M・シューマッハ。長い期間F1ドライバーとして在籍し、チャンピオン7回、優勝回数91回は誰もが及ばない領域の記録となっています。そのシューマッハが猛威を振るい始めたのはセナを失った1994年頃から。デビュー4年目で25歳の年からです。シューマッハのすごいところは今のドライバーにはない「飽くなき勝ちへのこだわり」だと思います。0.001秒でも早く、時にはチームメイトに犠牲(支援)を伴っても勝つ。チームもそれをよしとする、そうさせてでも優勝やチャンピオンを獲得するんだ!という「惹きつける力」を兼ね備えていたこと。またピット給油を上手く利用し「戦略的に勝つ」という術も確実に実現させ、今の時代には減った「オーバーカット」はロス・ブラウンの後ろ盾があったことも彼の大成に欠かせません。そんなシューマッハの初期に雌雄を決していた1人がウィリアムズが生んだ二世、D・ヒルでした。セナの真横から後任を授かり、シューマッハとは違うプロセスで成功した人物です。今回はその2人がF1界を背負う1994年の第8戦イギリスGPを取り上げます。

先日書いたスペインGPを経て、ランキングトップはシューマッハの6勝。2位はヒルの1勝で2位止まりが続いていました。セナを失い、ウィリアムズのエースとなりルノーV10を駆るも、若手シューマッハのフォードV8に大きく水を開けられ、地元イギリスでヒルの資質を疑う声も多くあがりました。
予選を迎え、ライバルのシューマッハよりも先に暫定ポールを獲得し、ベネトンの結果を待ちます。
シューマッハは途中セクターでヒルを上回るタイム。うわぁ、またそのオチ?!コントロールライン通過までハラハラ。
結果、その後シューマッハは0.003秒差を上回れずヒルがポールポジション。ウィリアムズの地元、ヒルの地元での面目は保てました。


《予選結果》
1 D・ヒル(ウィリアムズ・R)
2 M・シューマッハ(ベネトン・Fo)
3 G・ベルガー(フェラーリ・F)
   ※タイヤはグッドイヤーのワンメイク

決勝前のフォーメーションラップ。先頭は確かヒルのはずですが、、水色のベネトン?!
2番手シューマッハはフォーメーションラップで2回、先頭のヒルを追い抜き、マイペースにタイヤを温めています。この若造、本当に尖ってるなぁ(笑)

スタートはヒルがしっかりシューマッハの前。観戦に来たダイアナ妃を前に恥は晒せません。後方ではプジョーエンジンで暗黒期のマクラーレン、ブランドルが見た目通りのロケットスタート!即リタイヤ。

レースはヒルにシューマッハ、ベルガーとトップが度々入れ替わり進行します。ただベネトン陣営がザワつき始めます。スタート前のシューマッハの暴走はレーススチュワードが目を光らせた。フォーメーションラップのヒル追い抜きは5秒ストップペナルティ。
当時は発令後3周以内に罰則を受けなければならない規則がありましたが、シューマッハは無視。とうとう黒旗が掲示され、渋々ペナルティを受けてトラックに戻ります。
シューマッハが2位に後退することでヒルは地元初、チャンピオンの父も成し得なかったイギリスGP優勝を手にします。表彰式ではダイアナ妃から祝福され、感無量。

《決勝暫定順位》
1 D・ヒル(ウィリアムズ・R)
2 M・シューマッハ(ベネトン・Fo)
3 J・アレジ(フェラーリ・F)
   ※表彰式の順位

ペナルティを消化した表彰式後までシューマッハ暴走については審議となり、結局2番手シューマッハは失格処分が下りました。叱るF・ブリアトーレ
叱られるも反抗的な目つきのシューマッハ

《最終結果》
1 D・ヒル(ウィリアムズ・R)
2 J・アレジ(フェラーリ・F)
3 M・ハッキネン(マクラーレン・P)
   ※Pはプジョーエンジン

後日ブリアトーレとシューマッハはパリにあるFIA本部に呼び出しです。神妙な面持ちの担任の先生と校長室に入る前にシューマッハは笑ってます。この問題児が!(笑)

FIA会長のM・モズレーより「イギリスGPの正式失格と第12戦イタリアGPと第13戦ポルトガルGPの出走停止」を命ぜられます。近代にはなかなかない重い処罰。さすがのシューマッハもフォーメーションラップの出過ぎたマネと反省はしていましたが、偉大な記録をもつシューマッハも若い頃はセナに叱られ、この後にヴィルヌーブに追突するなど多くの物議を醸しました。勝者より目立つシューマッハはまた強者。

最近では挑戦的で果敢な若手M・フェルスタッペンが誕生しました。小生意気にみえてもシューマッハよりも若く、ぶつけないし冷静で賢い。正常進化をすれば、シューマッハより恐ろしい怪物になるのかもしれない。