全21戦のちょうど真ん中にあたる第11戦にドイツGPを差し込んできました。いいドライバー、いいコンストラクターがあるのに近年は隔年開催みたいになっています。フランスに続いて昨年やっていたF1に関する「歴史と地理」について、ドイツも見ていきましょう。この企画もこのドイツを終えれば一通りやってきたので、しばらく新規国もなさそうだし今回で最終回かな。

《国の基本情報ほか》
国名称:ドイツ連邦共和国
  人口  :8270万人(世界第15位)
  面積  :35万7千㎢(世界第63位)
  設立  :1990年に東ドイツと西ドイツが統一
主言語:ドイツ語
  首都  :ベルリン
  通貨  :ユーロ(ユーロ以前はマルク)
  時差  :UTC+2:00(日本から-7:00)

F1開催期間と数:1951〜54,56〜59,61〜06,
                                 08〜14,16,18〜(63回目)
開催サーキット:ニュルブルクリンク、アブス、
                             ホッケンハイムリンク

経済の評価指標である2017年のGNI(国民総所得)およびGDP(国内総生産)はいずれも日本に続く世界第4位と世界の上位に位置し、数字上はイギリスやフランスを上回るヨーロッパ最上位に君臨します。日本はその上の世界第3位ですから、決して負けていませんよー!
古くはフランスとも同じ国だった時代、怖〜い首相によってもたらされた黒い歴史とのちの敗北、冷戦と分裂。と多くの争いや危機を経験して今の体制に辿り着いています。三十代以降の方は聞き覚えがあるであろう1980年代までは「東ドイツ」「西ドイツ」という2つのドイツに分かれていました。東ドイツは当時「ドイツ民主共和国」という名で、ベルリンを首都としソビエト連邦のような社会主義国家でした。一方で西ドイツの首都はボンで、現在の国名にあるように「ドイツ連邦共和国」としてアメリカに依った体制をとっており、東ドイツ国内のベルリン市内にもあった東西の境を「ベルリンの壁」によって遮っていました。元は同じ国なのに、バックにつく国がソビエトとアメリカと異なり、経済的にも政治的にも異なるという今では想像もつかないまるで別々の毛色です。それが1989年に「壁」が崩壊したことで東ドイツが西ドイツに主導権を預け、東西統一に相なりました。ちなみに今現役ドライバーの2人、ベッテルとヒュルケンベルグは共に1987生まれですので、生まれた時点ではまだ東西統一はされておらず、どちらも西ドイツ出身のドライバーということになります。
ドイツの地形は北西側が北海、北東側はバルト海に面し、中央付近にはマグヌッセンの母国であるデンマークが半島状に取り付いています。都市は北側の平野部に多く、南側はスイスと隣接したアルプス山脈があるため山地となっています。海がある割にはドイツを中心にGP開催や出身ドライバーの多いヨーロッパ諸国と接しているため、ドイツからみたら利便性の高い位置にあるといえます。気候は西岸海洋性気候(Cfb)に該当し、夏は涼しく冬も寒過ぎず湿気があるため、雪や雨も適度にあります。
最後にいつもの国旗の豆知識を一つ。ドイツの国旗も散々シューマッハやベッテル、ロズベルグが掲げてくれたのでよくご覧になっていると思いますが、横縞三色は覚えていますか?!
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これですね。上から「黒」「赤」そして「黄」うー残念、国旗として表示したりプリントすると明るい黄土色っぽくも見えますが、最後の下の色は黄ではなく「金」なんです。黒は勤勉、赤は情熱、金は名誉を表しています。なるほど、勤勉家でキレやすいチャンピオン=あたかも誰かちゃんの特徴を表すかのような色使い?!

