色はクレディスイスっぽい白へ。サイドポンツーンにはペトロナスの可愛らしいフォント。更にはエンジンはフェラーリという、今のライバルトップチームによる合作みたいになっています。ザウバーは元々メルセデスというバックボーンをもってF1参戦していますから、ありとあらゆる策を講じてF1で生き延びていることになります。プライベーターとして賢いやり方です。
優勝やポールポジションもないこのマシンでも、ある革新的なアイデアが盛り込まれています。フロントサスペンションの「ツインキール」化です。
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90年代中盤からシフトしたハイノーズマシンにおいて、ノーズ下の空間をいかに有効活用してダウンフォースを得るかが課題でした。一般的にはノーズ下にロワアームを接続させるコブ(キール)で支持しますが、そうなると空力的に邪魔となります。そこでリンランドはそのコブを二又に独立させて左右のロワアームに繋げてより効率的な下部気流となるようにしました。以降このマシンを模倣するチームが多く出現し、05年マクラーレンMP4-20が「ゼロキール」を導入するまでトレンドとなりました。このC20といいMP4-20といい、たまたまだと思いますがライコネンは「サスペンションの先駆けマシン」のどちらもドライブしていることになります。そんな工夫を施したリンランド当人は実はマシンは作るも開幕直前にフェルスタッペンらが所属するアロウズに移籍したため、まさにチーム成績上昇のための「置き土産」をする形となりました。
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その他、フロントウィングやノーズへのステーもサーキット特性に合わせた形で様々なバージョンを用意。また前作C19と比較して低重心化と35kgの軽量化も図られており、一年落ちとはいえチャンピオンマシンに搭載されたエンジンは若手ドライバー2人の台頭をさらに助けています。

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《シャシー》
全長:4,450mm
全幅:1,600mm
全高:950mm
最低車体重量: − kg
燃料タンク容量:− ℓ
クラッチ: −
ブレーキキャリパー:ブレンボ
ブレーキディスク・パッド:ブレンボ
ホイール:BBS
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:ブリヂストン

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《エンジン》
ペトロナス01A
(フェラーリTipo049)2000年型の一年落ち
V型10気筒・バンク角90度
排気量:2,997cc(推定)
最高回転数: - rpm(非公開)
最大馬力:770馬力(推定)
スパークプラグ:チャンピオン
燃料・潤滑油:ペトロナス

エンジンは前年00年にM・シューマッハがハッキネン打破に成功したフェラーリF1-2000に搭載された「Tipo049」をペトロナスのバッジネームで使用していました。パワーは折り紙つき。

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《ドライバー》
No.16 ニック・ハイドフェルド(全戦)
No.17 キミ・ライコネン(全戦)

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《戦績》
22ポイント コンストラクター4位
(3位1回、4位3回、5位1回、6位6回ほか)
ポールポジション0回

ドライバーは一新し、プロストからデビューしてこの年からザウバーに移籍してきた2年目のハイドフェルド23歳。そして下位の下位カテゴリーとなるフォーミュラ・ルノーでたったの23戦しか出走していないライコネン21歳による若手コンビに変更して挑みました。ハイドフェルドもライコネンも今まで経緯については何回か取り上げてきましたし、わざわざ取り上げるまでもなく有名な話かと思いますが、ハイドフェルドはドイツを代表するメルセデス育成選手の一人としてマクラーレンのテストドライバーを経験するなどポストM・シューマッハと期待された若手。逆にライコネンは「どこの馬の骨かわからぬ」状態でスーパーライセンス発給についても「とりあえず4レースまでの条件付き」という仮免許状態と、今ではあり得ないスタートを切っています。
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怪しい面持ちで蓋を開けてみれば、開幕戦オーストラリアGPではハイドフェルドが予選10番手から決勝4位入賞、ライコネンは13番手スタートから6位入賞と予想を覆す結果で始まります。以降ハイドフェルドは第3戦ブラジルGPで自身初の3位表彰台を獲得して、プロストでの1年目を払拭する結果を残し、株を一気に上げています。ライコネンは表彰台こそないものの、最高位4位を2回、計4回の入賞を記録し、堂々とスーパーライセンスの発給にこぎつけています。
結果的にハイドフェルドは12ポイントを獲得してランキング8位、ライコネンは9ポイントでランキング10位となり、フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズに続くコンストラクターズ4位に浮上するという飛躍的なシーズンを迎えることとなりました。この順位は現在までのザウバー参戦23年(BMWザウバー時代を除く)の歴代最高位となっています。
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マクラーレン(メルセデス)のチャンピオンであるハッキネンがいよいよ休養、そうなれば表彰台を獲得し、さらにはテストドライバーであったハイドフェルドの出番か!?と思いきや、マクラーレンがハッキネンの後任に選んだのは同郷のライコネンの方でした。ライコネンはマクラーレンのドライバー初戦の02年開幕戦で早速3位表彰台、キャリア3年目の03年マレーシアGPで初優勝と出世街道まっしぐら。方やハイドフェルドは03年までザウバーに居座る形からジョーダン、ウィリアムズ、また(BMW)ザウバーとチームを転々。速さと安定した完走率は確保するも優勝はなく、11年にルノーを途中離脱する形でF1を去っています。キャリアも歳も浅い「2つの才能」はこのマシン以降、全く違う方向へ進むこととなりました。
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ライコネンは老いた今でもF1界を代表する人気ドライバーとして居続けています。半ば「賭け」だったかもしれませんが、当時のマクラーレンとメルセデスは先見の明があったのかもしれません。