今回は2007年のブラジルGPです。ライコネンファンの方なら忘れられないレースだったのではないでしょうか。
ブラジルGPと聞くとどうしても最終戦のイメージが拭えないのですが、今シーズンもアブダビGPがラストです。一昔前のブラジルGPといえば、最終戦だけあってチャンピオン争いが決まる舞台でしたね。今シーズンのように早く決まってしまうと、残りが消化試合になってしまって、何だか物足りない感じがします。

2007年はミシュランが去り、日本のブリヂストン一社が独占供給になりました。また2006年で長年F1で優勝を重ねてきたM・シューマッハが引退し、トップチームのドライバーがシャッフルされ、フェラーリの抜けた席にはマクラーレンからライコネン(第1期)、ライコネンの抜けたマクラーレンの席にルノーからアロンソ(第1期)、さらにはマクラーレンが幼少時代から大事に育ててきた今や2年連続チャンピオンのハミルトンが鮮烈デビューした年です。
他には「ハンガリーGP予選でのマクラーレンドライバー同士の妨害によるコンストラクターズポイント剥奪」と「マクラーレンとフェラーリの間で起きたM・コフランとN・ステップニーによるスパイゲート事件と罰金」が話題になりました。あのハミルトンとアロンソですからね、、、同じチームにいたら確かにぶつかります(笑)今は仲良し、かな?


ハミルトンはデビューイヤーにもかかわらず開幕戦オーストリアGPで3位、6戦目のカナダGPで初優勝し、全17戦中開幕から9回連続12回の表彰台、そのうち優勝4回とかなりの出来です。最終戦ブラジルを前にランキングトップの107ポイント。

3年連続チャンピオンのかかるアロンソは優勝4回、表彰台11回で103ポイント。ランキング2位でブラジルGPに臨む形に。

ライコネンは開幕戦で移籍していきなり優勝し、表彰台は11回で優勝5回の100ポイントでランキング3位。まさしく三者ブラジルGPでガチンコ勝負になりました。

表彰台回数は三者近い数字ですが、なぜ優勝の多いライコネンがランキング3位なのか。それはライコネンが2回リタイアし、マシンの信頼性でマクラーレンに一歩劣っていた面があったからです。マクラーレン時代も速いのに信頼性がなく、今の第2期フェラーリ時代の去年今年と何かとマシン運がない彼には何だか運命めいたものを感じます。
ちなみに、ランキング4位のマッサは3勝したものの、この地元ブラジルの最終戦までにチャンピオン争いから脱落しています。2007年に優勝をしたドライバーは彼ら4人しかいませんでした。今では考えられない「フェラーリVSマクラーレン」の古き良き時代です。


フリー走行から三者の争いはバチバチ火花を散らしていました。ライコネンが走行中にハミルトンが走行ラインに接近し減速。
これは予選でもみられ、一番不利な争いのライコネンはポールポジションを逃してしまいます。ポールポジションはチャンピオン争いに関係のない、地元GPのマッサ。コメントで「後ろでは熾烈な争いをしているんだろうね。でも僕は優勝したい」が印象的です。

予選結果
1 F・マッサ(フェラーリ・F)
2 K・ライコネン(フェラーリ・F)
3 L・ハミルトン(マクラーレン・M)

アロンソは4番手でした。三
つ巴ですから、チャンピオン獲得までの順位整理が大変なので、ライコネンをベースに書きます。ライコネンがチャンピオンになる ためには

・ライコネン優勝の場合
    →ハミルトン5位以下、アロンソ3位以下
・ライコネン2位の場合
    →ハミルトン7位以下、アロンソ4位以下
・ライコネン3位の場合
    →ライコネンのチャンピオンはなし

となり、ライコネンのチャンピオン獲得は決勝を優勝か2位しかありません。ポールのマッサの走り方でチームメイトの初戴冠が決まるというなんとも恐ろしい。。


決勝のスタートでポールのマッサは3番手ハミルトンの行く手を阻み、ライコネンの加速をスムーズにします。
つまずいたハミルトンはエス・ド・セナでライコネンのあおりを受けて減速し、その隙に4番手アロンソがハミルトンをかわします。ハミルトン大ピンチ!焦ってアロンソを追いかけるもコースオフして一気に8位まで順位を落としてしまいます。今のハミルトンではしないであろうミスです。


幼少から大切にバックアップを受け、鳴り物入りでトップチームに入り、王者アロンソと対等、いや上回る生意気っぷりを出してきたハミルトンですが、当時まだ22歳、参戦17戦目です。さすがに焦ったと思います。順位上はまだハミルトンに分がありますが、トップはライコネンのチームメイトです。4位にはならなければなりません。

さらに早くも7周目にいきなりギアが入らなくなり、あれよあれよと18位まで陥落してしまいます。ハミルトン、1年目からF1の神に見放されていきます。

実はこのレースがデビュー戦となったウィリアムズの中嶋一貴は予選でチームメイトのロズベルグに引けを取らない走りができていたものの、初ピットで2人ピットクルーを跳ね飛ばしてしまいました(笑)

それはさておき順調に3位アロンソとギャップを築き、ランデブー走行になりつつあるフェラーリ2回目のピットは50周目にマッサから。
そこでライコネンは一時のトップで得意の高速ラップ。何をしなければならないかは自分でわかってるそうです(笑)露骨には譲らないマッサとのギャップを埋めにかかります。そして53周目ライコネンの2回目のピット。
ピットアウトの合流で順位を変えずマッサの前のトップでトラックに戻ります。この時点でアロンソ3位、ハミルトンは7位です。2位のマッサがコケなければ、ライコネンがチャンピオンになります。

ラスト5周の66周目でしっかりファステストラップまで記録し、そのままの順位でライコネンが優勝、初戴冠達成です。

決勝結果
1 K・ライコネン(フェラーリ・F)
2 F・マッサ(フェラーリ・F)
3 F・アロンソ(マクラーレン・M)

シャンパンをラッパ飲みして紙吹雪。彼らしい表彰式でした。2003年はチャンピオンをM・シューマッハに取られ、2005年は最速マシンであったにもかかわらずアロンソに取られ、同じ奇数年の2007年にやっとチャンピオンを獲得できました。

マシンは完全にマクラーレンの方が速く、コンストラクターズポイントが剥奪されなければ間違いなくフェラーリよりマクラーレンが上でした(実質、マクラーレンのポイントが有効であれば、218でフェラーリの204より上)ただし、勝利数は結果ライコネンが6勝でハミルトン、アロンソは4勝ずつ。それにマクラーレンはチーム内騒動もありました。そう考えると、誰が贔屓だ先だで揉めてるより、純粋に速く走ったものが制すと考えると、混戦ではあったもののライコネン&フェラーリに分があったと思います。マッサも母国GPだったにもかかわらず、綺麗にライコネンを優位に運ぶ、紳士的でした。殊勲賞です。

ハミルトンは翌年2008年に早くもチャンピオンを獲得し、歴代勝利数3位、2年連続3回目のチャンピオンです。もうこのレースのようなミスはしないまで成長しました。
アロンソはチャンピオンの夢より幼少時代からの夢を求め、憧れのマクラーレン・ホンダのシートに座り、伝説の復活に辛抱強く耐えています。
ライコネンは一旦ラリーへの浮気したものの復活し、今は第2期フェラーリドライバー2年目。でも、ちょっとミスが多過ぎ!今や最年長ドライバーになってしまいました(笑)


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