F1ドライバー数:57人
F1チャンピオン:3人(12回)
現役ドライバー:2人(ベッテル、ヒュルケンベルグ)
著名ドライバー:シューマッハ兄弟、グロック、
                            N・ロズベルグ、フレンツェン、
                            ハイドフェルド、ウェーレインほか

ドイツのF1史については今までも国歌の時やベッテル絡みでちょこちょこ書いてきましたし、皆さんご存知の通りM・シューマッハの活躍を皮切りに勢力が一気に増してきました。ただ昔からいなかったわけではありません。総勢で57人います。古くはW・フォン・トリップスやJ・マスといった著名ドライバーもいますが、残念ながら成就しませんでした。近年も出来のいい人とイマイチだった人の差が大き過ぎます。今後も「ミスターF1」は不変のものだろうし「自動車業界の親玉」がF1界を席巻していくことと思います。

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《ニュルブルクリンク》
  所在地 :ラインラント・プファルツ州アイフェル
  F1開催 :1951〜54,56〜58,61〜69,71〜76
                (北コースとして22回)
一周距離:22.810km(1951〜54,56〜58,61〜66)
                  22.835km(1967〜69,71〜76)
初代優勝:A・アスカリ(フェラーリ)
最多優勝:ファンジオ、スチュワート(2回)
最多P.P. :J・クラーク(4回)
最速P.P. :8分16秒500 J・クラーク(1966)
                 6分58秒600 N・ラウダ(1975)
最多F.L. :ファンジオ、サーティース(3回)
最速F.L. :8分24秒100 J・クラーク(1965)
                 7分06秒400 C・レガッツォーニ(1975)

一つのサーキットですがほぼ別物として分けてデータ整理しています。まずは「ノルトシュライフェ」いわゆる北コースと呼ばれる山岳コースがF1の2年目シーズンの1951年にドイツGPの舞台として加わったのが発祥です。これは世界で最長かつ最高低差、そして最多コーナーを有するサーキットで有名ですね。全長22.8kmは東京から直線距離で西は国立や横浜桜木町、北は大宮、東は津田沼付近に相当。高低差は日本第2位の高さを誇る横浜ランドマークタワーに匹敵します(関東以外の方、すみません)いつもの同縮尺で表すといつもの4倍の面積となる10キロ四方でこんなにびっしりギザギザの172コーナーは描くのがとても大変でした。miyabikunはゲームで何回か走っていますが、コース幅は狭くバンピー、ランオフエリアが少ない。どこかのセクションがうまくいけばどこかはミスるし、似たようなコーナーがいくつかあるので飽きたり後半にダレてしまいます。最近は市販車やレースカーのテストコースで使用されていますよね。F1でのレイアウト変更が一度あり、67年からは最終盤にシケインが設置されています(図の旧レイアウトが茶色に対して、黄土色ラインが変更箇所)いつもメルセデスのガレージで若い2人を見守るラウダがF1で最速の1周を6分58秒で走破。
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  F1開催 :1985,09,11,13(ドイツGPとして4回)
一周距離:4.542km(1985)
                  5.148km(2009,11,13)
初代優勝:M・アルボレート(フェラーリ)
最多優勝:全4回バラバラ(1回ずつ)
最多P.P. :M・ウェバー(2回)
最速P.P. :1分17秒429 T・ファビ(1985)
                 1分29秒398 L・ハミルトン(2013)
最多F.L. :F・アロンソ(2回)
最速F.L. :1分22秒806 N・ラウダ(1985)
                 1分33秒365 F・アロンソ(2009)

北コースに対してこちらはGPコースと呼ばれ、南西に1周4.5kmに短縮して南西のセクションのみで構成されています。ドイツGPよりはヨーロッパGPの舞台として使用しました。見辛いですが当初図の青い線のようなレイアウトが採られ、2002年の改修により赤線のような「メルセデスアリーナ」を新設したことで全長が600m程延びています。後述のホッケンハイムリンクと交互開催が計画されていますが、13年を最後にGPは行われていません。

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《アヴス》
  所在地 :ベルリン都市州
  F1開催 :1959(1回)
一周距離:8.300km(1959)
初代優勝:T・ブルックス(フェラーリ)
最多優勝:T・ブルックス(1回)
最多P.P. :T・ブルックス(1回)
最速P.P. :2分05秒900 T・ブルックス(1959)
最多F.L. :T・ブルックス(1回)
最速F.L. :2分04秒500 T・ブルックス(1959)

