miyabikunはまだイギリスにいます。なぜなら今は懐かしベネトンはイギリスのコンストラクターだったから。えっと、ユナイテッド・カラーズ・オブ・ベネトンはイタリアのアパレルメーカーでは?そうなんです、会社はイタリア企業で間違いないのですが、ベネトンが名を馳せた時期はイタリアではなくイギリス所属のチームだったのです。F1はイギリスからドイツへ舞台を移す真っ最中ではありますが、遅れ馳せながら戦績もカラーリングもド派手の割には静かにワークスに吸い込まれて消えたこのチームを取り上げていきます。
IMG_9416
ベネトン
    初参戦          :1986年第1戦ブラジルGP
    最終参戦       :2001年第17戦日本GP
    参戦年数       :16年 / 68年 ※
    チーム参戦数:260戦 / 976戦 ※
    ドライバー数:17人 / 814人 ※
    優勝獲得数   :27勝 / 260戦 ※
    表彰台獲得数:102回 / 260戦 ※
    ポールポジション獲得数:15回 / 260戦 ※
    ドライバーズチャンピオン:2回 / 16年 ※
    コンストラクターズチャンピオン:1回 / 16年 ※
    ※各チーム横並びにするためデータは2017年終了時
IMG_9163
ティレルやアルファロメオのマシンが緑色をまとっていたのをご存知ですか?私もリアルタイムで観たわけではないので偉そうに言えないのですが、1980年代前半の時代のこと。そのカラーこそベネトンがF1のスポンサーとして参画していた初期になります。当初はアパレルメーカーがいきなりF1参戦し始めたわけではなく、実参戦は1985年シーズン終了後にスポンサーをしていたイギリスのコンストラクターのトールマンを買収、T・ファビと共に86年シーズンからがスタートとなります。
初号機B186は真緑のマシンにエンジンをハート製からBMW製に替え、85年終盤で入賞を重ねた若手ベルガーが大当たりして参戦3戦目の第3戦サンマリノGPで3位登壇。第15戦メキシコGPではベルガー自身初、チーム初の優勝を飾るなど幸先良いデビューイヤーとなります。その後しばらく優勝からは遠ざかるものの、ロリーバーンの作り上げるマシンとフラビオ・ブリアトーレの加入により、コンストラクターズランキングの上位を続け、89年の第15戦日本GPではナニーニが2勝目を挙げてマクラーレンの10勝、フェラーリ3勝、ウィリアムズ2勝に続く1勝を獲得して「四強時代」に名乗りを上げました。90年には晩年のピケがいよいよドライブするまで台頭する最中、チームを支えてきたバーンと入れ替わる形でジョン・バーナードが加入、サスペンションをはじめとしたマシンコンセプトも「太く高く」に毛色が変化していきます。91年シーズンは参戦チームでピレリタイヤを唯一履いてピケの1勝に止まる中、第12戦イタリアGPからは仲良しモレノに代わってお待ちかねの超大型新人M・シューマッハが登場するわけです。また92年にはバーンの復帰とトム・ウォーキンショーと従事していたロス・ブラウンが加入することでチームに化学反応が起こり始めました。


《エントリー数 上位10位》
  1   68戦 M・シューマッハ    10pts ★
  2   66戦 G・フィジケラ          9pts
  3   52戦 A・ヴルツ                  8pts
  4   46戦 A・ナニーニ              7pts
               G・ベルガー              7pts
  6   33戦 J・アレジ                  5pts
  7   32戦 T・ファビ                  4pts
               N・ピケ                      4pts
               T・ブーツェン           4pts
10   25戦 J・ハーバート           1pt

