アメリカにまだ行きたくなーい!日本GPの余韻に浸っていたいですね。一昔前のF1ならば、日本GPが大トリだったのに近年はまだ少しだけレースが残っています。そう、肝心なチャンピオンがまだ決定していませんね。あと4戦残っていますよー、まだまだ何が起こるかわかりませんので、最終戦までしっかり見届けましょうね!

今年の鈴鹿での日本GPは30回目ということでサーキット側も特典や特別席の設置、OBドライバーによるイベントと、なかなか力の入ったものとなっていました。そしてメインスポンサーは鈴鹿サーキットを本拠地とし、唯一の日本製パワーユニットであるホンダでした。
とはいえ、F1ファンの数は一時期に比べると減少の一途を辿っており、日本国内はもとより世界全体でかなり落ち込んでいます。老若男女関わらず盛り上がっていた頃を知る者からしたら、寂しく悲しいことですよね。そんな状況であっても、以降3年の開催延長が発表されたのはせめてもの救いです。日本GPが終わると鈴鹿サーキットの観客動員数が公表されます。各メディアやブログでご覧になった方も多いと思います。その多くは数字や表のみで示しているので、数字だけでは正直ピンときません。そこでmiyabikunはどんな出来事や状況下での観客動員数なのか、グラフを使ってもう一段掘り下げてみていきたいと考えました。いつものようにダラダラ書いてますがお付き合い下さい。

今年の鈴鹿での日本GPは30回目ということでサーキット側も特典や特別席の設置、OBドライバーによるイベントと、なかなか力の入ったものとなっていました。そしてメインスポンサーは鈴鹿サーキットを本拠地とし、唯一の日本製パワーユニットであるホンダでした。
とはいえ、F1ファンの数は一時期に比べると減少の一途を辿っており、日本国内はもとより世界全体でかなり落ち込んでいます。老若男女関わらず盛り上がっていた頃を知る者からしたら、寂しく悲しいことですよね。そんな状況であっても、以降3年の開催延長が発表されたのはせめてもの救いです。日本GPが終わると鈴鹿サーキットの観客動員数が公表されます。各メディアやブログでご覧になった方も多いと思います。その多くは数字や表のみで示しているので、数字だけでは正直ピンときません。そこでmiyabikunはどんな出来事や状況下での観客動員数なのか、グラフを使ってもう一段掘り下げてみていきたいと考えました。いつものようにダラダラ書いてますがお付き合い下さい。

こちらがよく見かける「鈴鹿サーキットでの日本GP観客動員数」をグラフ化したもの。下から緑が金曜日、青が土曜日、赤が日曜日として累積していますので、山が高いと多く動員していることになります。
金曜日はフリー走行が充てられていますが、歴代最多は1991年の69,000人でした。土曜日はフリー走行や予選が充てられ、最多は意外にも近年となる2006年の143,000人。そして日曜日の決勝も同じく2006年の161,000人となっています。日本GPのチケットは3日間の通しですので、ざっくり1人平均で50,000円と仮定しても、161,000枚×50,000円=80億5千万円なのか。シューマッハみたいな額になるんですね。逆にそれを1人で稼いでいたと考えてもとてつもないな。
とまあ調子のいい時代はこんな感じだったということで、歴代の動員数を4つの時代に等分してみていきます。
★は日本GPでチャンピオン決定
☆は日本GP時点でチャンピオン未定
● は以前に当ブログで振り返っている日本GP
日付は決勝日、天候は決勝スタート時のもの
《鈴鹿F1創成期》
《鈴鹿F1創成期》

1987年から94年の8年間になります。富士スピードウェイでの開催から9年の時を経て、舞台を鈴鹿に移し、日本人のF1フルタイムドライバーが誕生し、合わせてフジテレビでの中継も始まったことで日本でF1を身近に感じ始めた頃ですね。
87年 11/1 晴れ 第15戦 / 全16戦 ★
