1980年代末にF1で日本を盛り上げたのはマクラーレン・ホンダばかりではない、日本人ドライバーも日本が関わりを持つコンストラクターもありました。ファンの方も多いと思います1988年の(レイトンハウス)マーチ881です。
どうしてもこの色をみるとレイトンハウスと呼んでしまいがちですが、この881のチーム名はマーチになります。

《設計》
エイドリアン・ニューウェイ


《外見》
晩年のマーチ、レイトンハウスといえばエメラルドブルー(ターコイズブルー?)のカラーリングがまず特徴的です。過去にもこのようなライトブルー系のカラーリングのマシンはいくつかありました。チーム自体はイギリスでこの単にベタ塗りの水色でもない青緑でもないこの色をマシン全体にまとってしまうあたりが、さすがアパレル系スポンサーを感じさせます。前年1987年から日本の赤城明が擁するレイトンハウスがメインスポンサーになって採用されました。

このマシンのデザインは若きエイドリアン・ニューウェイです。まだ髪の毛も「危なさは匂わせつつ」ある時代です。何度も取り上げてきたニューウェイの専門は空力。一時期F1から離れて別カテゴリーで頭角を表し、F1復帰して初のマシンになります。
厚みがありそうで非常に細いノーズ、その先端に取り付く黒の巨大なフロントウィングに秘策を施しています。以前に車体全体でのグラウンド・エフェクトは禁止されてしまいましたが、このマシンはフロントウィング幅いっぱいにその効果を持たせ、フロントのダウンフォースを得ることに成功させます。写真でみてもわかるようにエンドプレートはステアリングを目一杯切っても、タイヤが当たらなないよううまく湾曲させてかわしています。
厚みのあるノーズとは逆に非常に低い位置に備えられたサイドポンツーンは同じ年にシーズンを席巻したマクラーレンMP4/4の平坦と異なり、近代のF1にみられるリヤに向かってなだらかな傾斜をなしています。前作871は平面的な曲線が多くありましたが、881では一部直線的な部分が増えつつもウィングを除くと複雑な形状になっています。パワーだけで押し切るのではなく、NAでパワーが非力ならボディワークを含めた観点から「サーキット一周のトータルで速く走れるマシン」にアプローチしています。
エアインテークも2種類の形状がありました。通常の長い三角形と、J・ハントが駆ってチャンピオンを獲得したマクラーレンM23でお馴染みのこのT形。T形はまずグージェルミンのマシンで採用され、レースによって使い分けるだけでなく、第6戦アメリカGPについてはグージェルミンとカペリでこの2種類が同時に走行することもありました。

《エンジン》
ジャッド CV
V型8気筒・バンク角90度
排気量:3,498cc(推定)
最高回転数:11,200rpm(推定)
最大馬力:600馬力(推定)
燃料・潤滑油:モービル・BP

《シャシー》
全長: - mm
全幅: - mm
全高: - mm
最低車体重量:500kg
燃料タンク容量:− ℓ
クラッチ:AP
ブレーキキャリパー:AP
ブレーキディスク・パッド:AP
サスペンション:フロント プッシュロッド
                                 リヤ    プッシュロッド
タイヤ:グッドイヤー

《ドライバー》
No.15 マウリシオ・グージェルミン(全戦)
No.16 イヴァン・カペリ(全戦)

《戦績》
22ポイント コンストラクター6位
(2位1回、3位1回、4位1回、5位4回ほか)
ポールポジション0回
   ※戦績は1988年シーズンのみ

優勝はありません。でも名車として数え上げられている理由の一つに「非力なエンジンで完全無敵のマシンの前を走った」伝説からきています。ご存知の通り、1988年は以前取り上げたマクラーレンMP4/4による全16戦15勝をなし得たとても偏った年です。フェラーリやロータスようなワークスでもない、ウィリアムズやティレルといった名門でもないこのチームが、NAエンジンで若い2人によって争いに混ざらんとしてチャレンジしていたことが美談です。このシーズンは18チームが参戦し、うちロータス、ザクスピード、マクラーレン、アロウズ、オゼッラ、フェラーリの6チームがターボエンジンでした。他12チームはNAエンジン搭載でマーチはウィリアムズやリジェと同じジャッドのエンジンになります。ターボエンジン最終年で先頭を走った唯一のチームとマシンです。優勝はなくても「金星」を与えていいくらいの成果だったと思います。

序盤はギヤボックスが起因となるリタイヤが続き、このシーズンから初採用のジャッドエンジンにも信頼性において泣かされていました。予選もなかなかトップ10にすら入らない状況が続きます。中盤になるとエンジンの信頼性が徐々に向上、さらにグージェルミンがマシンの弱点をニューウェイに指摘し、複段のフラップ導入すると徐々に一桁台の予選や決勝完走が可能になります。第11戦ベルギーGPではカペリが予選14番手からバタバタリタイヤしていくライバルを尻目に堅実に順位を維持して、マクラーレン2人に続く3位表彰台を獲得。第13戦ポルトガルGPは3番手スタートからセナをかわし、プロストに次ぐ2位にまで上り詰めてしまいます。そして伝説の第15戦日本GPで
一瞬プロストをかわして、1コーナー入口で抜かれる。僅か400m程の距離をマクラーレンより前で走りました。

カペリはマーチと後のレイトンハウスでの活躍で1992年にイタリア人でフェラーリのシートを得る飛躍をみせました。一方グージェルミンは1991年の赤城明の逮捕とレイトンハウス撤退でジョーダンに移籍。ニューウェイは活躍の場をウィリアムズに変えてしまい、瞬く間の戦力ダウン。最後は残念なことに日本の「バブル」とともにチーム自体が弾けてしまいました。
ストレートではターボエンジン勢に劣るも高速コーナーでは軽快に快走したマーチ881。無冠ながら果敢に攻めて「出鼻を挫いた」このマシンは怯んだ一瞬を逃さない「名車」と呼ぶに相応しい一台です。