この前のトロ・ロッソと同じパターンで名車の代表レースをそのまま続けてしまいます。前回のスチュワートSF3の代表レースは唯一の優勝とダブル表彰台を獲得した1999年の第14戦ヨーロッパGPです。この年のヨーロッパGPはニュルブルクリンクで、いわゆるドイツ国内のダブル開催のズルいパターンです。さすがに1999年まで遡ると、現役の正ドライバーとして1人も残っていません。

前に1999年の日本GPを振り返りましたが、その2戦前にあたり、チャンピオンシップはハッキネン、アーバイン、フレンツェンとクルサードの4人がまだしのぎを削っている頃、とても重要な一戦です。


予選は雨あがりでチャンピオン連覇を図るハッキネンの7戦連続ポールポジションが途絶え、チームメイトのクルサードでもなくジョーダンのフレンツェンにさらわれてしまいます。無限ホンダ初のポールポジションです。他、チャンピオン争いをしているクルサードが2番手、ハッキネン3番手、アーバインに至っては9番手と大きく離れました。

《予選結果》
1 H・H・フレンツェン(ジョーダン・MH)
2 D・クルサード(マクラーレン・M)
3 M・ハッキネン(マクラーレン・M)
   ※MHは無限ホンダ



決勝のスタートは晴れました。スタートの直前にミナルディのM・ジェネがストールしてしまい仕切り直し。2度目のスタートでフレンツェンに続いたのは3番手スタートのハッキネンでした。同点のアーバインが後方に甘んじているうちに引き離しを目論みます。
ただ、11番手スタートだったベネトンのヴルツがザウバーのP・ディニスを突いてしまい、ディニスは宙を舞って
天地がひっくり返ってしまいます。エアインテークにあるロールバーも全く意味を成さずにこれでは出られません。この時代にハロが欲しかったですね。当然セーフティカー発動です。


セーフティカーが退去すると、予選を台無しにした雨がまた訪れます。そこで2番手のハッキネンから20周目に真っ先にレインタイヤに履き替えます。ここからさらなる波乱への幕開けに。

雨が止み路面が乾き始め、ライバルから出遅れたアーバインはピットで用意していたレインタイヤから急遽ドライタイヤを装着するも用意がなくもたつきます。
乾き始めたということは、レインタイヤのハッキネンは当然ペースがズタボロです。交換せず待ったフレンツェンとクルサードに引き離されていきます。

33周までドライタイヤで頑張ったフレンツェンとクルサードは同時ピットとなり再びドライタイヤへ。順位は変わらずフレンツェンが前でピットアウトして間もなく、出力が無くなってリタイヤしてしまいます。
トップがクルサードになると、また雨が降り始め、せっかくの新品ドライタイヤでコースオフしてフロントウィングを壊してリタイヤ。

次のトップは若きベネトンのG・フィジケラに変わります。初優勝のかかるフィジケラも49周目にコースオフしてリタイヤ。今ではなかなか見られなくなった、ステアリングを投げて悔しい悔しい!
次のトップも同じく初優勝のかかるウィリアムズのR・シューマッハ。怪我で休む兄の分まで頑張ると地元で力も入りますが
右リヤタイヤがバーストして戦線離脱。このレースはトップになると何かに取り憑かれたように不運が起きます。

50周目、5人目にトップになった「被害予定者」は予選14番手だったスチュワートのJ・ハーバートでした。まさかこのチームのベテランにトップが舞い込むと思いませんでした。幸いにもハーバートには不運はなく、今回はそのまま久し振りに表彰台の頂点に選ばれました。

《決勝結果》
1 J・ハーバート(スチュワート・FC)
2 J・トゥルーリ(プロスト・P)
3 R・バリチェロ(スチュワート・FC)
 ※FCはフォード・コスワース、Pはプジョー


2位と3位は若手同士でトゥルーリとバリチェロが接近した争いをしていましたが、トップのハーバートは荒れに荒れたレースで20秒以上の差をもって余裕で4年振りの3勝目をスチュワート初優勝としました。ベテランが「慌てずしっかり仕事をした」感じです。
肝心なチャンピオン争いしているメンバーはハッキネンの5位2ポイントのみで、この2ポイントが後々「大きな意味」を持ちます。こういうところで、例え小さかろうがポイントがあるかないかが重要だったということを示します。
また、チャンピオン争いと無関係なスチュワートが14,15番手スタートから1位と3位を獲得し、2位も大穴プロストのトゥルーリが10番手スタートから初表彰台という、シーズン終盤でなかなかハラハラする一戦になったと思います。