アメリカにまだ行きたくなーい!日本GPの余韻に浸っていたいですね。一昔前のF1ならば、日本GPが大トリだったのに近年はまだ少しだけレースが残っています。そう、肝心なチャンピオンがまだ決定していませんね。あと4戦残っていますよー、まだまだ何が起こるかわかりませんので、最終戦までしっかり見届けましょうね!
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今年の鈴鹿での日本GPは30回目ということでサーキット側も特典や特別席の設置、OBドライバーによるイベントと、なかなか力の入ったものとなっていました。そしてメインスポンサーは鈴鹿サーキットを本拠地とし、唯一の日本製パワーユニットであるホンダでした。
とはいえ、F1ファンの数は一時期に比べると減少の一途を辿っており、日本国内はもとより世界全体でかなり落ち込んでいます。老若男女関わらず盛り上がっていた頃を知る者からしたら、寂しく悲しいことですよね。そんな状況であっても、以降3年の開催延長が発表されたのはせめてもの救いです。日本GPが終わると鈴鹿サーキットの観客動員数が公表されます。各メディアやブログでご覧になった方も多いと思います。その多くは数字や表のみで示しているので、数字だけでは正直ピンときません。そこでmiyabikunはどんな出来事や状況下での観客動員数なのか、グラフを使ってもう一段掘り下げてみていきたいと考えました。いつものようにダラダラ書いてますがお付き合い下さい。

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こちらがよく見かける「鈴鹿サーキットでの日本GP観客動員数」をグラフ化したもの。下から緑が金曜日、青が土曜日、赤が日曜日として累積していますので、山が高いと多く動員していることになります。
金曜日はフリー走行が充てられていますが、歴代最多は1991年の69,000人でした。土曜日はフリー走行や予選が充てられ、最多は意外にも近年となる2006年の143,000人。そして日曜日の決勝も同じく2006年の161,000人となっています。日本GPのチケットは3日間の通しですので、ざっくり1人平均で50,000円と仮定しても、161,000枚×50,000円=80億5千万円なのか。シューマッハみたいな額になるんですね。逆にそれを1人で稼いでいたと考えてもとてつもないな。
とまあ調子のいい時代はこんな感じだったということで、歴代の動員数を4つの時代に等分してみていきます。

    ★は日本GPでチャンピオン決定
    ☆は日本GP時点でチャンピオン未定
    ● は以前に当ブログで振り返っている日本GP
    日付は決勝日、天候は決勝スタート時のもの

《鈴鹿F1創成期》
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1987年から94年の8年間になります。富士スピードウェイでの開催から9年の時を経て、舞台を鈴鹿に移し、日本人のF1フルタイムドライバーが誕生し、合わせてフジテレビでの中継も始まったことで日本でF1を身近に感じ始めた頃ですね。

87年 11/1   晴れ  第15戦 / 全16戦 ★
決勝 112,000人  3日間222,000人
    同チームのピケVSマンセルの決定戦
    ウィリアムズ・ホンダの活躍
    フジテレビ放映、中嶋悟F1初鈴鹿

88年 10/30 晴れ 第15戦 / 全16戦 ★
決勝 121,000人  3日間233,000人
    同チームのプロストVSセナの決定戦
    マクラーレン・ホンダの活躍
    鈴木亜久里のスポット参戦

89年 10/22 晴れ 第15戦 / 全16戦 ★
決勝 132,000人  3日間283,000人
    同チームのプロストVSセナの決定戦
    マクラーレン・ホンダの活躍
    NAエンジン統一初年

90年 10/21  晴れ 第15戦 / 全16戦 ●
決勝 141,000人  3日間316,000人
    異チームのプロストVSセナ決定戦
    日本人は中嶋悟と鈴木亜久里の2人体制
    中嶋悟の駆るティレルのハイノーズマシン

91年 10/20  晴れ 第15戦 / 全16戦 ★
決勝 148,000人  3日間337,000人
    異チームのセナVSマンセルの決定戦
    中嶋悟のF1鈴鹿ラストラン
    本田宗一郎死去後初の鈴鹿

