今回はもうなくなってしまった名門、ブラバムです。私も晩年名前だけはリアルタイムで辛うじて観てはいますが、輝かしい時代は当然知りません。ドライバーが作り上げたプライベーター、アイデア満載の奇抜マシンてんこ盛りのこのチームを見ていきましょう。

ブラバム
初参戦 :1962年第6戦ドイツGP
最終参戦 :1992年第11戦ハンガリーGP
参戦年数 :29年 / 68年 ※
チーム参戦数:402戦 / 976戦 ※
ドライバー数:74人 / 814人 ※
優勝獲得数 :35勝 / 402戦 ※
表彰台獲得数:124回 / 402戦 ※
ポールポジション獲得数 :39回 / 402戦 ※
ドライバーズチャンピオン:4回 / 29年 ※
コンストラクターズチャンピオン:2回 / 29年 ※
※各チーム横並びにするためデータは2017年終了時

ブラバムはご存知の名ドライバー、ジャック・ブラバムが設立したプライベートチームです。クーパーで名を馳せたブラバムがロータス24を使って1962年にデビュー。第6戦ドイツGPから自社製BT3で参戦しています。初のドライバーはブラバム本人ただ1人!2年目となる63年は先日他界したアメリカ出身のガーニーを迎え、表彰台に名を連ねるようになり、参戦17戦目となる64年第4戦フランスGPは早くも初優勝を果たしました。ブラバム自身は参戦9年目の70年シーズンを最後に「ドライバー兼チーム代表」を引退、72年にバーニー・エクレストンが買収したことでチーム名こそ残りますが、徐々にチームの毛色が変わっていきます。

ブラバム
初参戦 :1962年第6戦ドイツGP
最終参戦 :1992年第11戦ハンガリーGP
参戦年数 :29年 / 68年 ※
チーム参戦数:402戦 / 976戦 ※
ドライバー数:74人 / 814人 ※
優勝獲得数 :35勝 / 402戦 ※
表彰台獲得数:124回 / 402戦 ※
ポールポジション獲得数 :39回 / 402戦 ※
ドライバーズチャンピオン:4回 / 29年 ※
コンストラクターズチャンピオン:2回 / 29年 ※
※各チーム横並びにするためデータは2017年終了時

ブラバムはご存知の名ドライバー、ジャック・ブラバムが設立したプライベートチームです。クーパーで名を馳せたブラバムがロータス24を使って1962年にデビュー。第6戦ドイツGPから自社製BT3で参戦しています。初のドライバーはブラバム本人ただ1人!2年目となる63年は先日他界したアメリカ出身のガーニーを迎え、表彰台に名を連ねるようになり、参戦17戦目となる64年第4戦フランスGPは早くも初優勝を果たしました。ブラバム自身は参戦9年目の70年シーズンを最後に「ドライバー兼チーム代表」を引退、72年にバーニー・エクレストンが買収したことでチーム名こそ残りますが、徐々にチームの毛色が変わっていきます。

ブラバムで特筆されるのが以前にも振り返ったことのある「独創的かつ奇抜なマシン」です。78年にたった1戦のみの採用に止まったBT46B通称「ファンカー」や83年から廃止されたフラットボトム規定(グラウンドエフェクトの使用禁止)に合わせ込んできた矢印マシンBT52など「真似されるどころか禁止すらされてしまうほど」のアイデアを持って優勝やチャンピオンを獲得してしまうというのも、他の名門にはあまりない特徴かと思います。