昨シーズンにこの企画をやっていたら、現役ドライバー◯マークに若きバトンが加われました(とはいえ意地悪なmiyabikunは「現役」とカウントするかは別)が、今シーズンは完全にいなくなりました。同様にチーム自体がないため現所属を示す●マークもありません。ベネトンも完全に過去のチームとなってしまったわけです。今後は「ベネトンって、ド派手な色使いの服屋でしょう?!」という印象が強くなってしまうんだろうな。
ベネトンも参戦期間がすごく多いわけでもなく、またドライバーも比較的短期間で入れ替わりや出戻りをしています。16年で17人ですから、ザッと均して1人2年がいいところ。というわけでこのあと続く成績も気になりますが、参戦数1位はひとまず68戦でシューマッハの手に。当時は1995年以外は年間16戦で行われており、割ると4.25年。うち2回の出場停止は除いています。ベネトンの初期メンバーのファビ、末期メンバーのフィジケラ、ヴルツも上位にノミネート。

《ポールポジション数》
  1   10回 M・シューマッハ     10pts ★
  2     2回 T・ファビ                  9pts
  3     1回 J・アレジ                  8pts
               G・ベルガー              8pts
               G・フィジケラ           8pts

《ポールポジション率》
  1 14.7% M・シューマッハ    10pts ★
  2   6.3% T・ファビ                 9pts
  3   3.0% J・アレジ                  8pts
  4   2.2% G・ベルガー             7pts
  5   1.5% G・フィジケラ          6pts

ポールポジションは17人中5人に厳選されます。96年シーズンからはシューマッハ1人に代わってフェラーリ所属だったベテランのアレジとベルガーのコンビとなりました。あくまで数字上の結果論ですが、シューマッハ10回に対してアレジ&ベルガーで2回ですから、だいぶ釣り合っていません。フェラーリ開花までは数年要したものの、いいトレードでした。幼心のmiyabikunには衝撃的過ぎて今でもよく覚えています。
ファビはブラバムの回でも登場したシューマッハより前の兄弟F1ドライバーの1人で、テオは兄の方です。昨年のアロンソ同様にF1参戦中にインディ500に参戦、その間に弟コラードを起用するというエピソードがブラバム時代にありました。ブラバムやトールマンに続いてドライブした兄はポールポジションや表彰台も獲得して戦績も上。

《優勝回数》
  1   19回 M・シューマッハ    10pts ★
  2     3回 N・ピケ                     9pts
  3     2回 J・ハーバート           8pts
               G・ベルガー              8pts
  5     1回 A・ナニーニ              6pts

《優勝率》
  1 27.9% M・シューマッハ   10pts ★
  2   9.4% N・ピケ                    9pts
  3   8.0% J・ハーバート          8pts
  4   4.3% G・ベルガー            7pts
  5   2.2% A・ナニーニ             6pts

優勝回数も5人で、ポールポジション獲得者との違いは「シューマッハとベルガー以外3人が入れ替え」となります。ポールは無くとも優勝を3つ稼ぐあたりがピケらしい。ピケの晩年といえば「獲得したポイントに応じた成功報酬」でシートをこぎつけたので有名ですね。「俺を乗せれば結果は出す。出したら出した分戴く」カッコいいじゃないですか。以前に「獲得ポイントからの収入試算」したことがありましたね。誰かさんもそうすればいいのに。そうすれば、飛躍的に辛抱強くなったり、予選からバキバキな速さ見せてくれるかな?!(笑)
先程もチラッと書いたナニーニの貴重な1勝は世界中が見守る第1期マクラーレン・ホンダの2人のチャンピオン決定戦となった日本GPでした。結果はご存知の通り残り10周で両者がカシオトライアングルで接触し、20分の審議によりナニーニの繰り上げ優勝となったもの。この接触が無ければ、ナニーニの優勝も無いーに。
ちなみにチーム初優勝は上でも書いた85年メキシコGP、最終優勝は97年ドイツGPでどちらもベルガーによるものでした。