92年 10/25 晴れ 第15戦 / 全16戦
決勝 150,000人  3日間332,000人
    マンセルのチャンピオン決定済
    ホンダ第2期のF1鈴鹿ラストラン
    片山右京のF1初鈴鹿

93年 10/24 晴れ 第15戦 / 全16戦 ●
決勝 151,000人  3日間350,000人
    プロストの復帰チャンピオン決定済
    セナ・プロ対決最期の鈴鹿
    鈴木利男とアーバインのスポット参戦

94年 11/6    曇り 第15戦 / 全16戦 ☆
決勝 155,000人  3日間357,000人
    シューマッハVSヒル
    セナ死去後初の鈴鹿
    井上隆智穂とサロのスポット参戦

「セナと日本の関わり」がそのままグラフに表れているように見えます。セナとホンダの活躍が日本での盛り上がりの大いなる影響力となって右肩上がりに動員数を伸ばし、94年に最高潮に達しています。miyabikunは残念ながら生のセナの走りを観れていないのですが、テレビからでも充分スタンドの盛り上がりを感じましたし、実況もアツく興奮していましたよね。フォーメーションラップ前ギリギリまでインタビューとかしていたもんなぁ。今じゃあり得ない時代でしたね。

《鈴鹿F1円熟期》
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1995年から2002年までの8年間は、F1が日本に定着し、にわかファンから本当に観たい人が集まったような頃。四天王全員が消え、若きM・シューマッハが驚異的に飛躍した時代でもあります。今でいうフェルスタッペンが1人でF1を背負って立つみたいな感じでしょうか。まだマシンにも自由度があり、実に様々なディテールをなし、ヒョンな戦略で大ばくちを打つ、なんてことでレースをひっくり返すこともできていました。

95年 10/29  雨    第16戦 / 全17戦
決勝 145,000人  3日間330,000人
    2年連続シューマッハのチャンピオン決定済
    ベネトンVSウィリアムズのコンスト争い
    パシフィックGPと2週連続開催

96年 10/13  晴れ 第16戦 / 全16戦 ★
決勝 139,000人  3日間303,000人
    同チームのヒルVSヴィルヌーブの決定戦
    ヒルのウィリアムズでのラストラン
    鈴鹿で初F1最終戦

97年 10/12  晴れ  第16戦 / 全17戦 ☆
決勝 140,000人  3日間317,000人
    ヴィルヌーブVSシューマッハ
    ブリヂストンタイヤと中野信治のF1初鈴鹿
    片山右京のF1鈴鹿ラストラン

98年 11/1    晴れ  第16戦 / 全16戦 ★ ●
決勝 148,000人  3日間318,000人
    異チームのハッキネンVSシューマッハの決定戦
    グッドイヤーとティレルのF1ラストラン
    高木虎之介のF1初鈴鹿

99年 10/31 晴れ  第16戦 / 全16戦 ★ ●
決勝 146,000人  3日間318,000人
    異チームのハッキネンVSアーバインの決定戦
    ヒルのF1ラストラン
    ホンダの第3期F1参戦発表

00年 10/8   曇り  第16戦 / 全17戦 ★ ●
決勝 151,000人  3日間318,000人
    異チームのシューマッハVSハッキネンの決定戦
    無限ホンダのF1鈴鹿ラストラン
    日本人ドライバー不在

01年 10/14  晴れ  第17戦 / 全17戦
決勝 150,000人  3日間310,000人
    2年連続シューマッハのチャンピオン決定済
    ハッキネンとアレジのF1ラストラン
    日本人ドライバー不在

02年 10/13 晴れ   第17戦 / 全17戦
決勝 155,000人  3日間326,000人
    3年連続シューマッハのチャンピオン決定済
    トヨタ参戦とF1初鈴鹿
    佐藤琢磨のF1初鈴鹿