決勝 112,000人 3日間222,000人
同チームのピケVSマンセルの決定戦
ウィリアムズ・ホンダの活躍
フジテレビ放映、中嶋悟F1初鈴鹿
88年 10/30 晴れ 第15戦 / 全16戦 ★
決勝 121,000人 3日間233,000人
同チームのプロストVSセナの決定戦
マクラーレン・ホンダの活躍
鈴木亜久里のスポット参戦
89年 10/22 晴れ 第15戦 / 全16戦 ★
決勝 132,000人 3日間283,000人
同チームのプロストVSセナの決定戦
マクラーレン・ホンダの活躍
NAエンジン統一初年
90年 10/21 晴れ 第15戦 / 全16戦 ●
決勝 141,000人 3日間316,000人
異チームのプロストVSセナ決定戦
日本人は中嶋悟と鈴木亜久里の2人体制
中嶋悟の駆るティレルのハイノーズマシン
91年 10/20 晴れ 第15戦 / 全16戦 ★
同チームのピケVSマンセルの決定戦
ウィリアムズ・ホンダの活躍
フジテレビ放映、中嶋悟F1初鈴鹿
88年 10/30 晴れ 第15戦 / 全16戦 ★
決勝 121,000人 3日間233,000人
同チームのプロストVSセナの決定戦
マクラーレン・ホンダの活躍
鈴木亜久里のスポット参戦
89年 10/22 晴れ 第15戦 / 全16戦 ★
決勝 132,000人 3日間283,000人
同チームのプロストVSセナの決定戦
マクラーレン・ホンダの活躍
NAエンジン統一初年
90年 10/21 晴れ 第15戦 / 全16戦 ●
決勝 141,000人 3日間316,000人
異チームのプロストVSセナ決定戦
日本人は中嶋悟と鈴木亜久里の2人体制
中嶋悟の駆るティレルのハイノーズマシン
91年 10/20 晴れ 第15戦 / 全16戦 ★
決勝 148,000人 3日間337,000人
異チームのセナVSマンセルの決定戦
中嶋悟のF1鈴鹿ラストラン
本田宗一郎死去後初の鈴鹿
92年 10/25 晴れ 第15戦 / 全16戦
決勝 150,000人 3日間332,000人
マンセルのチャンピオン決定済
ホンダ第2期のF1鈴鹿ラストラン
片山右京のF1初鈴鹿
93年 10/24 晴れ 第15戦 / 全16戦 ●
決勝 151,000人 3日間350,000人
プロストの復帰チャンピオン決定済
セナ・プロ対決最期の鈴鹿
鈴木利男とアーバインのスポット参戦
94年 11/6 曇り 第15戦 / 全16戦 ☆
決勝 155,000人 3日間357,000人
シューマッハVSヒル
セナ死去後初の鈴鹿
井上隆智穂とサロのスポット参戦
「セナと日本の関わり」がそのままグラフに表れているように見えます。セナとホンダの活躍が日本での盛り上がりの大いなる影響力となって右肩上がりに動員数を伸ばし、94年に最高潮に達しています。miyabikunは残念ながら生のセナの走りを観れていないのですが、テレビからでも充分スタンドの盛り上がりを感じましたし、実況もアツく興奮していましたよね。フォーメーションラップ前ギリギリまでインタビューとかしていたもんなぁ。今じゃあり得ない時代でしたね。
《鈴鹿F1円熟期》
異チームのセナVSマンセルの決定戦
中嶋悟のF1鈴鹿ラストラン
本田宗一郎死去後初の鈴鹿
92年 10/25 晴れ 第15戦 / 全16戦
決勝 150,000人 3日間332,000人
マンセルのチャンピオン決定済
ホンダ第2期のF1鈴鹿ラストラン
片山右京のF1初鈴鹿
93年 10/24 晴れ 第15戦 / 全16戦 ●
決勝 151,000人 3日間350,000人
プロストの復帰チャンピオン決定済
セナ・プロ対決最期の鈴鹿
鈴木利男とアーバインのスポット参戦
94年 11/6 曇り 第15戦 / 全16戦 ☆
決勝 155,000人 3日間357,000人
シューマッハVSヒル
セナ死去後初の鈴鹿
井上隆智穂とサロのスポット参戦
