F1 えきぞーすとのーと

よくあるニュースネタやこ難しいテクニカルな話ではなく、メインは予選や決勝のTV観戦したそのものを個人的観点から綴るF1ブログです。  また、懐かしのマシンやレースを振り返ったり、記録やデータからF1を分析。その他ミニカーやグッズ集めも好きなので、それらを絡めつつ広く深くアツくF1の面白さやすごさを発信し、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

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昨年のレースウィーク直前に「ポールポジションタイムの変遷、推移」について書いてきました。これらのデータを蓄積することにより、歴代のマシンレギュレーション変更に対してどのような変化をもたらしたのか、どのシーズンのマシンが速かったのかということが割り出せないかなと考え、今回はそれらのまとめと考察について書いていきたいと思います。新しいシーズンが始まるとなかなかそんな時間はありませんし、やる気も萎んでしまいますもんね。ちょっと退屈な話題かもしれませんが、miyabikunの20年度の研究発表にお付き合い下さい。

いつもながら自ら課したことなのに、抽出や集計にだいぶ時間を要してしまいました。まず本編に入る前にサーキット単位で集めてきたインプットを整理しておきたいと思います。

《年別GP開催数とサンプル抽出数》
  50年   4/7戦   抽出率57.1%
  51年   4/8戦   抽出率50.0%
  52年   4/8戦   抽出率50.0%
  53年   4/9戦   抽出率44.4%
  54年   4/9戦   抽出率44.4%
  55年   3/7戦   抽出率42.9%
  56年   5/8戦   抽出率62.5%
  57年   3/8戦   抽出率37.5%
  58年   5/11戦 抽出率45.5%
  59年   2/9戦   抽出率22.2%
  60年   4/10戦 抽出率40.0%
  61年   4/8戦   抽出率50.0%
  62年   4/9戦   抽出率44.4%
  63年   6/10戦 抽出率60.0%
  64年   5/10戦 抽出率50.0%
  65年   6/10戦 抽出率60.0%
  66年   5/9戦   抽出率55.6%
  67年   6/11戦 抽出率54.5%
  68年   5/12戦 抽出率41.7%
  69年   5/11戦 抽出率45.5%
  70年   6/13戦 抽出率46.2%
  71年   6/11戦 抽出率54.5%
  72年   4/12戦 抽出率33.3%
  73年   7/15戦 抽出率46.7%
  74年   5/15戦 抽出率33.3%
  75年   7/14戦 抽出率50.0%
  76年   6/16戦 抽出率37.5%
  77年   6/17戦 抽出率35.3%
  78年   6/16戦 抽出率37.5%
  79年   7/15戦 抽出率46.7%
  80年   7/14戦 抽出率50.0%
  81年   7/15戦 抽出率46.7%
  82年   7/16戦 抽出率43.8%
  83年   9/15戦 抽出率60.0%
  84年   7/16戦 抽出率43.8%
  85年   9/16戦 抽出率56.3%
  86年 10/16戦 抽出率62.5%
  87年 11/16戦 抽出率68.8%
  88年 11/16戦 抽出率68.8%
  89年 11/16戦 抽出率68.8%
  90年 12/16戦 抽出率75.0%
  91年 13/16戦 抽出率81.3%
  92年 13/16戦 抽出率81.3%
  93年 12/16戦 抽出率75.0%
  94年 12/16戦 抽出率75.0%
  95年 13/17戦 抽出率76.5%
  96年 14/16戦 抽出率87.5%
  97年 15/17戦 抽出率88.2%
  98年 15/16戦 抽出率93.8%
  99年 16/16戦 抽出率100%
  00年 17/17戦 抽出率100%
  01年 17/17戦 抽出率100%
  02年 17/17戦 抽出率100%
  03年 16/16戦 抽出率100%
  04年 18/18戦 抽出率100%
  05年 19/19戦 抽出率100%
  06年 18/18戦 抽出率100%
  07年 16/17戦 抽出率94.1%
  08年 17/18戦 抽出率94.4%
  09年 17/17戦 抽出率100%
  10年 18/19戦 抽出率94.7%
  11年 17/19戦 抽出率89.5%
  12年 18/20戦 抽出率90.0%
  13年 17/19戦 抽出率89.5%
  14年 19/19戦 抽出率100%
  15年 19/19戦 抽出率100%
  16年 21/21戦 抽出率100%
  17年 20/20戦 抽出率100%
  18年 21/21戦 抽出率100%
  19年 21/21戦 抽出率100%
  20年 12/17戦 抽出率70.6% ※

 747/1,035戦 72.2%
 ※20年の開催サーキットとしては14箇所
  うち1箇所は別レイアウト、2箇所が新規開催

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こちらがシーズン単位の予選データ抽出数になります。今までに「チャンピオンシップに有効なレース」は1,035戦ありました。昨年盛り込めなかった20年シーズンの予選データも追加すると、対象となる予選回数は747戦、全体の72.2%にあたります。本当は1,035戦全てを対象にしないと、精度の高い検証はできませんが、選定の条件に「現役のサーキット」「比較的近年まで開催されたサーキット」「複数回のGPが行われたサーキット」に的を絞って厳選しました。こう言っては何ですが、すごーく昔に特異なレイアウトのサーキットの情報を盛り込んでも、miyabikun観たことがないので意見し辛いですしね。ご理解頂ければと思います。
現役、近年開催のサーキットは概ね盛り込んだため、1999年以降にちらほらシーズン全GPが対象となるものがあります。近年でポツポツと抜けているものは富士での日本GP(2年)や開催回数がさほど多くない韓国GPやインドGPが外れています。また、昨年20年は初開催サーキットや同一二週連続開催のGPがあり、それらを除外した関係で全17戦中12戦分と少ない抽出数となっています。主要どころはカバーしているし、全レースの7割には達しているので、これだけ集めれば大丈夫かな。

《抽出サーキット一覧》(順不同)
 アルバートパーク(オーストラリアGP)24回
 バーレーン国際(バーレーンGP)16回 ◯※
 上海国際(中国GP)16回
 ヴァレンシア市街地(ヨーロッパGP)5回
 バクー市街地(アゼルバイジャンGPほか) 4回
 カタロニア(スペインGP)30回 ◯
 モンテカルロ市街地(モナコGP)66回
 ジル・ヴィルヌーブ(カナダGP)40回
 ポール・リカール(フランスGP)16回
 レッドブルリンク(オーストリアGP)32回 ◯※
 シルバーストン(イギリスGP)54回 ◯※
 ホッケンハイムリンク(ドイツGP)37回
 ハンガロリンク(ハンガリーGP)35回 ◯
 スパ・フランコルシャン(ベルギーGP)53回 ◯
 モンツァ(イタリアGP)70回 ◯
 マリーナ・ベイ市街地(シンガポールGP)12回
 ソチ・オリンピックパーク(ロシアGP)7回 ◯
 鈴鹿(日本GP)31回
 サーキット・オブ・ジ・アメリカズ(アメリカGP)8回
 エルマノス・ロドリゲス(メキシコGP)20回
 ホセ・カルロス・パーチェ(ブラジルGP)37回
 ヤス・マリーナ(アブダビGP)12回 ◯
 ニュルブルクリンク(ドイツGPほか)41回 ◯
 マニ・クール(フランスGP)18回
 エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ(サンマリノGPほか)28回 ◯
 インディアナポリス(アメリカGP)8回
 セパン国際(マレーシアGP)19回
 イスタンブールパーク(トルコGP)8回 ◯