創成期はブラバム自身をはじめ、ガーニー、リント、イクス、G・ヒル、ロイテマン、パーチェなど名ドライバーがステアリングを握り、勝利を導いてきました。チーム中期はワトソンやラウダ、若きピケがレギュレーション大改革時代を担い、チャンピオンを獲得しています。ピケが在籍していた85年頃までは、よかったのですが、、、ちなみに88年の1年間は資金繰りがうまくいかずお休みも経験しています。
《エントリー数 上位10位》
1 107戦 N・ピケ 10pts ★
2 83戦 J・ブラバム 9pts ★
3 65戦 C・ロイテマン 8pts
4 61戦 R・パトレーゼ 7pts
5 50戦 J・ワトソン 6pts
6 40戦 C・パーチェ 5pts
7 33戦 S・モデナ 4pts
8 30戦 D・ガーニー 3pts
N・ラウダ 3pts
M・ブランドル 3pts
先日のロータスと同様に現役時代はとうの昔のため現役ドライバー●マークはおろか◯マークすらいません。若いファンの方には退屈な回かもしれません、ごめんなさい。いい機会ですのでドライバーの名前くらいは覚えて帰って下さいね。
エントリーはmiyabikun調べでは74人いました。74年頃までは2人以上のエントリーもありましたし、最終92年は予選すら通過できない時代もありますので単純に「年数×2人」ではありません。映えある第1位は創始者ブラバム(父)をも上回るピケ(父)が8シーズン(実質7シーズン分)エントリーで107戦となっています。四天王の一角はブラバムでの成績で積み上げました。他は当時の1シーズンのレース数が今より少ないこともありますが、長く在籍する者は多くなく、最近までF1界を牛耳ってきたエクレストンがドライバー時代よりも経営者となって手腕を見せ、スポンサーやドライバーの獲得に奔走、一気に戦闘力強化に繋がっています。
ブラバムはマシンだけではなくドライバー起用も他にはない経歴があります。F1で2番目となる女性ドライバーのL・ロンバルディは75年第4戦スペインGPで6位となり、ハーフポイントながら0.5ポイントを得た唯一の女性ドライバー。他、予選通過こそなりませんでしたが92年にもG・アマディがドライブしています。また二世や兄弟など血縁ドライバーも多いです。チャンピオンのエマーソンの兄ウィルソン・フィッティパルディ、ヒル家は父も息子もドライブしていますし、84年はテオ・ファビ、コラード・ファビという6つ違いの兄弟をピケの相方として交互に乗せています。当然ブラバムの息子デビッドもしっかりと。成績は、、到底父に敵わず。
《ポールポジション数 上位10位》
1 18回 N・ピケ 10pts ★
2 8回 J・ブラバム 9pts ★
3 2回 C・ロイテマン 8pts
D・ガーニー 8pts
J・イクス 8pts
J・リント 8pts
J・ワトソン 8pts
8 1回 C・パーチェ 3pts
N・ラウダ 3pts
R・パトレーゼ 3pts
《ポールポジション率 上位10位》
1 18.2% J・イクス 10pts
2 16.8% N・ピケ 9pts ★
3 15.4% J・リント 8pts
4 9.4% J・ブラバム 7pts ★
5 6.7% D・ガーニー 6pts
6 4.0% J・ワトソン 5pts
7 3.3% N・ラウダ 4pts
8 3.1% C・ロイテマン 3pts
9 2.5% C・パーチェ 2pts
10 1.6% R・パトレーゼ 1pt
ポールポジションも本家ブラバムよりピケが上回ってきます。ブラバム(父)も当時は存命でしたから2度のチャンピオン獲得はとても喜んだことでしょう。現代で「カルロス」といえばサインツになりますが、このチームには同時期に2人のカルロスが活躍した時代があります。74年第9戦フランスGPから76年第12戦オランダGPの間のロイテマンとパーチェによるもの。75年はこの2人によってフェラーリに次ぐコンストラクター2位を獲得しています。カルロス・パーチェ、そう皆さんも良くご存知のブラジルGPインテルラゴスのサーキットに付けられた方です。フィッティパルディと同時期にブラジルを代表した有望ドライバーとして表彰台を重ねてきましたが、77年第3戦の南アフリカGPの帰路の航空機事故によって亡くなっています。生きていたら、もしかしたらエマーソンに続く、ピケの前にブラジル人チャンピオンも獲得できたかもしれない逸材でした。
《優勝回数 上位10位》
1 13回 N・ピケ 10pts ★
2 7回 J・ブラバム 9pts ★
3 4回 C・ロイテマン 8pts
4 2回 D・ガーニー 7pts
J・イクス 7pts
D・ハルム 7pts ★
N・ラウダ 7pts
R・パトレーゼ 7pts
9 1回 C・パーチェ 2pts
《優勝率 上位10位》