セナの死もあってか、グラフは若干下がってはいますが、延べ30万人と安定した動員数を確保していました。この時代の後半は「シューマッハVSハッキネン」の構図を確立して、セナプロ時代よりクリーンなバトルでファンを楽しませてくれました。また、日本人ドライバーもコンスタントに輩出していたことも忘れてはならない重要なファクターです。やっぱり母国ドライバーは応援したいですよね。

《鈴鹿F1転換期》
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2000年代に入り、鈴鹿でのF1は一旦途絶えてしまいました。日本を代表する世界のトヨタがF1に進出し、今までの「日本=ホンダ」の色に待ったをかけた頃です。

03年 10/12 曇り   第16戦 / 全16戦 ★ ●
決勝 155,000人  3日間329,000人
    異チームのシューマッハVSライコネンの決定戦
    フェラーリVSウィリアムズのコンスト争い
    佐藤琢磨のスポット参戦

04年 10/10 晴れ   第17戦 / 全18戦
決勝 156,000人  3日間210,000人
    5年連続シューマッハのチャンピオン決定済
    BAR・ホンダの飛躍
    佐藤琢磨の2度目の表彰台登壇期待

05年 10/9   晴れ   第18戦 / 全19戦 ●
決勝 156,000人  3日間320,000人
    アロンソのチャンピオン決定済
    シューマッハの終焉と若手の台頭
    ホンダが翌年のフルワークス参戦を発表

06年 10/8   晴れ   第17戦 / 全18戦 ☆
決勝 161,000人  3日間361,000人
    シューマッハVSアロンソ
    シューマッハ1度目のF1鈴鹿ラストラン
    鈴鹿でのF1ラスト開催(のちに復帰)

07年は富士スピードウェイでの日本GP
    雨によりレース、施設、アクセスで問題抱える

08年も富士スピードウェイでの日本GP ●
    ホンダの第3期F1撤退

09年 10/4   晴れ    第15戦 / 全17戦 ☆
決勝 101,000人  3日間210,000人
    3年振りに鈴鹿でF1開催
    バトンVSバリチェロVSベッテルの争い
    小林可夢偉スポット参戦とトヨタ鈴鹿ラストラン

10年  10/10 晴れ    第16戦 / 全19戦 ☆
決勝   96,000人  3日間190,000人
    ウェバーをはじめ4人による争い
    決勝スタート時間を15時に繰り下げ
    シューマッハと山本のF1復帰とブリヂストン撤退

再びM・シューマッハがF1の頂点に君臨し、勝ちに勝ちまくった時代です。もちろん今でも多くのシューマッハファンがいらっしゃるわけで、あまり悪くは言えませんが、世界的にこの頃から「勝者の偏りをよく思わない」ファンも多くいたと思います。2004年に土曜日がゼロになっているのは「荒天のため予選を日曜日に変更した」ためです。それでも決勝は156,000人を動員しています。過去最多は鈴鹿最終年と思われた2006年の361,000人です。あのシューマッハがとうとう引退を発表した直後でしたから、最後の見納めとばかりに大盛況となりました。
そして2007年からはトヨタ勢力が増し、日本GPの舞台は富士スピードウェイに取って代わります。2009年からまた「富士と鈴鹿の隔年開催」にこぎつけ「日本GPの奪い合い」も収束するはずでしたが、いざ3年振りに鈴鹿に戻ると観客数が3日間で210,000人にまで激減。ココから一気に日本GP自体の観客数低調の時代に入ってしまいました。富士は今でも立派なグレード1サーキットなので、こちらもシューマッハ同様に悪くは言えませんが、これには様々な要因があると考えられます。根本である「自動車やモータースポーツへの関心の低さ」もさることながら「2007年レース終了後の出来事」「パークアンドライド方式の採用による不便さ」そして「鈴鹿と比較した富士自体の収容人数」も引き金になっているはずです。

《鈴鹿F1低迷期》
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最後は近代の2011年から先日開催までの8年間です。グラフだけ見ていると、20年前とはサーキットすら違うんじゃないかと目を疑いたくなる位置まで落ち込んでしまっています。ご存知の通り今回のグラフ全てが同じ鈴鹿サーキットでの動員数です。