 28/74サーキット 37.8%
 ◯は2020年に開催、追加したデータを含む
 ※二開催サーキットは速い方のデータを抽出

次にサーキット単位で数を集計しておきます。F1は71年の歴史において場所を変え改良を重ね、74のサーキットで行われてきました。同じサーキットでも軽微変更から特性まで様変わりしてしまったところ様々ありますね。あくまでサーキットの単位でみるとそのうちの28サーキットが対象なります。全体の37.8%は一見足りないようにも感じますが、先程も書いたようにこれでも全予選の72.2%はカバーしていますから、大丈夫でしょう。
お馴染みのサーキットから少し懐かしいサーキットがありますね。当然ながら歴史があり最近まで開催されるサーキットは数が多くなり、最多は「非開催はたったの1回」モンツァの70回分、次いでF1の「ザ・市街地」モンテカルロ市街地が66回、F1発祥の地であるシルバーストンが54回(ただし昨シーズンは遅かった方の1回を除く)、そして「悠久の峠の走り屋決定戦」スパ・フランコルシャンの53回と続きます。
以上、これらのデータを使って今回の検証に入っていきます。

《シーズン平均速度と1950年との対比》
サーキットはご存知の通り時代によって様々な変更を経て、それもタイミングはサーキット毎に異なります。それを横並びにするのは困難であり、単純比較はできません。そこで各サーキット各レイアウトを横並びに評価できるよう、いささか乱暴ではありますが、ポールポジションタイムと一周距離から「予選平均速度」を算出しようと思います。高速や低速、ストレートの長さなど、細かな要素はみれなくなるものの、一つの物差しとして大枠は掴めます。
対象となる予選の平均速度を割り出し、年別サーキット別の推移をグラフにしました。みて驚かないで下さいね(笑)
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ほらmiyabikunお得意のグチャグチャのチカチカです。デタラメでなくちゃんと計算してプロットしていますからね(笑)色毎にサーキット別を表現していますが、今回は敢えて凡例は付けません。ざっと雰囲気だけでも掴んで頂けたらと思います。上下に行ったり来たりはしつつも、速度域が高めな上限値と速度域が低い下限値のグラフの色はある程度揃ったものとなっています。細かくは改めてみていきますが、平均速度を割り出すと自ずとサーキット特性が表れ、様々な時代においても同じサーキットが選ばれつつあります。勘のいい方ならば、それらのサーキットがどこであるか、薄々想像できると思います。さすがにこれではラチが明かないので、以下で少し整理したいと思います。
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年単位で平均速度が最高値を示したものを赤線、最低値を示したものを青線で結び、年毎の「平均速度の平均値」を黒の折れ線グラフで示してみました。さらにアバウトな評価にはなりますが、それらシーズンでどのあたりの速度域にあるかは読み取れます。各年の平均速度と「F1初年の1950年との対比」をズラズラと並べてみます。

  50年 平均157.5km/h
  51年 平均173.4km/h 対50年比110.0%
  52年 平均163.5km/h 対50年比103.8%
  53年 平均166.8km/h 対50年比105.9%
  54年 平均171.3km/h 対50年比108.7%
  55年 平均175.1km/h 対50年比111.1%
  56年 平均168.1km/h 対50年比106.7%
  57年 平均152.5km/h 対50年比96.8%
  58年 平均170.5km/h 対50年比108.2%
  59年 平均160.6km/h 対50年比102.0%
  60年 平均185.2km/h 対50年比117.6%
  61年 平均174.1km/h 対50年比110.5%
  62年 平均173.8km/h 対50年比110.3%
  63年 平均172.9km/h 対50年比109.7%
  64年 平均173.0km/h 対50年比109.8%
  65年 平均178.1km/h 対50年比113.1%
  66年 平均182.1km/h 対50年比115.6%
  67年 平均190.6km/h 対50年比121.0%
  68年 平均186.9km/h 対50年比118.7%
  69年 平均187.7km/h 対50年比119.2%
  70年 平均203.5km/h 対50年比129.2%
  71年 平均199.8km/h 対50年比126.8%
  72年 平均192.7km/h 対50年比122.3%
  73年 平均196.6km/h 対50年比124.8%
  74年 平均193.2km/h 対50年比122.6%
  75年 平均197.5km/h 対50年比125.3%
  76年 平均189.6km/h 対50年比120.3%
  77年 平均197.4km/h 対50年比125.3%
  78年 平均192.2km/h 対50年比121.9%
  79年 平均203.2km/h 対50年比129.0%
  80年 平均199.1km/h 対50年比126.4%
  81年 平均204.5km/h 対50年比129.8%
  82年 平均207.9km/h 対50年比131.9%
  83年 平均208.5km/h 対50年比132.3%
  84年 平均208.6km/h 対50年比132.4%
  85年 平均216.9km/h 対50年比137.7%
  86年 平均208.5km/h 対50年比132.3%
  87年 平均215.0km/h 対50年比136.5%
  88年 平均206.1km/h 対50年比130.8%
  89年 平均210.7km/h 対50年比133.7%
  90年 平均213.5km/h 対50年比135.5%
  91年 平均214.6km/h 対50年比136.2%
  92年 平均214.0km/h 対50年比135.9%
  93年 平均215.7km/h 対50年比136.9%
  94年 平均204.4km/h 対50年比129.7%
  95年 平均203.7km/h 対50年比129.3%
  96年 平均206.7km/h 対50年比131.2%
  97年 平均214.0km/h 対50年比135.8%
  98年 平均207.7km/h 対50年比131.8%
  99年 平均205.8km/h 対50年比130.6%
  00年 平均209.9km/h 対50年比133.2%
  01年 平均216.5km/h 対50年比137.4%
  02年 平均217.6km/h 対50年比138.1%
  03年 平均213.3km/h 対50年比135.4%
  04年 平均217.2km/h 対50年比137.9%
  05年 平均215.0km/h 対50年比136.5%
  06年 平均214.3km/h 対50年比136.1%
  07年 平均212.4km/h 対50年比134.8%
  08年 平均206.4km/h 対50年比131.0%
  09年 平均207.5km/h 対50年比131.7%
  10年 平均210.3km/h 対50年比133.5%
  11年 平均212.3km/h 対50年比134.8%
  12年 平均204.4km/h 対50年比129.7%
  13年 平均203.9km/h 対50年比129.4%
  14年 平均202.0km/h 対50年比128.2%
  15年 平均206.9km/h 対50年比131.3%
  16年 平均214.0km/h 対50年比135.9%
  17年 平均217.9km/h 対50年比138.3%
  18年 平均219.9km/h 対50年比139.6%
  19年 平均224.4km/h 対50年比142.4%
  20年 平均229.0km/h 対50年比145.4%