「セナと日本の関わり」がそのままグラフに表れているように見えます。セナとホンダの活躍が日本での盛り上がりの大いなる影響力となって右肩上がりに動員数を伸ばし、94年に最高潮に達しています。miyabikunは残念ながら生のセナの走りを観れていないのですが、テレビからでも充分スタンドの盛り上がりを感じましたし、実況もアツく興奮していましたよね。フォーメーションラップ前ギリギリまでインタビューとかしていたもんなぁ。今じゃあり得ない時代でしたね。
《鈴鹿F1円熟期》

1995年から2002年までの8年間は、F1が日本に定着し、にわかファンから本当に観たい人が集まったような頃。四天王全員が消え、若きM・シューマッハが驚異的に飛躍した時代でもあります。今でいうフェルスタッペンが1人でF1を背負って立つみたいな感じでしょうか。まだマシンにも自由度があり、実に様々なディテールをなし、ヒョンな戦略で大ばくちを打つ、なんてことでレースをひっくり返すこともできていました。
95年 10/29 雨 第16戦 / 全17戦
決勝 145,000人 3日間330,000人
2年連続シューマッハのチャンピオン決定済
ベネトンVSウィリアムズのコンスト争い
パシフィックGPと2週連続開催
96年 10/13 晴れ 第16戦 / 全16戦 ★
決勝 139,000人 3日間303,000人
同チームのヒルVSヴィルヌーブの決定戦
ヒルのウィリアムズでのラストラン
鈴鹿で初F1最終戦
97年 10/12 晴れ 第16戦 / 全17戦 ☆
決勝 140,000人 3日間317,000人
ヴィルヌーブVSシューマッハ
ブリヂストンタイヤと中野信治のF1初鈴鹿
片山右京のF1鈴鹿ラストラン
98年 11/1 晴れ 第16戦 / 全16戦 ★ ●
決勝 148,000人 3日間318,000人
異チームのハッキネンVSシューマッハの決定戦
グッドイヤーとティレルのF1ラストラン
高木虎之介のF1初鈴鹿
99年 10/31 晴れ 第16戦 / 全16戦 ★ ●
決勝 146,000人 3日間318,000人
異チームのハッキネンVSアーバインの決定戦
ヒルのF1ラストラン
ホンダの第3期F1参戦発表
00年 10/8 曇り 第16戦 / 全17戦 ★ ●
決勝 151,000人 3日間318,000人
異チームのシューマッハVSハッキネンの決定戦
無限ホンダのF1鈴鹿ラストラン
日本人ドライバー不在
01年 10/14 晴れ 第17戦 / 全17戦
決勝 150,000人 3日間310,000人
2年連続シューマッハのチャンピオン決定済
ハッキネンとアレジのF1ラストラン
日本人ドライバー不在
02年 10/13 晴れ 第17戦 / 全17戦
決勝 155,000人 3日間326,000人
3年連続シューマッハのチャンピオン決定済
トヨタ参戦とF1初鈴鹿
佐藤琢磨のF1初鈴鹿
セナの死もあってか、グラフは若干下がってはいますが、延べ30万人と安定した動員数を確保していました。この時代の後半は「シューマッハVSハッキネン」の構図を確立して、セナプロ時代よりクリーンなバトルでファンを楽しませてくれました。また、日本人ドライバーもコンスタントに輩出していたことも忘れてはならない重要なファクターです。やっぱり母国ドライバーは応援したいですよね。
《鈴鹿F1転換期》
2000年代に入り、鈴鹿でのF1は一旦途絶えてしまいました。日本を代表する世界のトヨタがF1に進出し、今までの「日本=ホンダ」の色に待ったをかけた頃です。
03年 10/12 曇り 第16戦 / 全16戦 ★ ●
決勝 155,000人 3日間329,000人
異チームのシューマッハVSライコネンの決定戦
フェラーリVSウィリアムズのコンスト争い
佐藤琢磨のスポット参戦
04年 10/10 晴れ 第17戦 / 全18戦
決勝 156,000人 3日間210,000人
5年連続シューマッハのチャンピオン決定済