《表彰台回数 上位10位》
  1   38回 M・シューマッハ    10pts ★
  2   13回 J・アレジ                  9pts
  3     9回 A・ナニーニ              8pts
  4     7回 N・ピケ                     7pts
               G・フィジケラ          7pts
  6     6回 G・ベルガー             5pts
               T・ブーツェン           5pts
  8     5回 M・ブランドル          3pts
  9     4回 J・ハーバート           2pts
10     2回 R・パトレーゼ          1pt
               J・フェルスタッペン 1pt

《表彰台率 上位10位》
  1 55.9% M・シューマッハ     10pts ★
  2 39.4% J・アレジ                   9pts
  3 31.3% M・ブランドル           8pts
  4 21.9% N・ピケ                      7pts
  5 20.0% J・フェルスタッペン 6pts
  6 19.6% A・ナニーニ               5pts
  7 18.8% T・ブーツェン           4pts
  8 16.0% J・ハーバート            3pts
  9 13.0% G・ベルガー              2pts
10 12.5% R・パトレーゼ           1pt

表彰台獲得者は17人中14人おり、回数の方は1回キリのモレノ、ファビ、ヴルツを除いた11人がノミネートされます。10位タイにいますよ、パパが。前にフェルスタッペン親子については親子間比較をしたことありますが、時代は違えど回数は息子マックスが15回と大幅に上回っています。今シーズンはパパの露出が減った気がします。親離れ子離れできてるのかな。
同じ時期にドライブしているのでどうしても比較対象にしてしまうアレジとベルガー。参戦数は出戻りのベルガーの方が多く、ポールポジションの数は1回ずつで同じ。よってポール率はアレジが上。優勝はベルガーが1回だけ記録されても、表彰台でみればアレジがベルガーの倍以上となる13回登壇しています。この後の集計で数字上の「ベネトン」での実績は明らかになりますが、両者ともフェラーリやマクラーレンでピークを迎え、ベネトンに移籍した頃にはライバルの台頭もあって勝機を失ってしまったなと感じます。
IMG_0908

《ドライバーズチャンピオン》
    1994年 M・シューマッハ 8勝 / 16戦 10pts ★
    1995年 M・シューマッハ 9勝 / 17戦 10pts ★

集計なんぞしなくても、1位の答えは誰だかわかってしまう。。

《ベネトン オブ ベネトン ランキング》
  1 90pts M・シューマッハ ★★
  2 44pts G・ベルガー
  3 39pts J・アレジ
  4 36pts N・ピケ
  5 32pts A・ナニーニ
  6 30pts G・フィジケラ
  7 22pts T・ファビ
     22pts J・ハーバート
  9 13pts T・ブーツェン
10 11pts M・ブランドル

5ポイント差でベルガーがアレジを上回りました。そのベルガーの倍のポイントを稼いだシューマッハでした。全ての項目で1位となって、先程話題に出した「アレジ+ベルガー<シューマッハ」という結果をみると、いかにシューマッハという若い逸材が大物であったかをまざまざと感じます。チームとしてはバーンやブラウン、ブリアトーレといったスタッフの力も味方につけて「シューマッハに勝利をもたらす」流れも確立、フェラーリへの移籍でそれらスタッフも後を追うように離脱し戦績を下げる形になったことからも、ベネトンを常勝チームとして名声を得たのはシューマッハとその周りを取り巻くスタッフの時代が色濃く、絶好のタイミングを生み出されたことが明確に表れます。
96年シーズンからイギリス所属からイタリア所属にチェンジし、アレジとベルガーのジョイントナンバー1体制やフィジケラとヴルツによる若手起用を企てますが、ウィリアムズやマクラーレンの台頭に歯が立たず、ベネトンもF1から撤退。2001年に21歳の若手バトンの起用するも、チームをルノーが買収したことを受けてチームが消滅しました。

アパレルメーカーらしく黄色や緑や青、さらには赤のアクセントといったビビットカラーをマシンにまとい、F1参入したベネトン。老舗でもワークスでもないチームでも優れた人材や戦略で一躍F1界に名を轟かせ、F1史にはしっかり功績が刻み込まれています。