多少の上下はありつつも平均値は赤線を示す最高値(最速値)と青線の最低値(最遅値)の間を走ります。平均値がやや最速値に寄りつつある年は「抽出したサーキットが高速によっている」ためと思われます。傾向としてはF1初期から中期にかけての80年代までにみられます。冒頭に挙げたように、古い時代は特に全予選をカバーできず、現在まで続く古参サーキットからの算定になります。シルバーストンにスパ、モンツァとくれば、低速で有名なモンテカルロ市街地は引っ張られてしまいますよね。
グラフをマクロ的に眺めていくと、青の最低値(最遅値)が1951年から54年の4年間を除いて、時系列と共に右肩上がりになっています。先程のサーキット別のグラフと照らし合わせると、茶色の折れ線グラフと重なるわけですが、ほぼほぼ同一サーキットの値です。これは先に答えを言ってしまうとモンテカルロ市街地の平均速度になります。最遅値とはいえ、これはポールポジションのタイムから割り出した平均速度であり、いかにモンテカルロ市街地が他のサーキットより遅く、かつ微妙なレイアウト変更やマシンレギュレーション変更があっても、時代と共にある一定の向上をしているかがわかります。でもそうなると、あの30km/hほど突出した1951年から54年の4年間は何なんだという話になるわけですが、これに限ってはモンテカルロ市街地ではなく、ドイツのニュルブルクリンク(北コース)の値です。モンテカルロ市街地よりは30km/hほど速くなりますが、他のシルバーストンやスパ、モンツァと比べるとあのウネウネ、グニグニのレイアウトですから低速度です。
赤い最速値の方に目をやると、最遅値や平均値よりも上下動が激しくみえます。これこそがF1の真骨頂といえますが、マシン性能とレギュレーションがせめぎ合っているために発生します。例えば1979年の最速値はルノーのジャブイユによるモンツァのデータであり、前年よりも3秒短縮、15km/hの向上を示しています。これはかねて導入していたグラウンドエフェクトに加え、ライバルに先立ち使用していたターボをツインターボにしたことによる性能向上によってもたらされています。また259.0km/hを記録した85年はパワーターボ全盛期でポールポジションを獲得したセナの駆るロータス97Tは予選専用エンジンで最高出力1,500馬力近くといわれ、過給圧(ブースト圧)に段階的に制限を設けた87年、88年はその影響を受けて速度低下がみられます。93年から94年の速度低下はアクティブサスペンションの禁止や94年に発生したラッツェンバーガーとセナの事故死に伴うレギュレーション変更の影響が表れました。さらにはサーキットレイアウト変更も速度低下に多くの影響を与えており、71年から72年の30km/hに及ぶ落差はモンツァサーキットに2つのシケインが設置されたことによります。

古い時代をみてもグラフにおこせば顕著に表れる速度変遷ではありますが、やはりサンプル数が少ないため、近代シーズンと比較すると平準化、精度に欠けます。よって、多くのサンプルを抽出できている近代を引き抜いて拡大してみたいと思います。その引き抜く境目は先程の抽出率で7割近くにあたる1987年以降を対象にしました。F1の歴史は71年、ちょうど半分は35年ですし、87年といえば鈴鹿で日本GPが開催された年ですから、我々にも親しみがあってちょうどいいかな。

《87年以降の平均速度とその対比》
  87年 平均215.0km/h
  88年 平均206.1km/h 対87年比95.8%
  89年 平均210.7km/h 対87年比98.0%
  90年 平均213.5km/h 対87年比99.3%
  91年 平均214.6km/h 対87年比99.8%
  92年 平均214.0km/h 対87年比99.5%
  93年 平均215.7km/h 対87年比100.3%
  94年 平均204.4km/h 対87年比95.1%
  95年 平均203.7km/h 対87年比94.7%
  96年 平均206.7km/h 対87年比96.1%
  97年 平均214.0km/h 対87年比99.5%
  98年 平均207.7km/h 対87年比96.6%
  99年 平均205.8km/h 対87年比95.7%
  00年 平均209.9km/h 対87年比97.6%
  01年 平均216.5km/h 対87年比100.7%
  02年 平均217.6km/h 対87年比101.2%
  03年 平均213.3km/h 対87年比99.2%
  04年 平均217.2km/h 対87年比101.0%
  05年 平均215.0km/h 対87年比100.0%
  06年 平均214.3km/h 対87年比99.7%
  07年 平均212.4km/h 対87年比98.8%
  08年 平均206.4km/h 対87年比96.0%
  09年 平均207.5km/h 対87年比96.5%
  10年 平均210.3km/h 対87年比97.8%
  11年 平均212.3km/h 対87年比98.8%
  12年 平均204.4km/h 対87年比95.1%
  13年 平均203.9km/h 対87年比94.8%
  14年 平均202.0km/h 対87年比93.9%
  15年 平均206.9km/h 対87年比96.2%
  16年 平均214.0km/h 対87年比99.6%
  17年 平均217.9km/h 対87年比101.3%
  18年 平均219.9km/h 対87年比102.3%
  19年 平均224.4km/h 対87年比104.3%
  20年 平均229.0km/h 対87年比106.5%

今から34年前にあたる1987年を基点とし、以降の速度と対比させ、同様の色遣いでグラフを拡大表示してみました。
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ピックアップすると、最遅値こそ実直なモンテカルロ市街地により右肩上がりになっていますが、平均値、最速値は意外にも単純な右肩上がりとはいかず、似たような水準を行き来しているようにみえます。特に2017年以降の近年3年は平均値の向上はあるものの、260km/h前半で頭打ちしているように感じます。平均値はシーズンのサーキットの平均ですから、まだ伸び代のあるサーキットを含んでいるわけですが、最速値(事実上、モンツァ)に関しては「現代におけるサーキットレイアウトにて速く走る限界」に近づいているように思います。仮に馬力向上やレスダウンフォースのセッティングで最高速は伸びても、コーナー半径が変わらなければ曲がり切れる限界の速度までの減速は必要になりますので、一周の平均速度を上げるためにはストレートでの速度向上よりは「いかにコーナーを『コーナー扱い』せずに走れるか」にかかってきます。パワーよりもダウンフォースに関するレギュレーションをより追求しないと難しくなりそうです。
先程も書いた87年から88年のターボ終焉の落ち込みや94年のセナショック、さらには98年のナローサイズ化およびグルーブドタイヤ導入による落ち込みがみられます。08年にある最速値に極端な落ち込みについては、最速値大半を占めるモンツァからの抽出ではなく、この年に限ってはスパ・フランコルシャンでのデータによるものです。この年のイタリアGP予選は雨に見舞われ、当時トロ・ロッソの若手であったベッテルの最年少初ポール(からの最年少初優勝)がありました。そのため、次点234.9km/hのスパが選ばれています。ちなみに前年07年のスパは平均237.9km/h、翌年10年の平均は237.2km/hであったため、若干の落ち込みはありました。