11年   10/9  晴れ    第15戦 / 全19戦 ★
決勝 102,000人  3日間199,000人
    ベッテルがランキング独走状態
    東日本大震災による風評被害
    ピレリ復活と意図的な性能低下設定

12年  10/7  晴れ    第15戦 / 全20戦 ☆ ●
決勝 103,000人  3日間207,000人
    アロンソVSベッテル
    ライコネンが3年振りにF1復帰
    シューマッハ本当のF1鈴鹿ラストラン

13年 10/13 晴れ    第15戦 / 全19戦 ☆
決勝   86,000人  3日間171,000人
    ベッテルがランキング独走状態
    2.4ℓV8NAエンジン最終年
    日本人ドライバー不在

14年 10/5  雨        第15戦 / 全19戦 ☆
決勝   72,000人  3日間150,000人
    ハミルトンVSロズベルグ
    メルセデスがシーズンを完全掌握
    1.6ℓV6ハイブリッドターボ初年

15年  9/27 晴れ   第14戦 / 全19戦 ☆
決勝   81,000人  3日間165,000人
    ハミルトンVSロズベルグ
    メルセデスがシーズンを完全掌握
    ホンダ第4期は23年振りにマクラーレンへ供給

16年 10/9  曇り   第17戦 / 全21戦 ☆
決勝   72,000人  3日間145,000人
    ロズベルグVSハミルトン
    メルセデスがシーズンを完全掌握
    ルノーがワークス復帰

17年  10/8 晴れ   第16戦 / 全20戦 ☆
決勝   68,000人  3日間137,000人
    ハミルトンVSベッテル
    メルセデスが後半戦にフェラーリを突き離す
    F1マシン久々のワイド化

18年  10/7 晴れ    第17戦 / 全21戦 ☆
決勝   81,000人  3日間165,000人
    ハミルトンVSベッテル
    メルセデスが後半戦にフェラーリを突き離す
    ホンダが供給先をトロ・ロッソにスイッチ

2009年から徐々に数も減少し、昨年2017年は過去最低の3日間で137,000人にまで減りました。2006年は決勝だけで161,000人でしたからシューマッハもビックリでしょう。一度失ったファンの復活、自動車への関心、F1観戦が有料放送となったことによる敷居の高さ、複雑化や理解に苦しむレギュレーション、さらにはシューマッハ、ベッテルに続いて近年は「メルセデス天下」も続いて一層「ファン離れ」も加速していると思います。あくまでルールあってのスポーツですから勝者を変に操作(チームオーダーとも違う)させたりはできませんが「観なくてもわかる」「やっぱりそうなるか」の内容も今のF1最大の課題の一つですよね。
今年は30,000人程増員できたので話題となっていますが、それでも確かに空席は目立ちましたし、miyabikunの席からフェンスまで7列程は誰1人も座っていませんでした。前が開けていたのをヨシと捉えるようにしていました(笑)

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こうしてみていくと残念ですが、古き良き時代にはF1の迫力やすごさ、華やかさ、誰が勝つかわからない楽しみ、などが失われていることをがそのまま動員数に反映されていることがよくわかる気がします。また予選や決勝が雨になると、客足も少し遠のいているようにもみえます。ホンダエンジンをはじめ日本がもっと積極的にかつ好成績をもってF1に絡めていければ、今年のように増員キッカケになりうるのでしょうが、日本人ドライバー誕生にはまだ時間がかかりそうです。セナプロに始まりシューマッハなどカリスマ的ドライバーが人気を呼ぶことにも期待したいのですが、現在のハミルトンやベッテルではまだまだ役不足でしょうか。戦績だけでは、充分でないかな。
来シーズンからは名門レッドブルにホンダが搭載され4台体制となります。腐っても大人気のライコネンもまだまだ走ります。果たして2019年は2018年を上回ることができるでしょうか。
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