BAR・ホンダの飛躍
佐藤琢磨の2度目の表彰台登壇期待
05年 10/9 晴れ 第18戦 / 全19戦 ●
決勝 156,000人 3日間320,000人
アロンソのチャンピオン決定済
シューマッハの終焉と若手の台頭
ホンダが翌年のフルワークス参戦を発表
06年 10/8 晴れ 第17戦 / 全18戦 ☆
決勝 161,000人 3日間361,000人
シューマッハVSアロンソ
シューマッハ1度目のF1鈴鹿ラストラン
鈴鹿でのF1ラスト開催(のちに復帰)
07年は富士スピードウェイでの日本GP
雨によりレース、施設、アクセスで問題抱える
08年も富士スピードウェイでの日本GP ●
ホンダの第3期F1撤退
09年 10/4 晴れ 第15戦 / 全17戦 ☆
決勝 101,000人 3日間210,000人
3年振りに鈴鹿でF1開催
バトンVSバリチェロVSベッテルの争い
小林可夢偉スポット参戦とトヨタ鈴鹿ラストラン
10年 10/10 晴れ 第16戦 / 全19戦 ☆
決勝 96,000人 3日間190,000人
ウェバーをはじめ4人による争い
決勝スタート時間を15時に繰り下げ
シューマッハと山本のF1復帰とブリヂストン撤退
再びM・シューマッハがF1の頂点に君臨し、勝ちに勝ちまくった時代です。もちろん今でも多くのシューマッハファンがいらっしゃるわけで、あまり悪くは言えませんが、世界的にこの頃から「勝者の偏りをよく思わない」ファンも多くいたと思います。2004年に土曜日がゼロになっているのは「荒天のため予選を日曜日に変更した」ためです。それでも決勝は156,000人を動員しています。過去最多は鈴鹿最終年と思われた2006年の361,000人です。あのシューマッハがとうとう引退を発表した直後でしたから、最後の見納めとばかりに大盛況となりました。
そして2007年からはトヨタ勢力が増し、日本GPの舞台は富士スピードウェイに取って代わります。2009年からまた「富士と鈴鹿の隔年開催」にこぎつけ「日本GPの奪い合い」も収束するはずでしたが、いざ3年振りに鈴鹿に戻ると観客数が3日間で210,000人にまで激減。ココから一気に日本GP自体の観客数低調の時代に入ってしまいました。富士は今でも立派なグレード1サーキットなので、こちらもシューマッハ同様に悪くは言えませんが、これには様々な要因があると考えられます。根本である「自動車やモータースポーツへの関心の低さ」もさることながら「2007年レース終了後の出来事」「パークアンドライド方式の採用による不便さ」そして「鈴鹿と比較した富士自体の収容人数」も引き金になっているはずです。
《鈴鹿F1低迷期》
最後は近代の2011年から先日開催までの8年間です。グラフだけ見ていると、20年前とはサーキットすら違うんじゃないかと目を疑いたくなる位置まで落ち込んでしまっています。ご存知の通り今回のグラフ全てが同じ鈴鹿サーキットでの動員数です。
11年 10/9 晴れ 第15戦 / 全19戦 ★
決勝 102,000人 3日間199,000人
ベッテルがランキング独走状態
東日本大震災による風評被害
ピレリ復活と意図的な性能低下設定
12年 10/7 晴れ 第15戦 / 全20戦 ☆ ●
決勝 103,000人 3日間207,000人
アロンソVSベッテル
ライコネンが3年振りにF1復帰
シューマッハ本当のF1鈴鹿ラストラン
13年 10/13 晴れ 第15戦 / 全19戦 ☆
決勝 86,000人 3日間171,000人
ベッテルがランキング独走状態
2.4ℓV8NAエンジン最終年
日本人ドライバー不在
14年 10/5 雨 第15戦 / 全19戦 ☆
決勝 72,000人 3日間150,000人
ハミルトンVSロズベルグ
メルセデスがシーズンを完全掌握
1.6ℓV6ハイブリッドターボ初年
15年 9/27 晴れ 第14戦 / 全19戦 ☆
決勝 81,000人 3日間165,000人