《87年以降の平均速度ベスト&ワースト10》
87年以降の平均速度のベストとワースト(という表現も語弊がありますが)を並べてみました。

 1 20年 平均229.0km/h 対87年比106.5%
 2 19年 平均224.4km/h 対87年比104.3%
 3 18年 平均219.9km/h 対87年比102.3%
 4 17年 平均217.9km/h 対87年比101.3%
 5 02年 平均217.6km/h 対87年比101.2%
 6 04年 平均217.2km/h 対87年比101.0%
 7 01年 平均216.5km/h 対87年比100.7%
 8 93年 平均215.7km/h 対87年比100.3%
 9 87年 平均215.0km/h
    05年 平均215.0km/h 対87年比100.0%
  - - - - - - - - - - - - -
  24 09年 平均207.5km/h 対87年比96.5%
  25 15年 平均206.9km/h 対87年比96.2%
  26 96年 平均206.7km/h 対87年比96.1%
  27 08年 平均206.4km/h 対87年比96.0%
  28 88年 平均206.1km/h 対87年比95.8%
  29 99年 平均205.8km/h 対87年比95.7%
  30 94年 平均204.4km/h 対87年比95.1%
       12年 平均204.4km/h 対87年比95.1%
  32 13年 平均203.9km/h 対87年比94.8%
  33 95年 平均203.7km/h 対87年比94.7%
  34 14年 平均202.0km/h 対87年比93.9%

ベースとなる1987年が215.0km/hと比較的高いため、それを上回るシーズンが8シーズンしかありませんでした。2017年の平均217.9km/hにはじまり、そのまま近年の4年でトントン拍子に速くなっており、最速は昨年の平均229.0km/h、対87年比較では6.5%も向上しました。ほか、2003年を除く01年から05年までの3.0ℓV10時代末期が上位にきています。8番目に入った93年はガチガチの電子制御デバイスを盛り込んだ最終年となっています。
相対して下位に入ってくるのは現パワーユニット元年の2014年を筆頭に、変革を求められた94年や95年、細かなエアロパーツを削がれた09年などの結果からわかるように「レギュレーション変更直前の時期」が上位に名を連ね、翌年の変更に伴い、蓄積されたノウハウや勢力図がリセットされ、平均速度が落ち込む、という流れを繰り返しています。

《87年以降の平均最高速度ベスト&ワースト10》
最後は最速値のベスト、ワーストの10位を挙げます。こちらは平均値と異なり「どの年のどのサーキットか」までが明確になるため、サーキットまでを表記しています。

 1 20年 平均最速264.4km/h モンツァ
 2 18年 平均最速263.6km/h モンツァ
 3 19年 平均最速263.0km/h モンツァ
 4 04年 平均最速260.4km/h モンツァ
 5 02年 平均最速259.8km/h モンツァ
 6 03年 平均最速257.6km/h モンツァ
 7 91年 平均最速257.4km/h モンツァ
 8 05年 平均最速257.3km/h モンツァ
 9 93年 平均最速257.2km/h モンツァ
  10 16年 平均最速257.0km/h モンツァ
  - - - - - - - - - - - - -
  23 94年 平均最速249.0km/h モンツァ
       00年 平均最速249.0km/h モンツァ
       13年 平均最速249.0km/h モンツァ
  26 12年 平均最速248.2km/h モンツァ
  27 09年 平均最速248.1km/h モンツァ
  28 14年 平均最速247.9km/h モンツァ
  29 96年 平均最速246.7km/h モンツァ
  30 95年 平均最速245.9km/h モンツァ
       17年 平均最速245.9km/h スパ・フランコルシャン
  32 88年 平均最速245.3km/h シルバーストン
  33 98年 平均最速243.5km/h モンツァ
  34 08年 平均最速234.9km/h スパ・フランコルシャン

28サーキットのうち、年間最速を記録したサーキットはたったの3箇所。それも34年の中でモンツァがベスト10を含む19回(86.4%)、スパが2回、シルバーストンが1回という内訳となりました。開催回数も70回で最多、平均最高速度もダントツのトップと「キング・オブ・F1サーキット」であることが明らかです。スパやシルバーストンも昔から高速サーキットの位置付けで名が通っています。速いだけがF1ではありませんが、やはりスピード感が溢れるサーキットやGPに人気が集まるのには納得できますよね。

《今回の「年単位」の検証の結論》
今回は歴代ポールポジションタイムを速度変換し、年単位で整理、比較してみました。冒頭にも書きましたが、サンプル数の不足や整理の粗さもあり、断言するには説得力が欠けますが、いくつかの結論が明らかになりました。

・F1の歴代最速シーズンは「2020年シーズン」
・近年は様々な要因で「速い遅い」を繰り返す
・サーキット最遅は「モンテカルロ市街地」
・サーキット最速はダントツで「モンツァ」

次は別の視点で掘り下げてみたいと思います。

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この時期になれば、例年今シーズンの新車の話題がちらほら出てきます。なかには既に公式発表されたり、発表日が明らかになったチームむありますね。今回はその新車でなくいつもの「旧車」に関する話題。待ち望んでいた方、すみません。
前回はメルセデス常勝チームになる直前の2013年型W04を取り上げました。チャンピオンマシンではありませんが、戦績をみれば突如強くなったわけではなく、やはりその礎となる何かを準備したり、積み重ねてきたことがわかります。ごく稀に突然好成績をおさめてしまうケースもなくはないのですが、今回のマシンもW04と同様、チャンピオンにはならなかったものの、このマシンをきっかけに格段に戦闘力を増し、浮上の兆しを見せつけながら以降しばらくの間F1界で猛威を振るいました。メルセデスフィーバーの一世代前、今から12年前にあたる2009年型レッドブルRB5が今回の主役です。

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《設計》
 エイドリアン・ニューウェイ
 ジェフ・ウィリス
 ピーター・プロドモロウ
 ロブ・マーシャル