1 18.2% J・イクス 10pts
2 12.1% N・ピケ 9pts ★
3 8.4% J・ブラバム 8pts ★
4 7.7% D・ハルム 7pts ★
5 6.7% D・ガーニー 6pts
N・ラウダ 6pts
7 6.2% C・ロイテマン 4pts
8 3.3% R・パトレーゼ 3pts
9 2.5% C・パーチェ 2pts
これまでのエントリー数、ポールポジション回数、優勝回数をみるといずれもピケ、ブラバム(父)、ロイテマンが占めています。ただご存知の通りロイテマンはブラバムでも後のフェラーリでも残念ながらチャンピオン獲得はなりませんでした。逆にチャンピオンを獲得したのは67年に2勝8表彰台を獲得したのはハルムでした。この年はエースのブラバム(父)とランキングトップ争いとなっており、結果的に2勝6表彰台のボスを上回ってのチャンピオンとなっています。それもあってかハルムはブラバムを離脱、翌68年からはマクラーレンへ移籍する形に。ハルムが抜けた後のブラバム(父)は怪我もあって引退、チーム喪失に向かうわけですから、67年は4回目が獲得できそうな最後のチャンスだったといえます。まあまあ、政治的な話は当然あれど勝負の世界ですからねぇ、3回チャンピオンってだけでも大したものなのに、要は勝ったもの勝ちってことですね。
《表彰台回数 上位10位》
1 29回 N・ピケ 10pts ★
2 21回 J・ブラバム 9pts ★
3 12回 D・ハルム 8pts ★
C・ロイテマン 8pts
5 10回 D・ガーニー 6pts
6 7回 N・ラウダ 5pts
7 6回 R・パトレーゼ 4pts
8 5回 J・イクス 3pts
C・パーチェ 3pts
10 4回 J・ワトソン 1pt
《表彰台率 上位10位》
1 46.2% D・ハルム 10pts ★
2 45.5% J・イクス 9pts
3 33.3% D・ガーニー 8pts
4 27.1% N・ピケ 7pts ★
5 25.3% J・ブラバム 6pts ★
6 23.3% N・ラウダ 5pts
7 20.0% P・カレッジ 4pts
8 18.5% C・ロイテマン 3pts
9 15.4% J・リント 2pts
10 14.3% H・J・シュトゥック 1pt
表彰台獲得数となれば上位3人はチームでのチャンピオン獲得者3人で占められます。これまでの名門チームシリーズで度々顔を出すイクス。こちらでも残念ながらチャンピオンならず(以前に「無冠の帝王、、」でも取り上げていますのでご参照下さい)イクスは時代が悪かったでしょうか。通算8勝は現在でいうリカルドの7勝、少し前だとモントーヤ7勝やウェバーの9勝に近い感じです。確かに結果的にチャンピオンには届かなかった面々ではありますが、ハルムはブラバムでたった2勝、通算でも8勝で1チャンピオンです。実力もさることながら、縁や運、タイミングは重要です。先日亡くなったときに取り上げたガーニーも「名前や遺産」は充分チャンピオン級ですね。
《ドライバーズチャンピオン》
1966年 D・ブラバム 4勝 / 9戦 10pts ★
1967年 D・ハルム 2勝 / 11戦 10pts ★
1981年 N・ピケ 3勝 / 15戦 10pts ★
1983年 N・ピケ 3勝 / 15戦 10pts ★
チャンピオンを複数回取ると、このまとめランキングは利きます。言うまでもなく、ブラバムを代表するドライバーはこちらになります。
《ブラバム オブ ブラバム ランキング》
1 85pts N・ピケ ★★
2 67pts D・ブラバム ★
3 47pts J・イクス
4 44pts D・ガーニー
5 42pts D・ハルム ★
42pts C・ロイテマン
7 33pts N・ラウダ
8 25pts R・パトレーゼ
9 20pts J・ワトソン
10 18pts J・リント
最後まで本家を凌駕したピケがブラバムの頂点に立ちました。そもそもが「ドライバー兼チーム代表」という構図が現代を知る我々からしたら不自然というか慣れない感じですよね。プロ野球の野村克也や古田敦也みたいな想像をすればいいのでしょうか。面々は皆古い時代のドライバーが占めていますが、チャンピオンを提げたラウダにまだ若き日のワトソンやパトレーゼなどいずれもビッグネーム揃いです。
2000年代後半にスーパーアグリを買収、引き継いで「ブラバム」という名が復活するのでは?!なんて噂になったことがありました。このブラバムとは全く関係がないものでしたが、実現はならず。今はF1に向かなかった息子デビッドが世界耐久選手権(WEC)に参戦、こちらはいわば直系のチームといって、いいのかな?!


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