こりゃmiyabikunさっきのニュルブルクリンク北コースの作図で力尽きて手抜きしたか。いえこれがアヴスです。真っ直ぐな2本のストレートの両端を43°をなすバンクで結んだサーキットとして1921年に完成しました。これの完成がドイツを代表する自動車専用道路「アウトバーン」建設に一役貢献したそうです。スキーをやられる方であれば想像して頂けそうですが、43°って分度器や三角定規からは分かり得ない、実際にその傾斜に立つとかなりの急勾配です。高い速度でコーナーインできるものの、走行は困難を極め死者を多数出し「死の壁」という異名を持っていました。67年にバンク部は撤去されて98年にサーキット機能も無くし、今はご覧の通りアウトバーンの一区間としてサーキットであった頃の名残を現在でも残しています。
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《ホッケンハイムリンク》
  所在地 :バーデン・ヴュルテンベルク州ホッケンハイム
  F1開催 :1970,77〜84,86〜06,
                      08,10,12,14,16,18〜(36回目)
一周距離:6.789km(1970,77〜81)
                  6.797km(1982〜89)
                  6.802km(1990,91)
                  6.815km(1992,93)
                  6.825km(1994〜01)
                  4.574km(2002〜06,12,14,16,18〜)
初代優勝:J・リント(ロータス)
最多優勝:M・シューマッハ(4回)
最多P.P. :N・マンセル、A・セナ(3回)
最速P.P. :1分45秒850 A・ジョーンズ(1980)
                 1分42秒013 K・ロズベルグ(1986)
                 1分37秒087 N・マンセル(1991)
                 1分37秒960 N・マンセル(1992)
                 1分38秒117 J・P・モントーヤ (2001)
                 1分13秒306 M・シューマッハ(2004)
最多F.L. :M・シューマッハ(5回)
最速F.L. :1分48秒490 A・ジョーンズ(1980)
                 1分45秒716 N・マンセル(1987)
                 1分43秒569 R・パトレーゼ(1991)
                 1分41秒591 R・パトレーゼ(1992)
                 1分41秒808 J・P・モントーヤ(2001)
                 1分13秒870 K・ライコネン(2004)

フランクフルト南方90kmにあるドイツGPではお馴染みの舞台ホッケンハイムリンクです。こちらも開設は古く、1932年からあるオールドサーキット。当初は今とは逆の反時計回りで、UFOのような形でホッケンハイム市街地まで食い込むレイアウトを採っていましたが、1966年にアウトバーンが南北を貫通したことで馴染みの「象」のようなレイアウトに変更されています。幼心にこのレイアウトを見た時、当時近所にあった日本初のハンバーガーチェーン店「ドムドムバーガー」の可愛いロゴマークを連想したものです。ドムドムバーガーって知っていますか?!コロッケバーガーはなんと1個80円でした。
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レイアウトは軽微変更を繰り返しており、時系列毎に作図してみました。古い順に上から緑、青、黄土色、ピンク、赤となっています。F1使用当初は森の中で大きな弧を描くオストカーブで折り返す形でした。以降に事故が起きる度にシケインを増やしたりオストカーブの形状変更などを経て、2箇所のシケインを深く鋭角に改良した赤ラインは近年で馴染みのあるレイアウトかと思います。今でいうDRSを開きっ放しのようなぺったんこウィングで森の中を疾走するF1マシンが懐かしいですね。
ただ速いだけでテクニックよりパワーありきのこのサーキットはヘルマン・ティルケの手によって大幅な改修を2001年末に行い、02年から現行のレイアウトに変貌を遂げました(上図の黒ライン)1コーナーを2段階の右折として、森の中を左高速コーナー「パラボリカ」でぶった切り。鋭角コーナーで旧レイアウトと合流し、メルセデスアリーナというスタジアムセクションを新設して再び旧レイアウトに戻ります。レイアウト変更して面白くなったかはさておき、距離は7割程度に短くなった分だけ周回数が増えました。

今シーズンは何とか2年振りにドイツGPが行われます。しかしまた財政難から2019年の開催は確定しておらず、継続開催の不透明さが残っています。