《外見》
レッドブルのカラーリングの基本である「紺に黄色いクチバシ」は変わらずも、ノーズに入っていた水色のラインを中央に細くまとめ、攻撃的にみえる赤のラインを差し込み、このマシンの特徴であるVノーズを引き立たせています。また、昨年まで使用していたフロントウィング翼端部のフィンやエンジンカバー直上のフィンに採用されていた銀が無くなったためか全体的に統一感のある締まった見た目となりました。
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2009年は各所のマシンレギュレーション変更を伴い、以前ニューウェイが手がけたマクラーレンMP4-20に比較的に類似した前作RB4からは大幅に変わりました。フロントウィングは1,800mmまで広げられ扁平になり、ブリッジウィングなどは廃止されたことで「ちり取り」のような存在感があります。その一方で前輪付近から後輪までの領域のエアロパーツが禁止されたため、ゴテゴテ付加されたウィングやフィンは無くなり「ハダカ」にされたようにスリムになりました。さらには1,000mmあったリヤウィング幅は750mmに縮小し、ウィング高さは950mmとなったため、細く高く、見慣れなく異様な存在感をなしました。今までのF1マシンより頭でっかちにもみえて、この頃から「カッコいいF1マシン」の印象が徐々に削ぎ落とされたように思います。
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このマシンでまず目を引くのが非常に細く高めノーズコーンにサスペンション元端付近のこぶ。これは「Vノーズ」と呼ばれ、見辛いのですがノーズ下は「下に凸」のUの字を形成し、フロントサスペンションはニューウェイがマクラーレン時代に培ったゼロキールを導入しています。これはノーズ下の気流をスムーズにすることが狙いであり、ノーズ下の欠損した断面積をノーズ上でこぶ状に突出させて補っています。以前に「メルセデスW01」の時にmiyabikunが「指紋認証できそう」と冗談を言ったやつと同じです。細いノーズコーンはニューウェイがマクラーレン時代に何回かトライし、失敗したことが思い出されます。こちらも第8戦イギリスGPからカモノハシ型の太く扁平なタイプに切り替えています。
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また低重心を徹底的に追求、リヤのサスペンションは当時下火であったプルロッド式を採用。サスペンションの機構をギヤボックス前方下部に集中させました。こうするとギヤボックス上部に何もない空間ができ、断面自体をコンパクトにすることができます。過激で緻密な構造をなすこれの弱点としては、ドライブシャフト自体が「上向き『ハ』の字」となり、信頼性において懸念を生み、かつこのシーズンで大いに流行った複層をなす「マルチディフューザー」の搭載が容易でない点です。こちらはブラウンGPから遅れること8戦、ノーズコーン同様に第8戦イギリスGPからギヤボックスとサスペンション、リヤウィングの翼端板を下部に延長させる形で対処しました。
レッドブルのマシンといえば、リヤエンドの開口にも目が行きますね。戦闘機にみられるようなエキゾーストは排熱に使用し、リヤウィングの整流に貢献することを狙っています。ライバルが採らない工夫をふんだんに盛り込み、さらにトレンドにする、それがニューウェイデザイン。

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《シャシー》
 全長: - mm
 全幅: - mm
 全高: - mm
 最低車体重量:605kg
 燃料タンク容量: - ℓ
 ブレーキキャリパー:ブレンボ
 ブレーキディスク・パッド:ブレンボ
 サスペンション:フロント プッシュロッド
          リヤ    プルロッド
 ホイール:OZ
 タイヤ:ブリヂストン

《エンジン》
 ルノー RS27
  V型8気筒・バンク角90度
 排気量:2,400cc
 エンジン最高回転数:18,000rpm(制限)
 最大馬力: - 馬力(非公開)
 スパークプラグ:チャンピオン
 燃料・潤滑油:トタル

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《ドライバー》
 No.14 マーク・ウェバー   (全戦)
 No.15 セバスチャン・ベッテル(全戦)

前年までレッドブル創成期を支えたベテランのクルサードが勇退。若手育成チームであるトロ・ロッソで飛躍的な活躍をみせたベッテルがこの年から加わり、若返りと育成の成果が問われます。ただ成長伸び盛りのベッテルとはいえ、当然ながら先輩ウェバーがエースとしてチームをしっかりと牽引する役割を任されます。

《戦績》
 153.5ポイント コンストラクター2位
 (1位6回、2位6回、3位4回、4位3回ほか)
 ポールポジション5回

開幕戦オーストラリアGPの予選はブラウンGPの2台がフロントロウに並び、ベッテルはそれに続く3番手を獲得するも、ウェバーはフェラーリやトヨタらに先行を許す10番手(トヨタ2台の車両規定違反で8番手に浮上)とチーム間で差がつく形で終えます。決勝はベッテルがスタートで2位に浮上し、ポールのバトンを追いかけたものの、終盤のクビカとの接触により13位、ウェバーは一つ前の12番手とつまずきました。
第2戦マレーシアGPはスコールに見舞われハーフポイントのレースとなり、ウェバーが6位入賞の1.5ポイントを獲得しますが、ベッテルは1周遅れの15位完走ノーポイント。そして第3戦中国GPでようやくRB5が開花します。マルチディフューザー問題でパドックがゴタゴタする中、ドライコンディションでの予選でベッテルがQ3をたった1回の走行でチーム初ポールを獲得。雨となった決勝もピットアウト直後以外はトップを守ったベッテルがチーム初の優勝を遂げました。
ヨーロッパラウンドに入ってもベッテル、ウェバー共にコンスタントに表彰台に登壇するようになり、第9戦ドイツGPでウェバーは参戦132戦目にして初のポールポジションを獲得、そのまま当時最遅となる初優勝を掴みます。結果的に先輩ウェバーはドイツとブラジルの2勝を挙げて合計8回の表彰台。ベッテルは中国、イギリス、日本と最終戦アブダビGPの4つの優勝を含む8回の登壇でドライバーズポイントは84となりますが、トップのバトンに11ポイント足らずのランキング2位で締めくくっています。IMG_8300
チャンピオンを獲得したバトンと惜しくも2位で終えたベッテルの戦績を比較すると、全17戦のうちバトンは前半の7戦で5勝を挙げ、あとは優勝は無いものの第12戦ベルギーGPを逃した以外は必ず8位入賞圏内でフィニッシュしています。一方ベッテルは前半8戦で2勝、後半9戦で2勝のトータルで4勝と1つ足りなかった以外にも、5レースのノーポイントがあった点が大きく響いています。それでも逃げパターンを形成したブラウンGPのバトンの相方バリチェロには競り勝ったことでチーム自体も自身のキャリアとしても上昇傾向であったことを証明しています。
マシン側の弱点となったのはリヤエンドの気流を低くすべく、少数派のリヤのプルロッド型にしたためマルチディフューザーへの対応が構造上遅れたこと。またKERS(運動エネルギー回生システムで今でいうERS)をシーズン通して搭載できなかったため、ライバルのKERS搭載車と比べスタートがやや伸びなかったという点も足かせになりました。IMG_8304
チャンピオンを逃してしまったことは悔やまれる結果ですが、これら弱点は翌2010年は克服した形で正常進化させたRB6を登場させ、見事にベッテルによるダブルチャンピオンを獲得、以降13年までレッドブルは4年連続のダブルチャンピオンを続けました。上昇レッドブルを作り上げたのは完成度の高いこのマシンでの弱みを克服することにあったわけで、ニューウェイは「このマシンが父であった」と後に振り返っています。
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RB5で得た教訓、それと相まって「勝ち方を覚えた若き才能の熟練期間」と考えれば、この年の結果は決して無駄ではなく、この後の大成功を得るためにむしろよかったのかもしれません。

