歴史あるプライベーターも今や完全なるテールエンダーと化したザウバー。前にも振り返ったように、以前は大型スポンサーとしてペトロナスを味方につけたり、将来が期待される新人を多く輩出してきたチームでした。創設者であるペーター・ザウバーも身を引き、跡を引き継いだF1初の女性チーム代表モニシャ・カルテンボーンも第7戦カナダGPを最後に退任して「ザウバー」の名残はチーム名称とシャシー名くらいになってしまいましたね。今回はまだギリギリ「ザウバニズム」を感じ取れた2012年「C31」をみていきたいと思います。
《設計》
(ジェームス・キー)
   マット・モリス
   ウィレム・トーレ

《外見》
今はトロ・ロッソでテクニカルディレクターを担うジェームス・キーが2011年のオフシーズンに手がけるも、開幕を前にチームから離脱しているため、このシーズンはマット・モリスがテクニカル部門の指揮を執りました。
この前のマクラーレンMP4-27と同じ2012年ですので、ノーズはマクラーレン以外の各マシンと同じく残念な形をしています。レギュレーションで「こういう形状にしなさい」とあるわけではありませんが、安全を考慮した「ノーズ先端の高さは車体底部から550mm、モノコック前段の高さは625mm」というレギュレーションの中、少しでも合理的なデザインを採るとこぞってこうなってしまうという、ファンのみならずデザイナーやドライバーなど誰もが認める「醜い時代のマシン」でした。当時のザウバーはご覧のような白と黒(濃紺?)のカラーリングに「段差部に白地のナンバー」もあってか、その段差がまた大きく、目立って感じました。
近年はハースが「第2フェラーリ」の地位を担っています。この頃のザウバーは今よりもフェラーリとの距離も近く、エンジンをはじめギヤボックスも供給を受け、リヤサスペンションもフェラーリに合わせる形を取っていました。フェラーリF2012でリヤをプルロッドに変更すると、ザウバーもそれに合わせて前作C30のプッシュロッドからプルロッドに変更を施しています。
見易く図解されたものがあるので、それら画像をお借りして簡単に説明します。図の黄色いバーがロッドで、左側がプッシュロッド、右側がプルロッドになります。昔のF1マシンはロッド自体を細くできる逆ハの字をなすプルロッド(路面からの衝撃に対し、ロッドを「引張」で機能させる)の採用していました。しかしハイノーズが主流になると搭載位置の関係から自由度豊かなハの字のプッシュロッド(路面からの衝撃に対し、ロッドを「圧縮」で機能させる)とするマシンが増えます。ただそれの副産物としてロッドが太くなり若干の高重心と空力的支障をきたしてしまいました。そこでリヤを再び空力処理に有利なプルロッドに変更する傾向にあります。
先日のマクラーレンMP4-27と同様に早い時期から「コアンダ・エキゾースト」を導入、シーズン序盤から好成績のスタートに結びつけました。また、これらリヤエンドの改良によって、前作C30の弱点であったタイヤへの問題を軽減、入力が優しくロングランにも貢献し、この頃に「タイヤを保たせる術」を会得したペレスは今日の走りにも活きてきます。
ザウバーF1といえば、歴代青系か黒系のカラーリングを繰り返しています。この時代は黒と白のツートンカラーにメキシコ企業のスポンサーが増え始めています。ご存知の通りペレスがもたらした資金が多く反映されています。パトロンがいるとやはりシート獲得に有利に働きますね。

《エンジン》
フェラーリTipo056
V型8気筒・バンク角90度
排気量:2,398cc(推定)
最高回転数:18,000rpm(制限)
最大馬力: - 馬力(非公開)
《シャシー》
全長:5,195mm
全幅:1,800mm
全高:1,000mm
最低車体重量:640kg(ドライバー含む)
燃料タンク容量: - ℓ
ブレーキキャリパー:ブレンボ
ブレーキディスク・パッド:ブレンボ
ホイール:O・Z
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リヤ    プルロッド
タイヤ:ピレリ

《ドライバー》
No.14 小林可夢偉          (全戦)
No.15 セルジオ・ペレス(全戦)

《戦績》
126ポイント コンストラクター6位
(2位2回、3位2回、4位1回、5位1回ほか)
ポールポジション0回

小林可夢偉とペレスによるコンビ2年目です。表彰台登壇は4回で、その内訳は小林が第15戦日本GPでの3位1回、ペレスの第2戦マレーシアGPと第13戦イタリアGPでの2位と第7戦カナダGPでの3位となっています。コンストラクターズランキングは2001年のN・ハイドフェルドとK・ライコネンのコンビによるC20での4位がザウバーの歴代最高位でした。ただ表彰台はハイドフェルドの3位1回に止まるため、この2012年の方が内容としてもインパクトも優れていたように感じます。
開幕戦オーストラリアGPは予選で小林が13番手、ペレスが17番手(ギヤボックス交換ペナルティにより22番手スタート)に沈むも、決勝ではチーム内接触がありつつ両者入賞を獲得。第2戦マレーシアGPでペレスは予選10番手からチーム最高位となる2位表彰台、第3戦中国GPでは小林がチーム初のファステストラップを獲得するなど、トップチームに引けをとらない走りを披露してくれます。その後ペレスは先述の通りカナダ、イタリアと登壇する活躍をみせ、日本GPを前にフェラーリとの関係を断ち、マクラーレンからオファーを受けて移籍にこぎつけました。結果で一歩劣る小林は、去年振り返ったようにその地元予選4番手(マクラーレンのバトンのギヤボックス交換ペナルティにより3番手スタート)からヘヤピンでの連続パッシングとバトンの猛追を振り切って3位表彰台を獲得、悔しさを走りでカバーしています。
シーズン終盤は小林が2回入賞を果たすもトップチームへの移籍が決まったペレスが全くポイントを稼げず「腑抜け」になってしまいました。さらにチームは2013年に小林と契約更新するためには「ペレスからもたらされた資金を調達することが条件」とされ断念、F1浪人を強いられたのは記憶に新しい出来事だと思います。
F1を離れた小林は今も現役で世界の舞台で戦う日本のトップドライバーの1人です。アジア人でみても上位にくる活躍をもってしても、F1のシートにおさまることができず、片や当時のチームメイトの2人は現在もF1に籍を置けているというのが実情です。いかに現代のF1はドライバーの腕もさることながら「お金とタイミング」が重要であるかを知らしめてくれています。