ハミルトンVSロズベルグ
メルセデスがシーズンを完全掌握
ホンダ第4期は23年振りにマクラーレンへ供給
16年 10/9 曇り 第17戦 / 全21戦 ☆
決勝 72,000人 3日間145,000人
ロズベルグVSハミルトン
メルセデスがシーズンを完全掌握
ルノーがワークス復帰
17年 10/8 晴れ 第16戦 / 全20戦 ☆
決勝 68,000人 3日間137,000人
ハミルトンVSベッテル
メルセデスが後半戦にフェラーリを突き離す
F1マシン久々のワイド化
18年 10/7 晴れ 第17戦 / 全21戦 ☆
決勝 81,000人 3日間165,000人
ハミルトンVSベッテル
メルセデスが後半戦にフェラーリを突き離す
ホンダが供給先をトロ・ロッソにスイッチ
2009年から徐々に数も減少し、昨年2017年は過去最低の3日間で137,000人にまで減りました。2006年は決勝だけで161,000人でしたからシューマッハもビックリでしょう。一度失ったファンの復活、自動車への関心、F1観戦が有料放送となったことによる敷居の高さ、複雑化や理解に苦しむレギュレーション、さらにはシューマッハ、ベッテルに続いて近年は「メルセデス天下」も続いて一層「ファン離れ」も加速していると思います。あくまでルールあってのスポーツですから勝者を変に操作(チームオーダーとも違う)させたりはできませんが「観なくてもわかる」「やっぱりそうなるか」の内容も今のF1最大の課題の一つですよね。
14年 10/5 雨 第15戦 / 全19戦 ☆
決勝 72,000人 3日間150,000人
ハミルトンVSロズベルグ
メルセデスがシーズンを完全掌握
1.6ℓV6ハイブリッドターボ初年
15年 9/27 晴れ 第14戦 / 全19戦 ☆
決勝 81,000人 3日間165,000人
ハミルトンVSロズベルグ
メルセデスがシーズンを完全掌握
ホンダ第4期は23年振りにマクラーレンへ供給
16年 10/9 曇り 第17戦 / 全21戦 ☆
決勝 72,000人 3日間145,000人
ロズベルグVSハミルトン
メルセデスがシーズンを完全掌握
ルノーがワークス復帰
17年 10/8 晴れ 第16戦 / 全20戦 ☆
決勝 68,000人 3日間137,000人
ハミルトンVSベッテル
メルセデスが後半戦にフェラーリを突き離す
F1マシン久々のワイド化
18年 10/7 晴れ 第17戦 / 全21戦 ☆
決勝 81,000人 3日間165,000人
ハミルトンVSベッテル
メルセデスが後半戦にフェラーリを突き離す
ホンダが供給先をトロ・ロッソにスイッチ
2009年から徐々に数も減少し、昨年2017年は過去最低の3日間で137,000人にまで減りました。2006年は決勝だけで161,000人でしたからシューマッハもビックリでしょう。一度失ったファンの復活、自動車への関心、F1観戦が有料放送となったことによる敷居の高さ、複雑化や理解に苦しむレギュレーション、さらにはシューマッハ、ベッテルに続いて近年は「メルセデス天下」も続いて一層「ファン離れ」も加速していると思います。あくまでルールあってのスポーツですから勝者を変に操作(チームオーダーとも違う)させたりはできませんが「観なくてもわかる」「やっぱりそうなるか」の内容も今のF1最大の課題の一つですよね。
今年は30,000人程増員できたので話題となっていますが、それでも確かに空席は目立ちましたし、miyabikunの席からフェンスまで7列程は誰1人も座っていませんでした。前が開けていたのをヨシと捉えるようにしていました(笑)