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2021年は3人の新人と1人のドライバーが復帰参戦を果たしましたが、F1のシートは10チーム20人に限られているため、押し出される形で4人のドライバーがシートを失うことになります。その中には長くF1界を支えつつ、かねてから喪失の噂がちらほら飛び交っていたハースのグロージャンとマグヌッセンの2人の中堅ドライバーが含まれています。他、アルボンはまだまだ若いから復帰のチャンスは無くはないし、クビアトは「三度目の正直」が果たしてあるのかないのか。そんな4人の中、今回はmiyabikunが「マルH軍団」といじり倒してきたハースの2人の戦績を振り返りながら、次なる舞台へ送り出したいと思いました。ダラダラ長くなってしまいましたが、ご覧下さい。
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ロマン・グロージャン(フランス、スイス)
 1986年4月17日生まれ
 2009年,12年〜20年 10シーズン 181戦参戦
 0勝 P.P.0回 表彰台10回 入賞59回 F.L.1回

 09 ルノー       7戦参戦        予選12番手 決勝13位
 12 ロータス 19戦参戦        予選2番手   決勝2位
 13 ロータス 19戦全戦参戦 予選3番手   決勝2位
 14 ロータス 19戦全戦参戦 予選5番手   決勝8位
 15 ロータス 19戦全戦参戦 予選4番手   決勝3位
 16 ハース     21戦全戦参戦 予選7番手   決勝5位
 17 ハース     20戦全戦参戦 予選6番手   決勝6位
 18 ハース     21戦全戦参戦 予選5番手   決勝4位
 19 ハース     21戦全戦参戦 予選6番手   決勝7位
 20 ハース     15戦参戦        予選14番手 決勝9位

F1でのグロージャンはフランス籍でドライブしていましたが、実際はスイスにも国籍を持つ二重国籍者です。F1デビュー前はスイスやフランスの下位カテゴリーに参戦、頭角を示し、地元のワークスであるルノーの育成ドライバーの1人でした。2008年のGP2アジアで初代チャンピオンに輝くと、翌09年に08年第15戦シンガポールGPでルノーは故意のクラッシュによりレースを操作するいわゆる「クラッシュゲート」が発覚。対象ドライバーのピケが解雇されたことでテストドライバーからの昇格によりF1シートを手にします。
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まずグロージャンの所属チームとポイントランキンググラフをみていきましょう。グロージャンはフランスということで以下に示すグラフのイメージカラーは青を充てました。所属チームは先述のルノーワークスをはじめ、2010年、11年の浪人期間を経て、12年からロータス(ルノー)に4シーズン在籍。16年からはアメリカの新興チームであるハースへ立ち上げ初年に移籍し、昨シーズンまで5シーズン在籍しました。F1は初年09年のスポット参戦から数えると10シーズンとなり、なかなかのベテランではありますが、チームとしては3チームの在籍、ロータスをルノーの直系と考えれば、ルノーとハースの2系統に絞られます。ランキング最高位はロータスで2年目にあたる13年の7位でした。その後15年に11位と多少の浮上はあるものの、下降の一途をたどり、最終年の昨年は入賞1回2ポイント。参戦23人中19位、レギュラードライバーのみでは18番目という不甲斐無い内容でF1キャリアを終えることとなりました。
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細かな戦績をいつものグラフにしました。薄黄色の領域は表彰台圏内、薄緑色は入賞圏内になります。ちなみに09年の入賞は8位まででした。1年目の09年はシーズン終盤の7戦に参戦しますが、残念ながら入賞はなりませんでした。若いグロージャンは一度F1のシートを喪失、再びGP2に戻ってF1復帰の隙を伺います。11年はフランスのDAMSでチャンピオンを獲得して翌12年に再びF1シートを手にします。当時のGP2は多くの有望な若手を輩出することで有名でしたね。先輩にはN・ロズベルグやハミルトン、グロック、ヒュルケンベルグや後のチームメイトとなるマルドナド、パーマーなどがチャンピオンを獲得しており、バンドーンやガスリー、また名称は変われどルクレールやラッセルもこのカテゴリーの出です。
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2012年シーズンからライコネンと共に再びレギュラーシートを得て「黒いルノー」を支えていきます。その初戦オーストラリアGP予選はライコネンが18番手に沈む一方、なんと同じルノーエンジンを積むチャンピオンのレッドブルを上回り、マクラーレンに続く3番手を獲得し周囲を驚かせました。結果的にはリタイヤで終えますが、まだ25歳と若く「さすがGP2チャンピオン」という速さをみせています。この年は第4戦バーレーンGPで3位、第7戦モナコGPで2位、第11戦ハンガリーGPで3位と3回の表彰台に登壇。そのうちの3位2回はライコネンとのダブル表彰台となり、ロータスのマシンポテンシャルの高さを証明することとなりました。翌13年も5回の3位と第18戦アメリカGPで2位を挙げ、ポイントランキングは自己最高の7位に浮上しています。2シーズンとも格上ベテランのライコネンに負けはしましたが、当時貴重な有力フランス人ドライバーとして名を上げています。
しかし切れ味ある走りの一方で度々大クラッシュを招くシーンも目立ちました。特に12年第12戦ベルギーGPは8番手スタートの直後ハミルトンやアロンソ、小林可夢偉らを巻き込み多くのリタイヤを出したことをとがめられ、罰金プラス次戦イタリアGPの出場停止を食らっています。グロージャンは他にもスタート直後やレース序盤でのクラッシュが多く、それも単独ではなく「他車を巻き込む」ものが目立ちました。結果として速さはあれど「近くを走るのが怖い」というレッテルを長きに渡り貼られることになりましたね。
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16年から「ルノーの秘蔵っこ」から卒業、アメリカを本拠地としてフェラーリと密な関係を築く形で立ち上げたハースのエースとして、レースエンジニアの小松礼雄と共に移籍します。開幕戦オーストラリアGPの予選は19番手に沈むも決勝は6位フィニッシュ。続く第2戦バーレーンGPも予選9番手から5位の連続入賞を果たすなど、チームメイトのグティエレスに対して格の違いを見せつけました。17年からは表彰台登壇歴もあるマグヌッセンをチームメイトとし、さらなる飛躍を期待されますが、シーズン半分弱の8回の入賞を挙げるもののスピードを活かした走りができず、マシン側のトラブルや未完成さに苦しめられます。さらにはハースに移籍してからも「ドライビングの荒っぽさ」が抜け切れず、18年第5戦スペインGPの1周目で単独のスピンからまたも他車を巻き込むクラッシュを引き起こし、昨年20年の第15戦バーレーンGPもオープニングラップで詰まりかけた前車を回避する際にコントロールし切れずガードレールにクラッシュし爆発炎上してレースを中断する騒ぎとなったのは記憶に新しい出来事です。皮肉なことに自身のクラッシュによる火傷の治療のために契約よりも離脱が2戦早めてしまいました。
ハースでの最高位は予選が18年第13戦ベルギーGPの5番手、決勝も同じく18年第9戦オーストリアGPの4位と若手のロータス時代に予選、決勝とも及びませんでした。09年の代打デビューから昨年のバーレーンGPまでに181戦のエントリーとなっています。

