ポイントいじりを終えて、早々と逃げちゃおうと思ったのですが「やってみて結局どうだったの?」という結論がなかったため、最後にちゃんとまとめてみます。

《各ポイント制度と変換後の変動数》
正規は66年間で32人のチャンピオン
①25,18,15,12,10,8,6,4,2,1制(2010~)
    変換後→1人新規  2人喪失  7人変動
                  チャンピオン数31人
②10,8,6,5,4,3,2,1制(2003~2009)
    変換後→2人新規  3人喪失  8人変動
                  チャンピオン数30人
③10,6,4,3,2,1制      (1991~2002)
    変換後→2人新規  2人喪失  6人変動
                  チャンピオン数 32人
④9,6,4,3,2,1制        (1961~1990)
    変換後→1人新規  喪失なし  3人変動
                  チャンピオン数 33人
⑤8,6,4,3,2,1制        (1960)
    変換後→3人新規 1人喪失 5人変動
                  チャンピオン数 33人
⑥8,6,4,3,2制           (1950~1959)
    変換後→4人新規  3人喪失  8人変動
                  チャンピオン数 31人

新規チャンピオンが生まれたり変動があるのにチャンピオン数が変わらないのは、複数回チャンピオンが増えたり減ったりしたことを示しています。
チャンピオン争いに影響が最も少ないと出たのは④のポイント制度でした。採用期間がF1の66年間の歴史のうち30年と半分近い期間で採用されたため、今回の変換に影響が少なかったのは事実ありますが、それ以外の要因としては「上位◯レース分が有効」のシステムが思っていたより理に適っていた印象です。近年は完走率や入賞率も上がり、10位までポイントが付与される時代になったため、損をしているドライバーも多くいるものの、足切りを決めたのは計算や統計なのか何で決めたのか、結果まんざらでもない足切りだったのではないでしょうか。
①②③制度で多くの変動が起きたのは「全戦が有効」となったことや「6位以下にもポイント付与」となったことが、古い時代に影響を及ぼしています。また⑥は唯一、ファステストラップに1ポイント与えていることも計算する上でかなり助けとなり、特に近年のランキングへ影響力が多いことがわかりました。


《入れ替わりの多かった上位の年と相手》
1 5ケース 1951年 J・M・ファンジオ
                    →A・アスカリ、F・ゴンザレス
2 4ケース 1988年 A・セナ
                    →A・プロスト
   4ケース 2008年 L・ハミルトン
                    →F・マッサ
4 3ケース 1964年 J・サーティース
                    →G・ヒル
   3ケース 1983年 N・ピケ
                    →A・プロスト
   3ケース 1994年 M・シューマッハ
                    →D・ヒル

このデータから6つ異なる制度の中、比較となる全5ケースで「その時代の制度だったからチャンピオンになれた」もの。見方を変えれば「他の制度ならチャンピオンであった」ことを表しています。いわば内容はともかくポイント差や順位など含めて、その年が独走ではなく数字上は激戦だったことが言えます。
度々ノミネートされた1988年のマクラーレン2台のみによるガチンコのチャンピオン争い。そして2008年のマッサ。本当に惜しかったと思います。2008年のマッサがチャンピオンにふさわしい走りができていたか、と考えると少し物足りない部分は実にあったものの、今度その問題となった「2008年ブラジルGP」をクローズアップできればいいなと思っています。


《入れ替わりが多かったチャンピオン》
N・ピケ→1981年は2ケースで喪失
                 1983年は3ケースで喪失

複数回チャンピオンを獲得している中、チャンピオンを2つ失うケースがあったのはピケでした。3回チャンピオンが1回にまで減ってしまっています。激戦だった1981年はロイテマンに、83年は成長著しいプロストに奪われてしまいました。確かにピケは爆発的な優勝が比較的少なめな「四天王」と呼ばれた1人です。決してヘタクソとかチャンピオンがまぐれだった、と言っているわけではありませんので、ファンの方、怒らないでくださいね。

A・プロスト→1983年は3ケースで獲得
                        1984年は2ケースで獲得
                        1988年は4ケースで獲得

一方、獲得が抜群に多かったのはプロストでした。正規でも4回チャンピオンで優勝回数も51回で歴代2位を誇ります。最多でチャンピオン数を3回増やしたケースもありましたので、7回チャンピオンとなることもできました。
1983年は先程のピケからで84年はチームメイトのN・ラウダ師匠から、88年は同じくチームメイトの若き天才セナからの奪取です。84年はわずか0.5ポイント差でしたし、88年は16戦15勝を分け合う、いずれもマクラーレン時代であったことからも、マクラーレンは歴代ダブルエースドライバーを採用し、2008年にも起きた「チーム内抗争」を招きがちなチームであることを物語ります。優劣を付けないのはいいことですが、近年のウェバー&ベッテルやハミルトン&ロズベルグのように、あるまじきトラブルを引き起こしてしまいますね。


数字だけだと、優勝者多数で僅か1勝でチャンピオンを獲得した1982年のロズベルグ、また最終戦まで3人で争い1ポイント差でランキング3位から逆転チャンピオンを獲得した2007年のK・ライコネンあたりは、変換のケースによってひっくり返ったりするものなのかな、と考えていたのですが、どちらも一度もチャンピオンを譲りませんでした。際どくても正真正銘のチャンピオンであることが証明されました。

このタラレバ選手権を始める際に「昔のドライバーが今の時代だったらどうなっていたか」という話をしました。当然マシン性能や各レギュレーションの差もあるので、単純比較は永遠にできません。一つの指標となれば、と思いこの企画を試算してみました。チャンピオンを獲得した時代以外のポイント制でチャンピオンを維持したり、さらにチャンピオン数を増やせたら「どの時代やポイント制度でもチャンピオンになれる」ことを示してますし、もし喪失してしまったなら「その当時のポイント制度であったからチャンピオンになれた」とも言えるでしょう。そう考えると最大7回のチャンピオンになり得たプロストは強者ですし、僅か1勝でも揺るぎなかったロズベルグは大したものだとわかります。

また66年後に試算してみたいと思います。


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