去る3月10日にF1界の偉大なドライバーがまた亡くなりました。1964年のF1チャンピオンのジョン・サーティースです。F1の創成期を知るチャンピオンの1人として貴重な存在でしたが、存命のチャンピオンが少し前のブラバムに続き、また1人いなくなりました。これで存命の最古参チャンピオンはJ・スチュワートとなります。先日から過去のチャンピオンシップを振り返ってきましたが、今回は日本のF1史にも大きく関わったサーティースに追悼の意を込めてクローズアップしたいと思います。

ジョン・サーティース(イギリス)
   1960年 ロータスからデビュー F1在籍13年
       優勝6回                           歴代39位
       表彰台24回                      歴代39位
       参戦数111戦                    歴代59位
       ポールポジション8回      歴代34位
       ファステストラップ11回 歴代30位
       チャンピオン1回(1964年)
       ※戦績は2017年3月現在。戦績はF1のみ

1934年2月11日生まれのイギリス人です。日本でいうと昭和9年生まれですので、第二次世界大戦を青年期に経験している世代です。今年2017年3月10日に83歳で亡くなりました。同世代だと2歳下のチャンピオン経験者であるJ・クラークやD・ハルム、3歳下にマクラーレンの創始者であるB・マクラーレンがいますが、いずれも若い時期に事故死(ハルムはレース中に病死)しており、未だ存命なのはサーティースより5歳上の「無冠の帝王」S・モスくらいとなってしまいました。

F1は26歳にあたる1960年に、こちらも設立して日の浅いロータスから初参戦となります。しかしサーティースはF1をドライブする前にあるカテゴリーで輝かしい経歴を残しています。それは四輪の下位カテゴリーではなく、なんとバイクレースからの転身でした。実はF1ファンのみならず、自身はあまり詳しくありませんが、バイク好きにとっても有名な方だと思います。

サーティースの父が元々バイクレーサーで、1952年から共に参戦し、か後にサーティース1人でWGP(現Moto GP)の350ccクラスと500ccクラスの掛け持ちしていました。
22歳となる1956年からイタリアのMVアグスタというチームに移籍するとどちらのクラスでも優勝する才能をみせ、3勝をあげた1956年の500ccクラスで初のチャンピオンになります。さらに1958年になると、350ccクラスでも負けなしの状態となり、なんと3年連続の2クラスチャンピオンに輝きました。バイクレース界をほしいままにし、ココから1960年にF1でのサーティースが始まりました。
(バイクの世界はほとんどわからないので、間違えていたり補足がありましたらコメント下さい)

ロータスではクラークの相方として初戦の第2戦モナコGPはリタイヤ。第2戦目となる地元イギリスGPで2位表彰台とF1界でも才能を開花させます。サーティースのF1初優勝は4年目となる1963年のフェラーリによる第6戦ドイツGPでした。翌年1964年には2勝ながら最終戦メキシコGPでのG・ヒルのペースダウンもありF1でもチャンピオンに輝きました。

サーティースは日本にも縁のあるドライバーの1人でした。最近は大失墜を味わう第4期ホンダの元祖、急遽ワークス参戦に切り替えた第1期の4年目1967年に優勝1回と3位1回をプレゼントしてくれました。
後は以前にも書いたことがある「サーティース」というプライベートチームを1970年に立ち上げ、自身はその年いっぱいでF1現役引退。チームにはC・パーチェ、J・ワトソン、J・マスといった有名どころや後にチャンピオンを獲得するA・ジョーンズなどをドライバー起用するも優勝はなく、表彰台2回と自身の戦績を下回る内容で1978年を最後にチームもたたんでしまいました。日本繋がりでは高原敬武がこのサーティースのチームで日本初のF1ドライバーとなりました。

晩年は亡くなる直前までクラシックカーレースに足を運んだり、バイクのレーシングチームを立ち上げるなど、生涯をモータースポーツに注ぐ「生けるレジェンド」は二輪四輪問わず多くの後輩からも慕われてきました。
バイクはクラスを上げ下げしたり、四輪も他カテゴリーに転向しチャンピオンを取るケースはありますが、二輪と四輪という似て非なるモータースポーツの頂点を両方を極めたのは今までにサーティースただ1人となっています。一昔前にM・シューマッハはMoto GPのテストラン、一方V・ロッシがF1のテストランを経験して「2人の天才がトレードか?!」なんて時期もありましたよね。結果、実現に至りませんでした。

失敗もありつつ多くの成功を収めてきたサーティースも、残念だったのは「孫でなく子」のヘンリーが父と同じモータースポーツの世界で活躍を目指す最中、18歳の若さで自分より先に失ったことでしょう。もしかしたら今頃ヘンリーと出会い、史上2人目のダブルタイトル獲得に向けて秘訣をマンツーマンでじっくり伝承していることでしょう。
バイクもF1も成功し、チームオーナーもやりました。さらには日本にも深い関係を持つ、経験豊かで「唯一無二」の貴重な人間がまた一人減ってしまいました。期待されたり頑張っても、このような経験や様々な顔を持つことはなかなかできない事ですよね。年齢も高齢ではありましたが、非常に残念です。

少し遅くなってしまいましたが、ご冥福をお祈りします。