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ケビン・マグヌッセン(デンマーク)
 1992年10月5日生まれ
 2014年〜20年 7シーズン 120戦参戦
 0勝 P.P.0回 表彰台1回 入賞35回 F.L.2回


 14 マクラーレン 19戦全戦参戦 予選4番手   決勝2位
 15 マクラーレン   1戦参戦        予選18番手 決勝不出走
 16 ルノー            21戦全戦参戦 予選12番手 決勝7位
 17 ハース            20戦全戦参戦 予選11番手 決勝7位
 18 ハース            21戦全戦参戦 予選5番手   決勝5位
 19 ハース            21戦全戦参戦 予選6番手   決勝6位
 20 ハース            17戦全戦参戦 予選15番手 決勝10位

マグヌッセンについては3年半ほど前にあたる17年に「ヤンとヨス」なるF1の二世ドライバー4人に関する特集をしたことがあり、そちらで簡単に触れました。父のヤン・マグヌッセンは95年のスポット参戦を含め、98年まで3シーズン25戦のF1走行歴があります。息子ケビンが3〜6歳の頃ですから、微かに記憶があるかどうか。短い期間ながら父ヤンの走りを観てきた者からすれば、息子はどんなもんだろうとデビュー以降も大変興味をもって見守ってきました。
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ケビン・マグヌッセン(以下マグヌッセン)の所属チームとポイントランキンググラフです。イメージカラーはデンマーク国旗の赤としました。所属チームはマクラーレン、ルノー、ハースの3チームとなります。最も長いのはハースの4シーズン在籍です。マグヌッセンは2010年からドイツやイギリスのF3でならし、その頃に父ヤンと同様にマクラーレンの育成ドライバーに選出されるなど、着実なステップアップを経てF1の世界に進出してきました。13年にマクラーレンの控えドライバーとなり、翌14年はペレスの後任として正ドライバーに昇格を果たしています。IMG_8219
近年はF1ど新人の若手ノリスの起用やその活躍などで違和感はさほどありませんが、あの名門マクラーレンがF1で実績の無い若手の起用は当時とても驚きましたよね。07年のハミルトンに続く「異例」の抜擢でした。さらに驚くのはデビュー戦となった開幕戦オーストラリアGPの予選は相方でチャンピオン経験もあるバトンが11番手で沈む一方、マグヌッセンはメルセデス、レッドブルに続く4番手を獲得。決勝はリカルドの失格もあり何と2位表彰台を獲得してしまうこと。デビュー戦でいきなり初表彰台ですから、一気に「父超え」を完了、そして大物新人っぷりを発揮しました。
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デビューイヤーはリタイヤこそ少なく、全19戦中12回入賞と新人にしてはなかなかの出来といえますが、やはりマクラーレンであり相方バトンと見比べると一段階劣る結果が続きます。結果的にマクラーレンはメルセデスと決別、翌15年からホンダを搭載することが決まり、さらにはフェラーリからアロンソが復帰することもあって一年でレギュラーから控えドライバーに降格することとなりました。
16年から三度ルノーがワークスとして参戦することとなり、ルノーはマクラーレンでくすぶっていたマグヌッセンをチーム立ち上げに抜擢。1年振りにレギュラードライバーとしてF1復帰に成功します。相方は80年代にF1参戦していたジョン・パーマーの息子のジョリオン・パーマーを新人として迎えたことにより「F1二世ドライバーコンビ」が成立しました。20戦のうち入賞は2回、最高位は第8戦アゼルバイジャンGPの7位に止まり、ドライバーズランキングはデビューイヤーの11位を下回る16位で終えました。ただチームやマシンがまだ成熟していないこと、またチームへのポイントのほとんどはマグヌッセンによってもたらしますが、チームと契約がうまくまとまらなかったため、ルノーワークスをわずか1年で離れる決意をし、17年からまだ設立して日の浅いハースへ移籍、グロージャンとの「マルH」コンビネーションがココで堂々成立(笑)
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ハースでのマグヌッセンは初年こそ年齢もキャリアも上のグロージャンの後塵を拝することが多くありましたが、2年目の18年シーズンはグロージャンが7回の入賞に対して、マグヌッセンは11回の入賞を記録し、ポイントランキングは上回る走りをするようになります。19年シーズンもグロージャンより一つ多い4回の入賞と少ないリタイヤ数でポイントランキングで上回りますが、メインスポンサー問題をはじめマシンの開発不足やタイヤとの相性、フェラーリパワーユニットの問題等も重なり予選順位よりも下がる決勝フィニッシュが続きました。グロージャンと共にマグヌッセンも20年シーズンをもってF1から離れる形となりますが、結果的には予選最上位はデビューイヤーである14年のマクラーレン時代の4番手が2回、決勝は先述のデビューレースの2位表彰台1回となっています。また今までデンマーク出身のF1ドライバーは父を含めたったの5人しか参戦が無く、マグヌッセンはデンマーク人唯一のF1表彰台登壇者で最高位の成績を残したことになります。
マグヌッセンの戦績の特徴は今シーズンに復帰参戦を果たすアロンソと同様に「現パワーユニット4社全てで(一応)参戦歴がある」という点です。15年のアロンソの代走をかって出た際は予選走行に止まり、決勝はマシントラブルによりスタートすることができずに終えていますが、現在のドライバーラインナップではかなり貴重な存在でした。またマグヌッセンといえばグロージャンと同様に「決勝レースでの走り方」について度々疑問を投げかけられる声が多くありました。グロージャンほどド派手なクラッシュはないものの、ライバルと接触して押し出したり、時にはチームメイトともバチバチやり合う姿を目にしましたよね。こちらもパッシングをかけたり近くを走るのにどこか覚悟が必要なドライバーであったという印象を持たれるようになってしまいました。
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《戦績比較》
似て非なる2人の戦績比較をしていきます。まずは先程個々で示した大枠となる歴代のドライバーズランキンググラフを合体させてみます。IMG_8187
グロージャンが一足早い09年からの参戦であるため、グラフが右寄りになっています。また2人とも残念ながらチャンピオン争いはできずにきてしまいましたので、上1/4はスカスカになりました。ご存知の通り、17年から4シーズンにわたってコンビを組んでいたため、同じマシンで純粋に単純な成績比較ができてしまいます。
グロージャンの最高位は参戦3年目のロータス時代となる7位です。シーズン終盤に離脱した先輩ライコネンの5位に順位だけはかなり迫りました(ただしポイント差は51ポイントも開いている)その後も大きく崩れることはないものの、右肩下がりの順位で進み、昨年は最低位となる19位でF1人生の幕を閉じています。グロージャンは第15戦バーレーンGPで発生したド派手なクラッシュのため残り2戦を棒に振ってしまいました。16位に位置するアルファロメオのライコネンとの差はたった2ポイントであり、その2戦の結果云々によってはもう少し浮上できたかもしれません。不可抗力とはいえ、レース開始直後の自らのミスにより身体まで痛い思いをして参戦を早期で切り上げる形になっちゃうあたりが何ともグロージャンらしい。
マグヌッセンは14年に当時トップチームの一角であったマクラーレンということもあって、1年目はちょうど中間に位置する11番手でスタートしています。例の「デビュー戦で2位」が大きな助けとなっています。その後の15年の1戦限りのスポット参戦は完走どころか「スターティンググリッドにつけず」という苦さも感じないレースとシーズンを経験。ルノー時代も16位と低調に終わり、最高位はハース2年目にあたる18年の9位となっています。ハース時代のポイントランキング上の勝敗はグロージャン、マグヌッセン共に2勝2敗の五部五部でした。内容をもう少し細かくみていきます。IMG_8216
2人の予選、決勝の順位をクロスさせています。色遣いは先程のプロットと同じです。予選からみていくとマグヌッセンがまだ参戦していない13年やマグヌッセンがマクラーレンから参戦14年、マグヌッセンが控えに戻ったためお休みしていた15年を除く近年5年は両者似たような位置の予選順位となっています。特に17年以降の4年間は同じハースからの参戦となり、同様のプロットと考えると、両者の実力差は多少あるにせよ「ハースで走れる最大限」を示しているかのようにみえます。ハースは新興チームでありながら、フェラーリのパワーユニットをはじめ数々の技術提供を受けています。フェラーリの成績に準ずる形で19年中盤まではそこそこ速く走れており、19年終盤で急激に順位を落としてしまいました。昨年20年に至ってはフロントロウやセカンドロウスタートの経験もあるこの2人の中堅をもってしても、Q3進出が叶いませんでした。予選の重要度が高くなりつつある近年で予選順位が芳しくないと、この後みる決勝についても辛いのは目に見えています。IMG_8217
予選編とそう差のない位置に決勝結果も並び、さらにそのプロットはスカスカになりました。その理由は25位の位置にたまる「リタイヤ、失格」が多いためです。リタイヤは一般的に全てがドライバー理由というわけではなく、マシンやチーム、他車の影響によっても起こり得ます。感覚的な言い方にはなりますが、この2人は単独トラブルよりは「他車を巻き込むクラッシュ」が目立ちました。マシンが速いこと、チーム戦略が長けていることも上位フィニッシュするにあたって重要なファクターです。しかし最低限の目標として「マシンを壊さずガレージに戻ってくる」必要があります。それが叶えられない走りであったり対処が多かったようにも感じます。クドいですがグロージャンの2位2回はキャリア序盤、マグヌッセンはデビュー戦2位というのが輝いていますね。キャリアにおいて予選順位が下り坂であれば、決勝も下位を抜け出せず、自ずとポイントランキングも下降線を描く。2人は色んな意味で共通項があるように感じます。
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2人のハース時代だけ抜き出し、いつものようにリタイヤや失格を最下位「20位扱い」とした場合の平均値を年毎に並べてみました。シーズンで勝る方の数字は赤く強調しています。若干の差はありつつも、2人の予選、決勝の平均順位は似通った数値を示し、予選が速い年は2人とも速いし、遅い年は2人とも同様に遅い、とシンクロしているあたりも、両者の実力差は遠からずで、マシンの許す限りの最大限は発揮できていたとみていい気がします。こちらもmiyabikunの感覚論にはなりますが、グロージャンは「予選などの一発速さ」に長け、マグヌッセンは「決勝で他車を間を縫って我慢するかぶつけて蹴落とす」印象があります。2人を足せば、色んな意味で「脅威の武器」が完成しそうな、、(笑)