こうしてみていくと残念ですが、古き良き時代にはF1の迫力やすごさ、華やかさ、誰が勝つかわからない楽しみ、などが失われていることをがそのまま動員数に反映されていることがよくわかる気がします。また予選や決勝が雨になると、客足も少し遠のいているようにもみえます。ホンダエンジンをはじめ日本がもっと積極的にかつ好成績をもってF1に絡めていければ、今年のように増員キッカケになりうるのでしょうが、日本人ドライバー誕生にはまだ時間がかかりそうです。セナプロに始まりシューマッハなどカリスマ的ドライバーが人気を呼ぶことにも期待したいのですが、現在のハミルトンやベッテルではまだまだ役不足でしょうか。戦績だけでは、充分でないかな。
来シーズンからは名門レッドブルにホンダが搭載され4台体制となります。腐っても大人気のライコネンもまだまだ走ります。果たして2019年は2018年を上回ることができるでしょうか。

コメント
コメント一覧 (10)
これのおかげでオフシーズンでのテストの結果がそのまま今シーズンの成績になるというあまりにも単調な(例外の年もあったけど)ものになり、見る側もつまらなくなった、これにつきます。
またこのシーズン中のテスト規制は若手の育成のみならず新規参入メーカーを拒むかのようになり、15年に復帰したホンダが今も苦戦してるのを見てどのメーカーもF1に資金をつぎ込みたくないんじゃないかと思う
レギュレーションもころころと変えまくるものだから理解できない
安全上の変更ならともかく技術上のものは頻繁に変えるべきではないと思うし、あとFIAは観衆の声に対してビビリすぎな面もあったりします(ターボの音がNA時代に比べて小さいとか)
私自身NAとターボ両方経験したのですが、NAの音の大きさは確かに魅力でしたが同時に耳当てなしではしばらくの間キーンというものに悩まされたのでターボになって音量が下がったことでそういったキーンという類に遭遇しなくなったので助かりました
音があそこまで小さくなるのならアウディがやったようにどこまで音を下げれるかというのも技術者としての見せ所だと思いますが・・・(音が小さい=熱効率が高いということらしい)
ちなみに90年からフェラーリがセミオートマを使い出したと書いてありますが正しくは89年からです
フェラーリ640は成績がなかなか面白いのでもし取り上げてないのなら取り上げてみてもいいのではないのでしょうか?
昔はシーズンテストの結果を活かして後半速く強くなるチームがありましたよね。それが誰が勝つか分からないの一つになってたと思います。
音はやっぱりPUになる前が良かったのだと思います。
私は以前も今も現地で観たことはないですが、観たことがある人が逆バンクの自由席(?)で観てピットでエンジンがかかると音が聞こえてワクワクした。1コーナーあたりで音が消えてS字あたりから音が聞こえ始めてマシンの姿が見えるのを待つのが楽しかったと言ってました。
聞こえ始めた音でどのチームか分かるようになるのが嬉しかったみたいです。
TVで観ていてもやっぱり音が寂しいなぁと感じます。とは言えこれは仕方ないかなぁと思ってます。
セナのあの魅力って何だったのでしょうねぇ?? 闘う男って感じでしたね。
サッカーやバスケットに卓球とプロ化されたスポーツが増えてきたからモータースポーツ目指す人口も減ってるのでしょうかねぇ?日本人のF1ドライバーやっぱり見たいなぁ。
こんばんは。確かにシーズン内テストが無いのは
進歩の妨げになっていますね。そこからの開発途上、
開幕から大方決まる勢力図、さらにはコストや人材の
かけ方が拍車をかけて格差が拡がり、
逆転を生みにくいレース展開に繋がっているのも
事実です。
本来なら更なる発展に向けて声を大にして
いきたいのですが、予算や資金繰りに苦しむチーム
があるのも現実なので、ゴリ押しし辛いもどかしさが
あります。
NA時代は本当に遠くからマシンの接近もわかりましたし
通過時は真横に声すら届かない「身体で感じる轟音」
でしたね。
私は今よりかはやはり当時の音が好きでした。
(ブログタイトルはそれを懐かしむ意味も込めている)
フェラーリのセミオートマは640(F189)からが正解。よって書き換えました。いつもすみません。
実は以前に640は名車シリーズで取り上げています。
