今日のF1はフロントウィングがノーズコーンから離れて吊り下げる形となり、近年はそのノーズ形状が「ダサい」原因の一つとされています。フロントウィングを微妙に持ち上げてフロントウィングでのグラウンド・エフェクトを狙うマシンは先日取り上げた「マーチ881」がありますが、ガッツリとノーズコーンを持ち上げた先駆けとなったのは、日本でも有名な1990年の「ティレル019」でした。戦績は決していいものとは言えませんが、今にも続くデザインの先駆けとなる名車を今回振り返ります。

《設計》
ハーベイ・ポスルズウェイト
ジャン・クロード・ミジョー

《外見》
自身は当時この頃から本格的にF1観戦し、初めて見たときは色からも「イルカやカモメみたい」という印象でした。以前からフロントノーズの取り付け方やフロントウィング自身の機構を工夫したマシンは見られましたが、ここまでわかりやすく、前衛的な形状をしたものはありませんでした。現代のF1に通じる「ハイノーズ」のハシりです。近年はノーズから前方下面にステーを伸ばして取り付けていますが、このマシンは正面から見てノーズから片側30°ずつ位の傾きでハの字に広がり、低い位置のウィングに取り付き「正三角形」の様な空間があります。ノーズを持ち上げ、気流をマシン中央部でなくサイドポンツーン下付近と路面の隙間に高速に流し、リヤディフューザーで跳ね上げてグラウンドエフェクトを「レギュレーションの隙をつくアイデア」で得ることができます。グラウンドエフェクトは1982年に禁止されてフラットボトムの規定をされていますのであくまで底面は平らで、リヤタイヤ直前からディフューザーで効果を期待しています。フロントウィング断面も当時流行りとなっていた航空機の羽根の様な「アンヘドラルウィング」を採用し、先日のマーチ881と同様に翼端板はタイヤに干渉しない造形です。
またこのマシンは他に気付かれない「秘密の装備」を持っていました。フロントのダンパーに電動のアクチュエーターを取り付け、車高調整が可能で、路面からの衝撃を緩和とフロントノーズからのグラウンドエフェクトを有効活用できるようローリングを抑えることが狙いでした。
車体はシンプルかつスリムでフロントセクションのインパクトや工夫に比べると、特別パンチの利いた機構はなく、基本は前作018を継承しています。

マシンカラーはスポンサーロゴがうるさく入らないシンプルな白と濃紺のツートンカラーでした。ある雑誌に記載がありますが、実はこのカラーリングは「ある大型スポンサー」起用の計画があったためとのこと。
この後にウィリアムズがまとったロスマンズタバコです。こうしてみると、しっくりきていませんか?!なるほどなと最近になって納得しました。結構カッコいい!見てみたかったですね。
スポンサーは中嶋悟といえばセイコーエプソンにPIAA、日本信販とCMでバンバン登場していたやつです。また、ヘルメットにはさり気なくマールボロやエンジン供給していないホンダが中嶋悟だけに入ります。

《エンジン》
フォード コスワースDFR
V型8気筒・バンク角90度
排気量:3,493cc(推定)
最高回転数:11,750rpm(推定)
最大馬力:620馬力(推定)
スパークプラグ:NGK
燃料・潤滑油:エルフ

《シャシー》
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:500kg(ドライバー含む)
燃料タンク容量:190ℓ
ブレーキキャリパー:AP
ブレーキディスク・パッド:AP
ホイール:スピードライン
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:ピレリ

《ドライバー》019使用は第3〜16戦の14レース
No.3 中嶋悟(全戦)
No.4 ジャン・アレジ(全戦)

《戦績》
16(そのうち9)ポイント コンストラクター5位※
(019のみで2位1回、6位3回ほか)
ポールポジション0回
※前作018も合わせた年間順位で2位1回、6位1回を含む

1990年シーズン全16戦のうち、開幕戦アメリカGPと第2戦ブラジルGPは前作018で出走し、開幕戦でアレジによる2位1回、中嶋の6位1回を獲得しています。第3戦サンマリノGPからこの019を投入して臨むもアレジが2位1回、6位1回以外は入賞ならず5回のリタイヤ。中嶋は6位2回で他はほとんどリタイヤと、結果的になかなかニューマシンの飛躍はみられませんでした。当時のピレリタイヤの特性とのミスマッチもあり、発想イコール結果とはなりませんでした。また、改良を重ねたフォードDFRのパワー不足も否めず、マシン自体の信頼性に泣かされました。
このマシンのクライマックスは投入2戦目となる序盤の第4戦モナコGPでした。最上位の予選3番手獲得から、戦線離脱したA・プロストに代わってポールスタートのA・セナに食らい付き、セナに1秒落ちの2位表彰台を獲得します。この非力なマシンでのアレジの走りが評価され、翌年はフェラーリドライバーに抜擢されました。
中嶋悟も母国の日本GPで予選14番手から堅実な走りで6位入賞を果たし、当時斬新なデザインから今でも日本のみならず多くのファンを魅了。成績以上のインパクトで現代のF1マシン思想に継承されています。