《チームメイト対決》
最後は2人が共に切磋琢磨し、時には体当たりで戦ったチームメイトとの勝敗を比較します。まずはグロージャンから。
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グロージャンの歴代チームメイトはアロンソ、ライコネン(コバライネン)などのトップドライバーからはじまり、一触即発かマルドナド、可愛こちゃんグティエレス、そしてマグヌッセンと並び、一番一緒にいる時期が長かったのがマグヌッセンでした。序盤はキャリアに反して強敵相手となったためボロ負けです。しかし予選においてはロータス時代のライコネンと対等にやり合い、マルドナドに対しては圧勝しました。
一方で決勝となるとライコネンが一枚二枚上手となり、帯の中央にある黒の「イーブン」が目立ってきます。両者が何らかの理由により両者で勝敗のつけられない「リタイヤ」が該当します。グロージャンのリタイヤ、もちろんグロージャン自身の理由ばかりではありませんが、グロージャンらしい想像をしてしまいますよね。

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続いてマグヌッセンです。マクラーレン時代はバトン、ルノーではパーマー、そして先程の裏返しでハース時代のグロージャンとなり、グロージャン同様に相方はグロージャンが最多のお付き合いということになります。異例の15年を除くと、予選についてはチームメイトに対してまあまあいい勝負ができています。ハース初年の17年だけは先輩グロージャンが一歩有利か。
決勝は初年にボロ負けを喫した以外は予選と同様にいい勝負をしていたことがわかります。最終的なライバルはチームメイトより他チームに負けないことが必要となりますが、身近なチームメイトと比較するとさほど悪い結果とは言えません。
結果、グロージャンもマグヌッセンも本質が悪いわけではなく、実はマシンのポテンシャルに対しては比較的忠実であり、戦績が今ひとつだったのは乗るマシンの競争力が足りてなかったり、そのライバルの前での立ち振る舞いがF1らしからぬ「独特さ」であったが故とmiyabikunはフォローしたいと思います(笑)

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時には走り方やクラッシュの仕方が問題となり、危険走行、荒くれ者のイメージが色濃い2人は奇しくも晩年は同じチームで並び、同時にF1界から去ることが決まりました。ただ年齢的にはまだドライバー人生を終えるには早く、これまた奇しくも今シーズンはカテゴリーに違いはあれど戦いの舞台をアメリカに移して現役を続けていくことが決まりました。2人とも会って話したことはなく、サーキットでは超遠目からで他ほぼテレビでしか見たことはありませんが、マシンを降りればグロージャンはお人好し、またマグヌッセンはサッパリ男気のあるナイスガイであるという人柄をよく聴きます。荒くれ者であっても、それら人柄のよさや一発の速さ、粘り強い走りができるドライバーということで短命に終わらず、表彰台登壇や新規チームの立ち上げに必要とされてきたのだと思います。毎レースで何か「小ネタ」をぶち込んできた2人。いればいたでハラハラドキドキだったし、いなくなると考えるとどこか物足りなさを覚えます。今後の若手があまり真似してほしくないキャラクターではありますが、F1ドライバーばかりがドライバーではない、楽しく走れて勝利を求めて活路を見出すことも時には必要です。今回は単に「F1離脱=さようなら」してしまうのも惜しい2人と感じ、最後にガッツリ特集しました。これからは目にかかる機会は減ってしまいますが、新天地でのさらなる活躍を願っています。
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