恥ずかしながらその上での間違いということで(笑)
こんばんは。シーズン内テストはレースでも無いのに
タイムや新アイテム登場をすごく楽しみにしていました。
ヘレスやポールリカールでやっていましたよね。
懐かしいです。
逆バンクはピット裏が池を挟んで何気に近くて、
音は確かに早く聞こえてきました。
また逆バンクからダンロップに向かう上りも、
踏みながらギヤを変えていくので、
そこで奏でるサウンドはなかなかよかったです。
本当にチーム、エンジン毎に音の違いがよくわかります。
2006年のエンジン改定時はまだ許せましたが、
2014年のエンジン音は思わず耳を疑いました。
セナ終盤時代のファンの1人ではありますが、
メディアの影響もかなり大きいと思います。
幼きmiyabikunはその実況や解説に半ば煽られて
プロストをヒールに、マンセルをギャグに捉えていた
部分も、今を思い出せばありました。
(ご存知の通り、セナとてシューマッハやハミルトン、
アロンソやフェルスタッペンをも上回る傲慢さが
無茶は沢山ありましたしね)
日本のスポーツは世界に台頭する競技も増え、
憧れやカッコよさ、美しさがそちらにシフトしている
部分もありそうです。こればかりは世相や興味の話。
悲しいですが仕方がないことですね。
利点
メインゲートや イベント会場から 近い。
1席ずつ 独立しているので 隣の人と密着しない。
屋根があるので 雨でも平気。
スタート、ゴール、ピット ワークが 目の前で見れる。
欠点
チケットが めっちゃ 高い!
直線だけなので やや 退屈。
午後 3時頃になると ピットビルの影が ホームストレートを覆ってしまい 見にくい。
ホーム ストレート エンドに 屋根つきの 豪華な 常設スタンドを建設してほしいと思います。
こんばんは。今回V席の30周年記念プレートは
私のもらったものと違って、下が丸みを帯びているもの
でしたよね。
ピットウォークのイベントも参加しましたか?!
確かに西日が差すと日陰で観辛くなりそうですよね。
紙のチケットで 問題なく 入場できました。
ピットウォークは 土曜の夜だけでした。
土曜は F1 の予選が終わって すぐに帰ったので 参加していません。
どうせ、すごい人だかりで マシンを見れません。
こんばんは。お返事が遅くなりました。
あの記念チケットは入退場には使えず、
結局紙のチケットが入退場に必要でした。
記念チケットは受け取りませんでしたか、、残念。
事前にお伝えしておけばよかったですね。
やっぱりマシンに向かって人がたかってしまい、
見えませんよね。
マシンは実際に見ると、テレビよりこじんまりに
見えます。メルセデスはカッコよかったですね。
そんでそのサインもらった足でフォトグラファーの金子さんのサイン会があったのでイの一番にもらい(ついでに写真も収めました)ました。
そのまま日曜日のレース終了まで特に何事もなく、白子駅で帰りの特急待ってたら今度はケビンとグロージャンと小松さんに遭遇し、ケビンに写真をお願いしたところ承諾してくれたのでこれも収めました(;´∀`)
ちなみにグロージャンは日本語でコマツサーンって言ってたのがかわいかったです
ちなみに私は逆バンクのE席で観戦していてアニバーサリーチケットのデザインはもちろんトロロッソ・ホンダを選びました
前年までだとローソンで買ってましたが今年はローソンだとチームが選べないので鈴鹿サーキットの通販でかったので紙チケではなくプラチケがそのまま送られてきました~
今年はハースでコンプリートできたみたいですね!
白子駅にハースの2人がいたのも面白いですね。
私は毎度の平田町だったので、伊勢若松で抜かれた
特急の中にはトトリさんやハースの連中がいたかも
しれないということか。
近鉄は駅の通過が関東ではありえないくらい飛ばす
ので圧巻です。ハースみたいです。
トトリさんはグロージャンと同い年ですか。
若いなぁ。まだ現役バリバリ世代ですね!